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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 13.1.12.信教の自由: フリー・メーソンの勝利

2009年03月18日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者

I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


信教の自由: フリー・メーソンの勝利

 ルフェーブル大司教は、歴史的に聖書の中には、信教の自由は存在しない、と主張した。

 これはコンガール神父(Père Congar)が後に次のように認めたとおりだ。
「聖書は、人間の良心だけではなく人間のあらゆる全てをひたすら天主に、そしてキリストに、また教会に服従させる義務だけを証明することができる。・・・どこにもまた誰にも聖書は、はなはだしくは、自分の過ちではないが間違った良心を持っている場合にも、躓きの権利を与えてはいない。」(46)

 むしろ反対に、信教の自由の起源は「教会外に」見出される。つまり「十八世紀のいわゆる哲学者を自任する者等、すなわちホッブス (Hobbes)、ロック (Locke)、ルソー (Rousseau)、ヴォルテール (Voltaire) 」などのに起源を持つ。

 十九世紀中盤に為された、無駄に終わった試みとして「ラムネとともに自由主義カトリックらが、そのような概念を教会の教理と調和させようとしたが、ピオ九世は彼らを断罪した。この概念を、レオ十三世は、回勅 Immortale Dei の中で「新しい権利」と呼び、健全な哲学及び聖書と聖伝とに反対するものとして荘厳に断罪した。」(96)

 最後に、大司教は信教の自由が起源的に捏造された薄暗い巣窟を次のように告発した。

「今年 [1965年]、フリー・メーソンであるイブ・マルソドン (Yves Marsaudon) が伝統的フリー・メーソンが見たエキュメニズム (L'oecumenisme vu par un franc-maçon de tradition)という本を発刊しました。その中で著者は、私たちの公会議が信教の自由を荘厳に宣言すると言うフリーメーソンの願いを表明しています。・・・ 皆さんにこれより更なる情報をお望みでしょうか?」(96)

【Stjepan Schmidt, Agostino Bea, cardinale dell'ecumenismo e del dialogo, ed. San Paolo, Milan, 1996, pp. 139-141 によると、American Council for Demorcracy under God の主催で1963年4月1日にニューヨークで開催された重要な会合で、ベア枢機卿が座長をした。そのときの主題は「世俗世界の一致と天主のもとの自由 Civil Unity and freedom under God」であった。】


 イブ・マルソドンはこう書いている。
「キリスト者たちは、すべての道が天主へと続いていることを忘れてはならない (私の聖父の家には部屋が多い) また、この思想の自由という勇気ある概念を維持することが、これについては本当に革命、私たちフリー・メーソンのロッジのから始まった革命であると言うことができるのであるが、聖ペトロ大聖堂のドームの上に素晴らしく広がったということである。」
【Y. Marsaudon, L'oecumenisme vu par un franc-maçon de tradition, ed. Vitiano, Paris, 1965, p. 121; quoted by Permanences n. 21 (juillet 1965), p. 87.】

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第13章 王たるキリストの使者
I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言

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