アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今から500年前、正確に言うと1517年10月31日、マルチン・ルターは95か条の論題(95개 논제)をヴィッテンベルクの教会の門に釘付けにしました。ここからルターのいわゆる「宗教改革」が始まりました。「ドイツのキリスト者貴族に与える書」(1520年8月)では、ルターはカトリックとプロテスタントとを分離させるものについて決定的な回答を与えます。これはローマ・カトリック教会への絶対的で容赦のない戦争開始宣言でした。
500年の間、第二バチカン公会議が開催されるまで、マルチン・ルターの教えは、カトリック教会によって異端であると排斥されてきました。
しかし、フランシスコ教皇はルターを讃えて言います。「ルターの意向は間違っていなかったと思う。改革者であった。(…)今日、プロテスタントとカトリック、私たちは義化の教えについて同意している。とても重要なこの点において彼は間違っていなかった。彼は教会のために薬を与えた。」
いえ、修道女と同棲生活をしていた修道士、酒飲みで冒涜者だったルターは、「教会のために薬」など探していませんでした。ルターが求めていたものは、自分の罪を正当化させる「薬」でした。
ルターの根本的な主張は「信仰によってのみ義とされる」(sola fide 信仰義認 오직 믿음 因信稱義)でした。
ルターによれば、天主は罪びとである私たちにキリストの義を転嫁する。私たち人間の側として、この転嫁は善業ではなく、信仰によって、信仰のみによって受け入れられる。
ルターによれば、「義認」とは、天主が私を受け入れるけれども、私は受け入れられるに値するものに変わるのではないからです。私は受け入れられることのできないものとして留まるからです。天主が私を赦すけれども、私は罪びとのまま留まるからです。「義認される」けれども、私は義へと変わらないからです。ただ単に「義」と称されるだけ・認証されるだけだからです。天主と私との関係は変わるけれども、私は変わらないからです。
ルターは、原罪によって人間はあまりにも大きな害を受け、天主でさえもそれを癒すことが出来ないと主張したからです。ルターによれば、人間は原罪により、人間はいかなるやり方においても善行を行うことが出来ず、功徳を積むことができず、自分の救いに協力することはできない、と主張するからです。ルターによれば、人は「義認」の後であっても、現実には罪人してとどまるほど腐りきっているからです。
ルターによれば、人間は純粋な愛をもって天主を愛することができない、この純粋な愛をもって天主を愛する、その愛によって周りの人を愛するということができない、天主への愛を持つことをできないので、天主と人間との神秘的な愛の交わりへと信仰が熟すことができなくなります。
ですからルターは、私たちをキリストと一致させる、善業を全て拒否します。ミサの聖なるいけにえも、秘蹟の事効的(ex opere operato)効力も、聖職権も、裁治権も、カトリック教会の全構造も、修道誓願も、修道生活も、贖宥も、煉獄も、拒否します。
しかし福音と聖パウロによれば、愛徳を伴って善業を行い功徳を積む信仰が必要であり、救いをもたらすのは信仰それ自体というよりは愛徳です。聖アウグスチヌスが「愛せよ、されば汝の望むことをせよ」と言ったとすると、ルターは「信じよ、されば汝の望むことをせよ」と言います。さらに「大胆に罪を犯せ、されどさらに大胆に信ぜよ」とさえも言います。
2016年10月13日、ファチマの太陽の奇跡の記念日、フランシスコ教皇の意向によってルターの像がバチカンに持ち込まれました。2017年の間、ルター派とカトリックとによる「宗教改革」五百周年の記念行事が次々と行われ、第二バチカン公会議以前のカトリック教会の教導職とは反対のことが促進されました。
カトリック教会の歴史の中でもっとも大きな異端者の一人であり、もっとも劇的な離教を引き起こさせた張本人、その教えは公式に・正式に1520年6月15日に教皇レオ十世によって排斥・断罪されたその人が、いまや「聖人」であるかのように持ち上げられています。フランシスコ教皇は言います。「改宗させることは、エキュメニズムの毒だ!」と。
