Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

問題の第二バチカン公会議 神学シンポジウム (2) 不可謬性について

2012年08月07日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 フィリピンのマニラ首都圏では絶え間ない激しい雨のために、至る所で床上洪水となっています。しかし、天主のおかげで私たちの教会と学校とは安全で守られています。電気もありますし、電話もあり、洪水にはなっていません。(教会では、二カ所から雨漏りがあります。)今日は、教会で働いている方々も多くが、洪水で来ることが出来ませんでした。避難をしている方々も数千人に上るそうです。今夜は、多くの方々にとって寒い、濡れた、空腹な、つらい夜となりそうです。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願い申し上げます。

 昨日、国会でRH BILL と呼ばれる「出産健康法」が、更に上の承認段階に行く投票が強行され、可決してしまいました。フィリピンの多くの方々は、この洪水は、天主様が泣いているのだ、と訴えています。

 さて、第二バチカン公会議に関するシンポジウムの内容を日本語に訳して下さった方がおられますので、続きを、心から感謝しつつ愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

第二バチカン公文書の価値考察 (2005年10月)

問題の第二バチカン公会議
パリの神学シンポジウム---2005年10月



第二章:不可謬性について

公会議文書の価値について問う事は、教導権のより全般的な考察を意味する。

 今日、カトリック及び非カトリックの世界では、二つの極端の立場が広まっている。それは完全に間違っていると共に危険な二つの立場であって、我々の命題に対する二つの主要な反論と見做す事が出来る。[11]

2.1 反論の考察(Videtur quod)

反論1(Ob.1):全面不可謬論者たち

 我々が「全面不可謬論者」と呼ぶことができる人々が存在している。彼らは如何なる公式宣言も、況してやこの宣言がもし公会議という特別形式で表明される場合、如何なる方法によっても討議に掛けられ得ないと考えている。彼らはしばしば、かの有名な表現 perinde ac cadaver <死体の如く>に従って、聖イグナチオの盲目的従順を参照するか、聖イグナチオの霊操から取られた、sentire cum Ecclesia <教会と共に理解する>の十三番目の規則を引用する。「もし位階制度的教会がそれをこの様に定めているならば、真理から少しなりとも離れない為、我々は白と写るものを黒だと信じるように常に心がけているべきである。というのも、<カトリック教会の>淨配なる我らの聖主イエズス・キリストと、その淨配なるカトリック教会との間には、我々を支配し、かつ我々の霊魂の救いの為に我々を導いておられる同じ霊しか存在せず、また我らの母にして聖なる教会が導かれ、かつ統治されるのは、十戒をお与えになられたこの同じ霊とこの同じ聖主によってである事を信じなければならないからである。」[12]

 これと同一線上で、ピオ十二世の断定的な主張が置かれていると考えられる:「もし自らの公文書に於いて、教皇たちがその時まで議論された問題について故意にある判断を下す場合、それはこれらの教皇たちの精神と意志とに則って、この問題はもはや神学者たち間で自由に論議の出来る問題とはみなされ得ないと万人には思えるだろう。」[13]

 この点に於いては、二つの解決策しか出てこない。つまりそれは、例えその反対が明白な場合でも、教皇たちの諸宣言は、それが先任者たちの教えとの継続であると見做して従うか[14]、あるいは教皇座は空位であると見做すという解決策である。

反論2(Ob.2):エクス・カテドラの<ex cathedra:教皇座宣言の>決定に限定された不可謬性

 その次に、不可謬性というものをエクス・カテドラ(以下、「教皇座宣言の」)決定に限定し、それ以外の宣言には判断の自由を残す人々が存在する。彼らに拠れば、不可謬性は、一般に、信仰と道徳に関する教義を決定する行為に於ける教皇にだけ、言い換えれば、その<決定>対象が、天主から啓示された諸真理、つまり明確に天啓と繋がっている事柄(de fide:信仰に関するもの=信仰箇条)と関係がある時、さらに彼が荘厳に語る時の教皇にだけ関わっている<備わっている>のだという。最も重要となる文書は、第一バチカン公会議のそれである:「ローマ教皇が、教皇座から(ex cathedra)語る時、つまり全キリスト教徒の牧者にして博士の職務を遂行しつつ、己が使徒的最高権威によって、信仰あるいは道徳に関する教義が、全教会から認められなければならないと決定する時に、信仰又は道徳に関する教えを定める時の御自身の教会が与えられるよう天主なる贖い主が御望みになったこの不可謬性を . . . 享受している。<『教皇座宣言による教えは不可謬である』の意>」[15]その結果、他の宣言、つまり、実際教義的なものや、諸回勅及び<誤謬の>排斥等に由来する道徳とは直接的な繋がりのない宣言は、一切の拘束性はないであろうし、あっても一時的だろう、と主張する。

