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イエズス・キリストとサタンの戦いは決してやむことがない。サタンに固く立ち向かうためにイエズスと強く一致する必要がある。サタンよりも強いイエズスの強さは私たちの強さだ。

2022年04月14日 | お説教・霊的講話

キリストとサタンの戦い(四旬節第三主日の福音)についての説教

ドモルネ神父(2022年3月20日四旬節第三主日)

はじめに

今日の福音で、ファリザイ人は、イエズスが、悪魔の力によって悪霊を追い出したと非難します。私たちの主は、この非難が不合理であることを示して、こう反論されました。「サタン同士争っているなら、どうしてその国が存在を保てよう」(ルカ11章18節)。そしてイエズスは、ご自分が、いかに、実際にはサタンと正反対の立場におられ、サタンと戦う人々の指導者であり、また、その人々を勝利へと導かれるかを、説明されます。私たちの主イエズスのこのお言葉の意味を、もう少し詳しく見てみましょう。

1.「強い人たち」

私たちの主は、第一の強い人について、こう言われます。「強い人が武装して自分の邸(やしき)を守れば、その持ち物は安全である」(ルカ11章21節)。この強い人とは、サタンのことです。サタンが強いのは、サタンが天使であり、天使の生まれ持った力が、人間の生まれ持った力より、はるかに強いからです。しかし、サタンが、とりわけ私たちに対して強いのは、私たちが、自分自身の罪によって、サタンに、私たちを支配する力を与えてしまうからです。サタンの邸とは、この世のことです。サタンは、しっかり武装しています。サタンの武器とは、サタンが、私たちを誘惑して陥らせる、あらゆる種類の大罪であり、それによって、サタンは、私たちを奴隷として支配するのです。したがって、サタンが所有しているのは、大罪の状態にある霊魂たちです。大罪の状態にある霊魂は、自分自身ではその状態から抜け出せないため、サタンは、その霊魂を、平穏無事に所有しているのです。その霊魂は、罪の完全な償いを、天主に捧げることができません。天主から離れた霊魂は、もはや誘惑に抵抗するのに十分な力を持っておらず、罪の中に、ますます深く沈んでいくのです。その結果、サタンは、その霊魂に対する支配力を、ますます強めるのです。

次に、私たちの主は、第二の強い人について、こう言われます。「しかし、さらに強い人が来て、その人に勝てば、その人が頼みとしていた武器を、すべて奪い取り、分捕り品を渡すだろう」(ルカ11章22節)。このサタンよりも強い人とは、イエズス・キリストご自身のことです。イエズス・キリストがサタンより強いのは、イエズス・キリストが天主であるからであり、また、人として、罪を完全に免れ、完全に天主と一致しておられるからです。サタンは、イエズスを罪に陥れようと、つまり、天主のみ旨に背かせようと、あらゆる手を尽くしました。しかし、イエズスは、「死ぬまで、十字架上に死ぬまで従われ」(フィリッピ2章8節)ることによって、また、父なる天主に、ご自分の命という無限に尊い犠牲をお捧げになることによって、サタンに打ち勝たれたのです。イエズス・キリストは、サタンの武器を、すべて奪い取られたのです。これは、私たちの主が、すべての人のすべての罪のための、完全な償いを、お捧げになったことを意味します。主は、私たちがすべての誘惑に打ち勝つために必要な、すべての恩寵を獲得されました。サタンから奪い取られた分捕り品とは、イエズス・キリストを信じ、そしてイエズスの甘美なる愛の法に自ら従うことによって、サタンの奴隷状態から解放された、すべての人々のことを意味します。イエズスが、分捕り品を渡されるというのは、イエズスがお救いになる霊魂を、永遠の幸福へと導くために、善き天使たちやご自分の教会に、お委ねになることを意味します。

