見捨てられ不安という言葉を知っているだろうか
私は拒否されることを異常に恐れていた
誰かに嫌われたり悪く思われる事、誰かを傷つけることがとても怖かった
だからわざと嫌われ者に近づいて好かれようとしていた
気がつくと周りは嫌われ者の変わり者に囲まれていたりすることもよくあった
14番目に好きな人という話がある、まさに夫はその人である
1番好きな人と結ばれてもしその人に嫌われるような事があったなら生きてはいけない。そう思っていた。でも14番目位の人なら少し位傷つけられても平気だろうと思っていた。14番目なのだから
全く夫には失礼な話である。酷い妻だと思う
夫との結婚生活は衝突の繰り返しだった
夫にとって誰かと暮らすことは苦痛以外の何者でもなかったらしい
なかなか解決されない借金問題、なんのお金なのか、今現在いくら借金があるのか絶対に教えてはくれなかった
ギャンブルもしている様子がない。女がいるようでもない。ただ月末が来るととてもいらいらして、やれ何とかさんの送別費だ、だれだれさんの葬式だとお金を持っていくのである
そして必ずばれるのである
ばれた分は素直に認める。でも他の借金については「もうない」の一点張りなのである。その時はまた嘘かもしれないと思っていながら信じてしまうのである
でもまた何ヶ月かすると同じように月末にいらいらし「会社の集金なくした」とか言い出すのである
共依存症の私は約束事を夫に押し付ける、そうすることによって夫をコントロールしようとするのだ
小遣いを減らしたり、弁当を持たせたりして夫の首を絞めていくのである
飲み会や趣味などの制限をするのである
さもあなたの事を思っているのだという振りをして
最後に約束して、息子も産まれて、月末のいらいらもなくなっていた。私はもう大丈夫だと安心していた。でもまた請求書がポストに入っていたのだ
初めて家を出た。私が向かった先は夫の実家だった
夫は親からの評価が下がることを1番恐れていた
家の中ではいい息子でなければいけなかったからだ
私はその事を知っていた。だからもう最後の賭けだった
その時舅は体を壊して入院していた。私は姑にすべてを話した
夫はあわてて駆けつけてきた
姑は小さい子供を叱るように怒鳴っていた。そして泣いた。「私がいけなかったのか。あんたをそんな子に育てたのは私のせいなのか」と泣いた
人を傷つける事を恐れる私の心はざわざわと揺れた
夫は一言も話さなかった。悪かったでもないし、なんの借金かも言わなかった
そしていつもの仮病に食事拒否である
姑は「もういいから、ご飯たべなさい。もういいから」と簡単に許してしまった
退院してきた舅は酷く怒ったが、ただ酒の量を増やしただけだった
それでも夫は親に知られたことが余程応えたのだろう初めて、売り上げを伸ばすために穴埋めした借金であった事を教えてくれた
そして無理に売り上げを伸ばすことはしないと誓ってくれた
夫にとって人からの評価が下がることは何よりも辛いことらしい
だからお金を集金できなかったなどとは絶対いえないので自分で穴埋めし続けていたのだ
それから私たちはちょっと仲良くなった
私は夫が少しだけ心を開いてくれたことに有頂天になっていた
もう私の物だ。そう思っていた。夫のコントロールに成功したのだと浮かれていた
夫に2人目の子供が欲しいと言った
なぜか夫は不能になった
いくら努力しても上手くいかなかった
夫の自尊心はずたずたに傷ついていたのだ
ある日生理の出血が止まらなくなり、高熱と下腹部痛に襲われた
酷い淋病にかかっていた
夫は不能を苦にして風俗へ通って治そうとしたのだ
婦人科の先生に「不妊になるかも」と言われた
ショックだった。泣いて泣いて夫を責めた
夫は「お前が2人目欲しいって言ったからだ。俺が悪いからできないと責めたじゃないか。だから治そうと、お前の期待に答えようと思ったんだ」と私をなじった
もう駄目だと思った
でも共依存症の私は生活の環境をすぐ変えることに異常な恐怖を覚える
1人で子供を育てるなど、考えられないし、夫と離れた後の自分も怖いのである
だからやっぱり決断できなかった
そして夫にこう言った「私は崖のふちに立っていると思ってください。もしこの先何かまた起こったら、私は迷わずあなたと別れます、これが最後の決断です。」そう夫に言った。夫は離婚届にサインしてくれた。初めて夫は私の前で泣いた。私達はお互いに傷つけあってきた
お互いの傷に塩を塗りあってきたのだ