 単純な信徒から高い聖職位階に至るまでの様々な身分で、それも特に第二バチカン公会議の支持者たちの間でこの立場と遭遇する。この立場は、実際、第二バチカンの文書とそれに先立つ教皇たちの幾つかの教え、特に近代性を様々な点において排斥した教えとの間に立ちはだかる理論的には解決不可能な矛盾を認めながらも(当時ラッツィンガー枢機卿が『反シラブス』と呼ばれたGaudium et Spes<現代世界憲章>に関する有名な主張を参照)、公会議前の教皇たちによる教えを、カトリック教会が自らの権威の充満を行使しなかった、修正可能な宣言と見做す。

2.2 しかし反対に(Sed contra)

1. 「天主の助けがあるという不可謬な保護は、荘厳教導権(Magistère solennel)の諸公文書のみに限定されておらず、それはまた通常教導権(Magistère ordinaire)にも及んでいるが、それでもやはりこれらの公文書全部を包含したり、同様に保障したりする事はない。」[16]

2. 教皇だけの不可謬性、及びカトリック教会の通常教導権の不可謬性の<発生の>為には、「教えられている真理が、既に決定されているもの、あるいはカトリック教会から常に信じられてきたか、認められてきたものとして、又は神学者たちの満場一致による不変の同意によって保証されているものとして提示されなければならない。」[17]

2.2.1 真理と権威

 全体的な考察から始める事が適当であると我々には思える。現在の危機は、カトリックの世界で大変広められた或るメンタリティーの誕生に貢献したが、それはカトリックのメンタリティーではなかった。我々は、教皇及び司教たちへの従順が盲目的、つまり、無条件でなければならないとする、余りに月並みなこの考え方について話したいと思う。言い換えれば、彼らが教えている事とは無関係に、彼らが代表している権威により正当化されるべきだという従順についての考え方である。この様なメンタリティーは、ある主張が真実であるのは、その内在的真理によるのではなく、合法的な権威者によって言われたからという理由だからだ、という法律一点張りのメンタリティーを表わしている。従ってこれによれば、法と真理を作り上げるのは権威であって、この権威は、両者を承認し、両者を守り、かつそれを教えるという範囲を超えるものだとするのである。

 この立場は次の方法で要約される事が出来る:「カトリック教義の固有性、それは権威により保証かつ維持される真理ではなく、それ自体価値はないが、それを聖別する指令(ditamen)によってのみ価値のある、≪真理≫のまさに源と見做されている権威である」[18]。

