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聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記13.1.11.信教の自由: 偽善

2009年03月17日 | ルフェーブル大司教の伝記
第13章 王たるキリストの使者

I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言


信教の自由: 偽善

 ド・シュメット(De Smedt)司教は、公会議会場でその日和見主義の大物の守護者であり、委員会のための報告者として活動した。彼はマーレイ神父の考えに従い、政府権威は或る宗教が真理であるか偽りであるかを判断区別する能力がないと主張した。【Relatio de reemendatione schemati emendati, 28 mai 1965, pp. 48-49, Acta Synodalia, IV, I, 191.】


 概要は、それほど露骨的ではない(第2章 4番)が、ルッフィーニ枢機卿が「極めて間違っている」と宣言したこの原則の上に成り立っている。

 この国家権威が宗教に関して無能であると言うことは、特にレオ十三世が回勅『Immortale Dei』の中で提示した「カトリックの教理に明らかに矛盾している」(44)とルフェーブル大司教は強調した。

「この草稿を作成した者たちは、まさしくキリスト者である国家元首に真理に対する感覚を拒否しており、これは間違いであります。経験上そのような意見は全く間違っていると証明されます。どのようなやり方であろうと、信じる者に反対し迫害する者たちであろうと、真理と真理を信じている人々に敬意を払う未信者達であろうと、皆が真理を見抜きます。」(76)

 敬愛するヴェグトリ神父(Pere Voegtli)の文体に多く入っているこのような逆説に照らして、国家の世俗主義 -- これはド・シュメット司教のような聖職者によるものであろうと、フリー・メーソンによる反聖職者的な世俗主義であろうと -- が真っ昼間の光のもとに姿を現した、つまり、偽善という姿を。

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I. 公会議におけるルフェーブル大司教の発言

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