異端や離教におちる霊魂を回心させるために殉教した多くのカトリックの聖人たちは一体どうなるのでしょうか?第二バチカン公会議以前のカトリックの聖人たちや殉教者たちは、毒を盛る事業を行ったのでしょうか?プロテスタントの回心のために働いた聖マキシミリアノ・コルベは毒の仕事をしたのでしょうか?ロヨラの聖イグナチオは?聖カルロ・ボロメオは?フランシスコ教皇によれば毒の事業になります。
500年後、突然、私たちはこう聞かされます。「むしろわたしたちは、わたしたちを結び付けるものがわたしたちを分かつものよりも大きいことを学んできました。」(ルーテル世界連盟とカトリック教会との共同声明(2016.10.31))
しかし、ルターの書いた「ドイツのキリスト者貴族に与える書」という書の中で、彼はカトリック教会をイェリコの町と例えています。ルターは、キリスト者らはその上を踏み歩き、イェリコの三重の壁を打ち砕くように求めます。その三重の壁とは、叙階の秘跡、教皇の不可謬の教導職、ローマの司教の裁治権の首位性です。
ルター自身の言葉によると、プロテスタントとカトリックとを引き離すものは、(1)司祭職(司祭職とともにミサの聖なるいけにえ)(2)教導職の聖なる伝統(3)教皇制度の権能、です。この三つがキリストによって望まれた教会の一致を保つ柱であり、壁です。
(1)秘跡と礼拝の一致は司祭職によって保障され(2)信仰の一致は、客観的な聖伝と教導職とによって保証され(3)統治の一致は教皇の首位性によって保たれるからです。
私たちは選択を迫られています。
第二バチカン公会議以前の歴代の教皇たちの教えと歴代の公会議のカトリック教会の教えを信じるか、
あるいは、
第二バチカン公会議とその後の教皇の新しいエキュメニズムを信じ、ルターを「プロテスタント・カトリックの共通の教会博士」と信じるか、です。
聖母よ、おんみは御一人でこの世のすべての異端を滅ぼし給えり。我らのために祈り給え!
【参考資料】
以下、2017年の宗教改革500年の記念に、カトリック中央協議会で作成した、小冊子『ローマ・カトリックと宗教改革500年』です。
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2017/11/reform500panph.pdf
愛する兄弟姉妹の皆様、
今から500年前、正確に言うと1517年10月31日、マルチン・ルターは95か条の論題(95개 논제)をヴィッテンベルクの教会の門に釘付けにしました。ここからルターのいわゆる「宗教改革」が始まりました。「ドイツのキリスト者貴族に与える書」(1520年8月)では、ルターはカトリックとプロテスタントとを分離させるものについて決定的な回答を与えます。これはローマ・カトリック教会への絶対的で容赦のない戦争開始宣言でした。
500年の間、第二バチカン公会議が開催されるまで、マルチン・ルターの教えは、カトリック教会によって異端であると排斥されてきました。
しかし、フランシスコ教皇はルターを讃えて言います。「ルターの意向は間違っていなかったと思う。改革者であった。(…)今日、プロテスタントとカトリック、私たちは義化の教えについて同意している。とても重要なこの点において彼は間違っていなかった。彼は教会のために薬を与えた。」
いえ、修道女と同棲生活をしていた修道士、酒飲みで冒涜者だったルターは、「教会のために薬」など探していませんでした。ルターが求めていたものは、自分の罪を正当化させる「薬」でした。
ルターの根本的な主張は「信仰によってのみ義とされる」(sola fide 信仰義認 오직 믿음 因信稱義)でした。
ルターによれば、天主は罪びとである私たちにキリストの義を転嫁する。私たち人間の側として、この転嫁は善業ではなく、信仰によって、信仰のみによって受け入れられる。
ルターによれば、「義認」とは、天主が私を受け入れるけれども、私は受け入れられるに値するものに変わるのではないからです。私は受け入れられることのできないものとして留まるからです。天主が私を赦すけれども、私は罪びとのまま留まるからです。「義認される」けれども、私は義へと変わらないからです。ただ単に「義」と称されるだけ・認証されるだけだからです。天主と私との関係は変わるけれども、私は変わらないからです。
