トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

母の反撃 2

2006-11-09 21:22:45 | 思い出
母が退院してしばらく経った頃から、部活から帰ると祖母が私を待ちかねていたように家事を言いつけるようになった

「ちっこ。天井を拭いてくれないか?」
「ちっこ。畑の雑草が」
「ちっこ。掃除機をかけて欲しい」

私が頼まれた事をやっていると
「ママさんがやってくれなくなったから家の中が汚くてしょうがない。
ママさんは掃除が嫌いで困ったもんだ」と言った

祖母は半年に一度は天井や壁、床全てを拭くようにいつも母に命令していた
母は疲れた体に鞭打って「やらないとやるまで煩く言われるのが堪らないから」と
やっていた事を止めたのだった

祖母は掃除機も柄の部分で床に這いつくばって吸い取らないと綺麗になった気がしないと言った
母はガーガーと普通にかけて終わるようになった

高校を卒業してOLになった頃。
朝、目が覚めるとベットの側に母が仁王立ちして私を見下ろしていた

ビックリして「何?」と聞くと
「殴られた」と子供のようにほっぺたを膨らまして怒った顔をした
「何で?」と聞くと母は質問には答えず
「絶対許さない」と言ったままドスドスと音を立てて部屋を出て行った

何だったんだろうと思いながらも一週間が過ぎた頃、朝、出勤の準備をしていると
父が起きてきて「駅まで送ってやる」と言った

珍しい事もあるもんだと思って車に乗ると父が
「いやー。母さんにも困ったもんだ」と言い出した
「何が?」と聞くと
「母さんと喧嘩してもう一週間も経つんだが全く口を利こうとしないんだ。
返事すらしない」と言った

今まで父が無視する事はあっても母は無視するなんてありえない話だった
「母さん怒ってたよ」とあの朝の事を言うと
「だってな!」といきなり父が話し出した

あの朝の前の晩、父と祖母は家事がおろそかになっている事を責めたらしい
「ただ。ちょっと最近掃除もしてないし、畑も全く手伝わないしと祖母さんと言っただけなんだ」と父は言った

祖母と父とで何時間も母をグチグチと責めている姿が浮かんだ
すると突然、それまで黙って聞いていた母が座っていた椅子に立てひざを立てて

「テメーラ!グダグダ、グダグダ同じ話ばっかりうるせーんだ!!
文句があるなら自分でやれば良いだろう!!雁首そろえりゃあれしろ!これしろ!
ってテメーラ!あたしを殺すきか!。ふざけんな!」と怒鳴ったのだと言う

「俺もカーッとなって思わず叩いてしまったんだ」

「ふーん。かなり怒ってたよ。」
「いやー。参った」本当に困っているようだった

「あっ。此処で良いから」と言って私はさっさと降りた

地下鉄に乗ってから私はこみ上げる笑いを抑える事ができなかった

それから私が結婚して家を出ると母は、私の使っていた部屋を早々に片付け
自分の部屋にしてしまった

姉の長男がゲームに懲りだすと自分もやると言ってゲーム機を買ってきた
母は初めてやるロールプレーイングのゲームに嵌っていった

祖母と父の食事の支度を終えて自分も夕飯を食べ終えると、すぐ2階の部屋に篭ってゲームをやるようになった
ゲームはその辺の中学生より上達して、ゲームショップで高校生と裏技の話をする用にまでなった

母はゲームをして、私の使っていたテレビでサスペンスを見て、好きな時間に寝るようになった

もう父の食事が終わるのを待つ事はなくなった
祖母も父も私が実家に帰る度に「食事が終わると逃げるように二階に篭って感じ悪い」と悪口を言っていたがそのうち何も言わなくなった

