Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「助産婦の手記」18章 「赤ちゃんは、確かに守護の天使を持っています。」

2020年08月06日 | プロライフ
「助産婦の手記」

18章

憐れなシュミット奥さんは、これまで、恐ろしく不幸な目に遭って来た。彼女は、過去数年間に、すでに子供を二人生んだが、いつも難産で、子供は、へその緒の中にもつれ、窒息していた。三人が三人とも。
それはまあどんな母親であることか、誰もそれを述べることができない。あらゆる苦痛、あらゆる困苦、あらゆるものが、結局、無駄であった。あらゆる苦難と苦悩に対する報い、死ぬほどの心配と、死物狂いの勇気に対する報いは――死んでいる子供であった。喜ばしい赤ちゃんの洗礼の代りに、静かな埋葬であった……

さて、今度は、この前のときから五年たっている。憐れな両親は、も一度子供を作ろうという勇気をもはや持っていなかったことは、当然である。しかし、以上のことは、絶え間なく彼等の心を痛め悩ませる。どうして我々に限って? 我々は非常に子供がほしいのであるが、それを恵まれない。それなのに、子供を全然ほしがらない人々が、却って必要以上に子供を得るのである。

さて最近、善良なシュミット奥さんが、私のところへ来て、お産の予定を書きとめさせた。私は、自分の耳を信用できないのであるが、彼女は、『それは多分、復活祭の小兎となって生れて来るでしよう、』と言いはったのである。彼女は、ここ数年来、そんな様子が見られなかったほど、喜ばしそうであった。そして私が、なぜそんな気分転換がおこったのですかと、問ういとまもないうちに、彼女は語った。
『私たちが、も一度お産をやって見ようとすると、あなたは不思議がるでしょうね? どうして、こういうことになったか、お話し致しましょう。宅の主人は、この夏、ある親戚のところへ行って来ました。それは司祭ですが、その人は、私たちをよほど以前から招いていました。しかし、何分にもこんな有様ですから、私たちは、もはや生活に何の喜びも持っていませんでした。ところが今年になって、私は主人に向って、どうしてもぜひ一度行っていらっしゃいと言いました。もっとも、なるようにしかならないでしようが。もちろん、行ってから、男の方たちは色んなことについて、また私たちが子供のないことについても、話し合ったわけです。すると、その主任司祭は言いました。「私は今までにずいぶん多くの人たちの助けとなった一つの良い忠告を持ち合わせています。――赤ちゃんは、確かに守護の天使を持っています。受胎のときから、一人一人の赤ちゃんに対して、天主の天使が一人ずつ、その行く末を守るために附けられているのです。いいですか、そこで、毎日、御一緒に守護の天使に安産をお祈りなさい。そして、もしあなた方が正しい信頼心をお持ちでしたら、万事よくなってゆくでしょう。」 と。
その言葉通りに、私たちは、きょうまでして来たのですし、また今後もその通りにするつもりです。ああ、私たちは、今度こそ、天主の天使が連れて来て下さるにちがいない復活祭の小兎のことを、二人で大変喜んでいるのです。』

私は、あまりにも大き過ぎる期待に対して、警告しようとは敢えてしなかった。しかし、もしもそれが失望に終るならば? それはあまり信頼しすぎてはいないか? もちろん、主はこう言われる。『汝等の天使は、常に天にまします父の御顔を眺むるなり。』と。そして他の場合にも、聖書には、こう記してある。『見よ、われ天使を遣わさん、そは天使、汝を伴ない、汝を道すがら守り、而してわれの備えたる場所に汝を導かんためなり。汝、罪を犯さば、かれ汝を赦さじ、而してわが名は、彼のうちに存するなり。されど、もし汝、彼の声を聞き、かつわれの命ずるすべての事を行わば、われは、汝の敵の敵となりて、汝を打つ者をば打たん。而してわが天使は、汝の前を行かん。』

