アヴェ・マリア!
【質問】
教会において誰が権威を持って教える権能を持っているのか?
【答え】
教会の教導権の所持者は、天主に由来する権利として、全世界の教会のためには教皇が、それぞれの司教区では司教です。
【質問】
教皇と司教たちは、どのようにしてこの権威を受けるのか?
【答え】
私たちの主は、信仰の最高の教師として使徒達をたてましたが、教皇は、聖ペトロの後継者であり、司教たちは使徒達の後継者です。彼らは、キリストの教えを自分に委ねられた者たちに伝え、それを純粋に守るように注意を払う責務を天主から受けます。そのようにして彼らは、私たちの主が御昇天の後に私たちにおいてもう目に見えなくなった後でも、イエズス・キリストの業を続けるのです。
【質問】
私たちの主イエズス・キリストは、司教たちに伝えられるこの教導権についてはっきりと言明したか?
【答え】
はい。私たちの主イエズス・キリストは使徒達に向かって「あなたたちの言うことを聞くものは私の言うことを聞くものである、あなたたちを拒否するものは私を拒否する」(ルカ10:16)と言われました。このことは、使徒達の後継者である司教たちについても同じことが言えます。
【質問】
教会の教導権は不可謬か?
【答え】
はい。教会の教導権は不可謬です。しかしそのためにはいろいろな条件が厳しく守られなければなりません。もしもその条件が満たされるならば、司教たちや教皇は誤ることがあり得ません。しかしそのような条件が満たされないならば、宣言であれ説教であれ教皇の回勅であれ公会議文書であれ、必ずしも不可謬であるとは限りません。不可謬権を行使すると主張しその条件を満たして断言されたものだけが、不可謬です。
【質問】
教皇はいつ不可謬なのか?
【答え】
教皇は、教皇座から(ex cathedra)発言するときに不可謬です。つまり、諸民族の最高の教師として、教皇がある真理を全ての信者らが必ず信じなければならないドグマとして宣言するときです。この場合、教皇が誤ることがないように、聖霊の補佐が教皇に約束されています。神学者たちは共通意見として、この他の幾つかの場合にも教皇に不可謬の特権を帰属しています。例えば、列聖の時(少なくとも1983年以前の列聖について)、或いは、教会の普遍的律法において、或いは、教皇が自分の全ての前任者たちの教えを繰り返すとき、などです。
【質問】
その条件が満たされるならば教皇が不可謬であるということはどこにはっきりと書かれているのか?
【答え】
教皇が不可謬であるための条件は、第一バチカン公会議によって明確に提示されています。第一バチカン公会議は、教皇の不可謬権を正確に定義したからです。第一バチカン公会議はこう教えています。
教皇が教皇座から宣言する時、言換えれば全キリスト信者の牧者として教師として、その最高の使徒伝来の権威によって全教会が守るべき信仰と道徳についての教義を決定する時、救い主である天主は、自分の教会が信仰と道徳についての教義を定義する時に望んだ聖ペトロに約束した天主の助力によって、不可謬性が与えられている。そのため、教皇の定義は、教会の同意によってではなく、それ自体で、改正できないものである。
Romanum Pontificem, cum ex cathedra loquitur, id est, cum omnium Christianorum pastoris et doctoris munere fungens pro suprema sua apostolica auctoritate doctrinam de fide vel moribus ab universa Ecclesia tenendam definit, per assistentiam divinam ipsi in beato Petro promissam, ea infallibilitate pollere, qua divinus Redemptor Ecclesiam suam in definienda doctrina de fide vel moribus instructam esse voluit; ideoque eiusmodi Romani Pontificis definitiones ex sese, non autem ex consensu Ecclesiae, irreformabiles esse.
(Pastor aeternus, DS 3074)
【質問】
第一バチカン公会議の文書で何に気が付くのか?
【答え】
第一バチカン公会議の文書を注意深く読むと、教皇の不可謬性のための条件は4つあることが分かります。
すなわち、
(1)教皇は、「全キリスト信者の牧者として教師として」、つまり、個人的な意見を述べるのではなく、教会の頭として、キリストから直接に受けた「その最高の使徒伝来の権威」をはっきりと行使して、宣言しなければなりません。
(2)教皇が宣言する内容は、「信仰と道徳についての教義」でなければなりません。
(3)この「信仰と道徳についての教義」は、教えられるだけではいけません。教皇は「信仰と道徳についての教義」を「守るべき信仰と道徳」であると「定義する」のでなければなりません。つまり、教義を強制しなければなりません。
(4)この強制は、「全教会」が守るべきものとして、全教会に向けられるものでなければなりません。
【質問】
教皇が、全教会が守るべき信仰と道徳を強制するという意思を表明することは、教皇の行為が不可謬であるために本質的なことか?
【答え】
教皇が、全教会が守るべき信仰と道徳を強制するという意思を表明することは、教皇の行為が不可謬であるために必ず必要な本質的なことです。この権威の行使は、「教皇座からの(ex cathedra)」定義宣言の本質的要素です。
【質問】
教皇はどうやってこの強制の意志を表明するのか?