それからお互いにポツリポツリとお互いの過去を語り合うようになった
聞いてみれば「なんだ、似たもの同士じゃないか」と笑った
それから1年経って彗星のごとく娘がおなかに宿った
本当に嬉しかった
妊娠が分かった日それはクリスマスイブだった。サンタクロースは本当にいたんだ
そう思った。息子と手をつないで帰った病院の帰り道を私は一生忘れないだろう
きゅっきゅっと踏む雪の暖かい音を一生忘れないだろう
私は拒否されることを異常に恐れていた
誰かに嫌われたり悪く思われる事、誰かを傷つけることがとても怖かった
だからわざと嫌われ者に近づいて好かれようとしていた
気がつくと周りは嫌われ者の変わり者に囲まれていたりすることもよくあった
14番目に好きな人という話がある、まさに夫はその人である
1番好きな人と結ばれてもしその人に嫌われるような事があったなら生きてはいけない。そう思っていた。でも14番目位の人なら少し位傷つけられても平気だろうと思っていた。14番目なのだから
全く夫には失礼な話である。酷い妻だと思う
夫との結婚生活は衝突の繰り返しだった
夫にとって誰かと暮らすことは苦痛以外の何者でもなかったらしい
なかなか解決されない借金問題、なんのお金なのか、今現在いくら借金があるのか絶対に教えてはくれなかった
ギャンブルもしている様子がない。女がいるようでもない。ただ月末が来るととてもいらいらして、やれ何とかさんの送別費だ、だれだれさんの葬式だとお金を持っていくのである
そして必ずばれるのである
ばれた分は素直に認める。でも他の借金については「もうない」の一点張りなのである。その時はまた嘘かもしれないと思っていながら信じてしまうのである
でもまた何ヶ月かすると同じように月末にいらいらし「会社の集金なくした」とか言い出すのである
共依存症の私は約束事を夫に押し付ける、そうすることによって夫をコントロールしようとするのだ
小遣いを減らしたり、弁当を持たせたりして夫の首を絞めていくのである
飲み会や趣味などの制限をするのである
さもあなたの事を思っているのだという振りをして
最後に約束して、息子も産まれて、月末のいらいらもなくなっていた。私はもう大丈夫だと安心していた。でもまた請求書がポストに入っていたのだ
初めて家を出た。私が向かった先は夫の実家だった
夫は親からの評価が下がることを1番恐れていた
家の中ではいい息子でなければいけなかったからだ
私はその事を知っていた。だからもう最後の賭けだった
その時舅は体を壊して入院していた。私は姑にすべてを話した
夫はあわてて駆けつけてきた
姑は小さい子供を叱るように怒鳴っていた。そして泣いた。「私がいけなかったのか。あんたをそんな子に育てたのは私のせいなのか」と泣いた
人を傷つける事を恐れる私の心はざわざわと揺れた
夫は一言も話さなかった。悪かったでもないし、なんの借金かも言わなかった
そしていつもの仮病に食事拒否である
姑は「もういいから、ご飯たべなさい。もういいから」と簡単に許してしまった
退院してきた舅は酷く怒ったが、ただ酒の量を増やしただけだった
それでも夫は親に知られたことが余程応えたのだろう初めて、売り上げを伸ばすために穴埋めした借金であった事を教えてくれた
そして無理に売り上げを伸ばすことはしないと誓ってくれた
夫にとって人からの評価が下がることは何よりも辛いことらしい
だからお金を集金できなかったなどとは絶対いえないので自分で穴埋めし続けていたのだ
それから私たちはちょっと仲良くなった
私は夫が少しだけ心を開いてくれたことに有頂天になっていた
もう私の物だ。そう思っていた。夫のコントロールに成功したのだと浮かれていた
夫に2人目の子供が欲しいと言った
なぜか夫は不能になった
いくら努力しても上手くいかなかった
夫の自尊心はずたずたに傷ついていたのだ
ある日生理の出血が止まらなくなり、高熱と下腹部痛に襲われた
酷い淋病にかかっていた
夫は不能を苦にして風俗へ通って治そうとしたのだ
婦人科の先生に「不妊になるかも」と言われた
ショックだった。泣いて泣いて夫を責めた
夫は「お前が2人目欲しいって言ったからだ。俺が悪いからできないと責めたじゃないか。だから治そうと、お前の期待に答えようと思ったんだ」と私をなじった
もう駄目だと思った
でも共依存症の私は生活の環境をすぐ変えることに異常な恐怖を覚える