祖母が死んで父は1人で晩酌をするようになった
母は酒のつまみを置くとそのまま部屋に篭る
母は猫を飼い始めた

父は動物が嫌いだった
でも母はお構いなしに連れてきて飼い始めた
その猫が母にしか懐かない

父が少しでも母と話をしていると通りすがりに父の足を引っ掻いて行く
「いてー!」と父が悲鳴を上げると母が
「まあ。本当に父さんには懐かないねぇ。さあさあ猫ちゃん寝ようね」と2階に抱いていく

父は「本当に馬鹿猫だ!」と叫んでも母はもう2階に上がっていない

母は「明日出よう。明日別れようって思っているうちに此処まで来てしまったねぇ」と言った

そして「今が1番幸せだねぇ」と目を細めて猫をなでた
母の膝の上で丸くなった猫ちゃんがいつまでも幸せそうな寝息を立てていた

今日も聞いてくれてありがとう







母の反撃

2006-11-08 16:36:11 | 思い出
「明日こそ出て行こう。明日こそ別れよう。そう思っているうちに此処まで来てしまったねぇ」としみじみと母が言った

私が小さい頃の母はとにかく耐えて、耐えての人だった
毎日朝の4時には起きて、洗濯、掃除、子供の夕飯の用意もしていた
そして母はパートで朝から夕方6時まで働きその後店を8時まで手伝って
買い物を済ませて帰ってくる

帰るとすぐ父と祖母の夕飯の支度に取り掛かる
父と祖母はゆっくりと座って待っているだけだった
祖母は同居した時まだ60になったばかりだったけれど、家事一切しない人だった

包丁を握るのも洗濯機を回すのも掃除機を触るのも嫌だと言った
孫は見ていてあげる
ご飯も用意してあれば食べさせてあげる
でも家事は一切しないと宣言したそうな

母は子供を見ていてもらえるだけでもありがたいと毎日
祖母の昼ごはんも欠かさず用意して出かけた

母は夕飯も立って食べるほど忙しそうだった
ようやく座る頃には父はゆっくりを酒を飲み、祖母と話をしていた
それを母は聞いていなければいけなかった

自分だけ疲れたから「お先に休みます」とはいかなかった
父は夜中の12時まで夕飯を食べる人だった
母はじっとその食事が終わるのを待っていた

そして1時にようやく父が寝ると母も寝られるのだった

毎日の睡眠時間は4時間あれば良いほうだった
いつも目が窪んで、歩きながら寝てしまうので転んでいつも捻挫していた

怪我をすると祖母と父は「ボーっとしているからだ。馬鹿な奴だ」と馬鹿にした
母はいつも顔を背けて泣いていた

いつもストレスが溜まっていて頭が痛い。頭が痛いと言ってはトイレで吐いていた
私は母の泣き声を聞きながら「ゲーゲー」吐く痩せた背中をいつもさすっていた
母は「もう駄目だ。いつか私は死ぬんだ。この家に殺されるんだ」と言っては
泣いた

一度だけ母に「父さんと別れたらどっちに着いて行く?」と聞かれた事があった
私にとっては母の存在はあまりに遠く、祖母を母と思っていた頃だったので
「この家に残りたい」と言った

姉は物心ついた時から母のグチの受け止め役となっていたので当然
「絶対にこの家には残らない。母さんについて行く」と言った

弟は跡取りと言われていたので母は置いていくつもりだったらしい

母は兄弟が別れ別れは可哀想だと言ってその話は2度とされる事はなかった

高校生になったある日の事、いつもより早く目が覚めた。
なんだか家の様子がおかしい

階下に降りて行くと祖母が居間に座ってぼんやりしていた
「どうしたの?お母さんは?」と聞くと

「お母さんは夜中に具合が悪くなって、救急車で病院に行ったんだよ。
父さんとお姉ちゃんが着いて行ったよ」と言った

母は腎臓結石になって入院した
見舞いに行くと母はまた泣いていた
「どうしたの?」と聞くと

「父さんが町内会の旅行に行くんだって。私が入院したって言うのに旅行に行くなんて。いつもは行かないのに私が入院したら行くって言い出したんだ。
家の事をする人がいないから早く退院しろとでも言うのかね
私はこのままじゃ死んでしまう」