 しかしこの立場は、我らの聖主から全く別の教えを頂いた、カトリック教会の立場を表明していない、と私たちは言おう。何故ならイエズス御自身、「私の教えは私のものではなく、私を遣わされた御方のものである。もしある者が聖旨を行いないと望むならば、この教えが天主から来ているか、又は私が私自身で話しているのかを理解するだろう。」(ヨ7、16-17)と強調する事を望まれたからであり、さらに彼の vas electionis <選びの器>なる聖パウロも、別の事を言わないからである。「我々自身であれ、天の天使であれ、もしある者が私たちのものとは異なる福音を説きに来るならば、その者は呪われよ!」(ガ1,8)最後に、教皇の不可謬性を明確にした<第一バチカン公会議の『カトリック教会』に関する教義憲章>パストル・エテルヌス(Pastor Aeternus) の本文もまた次のように強調している:「聖霊は、御自身の啓示に基づいて、新しい教義を提示する為ではなく、むしろ御自身の助けによって、使徒たちから伝えられた天啓、即ち、信仰の遺産を厳格に守りかつ忠実に教える為にこそ、ペトロの後継者たちに約束された。」[19]カトリック的見地は明確である:権威は真理に仕える。従って、提示されている教えが真理に反する場合、従順を要求する事は全くもってあり得ない。このことは、真理についての判断は各々の自由判断に委ねられるという事を意味しない。前述した二つの極端(絶対的従順と自由判断)の間にはグラデーションが存在し、これが、我々が続いて行なう説明の対象となるだろう。しかしカトリック教会に於いて、権威というものは、目的としてではなく、手段としてあるということを繰り返し言う必要がある。実際、「革命家たち」が、カトリック組織に現在蔓延する危機の芽を、この恐ろしい伝染病に「抗体」が反応を示す事もなく、接木出来た要因は、まさに権威と真理の関連に関するこの大混乱のためなのだ。彼らは、確かに、自分達の誤った教義を強要する為に従順を濫用したのであって、何者かが自らの反対を表明しようと試みる度に、彼らはこの気の毒な人間を隔離し、またこの様にあらゆる抵抗を潰す為、不従順という非難を用いたのである。ルフェーブル大司教が「サタンの名人芸(le coup de maître de Satan)」と見事に説明したものこそ、この従順の濫用なのだ。

2.2.2 不可謬な教導権と教会法上の教導権[20]

 唯一教皇のみに、或いは、ペトロと共にありペトロの下にある司教団に、その権能があるカトリック教会の教導権は、常に同じ次元で決定を下すわけではない。

 教導権の最高段階<荘厳教導権>は、教会がそれを守り、忠実に伝えてくれるようイエズスが御自分の教会にお委ねになった天啓を含んでいる。この次元に於いて、不可謬性は保証されている。

 ビヨの主張を少しずつ聴いてみよう:「Potestas infallibilis magisterii pro objecto primario habet res fidei et morum quae in deposito catholicae revelationis formaliter explicite vel formaliter implicite continentur.」
(不可謬な教導権は、カトリック的天啓の遺産に形相的に明確に、又は形相的に暗黙の内に含まれている信仰及び道徳に関する事柄を、主要な対象として持っている。)[21]

 このイエズス会神学者(ビヨ枢機卿)は、(カトリック的天啓の遺産に含まれている)対象、つまりキリストが使徒たちに教えた事柄全てと、この同じ使徒たちが聖霊から学んだ事であり、筆記されない聖伝及び、筆記された聖書とを通じて我々に委ねられている事柄全てとを考察している。この事は、この次元では、教導権の不可謬性は「天主から超自然的に啓示された真理にしか及ばない」事を意味している。[22]

「Secundario vero [potestas infallibilis magisterii] extenditur ad alias etiam veritates in se non revelatas, quae tamen requiruntur ut revelationis depositum integrum custodiatur, et nominatim quidam ad multiplices propositionum censuras et ad facta dogmatica.」
(副次的に、[不可謬な教導権は]天啓の遺産全てが守られる為にはやはり求められる、それ自体啓示されていない別の諸真理や、様々な命題に関する判断(censura)や、教義的事実の一つ一つに対しても及んでいる。)[23]これが意味するものは、キリストは、単にカトリック教会が御自身の教えを受け、それを忠実に伝える為だけではなく、同時にカトリック教会がそれを守り、かつ何世紀もの間に詳しく説明する為にも御自身の特別な助けを約束されたという事である。従って、不可謬な教導権は先立つ真理に含まれた諸真理にも及ぶが、まだ quoad nos <我々にとっては>明確に言い表されてはおらず、またこれらの真理が神的信仰の対象ではないにしても、教導権が真理であると絶対的な方法で保証している(教義的なものではないが、不可謬な定義である)上述の命題にも及んでいる。

 この点で、ジュルネ(Journet)枢機卿は、非常に重要かつ重大な結果を孕む考察をしている。彼は、上述した三階級の真理の為に、聖主イエズスは御自分の教会に特別な助け、絶対的に不可謬な助けを与えると主張している。しかし、この枢機卿は次のように付言している。カトリック教会の教導権は「信仰に対する不可謬な同意に根拠を与えるのではなく、その条件となる。これが、教導権が到達する事を許されている最高の機能である。この瞬間...最高機能のその発意において、天主の補佐に吸収されないようなものは、もはや何も存在していないのである。」[24]

