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次のように語っている。
「己の中の野生が暴れる時、
人は完全に動物になっている。
嘘をつくとき、
人は真理を知る権利を放棄している。
残酷な行為を働くとき、
人は知性の感覚を失っている。
綺麗な庭をつくりたいものは、
雑草の生える場所を残しておきはしないのだ」。
私たち人間は、いったん自信を持ったなら、
自分の人生を方向づける目的と原則を
選択しなければならない。
その努力を怠ったら、
刺激と反応の間にあるスペースは閉ざされ、
自覚を失い、
下等動物と同じになってしまう。
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スティーブン・コビナー 著
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自分を顧みれば、野生は暴れっぱなし、
とはいえ、暴力行為にまで至ることはほとんどないが
言動はといえばほとんど暴力行為と変わらない
まさに自分の心の中の野生は暴れっ放しである
人間であることを忘れ、感情のままに、
相手の言動に対して感情的に負けてなるものかと
闘争心をむき出しにする
それもである
相手が弱いと見れば
その攻撃力はとどまることを知らず
叩きのめすまで攻撃的である
でも相手が強いと見るや、手のひらを返すように
相手に従順にも変身するからタチが悪い
とことん、攻撃的で返り討ちにされればいいのに
そういう場面では人としての反応し
攻撃力は服重心にスイッチして保身
なんとも、下等動物と同じように反応的になるどころか
下等動物よりも劣るレベルで
存在しているのかもしれない
どんな刺激や環境にあっても人として
判断選択する時間と空間を使い
的確に知恵を絞り
より良い言動に望みたいものだ...!
日々の鍛錬が必要であることを思い知らされる
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読者の皆様のご支援に心から感謝申し上げます。
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