病院に母の兄嫁が見舞いにやってきた
母の義理姉は気さくでなんでもはっきり言う人だった
母の顔を見るなり叔母さんは

「あんたも馬鹿だね!こんなになるまで我慢して良い嫁になる事なんかないんだよ
どんなにやってもあんたのした事が認められたかい?
やれる分だけやれば良いのさ。
自分を大事にしないでなんで家族を大事にできるんだい?
本当にあんたは馬鹿だよ。人の目とか常識に縛られ過ぎなんだよ」と言った

母はこの言葉で目が覚めたという
自分がいくらやっても認められる事はないんだ
自分を削ってやるくらいならやらない方がまし。

馬鹿馬鹿しい。

この日を境に母の反撃が始まった
それは母が生まれ変わった瞬間だったかもしれない
(つづく)

今日も聞いてくれてありがとう




夫と息子

2006-11-06 09:35:21 | 子供
「ほらほら!コップが床に置きっぱなしでもう少しでこぼす所だったよ!」
「え?こぼれたの?」

「こぼれそうだったの!ちゃんと片付けなさい!分かったのか?」
「うん・・・」


「ほらほら!あーちゃんが泣いてるって」
「またー!ゴミを捨てなさいって!」

最近の夫は息子に文句ばっかり言っている
私がちょっとでも「お兄ちゃん、もう八時過ぎたよ。やる事やったかい?」と聞くとすかさず「ビデオばっかり見てるからだろ!今日はずっと見てただろ?目が悪くなるぞ!」私の後ろから追い立てるように文句を言い続ける

私が一言注意するたびに夫がその3倍も便乗して文句を言う

息子は夫が恐いという
何に怒るか分からなくて恐いという

息子が小さい頃は夫と息子は仲良しだった
2人でいつもゲラゲラ笑って「俺達は兄弟だ!」と言っていた

息子が小学校の4年生位になって親の言うことを素直に聞かなくなった頃から
夫の文句が増えた
それでも会社勤めの頃は一緒の時間も多くて、夫が怒ってもフォローする事も出来て関係を修復する事ができて来たのだ

でも最近は夫は殆ど家にいない
息子は「今日はお父さん遅い?」と聞く
「多分」と応えるとホッとするような素振りを見せるようになった

昨日も散々文句を言い続けていた
息子はゲームがなかなか攻略できなくてテレビに向かって
「あー!!もう!!できない!」と怒っていた

私に向かって
「お母さん!パソコンでこのゲームの攻略調べて!!」
「どのゲーム?」

「これ!!!!ソニック!!これがクリアーできないの!!」と大声で怒鳴った
思わず腹が立って
「そんなにキーキー!言われたくないよ。調べて欲しいなら静かに言って!」と叱った

「ごめんなさい。ソニックの此処」と説明しだした
すると夫がすかさず
「出来なくてイライラするならやるな!できねー!できねー!できねー」とからかった

それを聞いていた息子はムッとしてゲームをやりだした
調べたけど攻略方法は見つからなかった
「そんな細かいところまで載ってなかったよ。もう少し進んでみて」と言った

息子は返事もせずにやっていた
そしていきなり「もー!!辞めた!!出来ない」と怒って乱暴に電源を切ると
自分の部屋のドアを思いっきり閉めた

バタン!!と大きな音がしたと同時に夫が
「兄ちゃん!!!何だ!!!」と怒鳴った

思わず私も声が出た
「お父さん!!いちいちお兄ちゃんにうるさい!もう。止めて!」

「何がよ?ドアを乱暴に閉めてあの態度は野放しで良いのかよ?」

「興奮してドアを閉めただけなんだから、放っておいてあげてよ」

「今からあんな態度とってて良いのか?しらねーぞ、この先あいつがどうなってもしらねーからな」と自分もドアを乱暴に閉めて出て行った

自分だっていつも家が揺れるほど乱暴にドアを閉めるじゃないか
その音にいつもどれだけビクビクした事か・・・

夫が部屋に戻ってきて
「お父さんだって今のお兄ちゃんと同じ時期があったでしょ。放っておいて欲しい時とかあったでしょ。舅達にあーだこーだ言われて嫌だったって言ってたじゃない
どうして欲しいかお父さんが1番分かるんじゃないの?」と言ってみた