しかし、それにしても……私なら、このような期待を起させることは、ようしないのであるが。
不安と心配とをもって、私は、彼女の言う復活祭の小兎を待ち入っていた。今度は、私の心労の方が母親のそれよりも遙かに大きかった。シュミット奧さんは、守護の天使がお助け下さるということを非常に固く信じ、ほかの考えは全く起らなかった。そして私は、それが失望に終らねばよいがと、日夜、心を痛めていた……そうでなければよいが。もし、彼女が今また四度目に赤ちゃんのために身に引き受けた苦難と苦痛とが、すべて無駄になったとするなら、彼女はどうしてそれを堪え忍ぶことができるであろうか……
それから私は、一時間また一時間と、その母親のベッドのそばで待っていた――待ち、かつ祈った。私は骨を折って辛うじて平静を保っていることができた。そして私の周囲には、信頼と期待とが……私は、あまり過度な希望をいだくべきではないというようなことは、一言もよう言わなかった。落胆が大き過ぎないように、用心して置くべきだということについても、一言も……とうとう、赤ちゃんが生れたとき、私は内心の昂奮のため、殆んど手がふるえた……
丈夫な、力強い男の子!

私がこのことを告げる間もないうちに、赤ちゃんが泣きはじめたのは、喜ばしいことであった。幸福そうに、母親は赤ちゃんの方へ手を差し延ばした。そして父親は言った。
『天主の天使が、お助け下さったんですよ。だから我々の子供が生れたのは、誰のお陰かということを決して忘れることのできないように、この子も、天軍の総帥と同じようにミカエルと名づけねばならないね。』
この喜びは、この小さな農家のうちに閉じ込められてはいなかった。それは忽ち道路を上下に、村中に伝わり、また電話を通じて、その親戚の神父さんにまで伝わった。そしてその神父さんは、赤ちゃんの洗礼に来なければならなかった。

きのう、私たちはバベット婆さんのお葬いをした、もちろん貧民法に基づいて。そして私たちは、ちょうど三ヶ月每の会合を開いていたので、私たち同僚は、お婆さんのために追悼ミサを捧げてもらった。お婆さんは、十人の子供を育て上げた――しかし、どこに彼等がいるのか誰も知らなかった。
私たちのきょうの会議には、近在から出て来た一人の同僚も出席していた。彼女は結婚していて、太った男の子が一人ある。一度、その子を連れて来たことがある。この前、会ったときには、彼女は非常に衰弱している様子だった。私は、多分また子供が出来るんだろうと思った、既婚婦人の場合は、そうなるのが常であるから。私たちが夕方、散会したとき、彼女は、こっそりと私のスカートをつかんだ。
『リスベートさん、あなたは、きょう、大へん特別なことをお話しになりましたね。どうか、もう一度、守護の天使をどうするのか、おっしゃって下さい。何を祈らねばならないのか、そして何度といったようなことを。』
『何も一定のことは命ぜられていません。お母さんは誰でもちょうど自分の心にあることを、そのまま祈ればよいのだと思います。まあ、私だったら、守護の天使が実際ここにいて、そしていま私があんたと話しているように、天使とお話をする、という風に考えるでしょうね。』
『私の場合も、事情が同じなんです。最初の子供のときは、 私は三度も切られました。 そして医者は、もうこれ以上子供を生んではいけないと言うのです。ところが、今また妊娠しているんです。何しろ、若くて結婚していればね。しかし流産を起させることは、私はやる気がしないんです。この子は、実際私の子ですし、また生きています。私たちがそれを作った以上、それは生きる権利があるんです。私は、それを殺させることはできません。私は、いつもこう考えねばならぬのです。もし、いま、私の子供が、小さなベッドに臥して重態であり、そして私が看病せねばならぬとします。そして誰かがやって来て、「もしお前がその子供を看病すると、お前自身が死なねばならぬのだぞ!」と言ったとします。そうすると、どんな母親でも言うでしよう、それでは、私が子供のために、死んでも看病しますと。真の母親なら、子供をほって置いて、私は自分の生命を保たねばなりませんとは、決して言わないでしょう。そこで私も、今お腹の中にいる子供のために、それとは違った考えを抱くことはできないんです…』
『そうですね、胎内にあるのは、全く一人の人間の生命です。それは霊魂を持っており、そしてその霊魂は、天国に入るように定められているんです。天主から授けられた使命を、地上で成しとげねばならないのです。人間はおのおの二度とは生れて来ないと言うじゃありませんか? だから、もし私たちが、ひとりの人間に対して、それが人生へ進み入るのを拒むなら、天主の宇宙計画の中に、一つの星が欠けることになるわけですね。』
『では、私は宅の主人に、「守護の天使の処方」を報告することにしましょう。そして私たちも、それを試すことにしましょう。その処方が、非常な苦難にあっているほかの人たちの場合に、よい結果を得たということが判っているのなら、私たちの心は、非常に軽くなるわけです。』
『でも、助産婦学校の老校長がいつも言っていらっしゃったようにね、「あんた方は、婦人たちをあまり心配させないようになさい。そしてあんた方は、自分で、婦人たちに、どんな心配もかけないよういなさい。まさに、こういう方面で、我々医者は、すでに非常に大きな驚異を経験したのです。そして我々が絶対的確実性をもって言うことのできることは、結局、我々は何も言うことができないということだけです。」』