 従って不可謬の教導権は、啓示された真理の伝達手段という権能を務めるのであり、それは真の副次的原因であり、その働きは、内容の不可謬性に根拠を与えるのではなく(その代わりに、この不可謬性は欺かれる事も欺く事も出来ない、天主の上に築かれている)、いわばそれを保証するのである。

 この点で、第一バチカン公会議によって宣言されたやり方で、教皇がある真理を啓示されたものとして、教皇座から(ex cathedra)定義決定する時、我々はローマ教皇の教えの不可謬性を理解する事が出来る。結局教皇は、天主御自身がキリスト又は使徒たちを通じて啓示された事柄を荘厳に宣言する以外の事はしない事から、教皇に対する従順は、実際のところ天主御自身に対する直接的な従順となるし、その道具にして仲介者である教皇に対する間接的な従順となるのである。

 問題は、いわば、別の次元で、即ち、「副次的な思弁的真理(vérité speculative secondaires)」と一般に呼ばれているものの次元で生じるのだ。前に付いている形容詞<副次的な>は、不愉快な曖昧さ、つまりこれらの真理は、信仰の保存にとって重要ではないのだろうと思わせる曖昧さをもたらし得る。

 実際に、信仰の遺産に属さないが、それに関連しているか(例えば、聖トマスの著作の中にそらの最高の表現を見出した、またそれ故にカトリック教会が教えかつ従うように何度も命じた、永遠の哲学--- philosophia perennis ---の哲学的真理など)、あるいは未だ恒久的方法でカトリック教会によって定められた事のない非常に数多くの真理(例えば、普遍的に教えられているか信じられている神学的結論)が存在する。

 これらの真理は、教導権の宣言的権能に関して既に上記に述べたものとは異なり、カトリック教会がもはや天主の教えの単なる仲介ではない限りに於いて、(一次的な思弁的真理に関係する絶対的権威とは違い)賢明による保証を受けている。「もし信徒たちの知性を、彼らの信仰を脅かす危険から守る事を望むならば、教会は、教えかつ信じることが相応しいか否かと言うことを公布する者として、教会法上の権能により行動する。...その時にカトリック教会は、「天主的の信仰」に於いてそうするように、我々が与える同意の単なる条件として介入するのではない。カトリック教会それ自体が、教会的従順、教会的信仰、宗教的同意(assentiment religieux)、敬虔な同意などと呼ぶことができる同意の直接的根拠(その間接的根拠はカトリック教会を統治する天主)である。」[25]

では、このタイプの教導権に、私たちはどういうタイプの従順をしなければならないのか?

 先ず第一に、賢明な補佐(assitance prudentielle)を享受している諸真理のこの広大な領域の只中には、決定的な相違がある。実際、カトリック教会が、常にかつ普遍的なやり方で提示した教えが存在しており、それに関してカトリック教会は自らの賢明な権威を完全に行使する事を欲する。この場合、「我々は、教導権がそれら<教え>を賢明な実践的な補佐によって提示する、と言う事を躊躇しない。またそれは、真にかつ固有の意味で不可謬である。我々は、これらの教えの一つ一つの賢明さが確かであると知り、その結果として実際にこれらの教え一つ一つの内在的で思弁的な真理が実践的に確かであると知るのである。」[26]この場合、不可謬な真理、というのではなく、不可謬な確実性(infallibilis securitas)、という。

 その他に、カトリック教会がそれについて自らの賢明な権威を行使する事を望まない教えがあり、この場合「我々は教導権が可謬な<間違い得る>方法でしかそれを提示しないと言おう。」[27]

 ここから、我々は次のように結論を引き出す事が出来る:

---この宣言的教導権の場合に関して、固有の意味で天主に従順であり、また教会には仲介としてのみ従順である、という事実から、然るべき従順は、(信仰という対神徳に固有の)対神的な次元に属するだろう。