夫は
「あれとこれとは違う」と言ったっきり寝てしまった


夫にとってはいつもの延長でやっているつもりでちょっと言い過ぎちゃった事もフォローがいつでも出来ると思っているのだろうけれど、子供にとってはちょっとしか会えないのに会えば怒ってばっかりいるお父さんとしか印象に残っていない気がする

夫は小さい頃に息子を沢山可愛がったから今反抗する事が許せないのかもしれないけれど息子にしてみたら、昔は優しかったお父さんが自分の意見を言うと怒る恐いお父さんになってしまっている

親があれもしてやった。これもしてやったと思っているのはただの自己満足に過ぎない
子供にとっては今の親の姿が全てなんじゃないだろうか

私の言い方が悪かったのかなぁ
私はただ今は会う時間が少ないから、せめて一緒にいられる時は優しくしてあげて欲しいそう思っただけなんだけどな・・・

なんせ合う時間も話す時間もない
今は仕事を起動にのせるためには家にいられないのは仕方ないと分かっている

今朝も話を交わすことなく出かけていった

メールでも送ってみるか・・・

やれやれ。父と息子って難しいのかな・・・
母親はあんまり間に入らない方が良いのかな?

まだまだ思春期の入り口に立っている息子。
はーーー。っと長いため息が出るのだった

今日も聞いてくれてありがとう






姉と私

2006-11-01 15:57:14 | 
姉とはお盆に会ったっきりメールすら連絡を取っていない

姉はとても完ぺき主義である
私にとっては子供の頃から何でも知っていてとても頼りになる姉だった

手先も器用で、料理も上手。
勉強家で結婚してからも試合に明け暮れる他に英語や、マラソン、水泳、といつも
何かを頑張っている

お盆、正月に久しぶりに会えば必ず新しい事をやっている
本当に尊敬し、大好きな存在だった

子育ても常に姉は勉強を怠らない
新しい本を読み、良いと思える物は全て取り入れていく
3人の子供達は長男は成績優秀、スポーツ万能、長女はピアノに英語、活発で
何でも起用にこなす。末の次男もまた運動能力が飛びぬけて良い。

いつも自信に溢れている

姉と会うと私の子供を足の先から隅々まで見て褒めてくれる
私がちょっと子育てを愚痴ったりすると
「それは、あなたのそのやり方が悪いからよ。もっとこうしてあげなくちゃ」と素晴しい子育て理論が始まる

それはとても理屈にあっていて反論する隙もない
私もとても勉強になる。そして凹む

絶対に超えられない存在の姉だった

姉の夫である義理兄もまた完全主義だ

効率的で無口だけれどここぞの一言は全く返す言葉もないくらい的を得ていて重い
頭も凄く良くて若い時には既に何人もの部下を従えていた

その義理兄に何か言われたりすると姉は一気に落ち込む
義理兄の言う事は全て正しい。と信じて疑わない姉なのだがたまに意見が食い違う事がある
すると義理兄に言い負かされてめちゃくちゃ落ち込んでしまう

