よく子育て雑誌とかで、母親が泣いていると、子供がティッシュケースを抱えて、母親の涙を拭いてくれて、嬉しくてまた泣いたなんて話をよく読むことがある
これを意図的に泣いて、意図的に子供に涙を拭かせようとするのが共依存症者である
共依存症者はアダルトチルドレンでもあるので、子供を抱いた時に自分もこうやって抱かれたかったという思いにかられるのだそうだ
だから涙を拭いてもらうのも、こうやって母親に慰めて欲しかったという思いを子供によって埋めようとするのである
私もそうだった
夫との生活や舅とのトラブルがあるたびに幼い息子の前でめそめそと泣いて見せた
息子は期待通りティッシュケースを抱え、私の涙を一生懸命拭いてくれた
その時息子も貰い泣きしよう物なら、ますます私は息子と一体化した気分になっていった。涙を拭いている時の息子の気持ちなど微塵も考えていなかった
そして私は息子の涙に寛容だった
他のお母さんたちは泣く子供に「泣くんじゃない」と言って強く子供達を育てようとしていた
でも私は息子が泣くたびに毛布にくるみ、まるで産まれたての赤ん坊のように扱った。それも自分がして欲しかった事の表れだと思う
息子はいつまでも赤ちゃん言葉を話す、いつでも泣いてばかりの甘ったれになった
多分自分が泣いている時だけ私が振り向いたからだと思う。そうやって気を引いていたんだと思う
だってその他の時は、舅の世話と、夫の尻拭いに追われていたからだ
疲れると息子に癒しを求め、息子が離れそうになると赤ん坊のように扱って私に縛り付けた。恐ろしい母親だと思う。あの頃の自分を思い出すと、自分自身が憎くて堪らない
舅は息子をそれはそれは可愛がった
でもそれも私となんら変わらない愛情だった
時におもちゃを好きなだけ買い与え、その見返りに「おじいちゃんが好きか?おじいちゃんは味方か?」と酒臭い息を息子に吐きつけては自分に手なずけようとした
ひとたび、息子が嫌な顔をしようものなら「もう何にも買ってやらないぞ。もう知らないぞ」と脅した
姑は舅が部屋に篭って酒を飲んでいると様子を伺わせるために、「おじいちゃんの様子見てきて」と使った
息子が嫌がると「おじいちゃんは、あんたの事が大好きなんだから、見ておいで」と強要した
夫もまた私と同じように自分が舅にされたように時々何でもないような事でも酷く叱った。殴ったりはしなかったけれど、大声で怒鳴り散らす姿は舅そっくりだった
その時だけは自分を棚に上げて息子を庇っていたが、それも自分のためだったような気さえする
お母さんはあなたの味方よと息子に植え付けようとしていたんだと思う
息子は父親を怖がり、夫の顔色を伺うようになった
皆が息子を道具のように扱った。どんなに辛かっただろうと思う。
息子はゆっくりと壊れ始めた。
それは息子が幼稚園の年長になった時の事だ
息子と2人で友達の家に遊びに行った
帰り道息子のポケットが凄く膨らんでいる事に気がついた
調べて見ると、友達の子供のカードがポケットいっぱいに入っていた
びっくりして、すぐ返しに行った
友達は「幼稚園じゃ欲しいものちょっと持ってきちゃう事もあるからさ。あんまり怒らないであげて」と言ってくれた
私も動揺したが、こういう事もあるかなと思った。それなりに叱ったがその奥にある息子の悲鳴に気がつかなかった
1枚盗んだわけじゃない。何十枚も盗んだことにもっと気がつくべきだった
共依存特有の現実を見ない、自分勝手な解釈で問題を簡単に解決してしまった
私は息子にしてきた事の罪を思い知らされることとなった
(つづく)
これを意図的に泣いて、意図的に子供に涙を拭かせようとするのが共依存症者である
共依存症者はアダルトチルドレンでもあるので、子供を抱いた時に自分もこうやって抱かれたかったという思いにかられるのだそうだ
だから涙を拭いてもらうのも、こうやって母親に慰めて欲しかったという思いを子供によって埋めようとするのである
私もそうだった
夫との生活や舅とのトラブルがあるたびに幼い息子の前でめそめそと泣いて見せた
息子は期待通りティッシュケースを抱え、私の涙を一生懸命拭いてくれた
その時息子も貰い泣きしよう物なら、ますます私は息子と一体化した気分になっていった。涙を拭いている時の息子の気持ちなど微塵も考えていなかった
そして私は息子の涙に寛容だった
他のお母さんたちは泣く子供に「泣くんじゃない」と言って強く子供達を育てようとしていた
でも私は息子が泣くたびに毛布にくるみ、まるで産まれたての赤ん坊のように扱った。それも自分がして欲しかった事の表れだと思う
