Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「私は新しい掟を与える。あなたたちは互いに愛し合え。私があなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合え」

2021年04月05日 | お説教・霊的講話

隣人に対する愛徳についての短い説教 2021年の聖木曜日

ドモルネ神父様

はじめに

最後の晩餐のとき、私たちの主イエズスはこう言われました。「私は新しい掟を与える。あなたたちは互いに愛し合え。私があなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合え」(ヨハネ13章34節)。主は私たちに、互いに愛し合うことを求めておられます。そして、「私があなたたちを愛したように」という言葉に従うように、との基準を定めておられます。イエズスは私たちの模範でいらっしゃいます。特に聖ヨハネによる福音17章では、主がどのように私たちを愛されたかを、主が私たちに語っておられます。ですから、私たちは主から、どのようにして互いに愛し合うべきかを学ぶことにしましょう。

1.他人のために永遠のいのちを望むこと

イエズスは、父なる天主が「子が永遠のいのちを与えることができるよう、子に万民を治める力を授けられた」(ヨハネ17章2節)と言われました。私たちの主は、私たちのために永遠のいのちを望んでおられます。ですから、私たちは何よりもまず他人のために永遠のいのちを望むとき、他人を愛するのです。

2.他人に真理を語り、信仰を宣べ伝えること

しかし、永遠のいのちとは何でしょうか。イエズスはこう言われました。「永遠のいのちとは、唯一のまことの天主であるあなたと、あなたの遣わされたイエズス・キリストを知ることであります」(ヨハネ17章3節)。イエズスはこの世で、天主について、また霊と真理をもって天主を礼拝する方法について教えてくださいました(ヨハネ4章23節)。ですから、私たちは、あらゆる機会を利用して、カトリックの教理について他人に教えるとき、他人を心から愛するのです。

3.他人との関係における意向の純粋さ

イエズスは御父に、「私はこの世にあなたの栄光を現しました」(ヨハネ17章4節)と言われ、弟子たちについては「私は彼らにおいて栄光を受けています」(ヨハネ17章10節)と言われました。イエズスは、私たちに永遠のいのちを与えたいと望んでおられます。なぜなら、そうすることは、天主とイエズスご自身に栄光をお与えすることになるからです。ですから私たちも、同じ純粋な意向で他人を愛さなければなりません。それは、個人的な利益のためではなく、個人的な栄光のためでもなく、他人において天主と私たちの主イエズスに栄光をお与えするという目的のためです。

4.他人のために祈ること

それから、イエズスはご自分の弟子たちについてこう言われました。「私は彼らのために祈ります…聖なる父よ、あなたの御名において、彼らをお守りください」(ヨハネ17章9、11節)。イエズスは、私たちが天主に忠実であり続けるために必要な恩寵を私たちに与えてくださるよう、父なる天主に祈られました。天主の恩寵がなければ、私たちは何もできません。天主の恩寵がなければ、私たちは天主を知って愛することができません。ですから、私たちが他人を愛するならば、その人たちが必要とするあらゆる恩寵を彼らに与えてくださるよう、天主にお願いしなければなりません。

5.自分と他人を天主に奉献すること

イエズスは御父にこう言われました。「私のものはみなあなたのもの」(ヨハネ17章10節)。イエズスは、ご自分とご自分に一致したすべての人々を御父に奉献し、彼らを天主の子とされました。同じように、私たちも、自分自身と自分の責任下にある人々を天主に奉献しなければなりません。親は自分の子どもを、人を雇用している人は自分の会社や従業員を、学校の校長はすべての教師と生徒とともに自分の学校を、国家の長は自分の国とすべての住民を、などのように奉献しましょう。そうすることで、天主は栄光をお受けになり、人々は永遠のいのちを得るための助けを受けるのです。

6.本物のキリスト教徒の生き方という良き模範

それから、イエズスは御父にこう言われました。「私は彼らをこの世から取り去ってくださいと言うのではなく、悪から守ってくださいと願います。私がこの世のものでないのと同様に、彼らもこの世のものではありません」(ヨハネ17章15節)。イエズスは私たちに、あらゆる聖徳の模範を示してくださいました。イエズスはこの世の楽しみや財物から離れておられました。イエズスは、その聖なる生き方という模範によって、多くの人々を天主についての知識と愛に引き寄せられました。これは私たちにとっても同じです。他人を愛するということは、本物のキリスト教徒の生き方という模範によって、天主についての知識と愛に他人を引き寄せることです。良き模範は、素晴らしい講義よりも効果的です。

7.兄弟として正すこと

私たちの主イエズスはまた、御父にこうも言われました。「あなたが私に与えられた人々を私は守りました。そのうちの一人も滅びることなく」(ヨハネ17章12節)。主は、弟子たちを悪から守られました。弟子たちが悪いことをしているときは戒められました。そうすることで、彼らが永遠のいのちを得られるように助けてくださったのです。同じように、他人が罪深い行為をしているのを見たならば、私たちは兄弟として正すことで彼らを戒めなければなりません。そうしなければ、彼らを救うために何もせずに地獄に行かせてしまうのですから、私たちは彼らを本当には愛していないのです。

8.私たち自身の聖化

最後に、イエズスはこう言われました。「私は彼らを真理によって聖別するために、彼らのために自らを聖別します」(ヨハネ17章19節)。これは重要な真理です。私たちが聖なる者になればなるほど、私たちに一致している人々に、さらに恩寵を引き寄せることができるのです。例えば、悪魔はアルスの司祭聖ヴィアンネーにこう言いました。「もしおまえのような者がこの世に3人いたら、わが王国は滅びてしまうだろう」。私たちが力ある霊的生活を高めていけば、私たちは他人に対して良いことをするのです。私たちが霊的生活を軽んじれば、私たちは他人から多くの恩寵を奪うのです。したがって、私たちは、私たちの主イエズスとの個人的な深い友情を育んでいけば、他人を愛するのです。

結論

今日は特に、私たちの主イエズスが私たちを愛してくださったように、互いに愛し合うことを決心しましょう。



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