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日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り (2019年7月)Consecration of Japan to the Immaculate Heart of Mary

2019年07月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2019年7月の初土と最初の主日には、大阪と東京とでそれぞれ、御聖体降福式の時、日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り(2017年8月15日の奉献に少し手を入れた)を更新しました。

愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り
(2019年7月)

【導入部:聖母より受けし御恵みと愛とを思い起こさん】

聖母の汚れなき御心よ、1549年、御身の被昇天の大祝日に、われらが祖国は、唯一真(ゆいいつまこと)の救い主の福音を伝えし聖フランシスコ・ザベリオの到来を喜びたり。地の果ての日沈む国ポルトガルより、極東の日出(いず)るわが国まで、正義の太陽イエズス・キリストの光は届けられたり。
聖フランシスコ・ザベリオは、わが国に来るより15年前、被昇天の大祝日に、聖イグナチオらと共にパリのモンマルトルでイエズス会を結成したり。その時も、御身は彼を喜びと希望とで満たし給えり。御身がこのイエズス会司祭を送り給うたのは、巡礼者として聖地エルサレムにはあらず、教皇パウロ三世の公使として東洋の果てなりし。
被昇天は、光と希望の夜明けを告げる幸いなる明けの星のごとく、われらが祖国にとりて煌煌とかがやけり。御身は、われらが日本に、赦しと、命と、喜びと、平和と、幸せとを与えんことをのみ望み給えり。その慶びの日の後、われらが祖国のあまたの先祖同胞は、高貴なる者も卑しき者も洗礼の御恵みを受け、天主の養子となり、聖子の御体と御血とに養われたり。多くの貴族の子弟らは、イエズス・キリストの司祭となり、或いはローマに、或いはエルサレムに行く御恵みをも得たり。分けても数十万の無数の老若男女は、1597年の26名を初穂として、自らの血を聖子の血に合わせ、殉教の誉れの冠を授かり、天国へと直行せり。大司祭の御母にして、天の門よ、御身は、われらの救霊のため特別の愛もて祈り給えり。
御身の御取り次ぎにより、われらが先祖は、イエズス・キリストへの信仰の御恵みと天主の御助けとにより、祈りを愛し、お上(かみ)に従い、従順・忠実たりて、隣人には福祉と憐れみをほどこし、迫害せんものを赦し、主の御教えを全うせり。雲仙の殉教者らは、「いと尊き御聖体は讃美せられさせ給え!」と叫びつつ、その玉の緒を主に返し奉れり。島原にては撃たれて飛び来る弾丸(たま)を、御身のロザリオの珠(たま)にして祈り奉れり。御身は、西坂で最初の穴吊りの責めを受けし福者ニコラス福永を訪れ、慰め、励まし給えり。福者福永の最後の言葉は、聖母マリアの連祷なりし。殉教者の元后よ、御身はわれらが祖国に多くの恵みを祈り給いたり。
われらが祖先にとりて最も残酷なる拷問は、かくも愛する母の御影(ごえい)を毎年足で踏ませられ、御身に侮辱を加えさせらるることなりし。われらのために十字架に付けられ給うた聖子イエズス・キリストと、主の死を悼み主を御胸に抱き給うた御母の御姿を踏むは、いかに心苦しきことなりしぞ。キリスト者が迫害されし時、御身も、愛する子らとともに苦しみ給いしなり。
司祭不在の長き年月の間、隠れたる信徒らは、御身の御像を隠し持ちつつ、御身の聖なるロザリオを愛し、喜びと苦しみと栄えの玄義を黙想し奉り、これを良く唱える御恵みを得たり。御身こそ、司祭になり代わり、われらが先祖らを慰め支え給えり。日本各地に残る多くのキリシタン遺物が、彼らの御身への愛を雄弁に物語るなり。
御身は、イタリア人シドッティ神父に日本宣教の望みを起こさせ、1708年、屋久島に到着させ給いたり。神父が日本に持ち来たるは、悲しみの御身の御影(ごえい)とて、慰め無き悲しみとカルワリオの御苦しみとを捧げ給う涙の御身の御姿(みすがた)なりし。師がキリシタン屋敷の地下牢にて殉教せし後に、今に至るまで東京国立博物館に残されしは、日本の子供らのために悲しみ給う御母の涙なり。
御身は、日本への宣教師フォルカード師に知恵を息吹き給えり。キリシタン禁令のただ中、殉教の血に浸され赤く染める300年を経て、ついに1844年の幸いなる聖母聖月の最初に、日本の那覇にて、師がわれらが祖国をかたじけなくも捧げ奉りたるは、正に、聖母の汚れなき御心に対してなりし。「無原罪の御孕り」なる御身は、1856年日本の建国記念の日を選び、フランスのルルドにて聖ベルナデッタにお現れになり給いし。御身は、フォルカード司教をフランスのヌヴェールの司教として、聖ベルナデッタが修道誓願により御身に捧げらるるを司式せんことを計らい給えり。
1865年3月17日、御身は、その美しき御像の足元に、迫害を逃れんとて潜伏中の信徒らを招き寄せ給えり。「サンタ・マリアの御像はいずこ?」 彼らは、御身を見奉りて、まさしくこれぞ!サンタマリア様!聖子イエズス様を抱き給う!と喜び、自らの信仰を明かさん秋(とき)を得たり。子らが母を見つけし喜びなりしぞ。彼らがたとえ「旅」に流されんとも、御身は流刑の信徒らを訪れ、優しき母として津和野に現れ、慰め給いたり。
御身は、今より100年前の1917年、ポルトガルのファチマにて、ご自分の汚れなき御心の神秘を、われらに垂(た)れて諭(さと)し給えり。同じ年、おお、汚れなき聖母(インマクラータ)よ、御身はご自分のしもべ聖マキシミリアノ・コルベに燃える望みを抱かしめ、御身のために捧げられし騎士会をローマにて創立させ、このしもべをわれらが祖国に送り給えり。
1945年、御身の被昇天の大祝日を準備しつつ、原爆を受けたる長崎の、多くの修道女らとカトリック信徒らとは「み母マリア、身も心もとこしなえに、献げまつる!」と息も絶え絶えに歌いつつ、死の苦しみを愛を込めて御身に捧げ奉れり。戦争終結のため、ファチマの聖母なる御身に、夜を徹して祈る司祭も多かりし。われらが祖国を愛する信徒らは、日々祈りと犠牲とを捧げ奉り、平和のために祈りたり。長崎カトリック信徒代表パウロ永井隆博士は、慰霊祭に弔辞の弁にかく言えり。
「日本は聖母に献げられし国たること、吾浦上の天主堂もまた特に聖母に献げられしものたることを想い出すなり。・・・いくた殉教の血を流しつつ四百年、正しき信仰を守り通し奉るわが浦上教会こそはまこと世界中より選ばれ、天主の祭壇に献げらるるべき潔き羔の群れではなかりしぞや。・・・浦上教会が世界中より選ばれ燔祭に供えられしことを感謝し奉る。」
かくて、御身の被昇天の大祝日に、御身の御取り次ぎにより、われらが祖国は、終戦の御恵みを得たり。日本の司教団はこれを直ちに認め、一致団結して日本を御身の汚れなき御心に奉献し奉れり。御身の被昇天の祝日は、天主への讃美にわれらを招く鐘が教会に鳴り響くごとく、われらが祖国の上に、平和を告げて鳴り響きたり。終戦の年に鳴り響きし長崎の鐘は、正に御身への讃美の歌となりけり。1951年の御身の御誕生日には、日本はサン・フランシスコ条約を締結し、戦争状態は法的に終了し、日本国民の完全な主権は承認されたり。
御身は、1975年の最初の土曜日から、1981年9月15日の悲しみの聖母の記念日まで、われらが祖国の秋田の地に来たり給うて、ファチマのメッセージを繰り返し伝えつつ、共償の涙を、101回にわたりて流し給えり。日本の国民の救霊のために苦しみ給うた涙にして、それにもかかわらず母の愛が冷淡に無視さるることを歎(なげ)き給う涙なりしぞ。