息子はいつまでも赤ちゃん言葉を話す、いつでも泣いてばかりの甘ったれになった
多分自分が泣いている時だけ私が振り向いたからだと思う。そうやって気を引いていたんだと思う
だってその他の時は、舅の世話と、夫の尻拭いに追われていたからだ
疲れると息子に癒しを求め、息子が離れそうになると赤ん坊のように扱って私に縛り付けた。恐ろしい母親だと思う。あの頃の自分を思い出すと、自分自身が憎くて堪らない
舅は息子をそれはそれは可愛がった
でもそれも私となんら変わらない愛情だった
時におもちゃを好きなだけ買い与え、その見返りに「おじいちゃんが好きか?おじいちゃんは味方か?」と酒臭い息を息子に吐きつけては自分に手なずけようとした
ひとたび、息子が嫌な顔をしようものなら「もう何にも買ってやらないぞ。もう知らないぞ」と脅した
姑は舅が部屋に篭って酒を飲んでいると様子を伺わせるために、「おじいちゃんの様子見てきて」と使った
息子が嫌がると「おじいちゃんは、あんたの事が大好きなんだから、見ておいで」と強要した
夫もまた私と同じように自分が舅にされたように時々何でもないような事でも酷く叱った。殴ったりはしなかったけれど、大声で怒鳴り散らす姿は舅そっくりだった
その時だけは自分を棚に上げて息子を庇っていたが、それも自分のためだったような気さえする
お母さんはあなたの味方よと息子に植え付けようとしていたんだと思う
息子は父親を怖がり、夫の顔色を伺うようになった
皆が息子を道具のように扱った。どんなに辛かっただろうと思う。
息子はゆっくりと壊れ始めた。
それは息子が幼稚園の年長になった時の事だ
息子と2人で友達の家に遊びに行った
帰り道息子のポケットが凄く膨らんでいる事に気がついた
調べて見ると、友達の子供のカードがポケットいっぱいに入っていた
びっくりして、すぐ返しに行った
友達は「幼稚園じゃ欲しいものちょっと持ってきちゃう事もあるからさ。あんまり怒らないであげて」と言ってくれた
私も動揺したが、こういう事もあるかなと思った。それなりに叱ったがその奥にある息子の悲鳴に気がつかなかった
1枚盗んだわけじゃない。何十枚も盗んだことにもっと気がつくべきだった
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私は息子にしてきた事の罪を思い知らされることとなった
(つづく)
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私も構ってほしいという感情が強くでるときがあるんです。しかし、素直にいい出せなくて、察してほしいというか・・・。察してもらえないと、拗ねていじけて・・本当に大人気ないんです。
その相手が主人時もありますし、まだほんの子どもである長女のときも・・・。
長女は私の受け止め役を演じているときがありますね。
かつて幼い日の私がそうであったように・・・。
あそこまでひどくはないのですが、見え隠れするのを感じています。
ちっこさんのお子さんはACの道を踏み出してしまったのでしょうか。脱したのでしょうか。
すごくデリケートで優しい息子さん。
だから、みなの思いを敏感に感じてしまったんでしょうね。
子どもは無条件に受け止められる存在なのに、小さな体で受け止め役を頑張っていたんですね。
せつないね。
ちっこさん、過去は変えられません。
今と、これからが大事ですね。
悔やんでいる思いをどう変換していくのか・・・。
宝物の子どもたち。
本当に幸せをと願って止みません。
それを書くのもとても長い文章になってしまって・・・
でも今は息子と一歩を踏みだしたという所でしょうか
私が慎重に距離をとって、大きなマスクと大きな耳で
・・・最近手に入れたのは見えないめがねですかね
これで息子の人生を食べつくさなくてすむかなって思っています
そこにたどり着くまでの話をもう少しお付き合いいただけたら嬉しいです
書いていて泣いてばかりで進まないんです。
涙と共に、流してしまいたい思いや出来事もあるんだと思います。
少しずつ前進。
後退であった日もあるかな。
今日は後退でも、明日は違うかもしれないものね。
「明けない夜はない」
「誰にも新しい1日を用意している」
少しずつ前進。
そうですね
どんなに悔やんでも明日は来る
その1日を共依存症と共に積んでいくしかないのだと
思います
少しでも昨日と違う自分でなれたらといいなと思っています