それはもう一気に鬱へとまっしぐらなのだ

今までもずっと何ヶ月も連絡のなかった姉が突然夜中に「SOS」とメールをしてくると大抵は義理兄と喧嘩してやり込められた時だ

そして姉の終わるとも果てしない仲直りするまでずっと朝となく夜となく
メールが届き続けるのだ

いつもは大きな存在の姉がその時だけは私だけを頼ってくる
そして私の答えに感謝し「やっぱりあなたが一番の理解者だ」と褒め称える

私はその姉の気持ちに応える為に必死に姉の変わりにいろいろな事を悩み考えるのだ

今年のお正月、姉の長男がちょっとスランプに陥り高校へ進学しないと反抗しだし
姉は途方に暮れていた
義理兄は「そんなくだらない悩みに付き合ってられない。ゲームも遊びも禁止だ。勉強させろ。無理やり希望届けを出せ!」と相談にのってくれない

姉は今までの子育て全てが否定されたかのように落ち込み、私に幾度となくメールをよこした
姉は義理兄と意見が食い違い、最後は離婚とまで口にするまで追い詰められていた

私はこれは一大事とばかりに思春期の子供の心から、夫婦の修復の事まで
ネットで調べたり図書館で調べたり必死にメールを送り続けた

親が悩むほど子供は悩んでいない
ただちょっと迷っただけって事もある
長男は無事に希望の高校へ入学できた

長男が受かるとまるで何事もなかったかのようにメールは来なくなった
良かった良かったと胸をなでおろした頃私の夫がリストラされた

夫が最初に受けようとした会社は保証人が2人必要だった
親戚や親と絶縁状態の夫は私の兄弟になってもらえないかと言ってきた

別にお金を借りるとかの保証人とは違うので私も簡単に「頼んでみるね」と言った
春休みにウキウキでやってきた姉一家に私は早速頼んでみた

姉の顔がみるみると曇った

「そんな会社に入るための保証人だから特に迷惑とかかかる事はないと思うんだけど。。。」とおずおずと言うと

「考えてみる」とさえぎる様に言われ
何かとても悪い事を頼んだような気がして
「無理しなくて良いよ。他に頼んでみるから」と言うと

「そう。そうして。その方が絶対良いよ」とヘラヘラと笑いながら言った
姉にとっては私の夫のリストラなど全然関心がないようだった

それから一週間ほどして姉からメールが届いた
「あなた達、爺さんの店を継いだら良いんじゃない?爺さんはあそこで長く
店をやってるし、良いと思うよ。やりなよ。継ぎなよ」と書いてあった

私は目の中がカッと熱くなる気がした
継ぎなよってどういう意味なんだろう

サラリーマンしかやったことのない夫にいったいどんな自営業ができるというのだ
自営をするにしてもその支度金とか何百万も掛かるというのに、ノウハウもない夫にいったい何をやれって言うのだ

冗談にも程がある。遊んで暮らしているわけじゃないんだと腹が立って仕方がなかった

滅多に姉に意見しない私だがメールに一言
「お姉ちゃんからそんな事言われるとは思わなかった。がっかりしたよ。自営の大変さは私達兄弟が一番貧乏して知っているはず」と書いた

姉は笑顔マークつきでメールを送ってきた
「ごめんごめん。深い考えじゃないのさ。うちの夫がちょっと言ったもんだからさ
それも良いんじゃないかと思ってね。思いつきだから気にしないで」

姉にとっては私の夫のリストラも思いつきの一つで片付けられる内容だったのだ

その時姉がもの凄く遠い存在だった事に気がついた
私はいつも姉を意識して姉の為に出来る事はしなくちゃと思ってきた
姉が悩むと本当に自殺でもしかねないほど大騒ぎをする
私は心配で自分の事のように悩んできたけれど、姉が私の悩みを真剣に聞いてくれた事は一度もなかった事を・・・

姉はパニック障害になったり、摂食障害になったり、いつも私には
心配な存在だった

姉が死んでしまうんじゃないかといつも心配していた
弱くて強い姉。それが私の中の姉のイメージだった
それは私が勝手に作り出した幻影に過ぎなかった

姉は姉で生きていけるのだ
私が私で生きていけるように

私は姉を手放した。
不思議と寂しいとは感じなかった

今日も聞いてくれてありがとう