Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2017年 3月の聖伝のミサの予定

【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


聖ヨゼフの月です。聖ヨゼフの連祷をロザリオの後で付け加えましょう。
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え! (参考:聖ヨゼフに対するノベナ
意向:聖なる四旬節を過ごす
実践すべき徳:この地上の事々を軽んじ、天上のことを重んずる愛徳
守護の聖人:聖ヨゼフ

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2017年 3月の予定

【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス
EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

    3月3日(初金) 四旬節の平日(3級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

    3月4日(初土) 四旬節の平日(3級)紫
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    3月12日(主) 四旬節第2主日(1級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

    3月13日(月) 四旬節の平日(3級)紫 
            午前6時半 ミサ聖祭

    3月17日(金) 四旬節の平日(3級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

    3月18日(土) 四旬節の平日(3級)紫
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    3月20日(月) 童貞聖マリアの浄配証聖者聖ヨゼフ(1級祝日)白  ←追加されました。
            午後3時半 ロザリオ及び告解
            午後4時 ミサ聖祭

    3月21日(火) 四旬節の平日(3級)紫 大修院長聖ベネディクトの記念 ←追加されました。
            午前6時 ミサ聖祭

    3月31日(金) 四旬節の平日(3級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

     【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

    3月5日(主) 四旬節第1主日(1級)紫
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    3月6日(月) 四旬節の平日(3級)紫
            午前7時 ミサ聖祭

    3月19日(主) 四旬節第3主日(1級)紫
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

     3月20日(月) 童貞聖マリアの浄配証聖者聖ヨゼフ(1級祝日)白
            午前7時 ミサ聖祭

    
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

◎アジア管区では、これからロザリオの時に「主よ、われらに司祭を与え給え 云々」の最後に、次の呼祷を付け加えることになりました。宜しくお願い致します。

「主よ、我らに多くの聖なる家族を与え給え。」
"O Lord, grant us many holy families".

◎多くの祈りと犠牲を聖母の汚れなき御心への信心の実践として捧げて下さい。
【聖ピオ十世会 ロザリオの十字軍】
2016年8月15日~2017年8月22日
聖ピオ十世会 ロザリオの十字軍についてのお招き ←こちらをクリックしてください

 
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聖ヴィタリス、太祖ヨゼフに共通していること。それが指し示すこととは?

2017年03月27日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月17日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月17日(金) 四旬節の平日のミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年3月17日、四旬節の第2主日の後の金曜日のミサをしています。

今日のこのミサの後にはいつものように、ミサの後の祈りと終課を唱えるように致しましょう。そして終課の前に、今日は唱える事ができなかった聖ヨゼフの連祷も一度唱える事に致しましょう。

「無原罪の聖母の騎士」の雑誌が英語で出来ていますので、どうぞお持ち下さい。是非お友達にも読むように勧めて下さい。シュテーリン神父様のファチマの本が第2巻目も出ましたので、皆さんどうぞお読み下さい。



「彼らは主を捕らえようと探していたけれども、しかし群衆を恐れていた。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は四旬節の第2主日の後の金曜日で、ますます四旬節の中に深く入って行く事に致しましょう。教会は今日、イエズス様の御受難を黙想するように、その御受難の予告の中に私たちを連れて行こうとします。しかしその予告は、たとえこの御受難はベールで隠されていたとしても、この天主様の御摂理によってそれが許され、そしてそのイエズス様の御受難はつまり私たちの救いの為である、という事を表そうとしています。この為に教会は、この典礼と或いは目に見える全てのものを使って、私たちにイエズス様の御受難の予告と、その実はそれが私たちの救いの為だ、御摂理によるものだ、という事を教えようとしています。そこで今日はその事を黙想する事に致しましょう。

第1の点は、一体何故、どのようにして、教会は私たちにイエズス様の予告を、御受難の予告を知らせているのか?

第2に、その予告が私たちの救いの為である、という事をどのようにして教えようとしているのか?天主の御摂理がどのようにして働くという事を教えているのか?

第3に、私たちは四旬節の遷善の決心を、立てた決心を固める事に致しましょう。


第1の点は、教会は一体どうやって私たちにイエズス様の予告を、受難の予告をしようとしているのでしょうか?

それは3つの点で分かります。1つは今日の指定巡礼教会聖ヴィタリス、そして今日の太祖ヨゼフの話、そしてイエズス様の例え、この3つが「イエズス様の受難」という事で繋がっているからです。

聖ヴィタリスという人は、実は非常に初期のカトリック信者で、子供に双子の兄弟の聖ジェルバジオと聖ブロタジオ、これは諸聖人の連祷の中にも載る聖人ですけれども、そのお父さんなのです。お父さんは敬虔な信者で、殉教者の遺体を密かにそれを探して埋葬して、殉教者に対する尊敬の念を払っていた人でした。ところがそれがローマ当局の怒りに触れ、結局聖ヴィタリスも殉教しなければなりませんでした。どうやって殉教したかというと、聖ヴィタリスの住んでいたのはミラノに近いラヴェンナというイタリアの北部なのですけれども、そこの穴に突き落とされて、そしてそのあとに石を投げさせられて、そして埋められてしまいました。