【奉献】

ああ慈悲深き聖母の汚れなき御心よ、
至聖なるイエズスの聖心の前に於て全能の御心、
何人たりともその祈祷の空(むな)しかりしを覚えることなき御心よ、
いと潔きあわれみの御母、平和の元后なる聖マリアよ、われらは聖なる教会の導きに従い、今日、日本および日本国民の、御身の汚れなき御心に対する奉献を更新し、そのすべてを御身の御保護に委ね奉らんと欲す。
今日、イエズス会士なる教皇フランシスコの御代の下で、御身が送り給うた聖フランシスコ・ザベリオを思いつつ、
日本の公式の且つ聖なる指導者なる司教らの、密かなる願いとその意図(こころ)とを汲み、
日本の先祖たちから脈々と続く、御身に対する愛と信頼と奉献との聖なる忠孝の伝統を続けんがために、
御身の聖子の真(まこと)の教会なるカトリック教会に属する聖ピオ十世会、その総長により、日本の霊魂を緊急援助・司牧するを正式に命じられた担当司祭として、
自らの力と権能の及ぶ限りにおいて、
御身の愛されし子供にして御身のしもべとして、
ここに、御身の汚れなき御心になされた日本の国とその国民との奉献を、荘厳に更新し奉る。
われらは、われらの全てを、肉体も霊魂も、能力も感覚も、人生の全ての悲しみも喜びも、われらの持てる全てを、われらそれ自身を、われらが愛する全てを、御身にことごとく捧げ奉る。

