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「助産婦の手記」3章『リスベートさん、何とか子供の手当を! 私はまだ死んだ子供を生んだことはないんです…この十二人目も生きているに違いありません』

2020年07月22日 | プロライフ
「助産婦の手記」

3章

私は、自分のなし遂げたことを非常に誇りながら、日曜日の朝、家へ帰って来た。うちの人たちは、ちょうど揃って朝のコーヒーを飲んでいた。『お前、ほんとにうまくやれたのかね?』……これが母の最初の言葉であった。
『そう、もちろんよ、お母さん。しかも、同時に二人なの。男の子と女の子と。』 私たちが一緒に教会へ行ったときには、もうこの噂は、早くも村中に伝わっていた。到るところで、まるで私がその二重の慶びについて責任があるかのように、質問されるやら、からかわれるやらした。そこで、私は負けていないで、言い返してやった。『これで私が、自分の仕事をよく勉強して来たことが、お判りになったでしょう。あなた方は、まだ半分しか私を信用していらっしゃらないんです。』 こういう具合に、とてもうまくやってのけて、私は味方を作ったのであった。

二、三日後、ブランドホーフの百姓が午前三時頃にやって来た。『おやまあ何でしよう?』と、私の母は、呼リンが夜中に鳴らされたので、 恐ろしさに我を失った。
『ああ、それは私への用事なんでしよう、お母さん、こんな事が起きても、直ちに慣れっこになって下さらなくちゃいけないわ。』 私は、布をまとって、窓から外をのぞいた。
『リスベートさん、一緒に家內のところへ来て下さい。』
まだ夜中であった。空には小さな星が一面に輝いていた。かつてマリア様とヨゼフ樣とが、御誕生の間近い嬰子(みどりご)のために、お宿を探されたとき、ベトレヘムではさぞやこの通りだったに違いないと私は思った。それから私たちが、一緒に歩いて行く道すがら、ブランドホーフの百姓は言った。
『リスベートさん。私は全く不愉快なんですよ――実はバベットさんが、もう来てるんです。それは、こういうわけです。私は子供のマリーを夕方村へやりました、「お前行って、リスベートさんに、来て下さいと言いなさい」と。ところがあの馬鹿者は、バベット婆さんを連れに行ったんです。
で私がそれに気がついて叱りつけると、あの子の言うことには、だって、リスベートさんは、一度に赤ちゃんを二人も家へ持って来るんだもの。あたしたちは、もう一人だけでたくさんだと。……おむつの洗濯や、泣き叫ばれるんで、一人でたくさんだとね。全く、子供にかかっちゃ、とてつもない突飛なことにお目にかかれるというものですよ……』こんなことが起るのは、私が赤ちゃんを持って来るというような、そんな馬鹿げた事柄を人々が子供たちに話すことから来るのだと私は思う。しかし、私は、百姓に言った。『そうですね、 ブランドホーフさん、でも 助産婦が二人いるということは、まずいですね。ところで、バベットさんは、どんな様子ですか……』
『ああ、あの婆さんは、 ストーヴのそばに坐って、鼠のように寝ていますよ。婆さんが来たときには、全然酒気がなかったようではなかったんですがね。婆さんはまずお八つを食べたが、私のところの新しい果物酒は、よくきくものだから、ストーヴの後ろに寝こんでしまったんですよ。家內は十ぺんも大声で呼ぶし、私もゆすぶったんです――それなのに、婆さんは、一向はっきりしないんですよ。そこで家內が、こう言いました。ヤコブ、どうかリスベートさんを呼んで来て下さい。あの憐れな婆さんが、あんなに眠りこけているとすると――私は安心して頼っていられないんです。今度はいつもと様子が違うのですから、と。』
『ただ助産料のためだけなら――それは、どんなことをしても。家內は私にとっては、それよりももっと大事なものですからね。』と、その百姓は、考えこんでいる私に言った。『だから、この次の市の立つ日には、子牛を一匹売らなくちゃならない……』――
ブランドホーフのお上さんの言ったことは、残念ながら間違ってはいなかった。今度は、ほんとに、正常の状態ではなかった。胎児は、位置が違っていた。しかし、私がそれに手を出すには遅すぎた。お産はもう非常に進行していたので、何一つ変更できなかった。
『ブランドホーフさん、あなたは医者を呼んで来なくちゃいけませんよ。鉗子分娩をさせるのです、今が一番大事な時です。もっと早く私を呼んで下さればよかったのに。』
『年寄りのウイレ先生は、もう今では夜分には往診しないし、息子さんは旅行中だし。だから、私は、マルクス先生を呼ばなくちゃならない。確かに――あの先生なら雑作なく来てくれるでしょう……』
マルクスは二年前に引越して来た医者である。多くの人の話では、彼は以前刑務所にはいっていたことがあるそうだ。私は当時は、まだそれがどういう事情だか知らなかった。
私たちの主任司祭は、私にこう言っておられた。あの医者には、妊婦はもちろん、婦人は一切、かからせてはいけない、と。しかし、生きるか死ぬるかの今としては、私たちは選択の余地が無かった。