---それに対して、賢明な教導権に関して、然るべき従順は、教導権がその権威を行使する度合いに掛かっている:「もし教導権が(超自然に関わらない)自然なもの(naturelle)に関することであれば、従順は、それ自体、自然なものになるだろう。もし教導権が類比的かつ超自然的な方法で実現するのであれば、素直さと従順の徳もまた同様に、類比的かつ超自然的な方法で実現するであろう。」[28]

 賢明であり可謬な<間違い得る>補佐の場合、教皇又はローマのある聖省が間違う事は可能である。この場合どうすべきか?
「Licebit dissentire… licebit dubitare… ; nec tamen pro reverentia auctoritatis sacrae fas erit publice contradicere… ; sed silentium servandum est quod obsequosium vocant.」
(反対する事は許され... 疑う事は合法的である。聖なる権威への敬意ゆえ、公然と反対する事は許されない。しかしより従順的であると人々が呼ぶ沈黙は、守られるべきである。)[29]

 しかしながら、我々は信仰への脅威が近くにある場合には、公然の非難<反対>でさえも必要となる事だけは指摘しておく。[30]

2.3 反論への回答

回答1(Ad.1):全面不可謬論者たち「如何なる方法であれ、公の宣言は一切討議に掛けられ得ない」への回答


 聖イグナチオの本文は非常に正確である:
「もし位階制度的教会がそれをこの様に定めているならば、真理から少しなりとも離れない為、我々は白と写るものを黒だと信じるように常に心がけているべきである。」用いられている動詞は、即座に教導権の最高段階、即ち、不可謬な教導権へと我々を差向ける。実際に、この教えに対応する行為は、信仰に対する従順である事を我々は見て来た。この従順は、天主から啓示され、かつ啓示する御方の権威そのものの力によってカトリック教会から伝えられる真理に同意するである。
人間的観点から見て(啓示された真理の合理的証拠を我々が把握していないという意味に於いて)「盲目的」なこの従順は、実際に信仰という対神徳により照らされるのであって、その確実性は、啓示する天主の力により、如何なる知的証拠にも優るのだ。しかし、位階的カトリック教会が何一つ決定する事を欲しない場合、この様な超自然的従順はそれが対象とするものとは不釣合いになるだろう。我々は繰り返す:然るべき従順は、教導権がその権威を行使する度合いに掛かっているのである。この第一の困難<不可謬論者の盲目的従順>はこのようにして解決される。

 ピオ十二世の教えに関しても同様に考える事が可能である。この教皇御自身、実際、この同意は「教皇の意向と意志に基づいて」与えられるべきであ
ると明示している。再度ここでは、何かを決定するか、御自身の権威をより高度に行使する事を望むという<教皇の>意向の重要性が問題となる。

回答2(Ad.2):教皇座宣言の決定に限定された不可謬性への回答

 この反論に対しては、教会法上の教導権について言及した時、我々の論証に於いて詳細に回答してきた。第一バチカン公会議に於いて決定された教皇座宣言の教えの彼方にまでも教導権の不可謬性は及んでいるという概念を、上の述べた諸条件に基づいて、我々は再度断言する。ビヨ(Billot)がこれを大変明確に説明している:「Quidquid ab Ecclesia sive solemni iudicio, sive ordinario et universali magisterio tamquam a Deo revelatum proponitur, fide divina credendum est, et pertinaciter obnitens incurrit haeresim. Caetera vera ab eodem magisterio definita, non divina, sed ecclesiastica fide videntur esse credenda」
(カトリック教会による、或いは荘厳な宣告<荘厳教導権>、或いは通常かつ普遍的な教導権によって、天主から啓示されたものとして宣言されるものは、何であれ、天主的の信仰(fide divina)によって信ずべきであり、頑なに反対する者は異端者と非難される。これと同じ教導権により決定されるその他の真理、即ち天主からのものではないが<天啓に含まれないが>、教会の<教会が定めた>信仰は、信ずべきものと考えられる。」[31]

 信仰に対する従順を意味する最重要ポイントは、ある事が「tamquam a Deo revelatum:天主から啓示されたものとして」教えられる事実である。それに反し、「教会の信仰」の場合には、繰り返しになるが言うと、ある事が限定されていることが必要であり、それはつまり、既に述べた「賢明に可謬な補佐」と「賢明に不可謬な補佐」の違いに行き着くのである。

