アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、こんにちは!
【質問】
フェレー司教様は、ロザリオの十字軍でマリア様の冠の十二の星と言われましたが、このいわれは何ですか?
【お返事】
ご質問をありがとうございます。これは聖ヨハネの黙示録に由来します。
聖ヨハネの黙示録の第12章にはこうあります。
「それから、壮大なしるしが天にあらわれた。太陽に包まれた婦人があり、その足の下に月があり、その頭に十二の星の冠をいただいていた。」
教父たちによると、この「太陽に包まれた婦人」とは、カトリック教会の表象(figura)です。人類をどちらの方が取るか、竜(=サタン)と生きるか死ぬかの死闘をする教会です。
太陽を着るとは正義の太陽である私たちの主イエズス・キリストにくるまっているのであり、イエズス・キリストに保護されていることを示します。
この婦人の足の下に月があるのは、教会がこの世の栄華盛衰の変化の上に超然と立っているからです。何故なら、月は常に満ちたり欠けたりし、いつも変化しているので、人間的なこの世の栄華盛衰のシンボルであるからです。教会はペトロの上に天主の御言葉によって建てられ、永久の運動の中にありながらも揺り動かされることなく立ちとどまるからです。
その頭に十二の星の冠をいただいていたのは、教会が十二の使徒たちの教えを持つからです。
また教父たちによると、同時に、この「太陽に包まれた婦人」とは、天主の聖母終生童貞なる聖マリアを意味します。そのとき、十二の星のついた冠は、聖霊の十二の実り(ガラチア五章)です。「霊の実は、愛(caritas)、よろこび(gaudium)、平和(pax)、寛容(patientia)、仁慈(benignitas)、善良(bonitas)、忍耐(longanimitas)、柔和(mansuetudo)、誠実(fides)、慎み(modestia)、節制(continentia)、貞潔(castitas)であって、これらのことに反対する律法はない。」
ついでに黙示録の続きにある、「七つの頭と十の角をもち、頭に七つの冠のある赤い竜」は、血に飢え渇くので赤いのです。七つの頭とは、ラテン語で septem capita であり、七つの罪源(septem peccata capitalia)です。七つの罪源とは、傲慢(superbia)、 貪欲(avaritia)、(肉欲)luxuria, (嫉妬)invidia, (貪食)gula, (憤怒)ira, (怠慢)acedia です。
(Summa, I-II, QUAESTIO 84、または、Theologia moralis et dogmatica. を参照のこと)
聖書では、角とは、天に向かって立ち上がるものであり、傲慢と天主に対する反乱のシンボルです。「私は仕えない! Non serviam! 」これがそのモットーです。この角が十本あるとは、天主の十戒すべてに逆らおうという意志を表しています。頭にかぶる「七つの冠」とは、七つの罪源すべてについて人間に勝利を収めているということです。
なお、この回答を書くために "Le Sens Mystique de l'Apocalypse" par R.P. de Monleon, Nouvelles Editions Latines 1984 を参考にしました。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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フェレー司教様は、ロザリオの十字軍でマリア様の冠の十二の星と言われましたが、このいわれは何ですか?
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ご質問をありがとうございます。これは聖ヨハネの黙示録に由来します。
聖ヨハネの黙示録の第12章にはこうあります。
「それから、壮大なしるしが天にあらわれた。太陽に包まれた婦人があり、その足の下に月があり、その頭に十二の星の冠をいただいていた。」
教父たちによると、この「太陽に包まれた婦人」とは、カトリック教会の表象(figura)です。人類をどちらの方が取るか、竜(=サタン)と生きるか死ぬかの死闘をする教会です。
太陽を着るとは正義の太陽である私たちの主イエズス・キリストにくるまっているのであり、イエズス・キリストに保護されていることを示します。
この婦人の足の下に月があるのは、教会がこの世の栄華盛衰の変化の上に超然と立っているからです。何故なら、月は常に満ちたり欠けたりし、いつも変化しているので、人間的なこの世の栄華盛衰のシンボルであるからです。教会はペトロの上に天主の御言葉によって建てられ、永久の運動の中にありながらも揺り動かされることなく立ちとどまるからです。
その頭に十二の星の冠をいただいていたのは、教会が十二の使徒たちの教えを持つからです。
また教父たちによると、同時に、この「太陽に包まれた婦人」とは、天主の聖母終生童貞なる聖マリアを意味します。そのとき、十二の星のついた冠は、聖霊の十二の実り(ガラチア五章)です。「霊の実は、愛(caritas)、よろこび(gaudium)、平和(pax)、寛容(patientia)、仁慈(benignitas)、善良(bonitas)、忍耐(longanimitas)、柔和(mansuetudo)、誠実(fides)、慎み(modestia)、節制(continentia)、貞潔(castitas)であって、これらのことに反対する律法はない。」
ついでに黙示録の続きにある、「七つの頭と十の角をもち、頭に七つの冠のある赤い竜」は、血に飢え渇くので赤いのです。七つの頭とは、ラテン語で septem capita であり、七つの罪源(septem peccata capitalia)です。七つの罪源とは、傲慢(superbia)、 貪欲(avaritia)、(肉欲)luxuria, (嫉妬)invidia, (貪食)gula, (憤怒)ira, (怠慢)acedia です。
(Summa, I-II, QUAESTIO 84、または、Theologia moralis et dogmatica. を参照のこと)
聖書では、角とは、天に向かって立ち上がるものであり、傲慢と天主に対する反乱のシンボルです。「私は仕えない! Non serviam! 」これがそのモットーです。この角が十本あるとは、天主の十戒すべてに逆らおうという意志を表しています。頭にかぶる「七つの冠」とは、七つの罪源すべてについて人間に勝利を収めているということです。
なお、この回答を書くために "Le Sens Mystique de l'Apocalypse" par R.P. de Monleon, Nouvelles Editions Latines 1984 を参考にしました。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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この黙示録の時代にその12の星の冠を、聖母マリア様にお捧げすることは、どんなにかすばらしいことでしょう。我が家では、この12の星の意味を紙に書き、聖母の凱旋を心から待ち望み、黙想しながらロザリオを祈ります。
また、黙示録のこの「獣」と戦うことは何と恐ろしいことでしょうか。聖母にすがらなければとうてい戦うことはできません。小野田神父様に教えていただいた、毎日3回(朝・午後3時・夜)、聖母につたない自分を奉献することで、聖母をお愛しし、イエズス様・マリア様に似たものとしてくださり、戦う力をお与えくださいますように祈ります。小野田神父様、今後とも私たち平信徒をお導きください。
聖母マリア様の汚れなき御心よ、小野田神父様のご活動をご健康をお護りください。