医者のマルクスがやって来た。忌々しげに、だらしなく洋服を着て、髮はかきむしったようであり、そして汚い手をしていたので、彼はまず手を洗う必要があった。もし、私が極力そう言わなかったなら、彼は多分洗わなかったであろう。それから彼は、軽蔑したようにジロリと見まわした。
『成程、賢婦人が二人――非常な賢婦人が二人も揃っていらして――鞍褥(くらしき)をよう取り出しもしないで……』【注:鞍褥とは馬具の一つで、鞍(くら)の上、或いは下に敷く布団を指す。ここでは赤ちゃんのことを侮辱して呼んでいる】これが彼の最初の言葉だった。私は、よほど彼の横っ面を張ってやりたかった。母親が死と取っ組み、子供の命のために闘っているその面前で、そんなことを言えたものであろうか?……とにかく彼の人間全体が、とてもだらしなく見えた。確かに、それは夜分ではあった――しかし、それにしても……私は人間の外観からして、その人の內面を、その心の持ちようを、おしはかるのである――

その百姓のお上さんは、大変に気丈夫ではあったが、しかし苦痛は、これに堪えようとするあらゆる意志よりも、さらに大きかった。百姓と私は、母親が余り激しく身を動揺させて子供と自分自身とを一層危険に陥れることのないように、彼女を支え、抑えつけて置かねばならなかった。そして彼女は、そのように束縛されていると、苦しみは倍になるように見えた。母親のうめきとすすり泣き、拷問にかけられているような体のもだえと揺れること以外には、何のはいる余地もなかった。私は、後になってたびたびこう思わざるを得なかった。もし若い人たちが、お産のことを破廉恥にも、けがらわしいことのように言うのなら、彼らは一度、この苦痛を自分で経験して見るべきだ! そうすると彼らは、人間の生れることと、自分の母親とを、違った眼で見るようになるであろうと! 陣痛の嵐が、一つ衰えたかと思うと、またすぐ新しい陣痛が起った。――
引っ張りと足掻き、辛抱、うめきと流血の下で、やっとのことで、子供が母胎から出て来た……引き裂かれ、出血しながら、死んだように疲れ果て、この憐れな女は褥(しとね)に横たわった――。
『どうしようもない……』と、医者の無慈悲な声が、今まで持ちこたえて来た恐怖の沈黙がまだ続いているその部屋の静けさを破ってひびいた。彼は、紫色に曇って恐らく窒息していた子供――女の子――を、ぞんざいに傍らに置いた。私が素早くその子の上に身を屈めて、緊急洗礼を授けたとき、彼は嘲るようにつけ加えた。『ただ水をブッかければいいんだよ! だが、何にもなりはしない。だから、あんたのナザレトのイエズスを呼んで来なくちゃ駄目だろう、そのお方は死人でも生き返らせるんだから……』
一気に母親は、苦痛も危険も忘れて、褥の上に坐った。今なお彼女自身がその中に漂っている危険をも打ち忘れて……
『静かに静かに!』と医者は叫んだ。そして彼女を抑えつけようと試みた。母親は叫んだ。『リスベートさん、何とか子供の手当をしてやって下さい! 取りかかって下さい……よく試して見て下さい……確かにまだ死んではいませんよ。私は、まだ死んだ子供を生んだことはないんです……十一人も生きている子を生んだのです…この十二人目のも、生きているに違いありません……』
『何ですって、十一人も生きたのを! 奥さん、十一人の子供! 気を慰めなさいよ! もうその上、一人もつけ加わらない方がいいでしよう……』
『でも私は、死んだ子供なんか欲しくありません……さあリスベートさん、取りかかって下さい……試して見て下さい……カールのときも、誰でもあの子は死んでいると思ったのですが、ウイレ先生が生き返らせて下さったのです……』
『ですが奥さん、私は医者として鞍褥(くらしき)ばかりは、何とも仕様がないということをよく知っているんですが――それは、もう生きる力はないんですよ。』
『それじゃ、私が出来るだけやって見なくちゃなりません―――どうしても、その子を生き返らせるんです……』私は、次の瞬間には、その母親はベッドから飛び出すだろうと思った。そうすれば、彼女は死んでしまったであろう。
『そのままにして見ていて下さい、奥さん、私が出来るだけのことはしますから……』

