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ミサ聖祭とは何か? (『聖ピオ十世の公教要理』による説明)

2006年08月22日 | ミサ聖祭

アヴェ・マリア!


 兄弟姉妹の皆様、
ミサ聖祭とは何かについて、『聖ピオ十世の公教要理』で復習してみましょう!



【ミサ聖祭とは何か】
 ミサ聖祭とは、十字架上の犠牲を記念して、パンとぶどう酒の外観のもとに祭壇上でささげられる、イエズス・キリストの御体と御血の犠牲です



【一般に犠牲とは何か】
 一般に犠牲とは、目に見える供え物を天主にささげ、破壊することによって、人間をはじめ全ての物の最高主である天主の支配を認めることです。



【ミサ聖祭をささげる目的】
 ミサ聖祭をささげる目的は、
①ふさわしい方法で天主を礼拝し(崇拝)、
②そのご恩に感謝し(感謝)、
③天主をなだめるために罪のつぐないをし、練獄の霊魂のために代願し(贖罪)、
④必要とする聖寵を乞い求める(懇願)
ことです。



【十字架上の犠牲とミサ聖祭との関係】

 十字架上で御自分をささげられたのも、祭壇上で聖務者である司祭の手を通してささげられるのも、同じイエズス・キリストですから、十字架上の犠牲とミサ聖祭とは、その本質においては同じものです

 しかし、両者の間に密接な関係があるとは言え、その捧げ方は違います。十字架上の犠牲とミサ聖祭との間には次のような関係と相違があります。

 (1)イエズス・キリストは、十字架上では実際に御血を流して御自分をささげられ、祭壇においては御血を流すことなく御自分をささげて、御受難と御死去の効果を与えて下さるのです。

 (2)ミサ聖祭はイエズス・キリストが十字架上で御血を流されたありさまを目に見える形で示しています。何故なら、聖変化のことばの力によってパンの外観のもとにあがない主の御体が、そして、ぶどう酒の外観のもとにその御血が実際に現存することになるからです。ただし、自然のつながりと位格的結合によって、それぞれの外観のもとに本当の生けるイエズス・キリストがおられます。



【十字架上の犠牲は、新約唯一の犠牲】
 この犠牲によって主が天主の正義をおなだめになり、救いに必要な功徳をすべて得られ、人間の罪のあがないを成就して下さったという点から見れば、十字架上の犠牲は新約唯一の犠牲です。そして、このようにして得られた功徳は、天主が教会の中に制定された手段を通して実際に私たちに与えられるのであり、ミサ聖祭もこの手段のひとつなのです。



【どなたがミサ聖祭を制定したか】
 御聖体の秘跡をお定めになり、御受難の記念としてこれを行なえとおおせられたとき、イエズス・キリスト御自身がミサ聖祭を制定なさいました。



【ミサ聖祭は天主のみにささげられる】
 ミサ聖祭は、天主にだけささげられます。
 聖母や聖人たちを記念する御ミサも、天主にだけささげられる犠牲です。しかし、聖母や聖人たちを記念するためにミサ聖祭をささげるというのは、かれらにお与えになった御恵みを天主に感謝するとともに、そのとりなしによって私たちに必要な御恵みを豊かに下さるよう願うためです。



【ミサ聖祭の犠牲を天主にささげるのは誰か】
 ミサ聖祭の第一の主たる奉献者はイエズス・キリストです。
 司祭は、イエズス・キリストの名においてこの犠牲を永遠の父なる天主にささげるのです。



【ミサ聖祭の効果】
 ミサ聖祭の効果は、教会全体、特に、
①ミサ聖祭をささげる司祭とそれにあずかる人たち、つまり、司祭と一体となっている人たち、
②死者であれ生きている人であれ、司祭が特定の人にささげるときには、その人たちにおよびます。



【ミサは、単なる賛美と感謝でもなく、十字架上の単なる記念だけではない】
「ミサのいけにえはただ賛美と感謝のいけにえである、あるいは、十字架上で行われたいけにえの単なる記念であって、罪の償いのいけにえではない、あるいは、御聖体拝領する者だけにとって利益となるものである、また、生存者と死者のため、罪、罰、償い及びその他の必要のために捧げられるべきではない」と言う者は排斥される。(トリエント公会議の宣言)


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フランス語だけれど、聖ピオ十世の公教要理の該当箇所も見て下さいね。
http://www.dici.org/thomatique_read.php?id=000016


 


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
カトリック教会の祭壇 (Lilly)
2016-01-21 08:26:48
カトリックの祭壇のお花の意味について調べてみましたが記述が見つかりませんでしたのでお教え下さい。
聖伝の御ミサの映像などを見ておりましたらいつも沢山のお花で祭壇が飾られています。
お葬式でもカトリックの場合は色とりどりの綺麗なお花で埋め尽くされています。
最近の新しいカトリック教会ではお花を減らし左右非対象の歪な飾り方も良く見かけます。アシンメトリーなファッションみたいに。
伝統的かつ聖伝におけるカトリック教会の祭壇に飾るお花の意味やお花の量、バランスなどをお教え下さい。
返信する
聖伝のミサにおける祭壇のお花の意味とは何か? (Fr Thomas Onoda)
2016-01-21 12:32:15
アヴェ・マリア・インマクラータ!

こんにちは!

ご質問をありがとうございます。

 レデンプトール会の Joseph Wuest C.SS.R. 神父の書いた Collectio Rerum Liturgicarum によると、祝日に花束を花瓶に生けて祭壇を飾ることが命じられている【Caeremoniale Episcoporum I, caput XII, N. 12 及び 教皇ピオ六世 Auctorem Fidei 】。
 花は花瓶に趣味よく飾られ、ろうそく台の間に置かれなければならない【Caeremoniale Episcoporum I, caput XII, N. 12】。
 ただし、待降節や四旬節・受難節の聖務やミサをするとき(待降節第3主日と四旬節第4主日、聖木曜日は例外)、死者のための聖務やミサのときは、花を飾らない。

 お花の意味は、天主の祭壇を飾るために「切り取られ」て、奉献されるということです。ロウソクが自らを燃やして光と熱を出すように、お花も自分を捧げて天主に捧げられるという意味があります。私たちも、罪から切り離されて、この地上から離脱して、自分をイエズス・キリストのために与え尽くすことができますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
返信する
追伸 (Fr Thomas Onoda)
2016-01-21 22:37:50
アヴェ・マリア・インマクラータ!

追記です。

Collectio Rerum Liturgicarum には、こうあります。
次の日に祭壇に花を飾ることは禁止されてはいない。幼子殉教者の祝日、祈願祭の日々、祝日の前日(vigilia)、七旬節、六旬節、五旬節の主日。【Ephemerides Liturgicae (Ius et Praxis) LII, p.169】

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