【奉献の結果:聖母の御保護のもとに入らん・聖母は御自分の所有物として守り給う・受動的態度】

願わくは聖母、憐れみの御まなざしもてわれらの心をみそなわし給え。われらを御身の子供として受け入れ給え。われらが弱き手より、御手(みて)の中に、日本を受け取り給い、御身ご自身の所有物としてこれを守り保護し給え。われらの愛する御母よ、われらを統治し給え。そは、イエズス・キリストの外においては、救いはありえぬがゆえに、霊魂らを悪魔の手から奪い取り、イエズスが日本において、統治し、しろしめし給うためなり。
ファチマの聖母よ、御身が、われらが祖国への愛のためになしたことを思い起こし給え。日本をイエズスに与え、日本を救い給え。イエズス・キリストにおいてわれらは真理と生命と平和を見いだすがゆえなり。
御身の汚れなき御心が、日本に住む全ての人々と世界にいる全ての日本国民とにとりて、若きも老いたるも、健康なる者も病の者も、熱心なる者も罪を犯したる者も、また将来の子供らにとりても、千代に八千代に、天主へと導く道とならんことを。

【聖母の御取り次ぎを求めん】

われらが聖母よ、日本のために祈り、聖子に取り次ぎ給え!
罪の概念を失わさんとする、限度を知らぬ不道徳と不潔の津波から、若き青少年たちを守り給え。われらが、イエズスの御聖体における御血に養われ、百合のような貞潔の徳を育てんがために助け給え。力強き童貞よ、われらのために祈り給え!
日本において「戦後」直後にはじまりし嬰児大虐殺の戦争を赦し給え、且つこれを速やかに終わらせ給え。日本民族が御身を知らず、闇に住むのを、憐れみ給え。
聖子イエズス・キリストの福音の輝く光を、われらが日の本に燦然と輝かせ給え。聖子の真の御教えに基礎をおく文明をわれらが受け入るるを得しめ給え。キリスト信者の助けよ、われらのために祈り給え!
聖母よ、日本のために取り次ぎ給え!善人でさえ滅びの危険のある情欲と疑いのこの秋(とき)において!
日本の国民を、聖子への信仰において、カトリック教会への愛において、聖徳の高い望みにおいて、秩序の遵守において、また兄弟愛において、全て一つにまとめさせ給え。平和の元后よ、われらのために祈り給え!
われらの心に、天主を愛する愛の火を燃え立たしめ給え。願わくは、イエズスの聖心の御国が、御身の汚れなき御心の御国と共に、日本に来たらんことを。われらの元后にして母なる聖母よ、われらが御身を愛し、御身に奉仕し、御身に真に奉献されし生活を送るにより、われら日本国民全てがついに至聖なる三位一体との永遠の至福に至るにふさわしき者とならんことを。

【日本司教団の奉献の祈り】【奉献の結果:聖母の御助けにより、聖母のものとして、聖母のために、苦しみを捧げる聖母にならわん・能動的態度】

願わくは聖母、御あわれみの御心をひらきて、われらの願いを聞き給え。
われら今、この世のすべての苦しみ、悩みを雄々しく堪え忍び、そを世の罪の償いとして、天主に捧げ、その御怒りをなだめ奉り、わけても御身の汚れなき御心にならいて、主の御旨を重んじ、身を清く持して、聖なる一生を送らんと決心す。
願わくは聖母、力ある御手をのべて、われらの弱きを助け給え。
願わくは、御身、慈母の愛もてわれらを護り給え。

【聖母の汚れなき御心のミサの集祷文】

天主の聖母、われらのために祈り給え。
キリストの御約束にわれらをかなわしめ給え。
祈願 全能永遠なる天主、主は童貞聖マリアの御心のうちに聖霊のいみじき御宿をしつらえ給いたるにより、願わくは、御憐れみをたれて、かの汚れなき聖母の御心に日本を捧げ奉りたるわれらをして、主の聖心にそいて生くるを得しめ給え。われらの主キリストによりて願い奉る。

アーメン。


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