1人で子供を育てるなど、考えられないし、夫と離れた後の自分も怖いのである
だからやっぱり決断できなかった
そして夫にこう言った「私は崖のふちに立っていると思ってください。もしこの先何かまた起こったら、私は迷わずあなたと別れます、これが最後の決断です。」そう夫に言った。夫は離婚届にサインしてくれた。初めて夫は私の前で泣いた。私達はお互いに傷つけあってきた
お互いの傷に塩を塗りあってきたのだ
それからお互いにポツリポツリとお互いの過去を語り合うようになった
聞いてみれば「なんだ、似たもの同士じゃないか」と笑った
それから1年経って彗星のごとく娘がおなかに宿った
本当に嬉しかった
妊娠が分かった日それはクリスマスイブだった。サンタクロースは本当にいたんだ
そう思った。息子と手をつないで帰った病院の帰り道を私は一生忘れないだろう
きゅっきゅっと踏む雪の暖かい音を一生忘れないだろう
越智先生や飯田先生の受け売りになるのですが・・・
人生に起こることは全て、必要で必然なんだそうです。偶然ということはなく、運のせいということもない。そして、それらの出来事は、ベストタイミングでやってくるというのです。
一番興味深かったのが、それらを自分でプログラム、自分で人生シナリオを描いて生まれてくるというのです。目的は魂磨き。舞台は今世。魂を磨くための課題としていろんな困難や難関を用意して生まれてくる・・・。
14番目のご主人との結婚も必要で必然。
そしてご主人の家との繋がりも、意味があるのでしょう。
この結婚を通してちっこさんは、何を学ぼうとなさっているのでしょう。
そして、今、ブログへの綴ること、ヤンマーと出会うこと・・・。全て必然的。そしてちっこさんがプログラムしたことです。ヤンマーとの出逢いを用意してくれてありがとう。
課題に向き合い始め、克服の歩みを始められたちっこさん。
自信を持って、進んで大丈夫ですからね。
向き合ったことは、乗り越えたも同然なんですよ。
今日のコメントはスピリチュアル的なので、不愉快に感じられたら削除なさってくださいね。
とても興味深いお話、嬉しいです
私は先週結婚15周年を迎えました
文章にすると本当に短いけれど、同じ迷路をぐるぐると回っているような気がしていました
その迷路には沢山の人との出会いがあったのですね
私に起こるジェットコースターのような出来事は全て私が招き寄せているんだと思っていました
共依存であるが故に全て私自身が起こしているんだと
だから全ての責任を取っていかなければいけないんだと感じていました
そんな私に出会えてよかったといってもらえてすごく嬉しいです
まだまだ事件は起こり続けています
でも受身ばかりでなく自分自身で問題を見極めて解決に向けて歩いて行きたいです
なぜかヤンマーさんのコメントを見ると涙が止まらなくなります。なぜなんでしょうね
ありがとうございました
15年も添い遂げているのですから、やはりだんな様とはソウルメイト、なのだと思います。
お互いで磨きあう関係なのでしょうね。
これまでの夫婦の歩み、そしてこれからの夫婦の歩み。
これからはどのようにでも作っていけますね。
涙がこぼれるのは、心の浄化の過程を歩んでいるからでしょうね。
自分たちで作りあげて行きたいですね
いつも先に進むのが怖かったです
でも今は少し明日を楽しみに思えるようになりました
「一番好きな人ではないほうが幸せになれる」って思ったから・・・・・
でも、結局、上手く行きませんでした。
旦那を責めるため、はけ口を見つけるために、
書き出したブログですが、
書くうちに、AC・共依存の言葉にぶつかりました。
まずは、自分を変えることから始めてみようと模索中です。
ちっこさん夫婦のように、お互いが気が付き、進めることが出来たら良かったなと思います。
まだまだ、どうなってしまうのか、私には判りませんが、一歩ずつ進めたらいいなと思っています。
また、寄らせていただきますね。
ACや共依存って言葉はレッテルを貼るような悪いイメージを想像しますが、私にとっては恵みの言葉でした
ねこさんも自分探しをしてらっしゃるんですね
自分を変えてみようそう思ったときからもう何かが変わり始めているんだと思います
私はその変わるということにすごく不安や恐怖を感じる時があります
時には立ち止まって、後ろを振り替えながらも進んでいけたら良いですよね
お互いにはげましあえたら嬉しいです
またいらしてくださいね