今日教会は霊的に私たちを、この聖ヴィタリスの指定巡礼教会に連れて行きます。この聖ヴィタリスの指定巡礼教会には、その祭壇にはイエズス様の十字架の御受難の絵が描かれているのですけれども、その両脇には聖ヴィタリスがどうやって殉教したのか、その聖ヴィタリスの生涯とその殉教の絵が描かれています。それでその内の1つが、穴に落とされて殉教した、そしてこの殉教によってこの血がキリスト教の種となって、また信仰の糧となった、という絵が描かれているのです。

私たちも今日は霊的にこの聖ヴィタリスの教会に入る事によって、このミサの中でその絵を見せようとしています。

1つは祭壇の前の私たちの十字架像。十字架像の上には、霊的に指定巡礼教会の聖ヴィタリスが穴に落とされたというその事。書簡側には、今読んだ、太祖ヨゼフの絵。つまりヨゼフが兄弟たちの嫉妬によって、「何だこいつ、お父さんから特別に愛を受けて、何か偉そうな事を言っている、夢を見たと言っているし、こんなやつ亡き者にしてやれ」と言うと、「あぁ、殺してはまずい、血を流させてはまずい。穴に落としてはどうだ」と言って、水の無い井戸に落とされる。ちょうど聖ヴィタリスが、「キリスト教徒だ」と言う事によって殉教したのと同じ、「穴に落とされた」という同じ運命をします。

それと同じようにイエズス様も、今日福音側の絵では私たちに、イエズス様の命を亡き者にしよう、ユダヤ人たちがそれを狙っている、何故かというと、「自分が聖父から送られた聖子である」という事を例えで話したからです。そしてユダヤ人たちはその事を理解したからです。

イエズス様は実は聖父から送られた跡継ぎであって、預言者たちが聖父によってヤーウェによって送られたけれども、ユダヤ人たちは皆この預言者たちを殺してしまった。ユダヤ人に送られた最後の手段としての聖子は、「あぁ、この子なら私の子供としてこの子の言う事を聞くだろう」と言ったけれども、却って「殺してしまおう」と思った、そして殺してしまった、という事が「自分たちの事を言っているのだ」とよく分かったのです。そしてその事を「亡き者にしよう」としたのです。

ちょうど聖ヴィタリスがやられたように、ヨゼフがされたように、嫉妬によって亡き者にされようとされた、されつつあるという事を福音側ではそれを私たちに示しています。

では第2点は、一体教会は私たちに、霊的にこのミサの中に入って、霊的に4つの絵を見せて、イエズス様の御受難、殉教者聖ヴィタリス、太祖聖ヨゼフ、そしてイエズス様の御受難の予告を見させて、一体これがどうして救いの役立つのか、という事を教えようとしています。何故かというと、これらは1つのものであるからです。

何故かというと、聖ヴィタリスの生涯と殉教と、聖ヨゼフの生涯が似ていると同じように、実は太祖ヨゼフは、この穴に捨てられたが為に、実はお金で売られてエジプトの商人に売られて、そしてその為にその売られたが為にこそ、エジプトの宰相となる事ができて、そしてエジプトの国を救うのみならず、エジプトの国に食料を求めて来た自分のお父さん家族たちさえも救う事ができたのです。

実は悪意で亡き者にしようとしたその事が、実は救いのもとになった、全て天主の御摂理のもとに働いていて、御摂理のもとでそれは救いのもととなった、という事がイエズス様の御受難にも全く当てはまる、という事を教えようとしているからです。

たとえ悪意によってイエズス様が御受難を受けようとも、そしてイエズス様が全く罪がないにもかかわらず死刑を受けようとも、御受難を受けようとも、それは全て天主の計画の下にあった、それは私たちの救いの元であった、という事です。

では最後に、私たちはどのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか?

1つは、私たちの主は、その苦しみを喜んで受けられるという事です。逃げる事もできたし、それを避ける事もできたけれども、私たちの救いの為に、天主聖父から与えられるその御摂理のままの苦難を全て受けた、私たちの救いの為に受けた、という事です。たとえイエズス様が私たちの為に、私たちを憐れんで赦して下さる、罪を赦して下さる、私たちを抱擁して下さる、私たちの為に近づいて、「さぁ、罪の赦しを与えよう」として下さる、しかしその裏にはこれほどの苦しみが、苦しみを受けるほどの愛があったのだ、という事を私たちがよく知らなければなりません。

それと同時に、イエズス様がその愛を以て、どんな苦しみでも私たちの為に甘受して、私たちに近寄って下さり、私たちを赦そうとして下さる、だからと言って私たちは、「だから何でもして良いのだ」ではなくて、そのイエズス様の愛の大きさが大きければ大きいほど、私たちはますますイエズス様に愛を以て感謝しなければなりません。

もう1つは、私たちはイエズス様の十字架の、イエズス様の苦難を増やす元とたびたびなっていたのではないか、という事です。私たちはイエズス様の苦しみをより少なくさせるというよりは、却ってイエズス様の聖心に反対するような事を、イエズス様の御望みではないような事を、或いはイエズス様に反するような事を、イエズス様を苦しませるような事を敢えて、或いはしばしばやっていたのではないか、イエズス様を殺そうと企んでいたのではないか、私たちの心から取り外して「穴に突き落してしまえ。イエズス・キリストが無ければいい、亡き者にしよう」と計っていたのではないか、罪を犯す事をしていたのではないか、という事です。