【答え】
教皇は、全教会において、ある一つの教義を義務として強制しようとする意志を、これを拒否する人間はカトリック信仰をもはや持ってはいない、従って、拒否する人は教会の外にある(排斥される)と明確に宣言して、明らかに表明しなければなりません。
【質問】
教皇は、この不可謬の特権を何か新しいことを強制するために行使することが出来るのか?
【答え】
教皇の不可謬性の特権は、信仰の内容の保存のためにのみあります。信仰内容とは、私たちの主イエズス・キリストによって教えられた変わることなく、救いのために必要なことがらです。第一バチカン公会議は私たちにこう教えています。
「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである。」
(Pastor aeternus, DS 3070)
【質問】
信仰の真理を、荘厳に不可謬的に定義決定するのは、よく頻繁にあることか?
【答え】
信仰の真理を、荘厳に不可謬的に定義決定するのは、頻繁にあることではありません。この特権を一度も行使しなかった教皇たちも多くいます。二十世紀には、この不可謬の宣言が一度ありました。それは、1950年11月1日にピオ十二世教皇によってなされた天主の御母聖マリアの被昇天のドグマの定義決定です。
【質問】
1950年11月1日、ピオ十二世教皇は、どのようにして、天主の御母聖マリアの被昇天のドグマの定義決定の時、強制の意図を表明したのか。
【答え】
ピオ十二世は、使徒憲章『ムニフィチェンティッシムス・デウス』(MUNIFICENTISSIMUS DEUS)において次のように宣言して、このドグマを強制しました。
「私たちの主イエズス・キリストの権威と使徒聖ペトロとパウロの権威、また私の固有の権威により、私は、天主の汚れなき御母終生童貞聖マリアがその地上での生涯を終えたのし、肉体と霊魂とにおいて天上の栄光に上げられたということが、天主から啓示されたドグマであると原原始宣言し定義決定する。従って、もしも誰かが、敢えて私の定義したことを故意に疑うとしたら、願わくは天主がそれを赦し給わぬことを!彼は天主よりのカトリック信仰を完全に棄てた者であるということを知るように。」
APOSTOLIC CONSTITUTION OF POPE PIUS XII, MUNIFICENTISSIMUS DEUS, November 1, 1950
44. ... by the authority of our Lord Jesus Christ, of the Blessed Apostles Peter and Paul, and by our own authority, we pronounce, declare, and define it to be a divinely revealed dogma: that the Immaculate Mother of God, the ever Virgin Mary, having completed the course of her earthly life, was assumed body and soul into heavenly glory.
45. Hence if anyone, which God forbid, should dare willfully to deny or to call into doubt that which we have defined, let him know that he has fallen away completely from the divine and Catholic Faith.
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【答え】
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【質問】
教皇と司教たちは、どのようにしてこの権威を受けるのか?
【答え】
私たちの主は、信仰の最高の教師として使徒達をたてましたが、教皇は、聖ペトロの後継者であり、司教たちは使徒達の後継者です。彼らは、キリストの教えを自分に委ねられた者たちに伝え、それを純粋に守るように注意を払う責務を天主から受けます。そのようにして彼らは、私たちの主が御昇天の後に私たちにおいてもう目に見えなくなった後でも、イエズス・キリストの業を続けるのです。
【質問】
私たちの主イエズス・キリストは、司教たちに伝えられるこの教導権についてはっきりと言明したか?
【答え】
はい。私たちの主イエズス・キリストは使徒達に向かって「あなたたちの言うことを聞くものは私の言うことを聞くものである、あなたたちを拒否するものは私を拒否する」(ルカ10:16)と言われました。このことは、使徒達の後継者である司教たちについても同じことが言えます。
【質問】
教会の教導権は不可謬か?
【答え】
はい。教会の教導権は不可謬です。しかしそのためにはいろいろな条件が厳しく守られなければなりません。もしもその条件が満たされるならば、司教たちや教皇は誤ることがあり得ません。しかしそのような条件が満たされないならば、宣言であれ説教であれ教皇の回勅であれ公会議文書であれ、必ずしも不可謬であるとは限りません。不可謬権を行使すると主張しその条件を満たして断言されたものだけが、不可謬です。
【質問】
教皇はいつ不可謬なのか?
【答え】
教皇は、教皇座から(ex cathedra)発言するときに不可謬です。つまり、諸民族の最高の教師として、教皇がある真理を全ての信者らが必ず信じなければならないドグマとして宣言するときです。この場合、教皇が誤ることがないように、聖霊の補佐が教皇に約束されています。神学者たちは共通意見として、この他の幾つかの場合にも教皇に不可謬の特権を帰属しています。例えば、列聖の時(少なくとも1983年以前の列聖について)、或いは、教会の普遍的律法において、或いは、教皇が自分の全ての前任者たちの教えを繰り返すとき、などです。
【質問】
その条件が満たされるならば教皇が不可謬であるということはどこにはっきりと書かれているのか?
