Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【ショッキング!】このイラストは、私たちの主の御変容・洗礼の神秘のパロディー

2020年08月06日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

いかがお過ごしでしょうか?

次のブログの記事を読みました。

この記事には、「フィリピン・アフリカを助ける会だより」というニュースレターの写真もありました。


イエズス・キリストの御洗礼の時、イエズス・キリストに鳩の形の聖霊が下りました。Columba Spiritus sanctus est 。

私たちの主イエズス・キリストは天の高いところから地上に降りて人間の本性を受け人となり私たちのあいだに住み給うたので、また、私たちの無数の罪を一身に引き受けてヨルダン川で洗礼を受けられたので、聖霊は山鳩ではなく鳩の形で現れたとも言われています。

その時、天から御父の声がしました。「これは私の愛する子である」と。

御変容の時も同じ言葉を御父は言います。
天から声が聞こえて、聖父が、「これは私の愛する子である。彼の言う事を聞け」と。御変容を見た三人の使徒らは死んだようになると、イエズス様が彼らを戻して「恐れるな」と言います。彼らはイエズス様だけを、イエズス様をしか見る事がなかった、とあります。

山の上に立つ地蔵菩薩に聖霊が下り、案ずるな、恐れるな、と言わせているこのイラストは、イエズス・キリストの御変容と洗礼の神秘のパロディーです。

聖霊は地蔵菩薩にも働きかける、とはっきり伝えようとしています。

何故?これは第二バチカン公会議に誤った命題【カトリック信仰に反する文章】が挿入されているからです。

「われわれは、これらの分かれた諸教会と諸教団には欠如があると信じるが、けっして救いの秘義における意義と重要性を欠くものではない。なぜならキリストの霊はこれらの教会と教団を救いの手段として使うことを拒否しないからであり、これらの救いの手段の力はカトリック教会にゆだねられた恩恵と真理の充満に由来する。」(エキュメニズムに関する教令§3)

「キリストの霊【聖霊】はこれらの教会と教団を救いの手段として使うことを拒否しない」、つまり、どんな宗教でも聖霊が働いていて、救われる、と言うことです。

だから、第二バチカン公会議の種は、今や大きく育ち、アシジの諸宗教の集会となり、パチャママ(母なる大地)崇拝となり、アブダビ宣言となりました。まだまだ、大きくなるでしょう。

しかし、私たちは聖ペトロの言葉を信じます。第二バチカン公会議の巧みな作り話を信じません。

「私たちは、主イエズス・キリストの力と来臨とを知らせたとき、巧みな作話をしなかった。私たちはそのみいつの目撃者であったからである。おごそかな光栄の中から「これは私の愛する子である。私はかれをよろこびとする」と声があって、主は父なる天主から、ほまれと光栄とを受けられた。私たちも、かれとともに聖なる山にいたとき、天からくるこの声を聞いた。こうして私たちは預言のことばに深く信頼をおいた。夜明けがはじまり、あけの明星があなたたちの心にのぼるまで、暗闇にかがやくともし火として、預言のことばにたえずより頼むのは、よいことである。」(ペトロの後の手紙)









最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。