私たちはともすると、非常に弱く、非常に矛盾に満ちた、「こうでありたい」と思いながらも、弱い私たちです。イエズス様の御憐れみと、マリア様の御助けによって、私たちがイエズス様をもうこれ以上悲しませる事がないように、私たちがイエズス様の死を望む事がないように、むしろイエズス様を慰める方に回る事ができますように、このミサを捧げていきましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
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聖ピオ十世会日本の第十一回公式秋田巡礼の意向(その2) 2017年5月3日~5日

2017年03月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今から100年前の1917年6月13日、聖母マリアはファチマでこう言われています。

「イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます。この信心を実行する人に私は救いを約束します。これらの人々の霊魂は天主の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、天主にとって愛おしい者となるでしょう。」

その一ヶ月後、7月13日、聖母はファティマでこうも言われました。

「あなたがたはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。

しかし、人々が天主に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。(…)天主は戦争、飢饉、教会と教皇への迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。

このこと(戦争、飢饉、教会と教皇への迫害)を避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。

もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。

もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、多くの民族が絶滅するでしょう。」

シスター・ルチアは、1943年5月27日にグルサの司教に聖母の汚れなき御心への信心についてこう書いています。

「イエズスとマリアの聖心はこの崇敬を望み愛しておられます。何故なら二つの聖心はこの崇敬を自分たちへと霊魂を引き寄せるために使われるからです。御心の全ての望みは正に、霊魂を救うこと、多くの霊魂、全ての霊魂を救うこと、これです。
私たちの主は数日前に私にこう仰いました。『私は聖母の汚れなき御心への崇敬と信心とが広がるのを極めて熱烈に望んでいる。何故ならこの汚れなき御心は霊魂たちを私に引き寄せる愛する心であり、私の光と私の愛の光線を地上に照らし出すかまど、私の憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉であるからだ』と。」

さて日本で大東亜戦争が広島・長崎の大いなる犠牲をもって終局を迎えたのが、1945年8月15日。日本の司教団は一致して「聖母の汚れなき聖心に日本を捧げる」ことを決議し、信者たちにも聖母の汚れなき御心への信心がすすめました。

しかし、その30年後の1975年1月4日、天使はシスター笹川に「聖母の汚れなき御心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」と伝えました。

その後40年が経ちましたが、聖母の汚れなき御心への信心は日本ではどうなっているでしょうか?

日本に住む霊魂たちを救うために、天主は聖母の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。しかも、日本は既に聖母の汚れなき御心に奉献されているにもかかわらず、この信心は重んじられていません。

ファチマ100周年こそ、この聖母の汚れなき御心への信心をもり立てる良き機会です。その信心の大切さを理解するためにも、愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。

聖母の汚れなき御心は、霊魂たちをイエズスに引き寄せる愛する心であり、イエズスの光と愛との光線を地上に照らし出すかまど、イエズスの憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉です。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【参考資料】秋田の聖母のメッセージ

第一のメッセージ 1973年7月6日(初金曜日)
「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう」
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ」

第二のメッセージ  1973年8月3日(初金曜日)
 「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
 これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
 世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
 おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。
おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
 祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。聖体奉仕会の祈りを心して祈り、実践して、贖罪のために捧げてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。
 在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください」
 (ちょっと間をおいて)
「あなたが心の中で思っていることは、まことか?まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」

第3のメッセージ 1973年10月13日(土曜日)
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
(少し間をおいて)
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから」
「まだ何か聞きたいですか。あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからはあなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」
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ロザリオの十字軍)2017年3月20日現在、日本からロザリオ11,097環、犠牲44,509回が報告されました。

2017年03月25日 | ロザリオの十字軍
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年 3月 20日現在、

日本から今までの総計で、ロザリオ11,097環、犠牲 44,509回が報告されております。天主様に感謝!愛する兄弟姉妹の皆様のご協力に感謝します。

マニラからは、ロザリオ152,631環、犠牲41,071回が報告されています。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
ロザリオの十字軍のご報告

小野田神父様、こんにちは、
ロザリオの十字軍のご報告です。

1月1日~1月31日
ロザリオの祈り 58環
犠牲 31

2月1日~2月28日
ロザリオの祈り 59環
犠牲 28

犠牲をお捧げすることを学び、覚えさせていただくことはとても幸せです。
憐れみ深き天主様に感謝いたします。

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様、

ロザリオの十字軍のご報告をさせていただきます。

2016年2月5日~2017年3月20日(日本時間18:00) 23環 でした。

家族のためにお祈りください。

小野田神父様の天主様の祝福が豊かにありますように!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!!♪♪

聖なるロザリオ 3環 犠牲10回 

宜しく御願い致します。

デオ・グラチアス!!!♪♪♪



【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

2月のロザリオ十字軍のご報告をさせていただきます。

6人で
ロザリオ:279環
犠牲:529回
お捧げいたしました。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2月のロザリオ十字軍のご報告をさせていただきます。