さてその後、なお二回私たちは会ったが、その同僚は、いつも上機嫌であった。私は、赤ちゃんの洗礼に行く約束をせねばならなかった。それから数週間後に、私は、彼女が分娩するために、上級官庁のある都市の病院に入院したということを聞いた。その病院というのは、彼女がかつて最初の子供を生むとき、手術を受けたところであった。
『なぜ、あんたは、 やっと今頃になって、入院したんですかね?』と主任医師が言った。『あんたは、助産婦のくせに、分娩が不可能な子供は、できるだけ早く取り除かねばならぬということを知らないんですかね?』
『私は、私の子供を最後まで辛抱し拔いて、生みたいんです。』
『今まででも、あんたは 全くよく辛抱し切ったわけですよ――帝王切開か穿孔か――このことを、あんたはあすの朝までに、よく考えていいですよ。』と医者は、ざっと診察した後で言った。『あんたの考えは、宗教的狂信から来ているんですね。』

これに対しては、彼女は何も答えなかった。自分の部屋へ行って、夜食をたべ、それからベッドに身を横たえた。彼女は、特別な考えを持っていた。守護の天使の処方、それはどうしても、その真実であることを証明されねばならない。その上、彼女は、お産は朝までは長びかないだろうと確信していた。それは、彼女の思いちがいではなかった。一時間後には、もう強い陣痛が始まった。最夜中には、事態は重大となった。助産婦と当直の助手とが呼ばれた。助手は、陣痛を強める注射をした。
朝四時頃に、アントンレが全く正常に生れた。代診の医師が、ただ小さな切目をつける必要があっただけであった。
主任医師は、朝の訪問で、その母子を検診したとき、少ならず驚いた。『これは全くあり得べきことではない。』しかし、それは実際起ったのだ。医者は、あれこれといろいろ尋ねたが、結論に達しなかった。なぜなら、ただ一つの正しい結論、すなわち、ここでは、まさに、他の一つの力が加えられたということ、それを彼は、どうしても引き出すことができなかったのである。その上、彼は自分の学問をあまりにも非常に自慢し自負していたから、なお一つの、より高い叡智と、より強い手とが、彼およびすべての人々を支配しているということを認めることはできなかったのである。助産婦学校の校長先生なら、恐らくそれを無条件に認めたであろう。もっとも、先生もまた――人々の言うように――信心深くはなかったのではあるが。
その同じ日に、私は葉書を受け取った。
『守護の天使の処方は、輝かしくその真実であることを立証されました。私のアントンレおよび私は、心よりの御挨拶をお送り致します。どうか、あなたのすべての同僚の方々へ、そのことをお伝え願います。』
多くの多くの親たちから、私は今日まで、次の意味の報告を受け取った。守護の天使に対するこの信賴に満ちた祈りは、輝かしくその真実を確証されました、正に危険な場合において、さよう、絶望の場合においてさえも、と。そして、今までに、ただの一人の母親も、失望したということを書いて寄こしたものはないのである。
親愛なるお母さんたちよ、天主の神聖な天使のことを、よくお考え下さい。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。