多くの期待は、私自身持っていなかった。しかし、私は、そんな場合になし得るかぎりの手当を、子供に加えようと取りかかった。ゆすぶるやら、人工呼吸をさせるやら、温水浴と冷水浴とを交互にやらせるやら……私がかつて助産婦学校で見ていたことを応用した。
『奥さん、まあお聞きなさい、このことについては、また明朝お話をしなけれやなりません。十二人の子供なんて、聞いたことはありませんよ。それはあなたの健康を損なうだけですよ。だから、何か替えなくちゃいけません。あなたが将来この負担からのがれられるのは、ほんのちょっとしたことをすればいいんです。きょうのお産がすんだら、もう二度とこんなことになってはいけませんよ……』
『私の子供を助けて下さい。私は、死んだ子供は欲しくないんです……子供が十三人になろうと、十四人になろうと、私には同じことなんです…』
もう一語も言わずに、医者は器具を取りまとめて、帰って行った。子供に対しては、もはや一顧すら与えなかった。その子は、彼にとっては、もはや片づいてしまったものだった。『死人の蘇らせに御成功を!』と彼は、部屋の戸の下で、私になお呼びかけた。百姓は、拳を固めた。『あいつに番犬をけしかけてやりたいものだ……ああウイレ若先生がいて下さりさえしたら! あいつは、もう一度、きっと刑務所へ入れられるよ……』

ああ、それはほんとに無駄な骨折りのように思われた。天主様、どうかこのことで、私たちを後で嘲ける喜びを、あの馬鹿者のマルクスに与えないで下さい……どうか、この母親のために、この憐れな母親をお憐れみになって、その子を蘇らせ給え……
私が疲れて止めてしまおうとするたびに、母親の心配に満ちた哀願するような眼が、私を見つめた。彼女は、寝入らなかった……疲れ果ててはいたが。子供のための心配が、彼女を目覚ましていたのであった。子供はまさか死んではいまい……子供は多分……
私は、もう少しのことで、希望を捨てようとした。このとき……ほんとにその小さなものは、呼吸しはじめた……微かで殆んど認め得られないようであるが―――しかし――しかし――私は殆んど私の眼を信用できなかった……突然、一声の叫びが空気を震わした……子供は生きている!
『ああ私の子!』……嬉しげに母親は、子供に腕をさしのべて、キッスをし、祝福した。父親も走り寄って、その小さな奇蹟を見守った。二時間もぶっつづけて苦労した揚句―――もっとも、その間、父親は時々私と交替せねばならなかったが――その子供の生命は、ほんとうに救われたのだ。実は、私自身、医者の言うように、蘇ろうなどとは信じていなかった。ただ母親の願いを拒む気になれなかっただけであった。

医者が再びやって来たとき、彼は、小さい手足を揺り動かしている子供を入れた籠の前で、言葉もなく、つっ立っていた。『信ぜられないね、こんな霊妙な力……』

その当座というものは、私は普段よりも少し鼻を高々としていた。この職業の全く大きな喜びが、私の上にやって来た。お産を助けることが出来るということは、素晴らしいことであった。母と子のために尽くすということは、素晴らしい! 私の仕事の滑り出しもまた、私を非常に元気づけるものであった。また、それがうまく行かないかも知れないなどということは、当時私は少しも考えることはできなかった。『お母さん、わたし産婆だったこと、 とても嬉しいの。古いボ口を縫い合わすのとは丸っきり違うんですもの! 生きた命を保護し、地上の市民を作る手助けをするんですから……』

バベット婆さんは、もちろん、村中を悪口をたたいて廻った。自分があのお産の間中、寝て過ごしたことなどは棚に上げて。もっとも、婆さんがその子供を洗礼に連れて行くことができて、代父と代母から、当時の習慣となっていた贈物をもらったときには、すっかり満足した。その子の母親は、私がその子をバベットに連れて行かせたことが全く気に入らなかった。私も、実はそうであった。というのは、それは贈物のためではなくて、私は「私の」子供たちと一緒に洗礼に行くのが大好きだったからである。そうだ、私が教会へ連れて行く赤ちゃんは、つねに幾分かは私の子供である。しかし平和を保つためには、こうしたことも差控えるわけだ。それに、バベット婆さんは憐れな女である。二、三枚のマルク銀貨と洗礼のコーヒーは、彼女を喜ばすのである。





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