Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

この世界の秩序が、この来たる数年の間に、もう想像できないほど変わるような時代になるかもしれません。

2021年02月02日 | お説教・霊的講話
2021年1月8日(金)主の御公現の平日のミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

一言、感謝を申し上げたいと思います。
来日されたドモルネ神父様と一緒に修道生活が始まりました。感謝します。

天主様に、マリア様に、聖ヨゼフに、全ての聖人、聖ピオ十世、ルフェーブル大司教様、そして全ての恩人の方々に感謝します。

今日のミサは御公現と同じミサですけれども、3人の博士が、イエズス・キリストが、「真の天主」であり、「私たちの為にいけにえとなる子羊」であり、そして「王」である、という事を宝物で、その贈り物で表明しました。

私たちもこの博士たちに倣って、イエズス様に、「イエズス様こそが私たちの真の王であって、真の天主、そして私たちの罪を贖って下さったいけにえである」という事を告白致しましょう。

今年こそ、その「イエズス様が一体どなたであるか」という事を、私たちの愛と、祈りと、犠牲で、ますます表明する事ができるように、お祈り致しましょう。

今の世界の状況を見ると、イエズス様はますます無視されて、あたかも何でもないかのように、人間が王であるかのように、人間が神であるかのように、取り扱いを受けています。

苦しみは、犠牲は、罪の償いはいらないかのように、マスコミも、政府も動いています。

今の世界の状況を見ると、あるいはカトリック教会の中で、イエズス様が、御聖体が、マリア様が、どのように取り扱われているかというのを見ると、このまま世界がそのままあり続けるのだろうか?ますます考えざるをえません。

今このように「コロナがどうだ」、あるいは「選挙の不正がどうだ」というニュースを聞く度に、天主が私たちを目覚めさせるように、何かこの辛い時代が、厳しい時代が迫っているとますます考えざるを得なくなっています。

私たちはお祈りをして、犠牲を捧げて、「何とか」してほしい、「何とか避けたい」と思っていた事も、しかし主の御旨は私たちに、更なる償いを果たすように要求されつつあるかのようです。

フランス革命の直前に、一体誰が、王国が滅びてしまう、滅亡して王がギロチンにかけられて共和国ができる等と想像したでしょうか。ヨーロッパがぐちゃぐちゃになると誰が思ったでしょうか。

今、この世界の秩序が、この来たる数年の間に、もう想像できないほど変わるような時代になるかもしれません。

それを見るにつけて、私たちはますますイエズス様に、愛と、祈りと、犠牲の贈り物を御捧げ致しましょう。

ファチマのマリア様も私たちに、7月13日、「私たちがいけにえを捧げる時に、犠牲を捧げる時には、『あぁイエズスよ、これは御身を愛する為、罪人の回心の為、教皇聖下の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です』と捧げなさい」と仰いました。

ですから私たちも、今年は東の博士に倣って、聖ヨゼフに倣って、イエズス様にますますの愛と祈りと犠牲を御捧げ致しましょう。

最も私たちが贈る事ができる最高の愛と、祈りと、犠牲、これは『聖伝のミサ聖祭』です。ですから、これをますます愛を込めて捧げ続けましょう。

そして御憐れみによって、私たちが、日本が、そして世界が、主の御怒りを縮める事ができますように、あるいは和らげる事ができますように、あるいは特別に私たちには憐れみを、特別の憐れみを下さる事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






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