【答え】
教皇が不可謬であるための条件は、第一バチカン公会議によって明確に提示されています。第一バチカン公会議は、教皇の不可謬権を正確に定義したからです。第一バチカン公会議はこう教えています。
教皇が教皇座から宣言する時、言換えれば全キリスト信者の牧者として教師として、その最高の使徒伝来の権威によって全教会が守るべき信仰と道徳についての教義を決定する時、救い主である天主は、自分の教会が信仰と道徳についての教義を定義する時に望んだ聖ペトロに約束した天主の助力によって、不可謬性が与えられている。そのため、教皇の定義は、教会の同意によってではなく、それ自体で、改正できないものである。
Romanum Pontificem, cum ex cathedra loquitur, id est, cum omnium Christianorum pastoris et doctoris munere fungens pro suprema sua apostolica auctoritate doctrinam de fide vel moribus ab universa Ecclesia tenendam definit, per assistentiam divinam ipsi in beato Petro promissam, ea infallibilitate pollere, qua divinus Redemptor Ecclesiam suam in definienda doctrina de fide vel moribus instructam esse voluit; ideoque eiusmodi Romani Pontificis definitiones ex sese, non autem ex consensu Ecclesiae, irreformabiles esse.
(Pastor aeternus, DS 3074)
【質問】
第一バチカン公会議の文書で何に気が付くのか?
【答え】
第一バチカン公会議の文書を注意深く読むと、教皇の不可謬性のための条件は4つあることが分かります。
すなわち、
(1)教皇は、「全キリスト信者の牧者として教師として」、つまり、個人的な意見を述べるのではなく、教会の頭として、キリストから直接に受けた「その最高の使徒伝来の権威」をはっきりと行使して、宣言しなければなりません。
(2)教皇が宣言する内容は、「信仰と道徳についての教義」でなければなりません。
(3)この「信仰と道徳についての教義」は、教えられるだけではいけません。教皇は「信仰と道徳についての教義」を「守るべき信仰と道徳」であると「定義する」のでなければなりません。つまり、教義を強制しなければなりません。
(4)この強制は、「全教会」が守るべきものとして、全教会に向けられるものでなければなりません。
【質問】
教皇が、全教会が守るべき信仰と道徳を強制するという意思を表明することは、教皇の行為が不可謬であるために本質的なことか?
【答え】
教皇が、全教会が守るべき信仰と道徳を強制するという意思を表明することは、教皇の行為が不可謬であるために必ず必要な本質的なことです。この権威の行使は、「教皇座からの(ex cathedra)」定義宣言の本質的要素です。
【質問】
教皇はどうやってこの強制の意志を表明するのか?
【答え】
教皇は、全教会において、ある一つの教義を義務として強制しようとする意志を、これを拒否する人間はカトリック信仰をもはや持ってはいない、従って、拒否する人は教会の外にある(排斥される)と明確に宣言して、明らかに表明しなければなりません。
【質問】
教皇は、この不可謬の特権を何か新しいことを強制するために行使することが出来るのか?
【答え】
教皇の不可謬性の特権は、信仰の内容の保存のためにのみあります。信仰内容とは、私たちの主イエズス・キリストによって教えられた変わることなく、救いのために必要なことがらです。第一バチカン公会議は私たちにこう教えています。
「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである。」
(Pastor aeternus, DS 3070)
【質問】
信仰の真理を、荘厳に不可謬的に定義決定するのは、よく頻繁にあることか?
【答え】
信仰の真理を、荘厳に不可謬的に定義決定するのは、頻繁にあることではありません。この特権を一度も行使しなかった教皇たちも多くいます。二十世紀には、この不可謬の宣言が一度ありました。それは、1950年11月1日にピオ十二世教皇によってなされた天主の御母聖マリアの被昇天のドグマの定義決定です。
【質問】
1950年11月1日、ピオ十二世教皇は、どのようにして、天主の御母聖マリアの被昇天のドグマの定義決定の時、強制の意図を表明したのか。
【答え】
ピオ十二世は、使徒憲章『ムニフィチェンティッシムス・デウス』(MUNIFICENTISSIMUS DEUS)において次のように宣言して、このドグマを強制しました。
「私たちの主イエズス・キリストの権威と使徒聖ペトロとパウロの権威、また私の固有の権威により、私は、天主の汚れなき御母終生童貞聖マリアがその地上での生涯を終えたのし、肉体と霊魂とにおいて天上の栄光に上げられたということが、天主から啓示されたドグマであると原原始宣言し定義決定する。従って、もしも誰かが、敢えて私の定義したことを故意に疑うとしたら、願わくは天主がそれを赦し給わぬことを!彼は天主よりのカトリック信仰を完全に棄てた者であるということを知るように。」
APOSTOLIC CONSTITUTION OF POPE PIUS XII, MUNIFICENTISSIMUS DEUS, November 1, 1950
44. ... by the authority of our Lord Jesus Christ, of the Blessed Apostles Peter and Paul, and by our own authority, we pronounce, declare, and define it to be a divinely revealed dogma: that the Immaculate Mother of God, the ever Virgin Mary, having completed the course of her earthly life, was assumed body and soul into heavenly glory.
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