Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

聖ピオ十世会日本 聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)の報告 SSPX Japan Traditional Latin Mass

2019年08月10日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖母の被昇天が近づいていますね。いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

8月2日(初金)には、大阪でミサの後、顕示された御聖体の前で聖時間を過ごしました。
8月3日(初土)には、初土の信心を、顕示された御聖体の前で行いました。
8月4日、東京で御聖体降福式を行い、11月に日本に来られる教皇様のために特に御捧げしました。

8月4日には東京で生まれたばかりのマリーちゃんが洗礼を受けました。
8月5日には岩国で生まれたアラベルちゃんの洗礼式を行いに、岩国に出張しました。

聖ピオ十世会日本の記録によると、2019年には今までに、14名の方々が洗礼を受けました!天主様に感謝!


Photo credit


ご報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

大阪でのミッションありがとうございました。
簡単ですが、ミサの報告をお送り致します。

8月2日(初金) 至聖なるイエズスの聖心のミサには13人、
8月3日(初土) 聖母の汚れなき御心のミサには23人が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

金曜日にはお説教で聖アルフォンソで・リゴリのイエズスの聖心へのノヴェナの一部を黙想しました。
自分がどれほど恩知らずで、冷淡かを改めて黙想すると同時にこんな自分をイ エズス様がどれほど愛して下さっているかをよく黙想出来ました。
神父様の勧めに従って、まず今月、この8月をイエズス様の聖心をお慰めできる月にしたいと思います。

土曜日にはお説教、御聖体降福式と共に、被昇天について黙想しました。
現代、世の中は肉体の欲求を満たす事と肉体のみを大事にする事が善とされて、腐ってしまう肉体よりも究極の目的である永遠がないがしろにされています。
私達は霊肉ともに天へ上がられたマリア様に倣って、マリア様の通られた道を歩けば、世の終わりには肉体と霊魂の結合ののちに復活して永遠の幸せを受けることができる。
これは辛い日々、苦しみの中にいる私達に大きな慰めとなりました。
イエズス様が マリア様を迎えに来られた様子を黙想し、自分の死の時にもイエズス様、マリア様が迎えに来て下さる事を思えば、この世でカルワリオの十字架の元に立ち続ける勇気がでました。

両日とも聖体降福式をして頂き、傷つけられた聖心をお慰めするため、また、11月来日される教皇様がイエズス様の代理者としての事業のため、特にお祈りしました。
また、うだるような暑さは天主様が今私にあたえてくださっている憐みだと思って天国に行くために徳をつむこれらのチャンスを出来るだけ生かすことができるよう、お恵みを願いました。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日(2019年8月4日)の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 30人(内、子供4人)
女: 23人(内、子供3人)
計: 53人(内、子供7人)


【報告】
Ave Maria Immaculata!

聖霊降臨後第八主日のミサと聖体降福式をありがとうございました。
この時期の聖福音では、死の準備をすることが取り上げられるようになるとのこと、今回のごミサでは、管理している会計の帳尻が合わないと説明を要求され不正をしたその管理人が主人によくやった!と誉められる様子が、読み上げられました。

ミサと聖体降福式のなか、天国で天主を礼拝し賛美する喜びが思い浮かばれ、この世でその喜びのいくらかをわずかながら感じさせていただいていることをちょっぴり感じました。天主の憐みを乞いねがいました。

お説教では、死の準備がそのまま天国へ向かう準備へとなるには何を心がければよいのか、教えていただき黙想しました。
聖福音が読まれたときは“不正をしたこと”のほうに気持ちが向きがちだったのですが、お説教により、これは「将来天国へ入れるための備えを賢明にしたことを誉められていること」とわかりました。

神父様のお話は霊的な富のことであったように思います。
人間を中心にする合理的精神から見ようとすることと、天主を中心にしてその憐れみ深い御計らいを眺めることは、全く別なものでしょう。観念にとらわれてしまえば霊的な富への理解が乏しくなり「まず天主の栄光ということが求められる」ことから離れてしまうようになるのだなあと感じました。

神父様のお話から、「賢明に生きる」とは、手にする稼ぎ得た金銭をどのように天主の栄光のために用いるように思慮するか、この世で生きられる時間を天主の栄光のために使えるようにどれほど工夫するか、いただいているなんらかの能力があるとしたら如何に天主の栄光のために使うか、恵みによるせっかくの健康な体をつまらないことにばかり動かすのではなく天主の栄光のために働けたのか、というようなことと受け取りました。そのようにできることは特権をいただくことであり、天主の憐れみをいただくことだと伺ったようにおもいます。

また「霊によって体のおこないを殺すなら、あなたたちは生きる」とは、霊によって肉の負債を殺すこと、天主の子として天主からいただいたものを天主に返すことで、それにより天主の遺産の共同相続人となることができるということというお話も、心に刻みました。

天主の御業がこの地上に行われるために、主がこの貧しい器をほんのわずかでも用いてくださいますように。いつかそっと天の庭に移し替えられる小さな草のようになることを願いながら、毎日を大切に過ごしていきたいと思いました。

そして、誰よりも賢明に生きられたマリア様に倣うことができますようにと思います。
神父様、この暑さの中の移動だけでも大変なことと思います、ミサの後も、産まれたばかりの赤ちゃんの洗礼式へと向かわれるとのこと、翌日も岩国での赤ちゃんの洗礼式に向かわれるとのこと、本当に私たちのためにご奔走してくださいましてありがとうございます。どうぞくれぐれもお身体にお気をつけてくださいますようにと思います。今回も大阪と東京と続けて御ミサを立ててくださいまして、心から感謝申し上げます。聖母の汚れなき御心が小野田神父様をいつもお守りくださいますようにお祈りいたします。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