ルターは、原罪によって人間はあまりにも大きな害を受け、天主でさえもそれを癒すことが出来ないと主張したからです。ルターによれば、人間は原罪により、人間はいかなるやり方においても善行を行うことが出来ず、功徳を積むことができず、自分の救いに協力することはできない、と主張するからです。ルターによれば、人は「義認」の後であっても、現実には罪人してとどまるほど腐りきっているからです。
ルターによれば、人間は純粋な愛をもって天主を愛することができない、この純粋な愛をもって天主を愛する、その愛によって周りの人を愛するということができない、天主への愛を持つことをできないので、天主と人間との神秘的な愛の交わりへと信仰が熟すことができなくなります。
ですからルターは、私たちをキリストと一致させる、善業を全て拒否します。ミサの聖なるいけにえも、秘蹟の事効的(ex opere operato)効力も、聖職権も、裁治権も、カトリック教会の全構造も、修道誓願も、修道生活も、贖宥も、煉獄も、拒否します。
しかし福音と聖パウロによれば、愛徳を伴って善業を行い功徳を積む信仰が必要であり、救いをもたらすのは信仰それ自体というよりは愛徳です。聖アウグスチヌスが「愛せよ、されば汝の望むことをせよ」と言ったとすると、ルターは「信じよ、されば汝の望むことをせよ」と言います。さらに「大胆に罪を犯せ、されどさらに大胆に信ぜよ」とさえも言います。
2016年10月13日、ファチマの太陽の奇跡の記念日、フランシスコ教皇の意向によってルターの像がバチカンに持ち込まれました。2017年の間、ルター派とカトリックとによる「宗教改革」五百周年の記念行事が次々と行われ、第二バチカン公会議以前のカトリック教会の教導職とは反対のことが促進されました。
カトリック教会の歴史の中でもっとも大きな異端者の一人であり、もっとも劇的な離教を引き起こさせた張本人、その教えは公式に・正式に1520年6月15日に教皇レオ十世によって排斥・断罪されたその人が、いまや「聖人」であるかのように持ち上げられています。フランシスコ教皇は言います。「改宗させることは、エキュメニズムの毒だ!」と。
異端や離教におちる霊魂を回心させるために殉教した多くのカトリックの聖人たちは一体どうなるのでしょうか?第二バチカン公会議以前のカトリックの聖人たちや殉教者たちは、毒を盛る事業を行ったのでしょうか?プロテスタントの回心のために働いた聖マキシミリアノ・コルベは毒の仕事をしたのでしょうか?ロヨラの聖イグナチオは?聖カルロ・ボロメオは?フランシスコ教皇によれば毒の事業になります。
500年後、突然、私たちはこう聞かされます。「むしろわたしたちは、わたしたちを結び付けるものがわたしたちを分かつものよりも大きいことを学んできました。」(ルーテル世界連盟とカトリック教会との共同声明(2016.10.31))
しかし、ルターの書いた「ドイツのキリスト者貴族に与える書」という書の中で、彼はカトリック教会をイェリコの町と例えています。ルターは、キリスト者らはその上を踏み歩き、イェリコの三重の壁を打ち砕くように求めます。その三重の壁とは、叙階の秘跡、教皇の不可謬の教導職、ローマの司教の裁治権の首位性です。
ルター自身の言葉によると、プロテスタントとカトリックとを引き離すものは、(1)司祭職(司祭職とともにミサの聖なるいけにえ)(2)教導職の聖なる伝統(3)教皇制度の権能、です。この三つがキリストによって望まれた教会の一致を保つ柱であり、壁です。
(1)秘跡と礼拝の一致は司祭職によって保障され(2)信仰の一致は、客観的な聖伝と教導職とによって保証され(3)統治の一致は教皇の首位性によって保たれるからです。
私たちは選択を迫られています。
第二バチカン公会議以前の歴代の教皇たちの教えと歴代の公会議のカトリック教会の教えを信じるか、
あるいは、
第二バチカン公会議とその後の教皇の新しいエキュメニズムを信じ、ルターを「プロテスタント・カトリックの共通の教会博士」と信じるか、です。
聖母よ、おんみは御一人でこの世のすべての異端を滅ぼし給えり。我らのために祈り給え!
【参考資料】
以下、2017年の宗教改革500年の記念に、カトリック中央協議会で作成した、小冊子『ローマ・カトリックと宗教改革500年』です。
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2017/11/reform500panph.pdf