  ロザリオ    71  環
  犠牲      501 回

四旬節に入りました。おかげさまで無事に灰の水曜日の大小斎の義務もお捧げすることができたと思います。3月はロザリオと犠牲も ファチマの百周年と四旬節と合わさり、特にマリア様の汚れなき御心の中に深く入るように努め、自分の罪と忘恩を償い、お悲しみとお苦しみのマリア様の御心を少しでもお慰めできますよう お捧げしたいと思います。(十字架の道行は 最近しておりませんでしたが、四旬節は十字架の道行も捧げしたく思いますが・・・。)いつもご指導をありがとうございます。 

デオ・グラチアス!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!!♪♪

では、2月分の聖なるロザリオの十字軍の!!♪♪御報告を致します♪

                    聖なるロザリオ   犠牲
シスター                84 環          
ヨゼフ マリア             54 環          0 回
アンナ                 28 環        197 回
マリア                 24 環        560 回
マリア                 28 環        280 回
バルナバ                80 環        200 回
アリア・ローザ             99 環        364 回
ヨゼフ・パウロ             84 環              
マリア                109 環        502 回
マリア                 84 環        168 回
マリア                 84 環        420 回
           計       758 環       2691 回 
以上です♪ 
宜しく御願い致します♪
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聖ピオ十世会日本の第十一回公式秋田巡礼の意向 2017年5月3日~5日

2017年03月24日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

聖ピオ十世会日本は、毎年も、恒例の公式秋田巡礼を5月3日から5日まで行います。今回で十一回目ですが、今年はファチマ百周年をふさわしく祝うという意向で、多くの兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。

今年は一月から、アメリカとヨーロッパで、また日本でも、遠藤周作の「沈黙」の映画化として、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙─サイレンス─」が公開されましたが、史実によれば、400年前、拷問を受けたフェレイラ神父が弱さによって背教したとき、多くの同僚やカトリック信徒の方々が祈りと犠牲を捧げてその償いを果たそうとしました。

100年前のファチマのメッセージも、償いの要求でした。まず、天使が送られてこう言います。「あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを天主に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して天主に捧げなさい。あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう。私はあなたがたの国の守護の天使、ポルトガルの天使です。特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい。」

天使は子供たちに償いの聖体拝領をさせてこうも言います。「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」

ファチマの聖母も同じことを子供たちに願います。
「あなたたちは、天主に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなた自身を天主に捧げ、天主があなたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか?」(1917年5月13日)

「罪人たちのために犠牲をしなさい。たくさんこう言いなさい。特に何か犠牲をするときにこう言いなさい。“イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”、と。」(1917年7月13日)

「ロザリオの聖母を崇敬するために、世界が平和を得、戦争の終わりを勝ち取るためにロザリオを毎日唱え続けることを望みます。なぜなら、そのお方(ロザリオの聖母)だけがあなたたちを助けることが出来るからです。」(1917年7月13日)


さて、カトリック教会は、第二バチカン公会議以後、肉体的な拷問のない沈黙の背教に直面しています。多くの司祭、修道者が聖職を放棄してしまうのを目撃しました。御聖体に対する尊敬と礼拝とがますます失われているのを見ています。最近では、婚姻に関する教義に関して、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するのを見ています。フェレイラ神父の転びの償いのために、聖フランシスコ・ザベリオがマストリッリ神父に送られたように、教会内にある、沈黙の背教を償うために、ファチマの聖母が私たちに祈りと償いを呼びかけています。

秋田の聖母も、同じ内容をこだまさせて特に日本の私たちに響かせています。

「人々の償いのために祈ってください。(…)教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。」 (1973年7月6日)

「世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。(…)貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。(…)在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください。」 (1973年8月3日)

「毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。(…)悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから(…)ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」 (1973年10月13日)

時は来ました。日本のために、カトリック教会のために、荒らされた祭壇や教会の復興のために、祈りと贖罪の業に励むために、私たちの祈りと犠牲を、この巡礼を通して御捧げいたしましょう。

愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にお招きいたします。

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【参考資料】秋田の聖母のメッセージ

第一のメッセージ 1973年7月6日(初金曜日)

「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう」
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ」

第二のメッセージ  1973年8月3日(初金曜日)
「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。
おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。聖体奉仕会の祈りを心して祈り、実践して、贖罪のために捧げてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。
在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください」
(ちょっと間をおいて)
「あなたが心の中で思っていることは、まことか?まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」

第3のメッセージ 1973年10月13日(土曜日)
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
(少し間をおいて)
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから」
「まだ何か聞きたいですか。あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからはあなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」
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2017年3月17-21日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年03月23日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

3月17日、18日には大阪で、
3月19日、20日には東京で、
さらに3月20日聖ヨゼフの祝日に大阪でもう一度、ミサ聖祭を捧げました。
大変幸福でした!