注釈
[11]方法論的な重要な注釈:我々は、二つの章に於いて、他に匹敵するもののない論理的かつ説明的な明瞭さを具えた、神学大全の古典的体系に基づいて、論証を編み出している。さらに我々は反対意見(videdur quod)、即ち(対応番号に伴う略字「Ob.<反論>」により要約された)諸命題に対して考えられる反論を提示する。これらの反論に対しては、終わり(対応番号に伴う略字「Ad.<回答>」)で解決される事になるだろう。反論と回答との二つの局面の途中で、我々は当論証の本文を詳細に説明する。
[12]聖イグナチオ・デ・ロヨラ、霊操、§365。
[13]教皇ピオ十二世、フマニ・ジェネリス(Humani generis)、1950年8月12日公布。
[14]イタリアではその保守的立場で良く知られた友人の一人が、ヨハネ・パウロ二世の考えと彼の前任の教皇たちのそれとの明白な矛盾の証拠を前にして、ある日私にこう答えたのを覚えている:「ヨハネ・パウロ二世の回勅に関して、私は、信仰と理性間の見かけ上の矛盾に直面して、第一バチカン公会議のデイ・フィリウス(Dei Filius)が勧めている姿勢を採用します。つまり、そこには矛盾など存在し得ないのですから、仮に今のところそれを証明するに至らないとしても、この矛盾は見かけ上のものでしかないと私は考えています。」
[15]第一バチカン公会議、パストル・エテルヌス(Pastor Aeternus)、1870年7月18日公布。
[16]ラブデット(LABOUDETTE)、トマス雑誌(Revue Thomiste)、1950年、p. 38。
[17]カトリック神学辞典(Dict. de Théologie Catholique)、教皇の不可謬性に関する項目、第Ⅶ巻、第1870欄。
[18]ルシアン・メロス(Lucien MÉROZ)、カトリック教会に於ける従順。盲目的従順、或いははっきり見ての従順か?(L’obéissance dans l’Église. Aveugle ou clairvoyante?)、ジュネーヴ、クロード・マルティネ出版社(Claude Martignay)、p. 39。この著者がこの主張をするのは、その後で論駁する為であることに注意すべきである。何故なら彼はこの考えを共有していないからである。
[19]第一バチカン公会議、パストル・エテルヌス、1870年7月18日公布。ヨアキム・サラヴェッリ(Ioachim SALAVERRI)は断言してこう言う。第一バチカン公会議は、暗示的ではあるが、「教導権は聖伝によるものである、つまり、それは新しい真理を教える為ではなく、<天主から>受けた信仰の遺産を守り、擁護し、かつ告げ知らせる為に設けられている」(サラヴェッリ著、神聖神学大全[Sacrae Theologiae Summa]、第一巻、Ⅲ、§512)と定義したのだ、と。
[20]教導権に掛かっている「教会法上 canonique」という言葉は、神学に於いては見慣れない。ジュルネ(Journet)枢機卿は、この場合、カトリック教会はそれが有する教会法上の権能を、天啓には含まれていないが、それでもやはり天啓の保護と公布に影響を与えている何らかの事柄を教えるか、あるいは排斥する目的で行使する事を示す為にこの言葉を使っているのだ。
[21]ルイ・ビヨ(Louis Billot)、キリストの教会について(De Ecclesia Christi)、引用。
[22]ベルナール・バルトマン(Bernard. BARTMANN)、教義神学概論(Manuel de Théologie Dogmatique)、Ⅱ、§141。
[23]ルイ・ビヨ、キリストの教会について、引用。
[24]同書、p. 446。
[25]同書、p. 454。
[26]同書、p. 456。
[27]同書。
[28]同書、p. 454。
[29]ヨアキム・サラヴェッリ、神聖神学大全、引用、第一巻、§675。
[30]聖トマス・アクィナス、神学大全、第二部の二、第三十三問、第4項、さらにガラテア人への手紙について(Super Epistolam ad Galatas)、説教Ⅱを参照。
[31]ルイ・ビヨ、キリストの教会について、引用、第十八題。


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