2.キリストとサタンの全面的な戦い

しかし、イエズスの勝利の実にあずかるためには、私たちは、固い決意をもって、イエズスと共に立たなければなりません。サタンのわざと、キリストのみわざは、完全に対立しています。聖ヨハネ・クリゾストモは、こう述べています。「サタンは、霊魂を奴隷にしようと望み、イエズスは、霊魂を自由にしようとお望みになる。サタンは、霊魂を偶像崇拝に導き、イエズスは、天主への礼拝に導かれる。サタンは、霊魂を悪徳に導き、イエズスは、聖徳に導かれる」。中立は、あり得ないのです。キリストの側に立たないということは、サタンの側に立つということなのです。このため、イエズスは、「私とともにいない人は私の敵である」(ルカ11章23節)と言われます。しかし、イエズスは、さらに進んで、こう言われます。「私とともに集めぬ人は、散らす人である」。私たちが、イエズス・キリストにお捧げせずに行うあらゆる仕事、肉体的または霊的な活動は、永遠の命のためには、無益なものなのです。そのような活動は、時間とエネルギーの浪費、天主が私たちに与えてくださった才能や恩寵の浪費に過ぎません。ですから、朝、その日のすべての活動を天主にお捧げして、またその日のあいだ、頻繁に、その捧げ物を更新することが重要なのです。

3.私たちの主の警告

その次に、私たちの主は、重大な警告を与えられます。「汚れた霊は、人から出ると、休みを求めて荒れ地をさまようが、それを見つけないので、『私の出てきた元の家に帰ろう』と言う」(ルカ11章24節)。サタンは、キリストに敗れたにもかかわらず、キリストとの戦いを、あきらめません。サタンは、キリストの勝利を、できるだけ多くの霊魂にとって無益なものにしようと、懸命に努力するのです。ですから、もし霊魂が、イエズス・キリストによって解放されたとしても、サタンは、その霊魂が再び罪に陥り、自分の力の下に戻るようにするために、あらゆることをします。サタンは、自分よりも邪悪な七つの悪魔とともに、その霊魂を攻撃します。つまり、七つの悪徳を通して、これまで以上に激しく霊魂を攻撃するのです。このため、成聖の恩寵の状態にある人が、大罪の状態で生きている人よりも、悪魔から、より激しい攻撃にさらされるのは、驚くべきことではありません。

残念ながら、イエズスによって解放された霊魂が、再びサタンの力の下に落ちてしまうことがあります。イエズスは、その霊魂の後の状態は、前の状態よりも悪くなる、と言っておられます(ルカ11章26節)。しかし、悪魔が、以前よりもさらにひどい奴隷状態にすることができる霊魂とは、どのような霊魂なのでしょうか? 聖マテオの福音の言葉によると、それは、サタンが、「空いていて、掃き清められ、整えられている」のを見つけた霊魂です(マテオ12章44節)。これらの霊魂は、掃き清められ、整えられている、つまり、洗礼によって、すべての罪が清められ、成聖の恩寵で豊かにされているのです。しかし、これらの霊魂は、空いているのです。どのように、空いているのでしょうか? イエズス・キリストへの真摯な愛がなく、空いているのであり、キリスト的生活の要請に応じて生きる寛大さもなく、空いているのであり、霊的な戦いを行う勇気もなく、空いているのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、イエズス・キリストとサタンの戦いは、決してやむことがなく、私たちも、必然的に、その戦いに巻き込まれています。私たちが、キリストと共にいるならば、サタンは、あらゆる方法で、私たちを攻撃し続けることでしょう。これに固く立ち向かうために、私たちは、イエズスと強く一致していなければなりません。イエズスの強さは、私たちの強さです。ですから、四旬節の努力を新たにしましょう。その目的は、まさに、私たちの罪の償いをすることであり、私たちの主イエズスへの愛と、イエズスとの一致を、強めることなのです。そして、毎日、頻繁に祈願を行い、なんらかの霊的な読書をして、一日中、イエズスとの一致を保つように努めましょう。私たちがこれを行うにあたって、 童貞マリア、私たちの保護の聖人や守護の天使が、私たちを助けてくださいますように。アーメン。

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