3月19日には42名の方々が、20日には12名の方々が、東京でミサ聖祭に与り、
3月20日には15名の方々が大阪でミサ聖祭に与りました。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御ミサの報告をお送りいたします。
小野田神父様におかれましては、マニラと日本、大阪と東京を行ったり来たりと大変お疲れだったと思います。
全てを天主様へ犠牲としてお捧しておられるお姿に、私もならって参りたいと思います。
とは言えどうぞ少しはご自愛下さい。(ペトロが、イエズス様の御受難について、”そんなことがおこりませんように!”といって、”サタン退け”とイエズス様に叱られた件がありますので、ちょっと自粛ぎみです(/ω\)


3月17日(四旬節第二週の金曜のミサ)10名

教会が指定する今日の指定巡礼聖堂のローマの聖ヴィタリス聖堂です。
これまで毎日のミサ典書に書かれている指定巡礼聖堂の意味がよくわかりませんでしたが、その日の典礼と指定巡礼聖堂とは密接な関係がある事がわかってきました。
ローマの迫害時代に、聖ヴィタリスは殉教者たちの遺体を葬っていたため捕えられ、穴に落とされて石殺しにされてしまいました。
その聖ヴィタリス聖堂には十字架を担うイエズス様、穴に落とされたヴィタリスの絵があるそうです。

この日のミサは、十字架のイエズス様と、聖ヴィタリスと、兄弟たちの妬みによって井戸に落とされる旧約のヨゼフ、福音との四枚の絵を通して教会は、天主の御摂理として与えられる苦難が私たちの救霊に役立つという事を教えているそうです。

私たちが罪の赦しを受けて、救霊の恵みを頂けるのは、天主であるイエズス様の大きな御受難のおかげである事を私たちは忘れてしまって、感謝するかわりにイエズス様に反対し、悲しませ、殺そうとしたのではないでか?穴に突き落としたのではないか?とお説教の中で神父様に問いかけられた時には心がグッと苦しくなりました。
イエズス様の愛が大きければ大きいほど、御恵みを当たり前に感じるのではなく、出来る限りの感謝を行動であらわす必要があるのに、当たり前のように、沢山の御恵みを受け、感謝もそこそこに都合のいいお願い事ばかりしている自分を非情に感じました。
御恵みの後ろに、その御恵みが大きければ大きいほどイエズス様の大きな御苦しみがある事を肝に銘じました。


3月18日(四旬節第二週の土曜のミサ)14名

今日のお説教は最近の中で私が最も感動したお説教の一つでした。
今日の指定巡礼聖堂は、兄弟殉教者聖マルチェリノと聖ペトロの聖堂です。書簡も、聖福音も兄弟に関する話がでてきます。
書簡は、母レベッカの計らいにより、次男のヤコブが、兄になりすまして天の祝福を受ける有名な話です。何の権利もない未熟な次男のヤコブでしたが、母の勧めによって兄に変わって天からの祝福、つまり超自然的恩恵を受けることができました。これは天主の御摂理以外の何物でもなく、私を含めてカトリックの信仰を持つ人々は自身には何の価値も持たないけれども、特別の天主様からの選びによって天主の子となる権利を持ったという事は全くその通りだと思います。この度は話にでませんでしたが、レベッカがマリア様の前兆として書かれていることにも疑いをもちません。
聖福音の放蕩息子の話ではいたく感動してしまいました。
罪を犯して父を離れた放蕩息子を、待っているだけでなく飛んできて抱きしめて接吻して大歓迎して宴会まで開いた事に自分の改心と天主様の愛を重ねてしまったからです。
書簡での「選み」は、洗礼志願者に向けて、
聖福音の「憐み」は公式の罪人(痛悔者)に向けて、語られていると知って、典礼の深さと教会の配慮に関心しました。
自分と同様、日本の多くの放蕩息子が、天主様の憐れみを受けて、選びを受けることが出来るようにとミサを通してお祈りいたしました。


3月20日(聖ヨゼフの祝日)15名

今年も、聖ヨゼフ様の祝日の御ミサに与る事ができてとても幸せでした。
天主様の御摂理に感謝いたします。
お説教では昇階唱でいう聖ヨゼフ様に与えらた冠、栄光とは何かを黙想しました。
天主の御子の養父、天主の御母の浄配という特別の使命を与えられたヨゼフ様には、それにふさわしい恵みを与えられているし、聖ヨゼフ以上に多くの恵みを受けた人は御子と聖母を除いて他にはいません。全ての聖人に勝って多くの恵みを受けたことこれこそが聖ヨゼフの冠でした。
聖ヨゼフ様の生涯を振り返ると多くの苦しみがあり、その苦しみの後に栄光と喜びがあるのだとわかります。
現代、御聖体に対する危機を助けて頂きたいなら、エジプトのファラオが飢饉のときに「ヨゼフへ行け」といったように、イエズス様(御聖体)の生命を救われたヨゼフ様の所に行くのが得策だといえます。
ヨゼフ様はその生涯をイエズス様とマリア様への奉仕のために使われた方ですので、ヨゼフ様のお助けよって私たちもイエズス様とマリア様によくお仕え出来るようになりますようにお祈りします。

公教要理は福音史家シリーズパート4「福音史家ルカ」についてでした。
ルカについてわかっていること。
⑴生まれはアンティオキアらしい
⑵ユダヤ人ではない(割礼を受けていないので)
⑶イエズス様に直接合っていない
⑷医者であったらしい(書き出しが医学書ディオスコリデスとそっくり。医学専門用語を使用)
⑸パウロと仲が良かった

ルカ福音書の特長
●黙示録に出てくる四つの獣の「牛」はルカ福音書。(牛を捧げていたザカリアが巻頭に出てくるから)
●順序良く、正確な史実を書いている
●文体は洗練されており文学的で、細かい描写が多い
●洗練されたギリシャ語で書かれた
●主に異邦人のために書いた。その為、マテオの記録中の異邦人を非難している箇所は省いている
●パウロに大きな影響を受けている




【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

金曜日は御ミサ、そして十字架の道行きや終課をありがとうございました!!
5月のミッションなどは残念ですが、その分今年の四旬節にたくさん日本で御ミサが捧げられる事になってとても嬉しいです!