素晴らしい御ミサと聖体降服式をありがとうございます。
お説教を拝聴して心に留まった幾つかの箇所がありました。
「殉教者たちはゆるく縛られ遠火で焼かれ、いつでも逃げられるようにされていた。それは背教しようと思えばいつでも背教できるように置かれていたということなのです。」という部分もそのうちのひとつです。

日本の殉教者たちがあえてそのような状況で火炙りの刑に処せられていたというのが、現代のカトリック教会の置かれている状況とどのように似ているのか、いま私の置かれている状況とどのように似ているのか、少し考えてみました。
カトリック教会そのものは普遍であり聖なる唯一の救いの場であり、イエズス・キリストの聖なる花嫁であると思います。それは現代のカトリックでも同じだと思います。
けれど現代では、カトリック教会に入りこんでいる何か(サタン)によって、かくも信者に眠らせるよう仕向けられ、信仰から離れさせようと仕向けられ、その策略に責めたてられているのではと思いました。

ミサ聖祭が変えられようとしたということだけでなく、隠されている策略によって人々をしっかりしたカトリック信仰から離れさせよう背教させよう近づかせないように歪曲してしまおうという得体のしれない何か(サタン)の働きがあるように思えてきました。
カトリックの教義を柔らかくする(新しい時代に合せて変える)ことも、“ゆるく縛るようにされていること”を指すのかもしれません。そういう意味でも、私達もゆるく縛られている者なのでしょう。

遠火で焼かれ煙でいぶされているということも、新しいカトリックを認めれば火に焼かれなくて済むぞ!と、脅していることと似ているかもしれません。新しいミサを認めれば、いつでも火炙りから逃れられるぞ!と。跪きを止めて立って手で聖体拝領をするなら、仲間だぞ!と。

奇抜なミサも新しい形のものなら許されるのに、伝統的なミサ聖祭だけは存在を認めようとせず仲間外れにして認めない。少しずつ新しい制度を導入して、最初は試験的な制度だからと言って眼をくらましておきながら、最後には新しい制度に反対する者を断罪する。

そういったことは、伝統的なカトリックのミサ聖祭が行われていたことを忘却の彼方に捨て去りたいがためとする偏狭的な策に思えます。(今も世界各地で聖伝のミサは捧げられ、増えてきてさえいるというのに、いったい何故なんでしょう。)
そのようにして、日本のカトリック信者をまるで遠火で焼いて燻(いぶ)して抹殺しようとしているのかもしれないと思いました。

外から来る迫害か、あるいはこの時代精神全体がカトリック教会全体を揺さぶっているところからくる内側から来ている迫害なのかの違いはあるとしても、今の日本のカトリック教会の危機は日本の聖なる殉教者たちがかつて受けたものと同じ迫害の苦しみのように思えます。
昔の日本の殉教者たちがどれほどしっかりと信仰を守り通そうとしたかを学ぶことは、現代のカトリックの信者も「最後まで最初から伝わるカトリック信仰を捨てない、迫害を受けても曲げないし、たとえ伝統を保とうとするものはもうカトリックではないと脅されてもそれにくみしない」と持ちこたえようと努力することにつながっていくのではと思いました。神父様のお説教からこんなふうに連想いたしました。

社会が革命の精神により変えられ人権を主張することが正しい人間の道だと広められ、教会の中でさえ変えられる必要が叫ばれてから、変わっても大丈夫なことと決して変えてはならないことの区別・識別がサタンの攻撃によってすっかりぶれてしまったのかもしれません。煙で燻しながら知らず知らずのうちにカトリック信仰から信者を離れさせ背かせるようにするというサタンの手段の一つかもと思います。いったい誰が信仰を持ち続けているかさえ、煙の中ではすっかりうやむやになり見えなくなります。共産主義者も、フリーメーソンのものも、精神分析主義者も精神世界愛好者も、ヨガの愛好者も、座禅の修行も、LGBTも、すべて区別なくそのままに受け入れているのを目の当たりにし、混然としてわからない有様です。ゆるゆるに見える寛容さの名目のもと、日本独自の新しいカトリックというスローガンに振り回されるあまり、実はサタンから様々な内部攻撃ともいうべき処刑を受けているさなかかもしれないと思ったら恐ろしくなりました。カトリックがバラエティー化され本質的な部分を失うようになれば、なによりマリア様がどれほどお悲しみになられることでしょう。私自身もこれまでいろいろな影響を受けてきているので、果たして自分は純粋な正統のカトリック信仰を本当に持っているだろうかと謙遜に自分自身を省みようと思います。

聖ピオ十世会は伝統的カトリック信仰を保ち続けることを宣言しています。これほどの攻撃を現在受けている理由も、そこにあるのでは思っております。ラジカルで、現代主義の、享楽的で、革命の精神が蔓延る、人権を天主の権利より擁護する、この時代の中で、カトリックの伝統的な信仰を守ろうとすることはどれほど殉教的なことであるかあらためて気づかされました。使徒継承のままの信仰を宣教してくださる修道会の御ミサに与れる幸せを感謝いたしました。

日本の枢機卿様・司教様たちも、きっと純粋なカトリック信仰が日本に復興することを願っていらっしゃることと思います。
フランシスコ教皇様の来日の予定が発表され、カトリック信仰が世間の注目を浴びることも増えるようになると思います。
教皇聖下のためのロザリオの祈りを続けながら、日本に正統なカトリック信仰のよみがえりが興って、真面目に霊魂の救いを求めようとする多くの日本人が必ずカトリック信仰との出会いを発見することができますように、と願っています。

聖母の汚れなき御心、我らのために祈り給え
秋田の聖母、我らのために祈り給え
日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え

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