小野田神父様が仰って下さったので、マルコ様がユダヤの言葉や習慣を知らない人々のために福音を書いていると思える、説明が付いている部分を他にも探してみました(*´艸`*)

「イエズスはその人を群衆の中から連れ出し、その耳に指を入れ、またその舌に触れ、天を仰いで吐息をつき、『エファタ』と言われると、ーそれは開けよという意味であるー」

「そのとき一人の貧しいやもめが来て二レプタを投げ入れた。それはアサリオン貨の四分の一にあたる。」

「種なしパンの祭りの最初の日ーそれは過越の子羊をほふる日であるー」

これらもそれに当てはまりますでしょうか?

デオ・グラチアス!

【お返事】
すごい! 聖マルコらしい、ユダヤ言葉や習慣を説明して言い換えているところを良く見つけましたね!うれしく思います!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

昨日、一昨日と聖ヨゼフ様の大祝日の御ミサ、終課、朝ミサなど本当にありがとうございました!!
今年は聖ヨゼフ様の祝日の御ミサが東京であって、東京はすごい御恵みだなぁと思っていたのですが、小野田神父様がとても大きなボーナス御ミサを加えて下さり、仕事も聖ヨゼフ様の御取り次ぎでうまく都合をつける事ができ、大変な御恵みを頂くことができました!デオ・グラチアス!
小野田神父様は大阪→東京→大阪と大変ハードなスケジュールだったと思います。私たち日本信者の為にいつも本当にありがとうございます!m(_ _)m

この御恵みによって、日本に、これほどまで隠れた偉大な聖人である聖ヨゼフ様への讃美と感謝と崇敬がますます広まりますように!そしてその為に聖ヨゼフの小さき信心会がますます発展しますように!
去年は、この聖ヨゼフ様の祝日に大阪の聖母の汚れなき御心教会の建物を準備して下さいましたので、聖ヨゼフ様に感謝と、そして今年は更に日本に司祭の常駐の御恵みをお取次ぎをお願い致しました(*^_^*)エヘヘ

日本でますます聖ヨゼフ様の御名が尊まれますように!
聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え!

イエズス様の御憐れみと、マリア様の御助けによって、私たちがイエズス様をもうこれ以上悲しませる事がないように、私たちがイエズス様の死を望む事がないように、罪の本当の恐ろしさを理解することができますように、そしてむしろイエズス様をお慰めする方に回る事ができますように。

デオ・グラチアス!



【報告】
+Ave Maria! Immaculata!

日本でのミッションをありがとうございました。特に3/20の聖ヨゼフ様の大祝日には、東京と大阪で御ミサをお捧げくださいました。
大阪へのリターンミッションは、どれほど神父様を疲れさせる犠牲となるにもかかわらず!
天主様に感謝!インマクラータに感謝!聖ヨゼフ様に感謝!
小野田神父様に感謝申し上げます!

所感をご報告申し上げます。

【所感】
四旬節第二週の土曜日は、書簡は創世記27章の「ヤコブとエザウ」について。聖福音はルカ15章の「放蕩息子のたとえ」でした。
小野田神父様は、今日の書簡と聖福音は「選み」と「憐れみ」についてであるとおっしゃいました。
ヤコブは母レベッカの言うとおりにしたので、父イザアクから祝福をもらいます。私はこの箇所が大好きです。
最初、この27章を読んだときには、レベッカの言うとおりにして、ヤコブがイザアクを騙すことになったのに、エザウが気の毒だし、いったいどんな意味があるのかわかりませんでしたが、その疑問は小野田神父様がこれまでのお説教で解決してくださいました。
父イザアクは天主聖父で、レベッカは聖母マリア様、前半のエザウはイエズス様、ヤコブは私たちを表している。世継ぎの権利を持たなかったヤコブ(私たち人間)は、レベッカの言うとおりに実行することで、世継ぎとなることができること。
レベッカは「2頭の山羊を持っておいで。私がお父さんのために、お好きな料理を作ってあげよう。」と言います。この2頭の山羊は私たちの霊魂と身体を表すこと。
マリア様に私たちの霊魂も身体もお捧げすると、聖父のお気に召すように美しく整えてくださるということ。
レベッカはエザウの一番良い服をもってきてヤコブに着せ、エザウの毛深さを模すために、毛皮をヤコブの首と手に巻いた。毛は徳を表しており、エザウ(聖子イエズス)は毛深く、つまり徳に満ちている。その毛=徳をまとうことで、イザアク(聖父)はエザウ(聖子イエズス)だと思ってくださるということ。
服の匂いを嗅いで、「ああ、これは私の愛する聖子の匂いだ」と罪人の私たちを抱擁してくださるのだと。
聖父は「声はヤコブ(=私たち罪人)だが、手はエザウ(聖子イエズス)だし、服の匂いもエザウ(聖子イエズス)だ」と言って、祝福を与えられるということ。
私たちは、イエズス様の徳をまとい、服を着て、マリア様に霊魂と身体を捧げて、聖父のお気に召すようにしていただくことで、聖父に救霊の祝福を、天国の世継ぎを与えられるということ。後半のエザウが遅れて、イザアクの前に行くところは、エザウは約束の民であったユダヤ人を表し、ヤコブは新約の救霊を約束された全ての人を表していることなどでした。
今回のお説教で、民族や長子権は救霊予定の理由にはならないこと。御摂理は異邦人をも罪人をも救うことを望まれている。「選み」はまさに御摂理であって、神秘であると理解できました。

これは↓、家族が黙想したことなのですが・・・
レベッカが「子よ、その呪いは私が引き受けよう」と言ったのは、マリア様が贖いの共贖者として苦しまれることの前表では無いか?と。
イエズス様が罪が無いにもかかわらず、罪そのもののごとくに罰せられたように見え、あたかも天主の呪いを受けたかに思えるほどだったからだと。(^_^;)

「放蕩息子」のたとえは、ルカによる福音の特徴である「天主の憐れみ」をまさに表しています。
聖福音をラテン語で朗読なさっている時に、日本語を読んでいて、涙が溢れ出ました(^_^;)
小野田神父様の聖書の公教要理で、四福音史家のそれぞれの特徴、違いなどを教えていただいたので、「ああ、今日のマテオの聖福音のこの箇所は、まさにマテオがユダヤ人に向けて書いたと良くわかる!」などと理解が広がり、また深くなりました!
この「たとえ」では、聖父は放蕩息子である私たち罪人が帰ってくるのを待っておられて、まだ遠くにいるのを見つけて、憐れみ、走っていってその首を抱いて接吻してくださる。
服はしばしば天国にふさわしい徳を表していて(煉獄の霊魂、地獄の霊魂はしばしば裸で描かれている)、指輪は世継ぎとしての相続を表し、靴は奴隷でないことの証し(罪の奴隷からの解放)を表していると、これまでのお説教で教えてくださいました。
「肥えた子牛を屠る」とは御聖体を表していると、今回のお説教でお話くださり、ああ!そうだったのか!と思いました。
放蕩息子は自分の行いを心から痛悔し、「雇い人のひとりにしてください」と言おう思って、謙遜にへりくだったから、聖父は走ってきて赦してくださったのだと思います。
イエズス様の十字架の右の善き盗賊も、自分の罪を心から痛悔し、イエズス様が天主として認め、「イエズス様が天国に入られる時に、自分のことを思い出してください」と
謙遜に願ったために、イエズス様は天国をお与えになりました。謙遜はどんなに重要なことかと思います。
自分を放蕩息子であると思い、放蕩息子のように、自分の罪を深く、心から痛悔し、謙遜にへりくだる御恵みをマリア様に御取り次ぎを願います。

童貞マリアの浄配なる聖ヨゼフの大祝日には、四旬節でありながら、カズラも祭壇も白、お花も飾られました。キリアーレも2番で、グロリアも歌い、クレドも歌いました。
この日の神父様のお説教で、さらに聖ヨゼフ様の御力のすごさを教えていただきました。
聖ヨゼフ様のこの地上での謙遜、天主の聖旨への完全なる従順、イエズス様とマリア様への愛は計り知れず、いま天上で聖ヨゼフ様に与えれらている栄光も計り知れないのだなあと思いました。
旧約のヨゼフは貞潔を守り、エジプトのファラオに仕え、新約のヨゼフは童貞マリアの証人となり、天主、王の王であるイエズス様に忠実に仕えた。
旧約のヨゼフは夢の神秘を解いたが、新約のヨゼフは天主の神秘に参与し、深く入り、その神秘を生きた。
旧約のヨゼフは穀物を蓄えたが、新約のヨゼフは生ける天のパンである幼きイエズス様を私たちのために守った。
旧約のエジプトの民はどこを探しても穀物を見つけることができなかったのに、ヨゼフの倉には穀物が豊かに蓄えられていた。
現代の私たちは、どこを探しても「御聖体」「マリア様への信心」を見つけることができないが、聖ヨゼフ様こそ、その宝庫に「御聖体に対する愛」を、「マリア様に対する愛」を持っておられる。だから "Ite ad Joseph" 「聖ヨゼフのところへ行け」なのだと。

ファチマの最後の御出現10/13の太陽の奇蹟の日に、ファチマのマリア様は幼きイエズス様をおだきになった聖ヨゼフをお連れくださいました。
ファチマ100周年の今年、シュテーリン神父様は「秋田でマリア様がお待ちです。」とメッセージをくださいました。
ファチマでもマリア様が、そして聖ヨゼフ様がお待ちだと思います。
ファチマのまことの使徒として生きるために、その聖寵をいただくために、ファチマ巡礼の御恵みを願います。

3/21(火)の四旬節第三週の火曜日の御ミサの書簡は列王記下4章でした。
「増え続ける一びんの油は、天主の憐れみ、赦しは無限であることの前表である」と、聖福音の後に、一言だけのお説教をしてくださいました。
読誦ミサに与る少ない信徒への慈父のお心、本当にもったいなく、ありがたく存じます。

日本、フィリピン、韓国・・・
休む間もなく、各国の小羊たちなる信徒たちに聖なる御ミサを与えるために、霊魂の救霊のためだけに、
ご自分の身体に鞭打って、多大なる犠牲とともにミッションをしてくださる小野田神父様を、どうぞお護りくださいますように。どうぞお助けくださいますように。
インマクラータ、聖ヨゼフ様に懇願いたします。

聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
ファチマの聖母、ロザリオの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様

小野田神父様に福音史家聖ルカの講話をしていただき、わかったこと、もっと知りたかったことを簡単ですが、まとめてみました。

(わかったこと)

いつもとても貴重な講話ありがとうございます!

今回、聖マタイ、聖マルコに続いて、聖ルカの人となり、その福音書の特徴について、聖マタイ、聖マルコとの比較を通して、お教えいただきました。
私はこれまでマタイ福音書、マルコ福音書そしてルカ福音書は共観福音書ということで、この3福音書については共通する記述が多く、似たような表現があるというくらいの認識しかありませんでしたが、実はその3人の福音史家の出自、職業、執筆対象など3者3様であり、そのあたりを理解して読むとさらに深い読み方ができるということがわかりました。

聖マタイは12使徒のひとりでイエズス様にも実際に仕えられたユダヤ人の取税人ということであり、内容が旧約聖書で語られていることが成就されたという記述が他の福音書に比して多く、パレスティナのユダヤ人の宣教を想定した福音書といえるということでした。

また、聖マルコはイエズス様にはお会いになることのなかった異邦人というこどで、聖ペトロの御説教の影響が強くみられ、一方、その特徴として奇跡譚が最も多く、ローマでの布教を意識したものということでした。個人的な印象として最も読みやすいとの印象が昔からありましたが、私も異邦人のひとりであり、そういうものとして理解することができました。

そして、今回の聖ルカですが、アンティオキアに長く住んでいた非ユダヤ人のお医者さんということであり、ユダヤ人のことを「彼ら」とか「あなたたち」というように自らユダヤ人ではないということをほのめかす距離を置いた描写からもそれは見受けられるということでした。
また、福音史家の職業が聖書の御言葉に反映されているのも興味深いと思いました。
具体的には、救いは異邦人にも及ぶという教えを、聖ルカは「自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。」(ルカ6:32)と記述しておりますが、一方、おそらく同じ箇所を取税人の聖マタイの記述によると「自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。」(マタイ5:46)とされ、あえて、自らの職業を聖マタイは引き合いに出しています。聖マタイは12使徒の弟子だったということですので、イエズス様が敢えて取税人という言葉をお使いになられた可能性は高いですが、聖ルカはそれでも罪人と言い換えているところに
同じ教えであっても自らの出自や職業が反映されているかもしれないということに興味を惹かれました。

一方、ユダヤ人たる聖マタイの選民思想が見え隠れする記述もマタイ10;5、同15:21~15:28にあり、出自というものは軽視できないと思いました。
同じような内容を敢えて出自や職業の違う福音史家に述べさせた天主様の配慮は私たちの想像をはるかに超えたものでありますが、その一端を垣間見た思いです。
これから福音書を拝読するのがさらに楽しみになりました。

(もっと知りたかったこと)
小野田神父様のお話はこのあと聖ヨハネと続きますので、どういう展開になるか、楽しみです。

小野田神父様の公教要理はいつも念を入れてご準備しておられ、お忙しい中、感謝以外の何もありません。

改めて御礼申し上げます!

デオ・グラシアス!



【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様

四旬節第3主日の御ミサをありがとうございました。

四旬節第3主日では 「より強いものがやってくるならば かれはその  武器をすべて取って  戦利品を配るだろう。」について、お話しいただきました。
四旬節第1主日では 悪魔から誘惑を受けてそれを追い払うお話しでしたが、今回は 舞い戻ってくる七倍もの数の悪魔に対して ”より強いものがやって来る それはわたしだ”ということで、「イエズスが悪魔に対して攻撃する話」でした。イエズス様は 悪魔よりも強い!ということが 心に刻まれました。

その日 朝、イエズス様は 霊魂の城の主はわたしであると仰せられたように感じました。どうしてそのことを特に思い出させてくださったのかわからなかったのですが、御ミサに与って納得しました。お説教を拝聴して、悪魔がやってきて 空いている隙間に入り込もうとするが、霊魂の城の主はわたしだから わたしは悪魔より強い最強のものであるから、それをいつも忘れるな 悪魔に侵入されるな ということかなと 結びつきました。悪魔から誘惑を受けても それを追い払ってくださるのは 悪魔より強いイエズス様なのだということに 気づかされました。この心の中へ、悲しみ 苦悩 妬み そねみ 疑い 憂うつ この世の煩い など諸々の感情や思考が群れを成して押し寄せようとするのを防ぐことのできるのは ただただ 霊魂の実権を握っておられるイエズス様だけだということを思います。しょっちゅう挫けてしまう私は、常にイエズス様は悪魔よりも強い!とイエズス様だけに目を向けたいと思います。聖書のイエズス様の御言葉の 力強さに打たれます。

御ミサの間 ”ずっと 私たちの目はつねにずっと主に向けられている あわれみを受けるまでずっと主の方に目を向けられている、これからは 光の子として歩め”、と歌われていました。
”すずめは住まいを見出し、山鳩は、その雛を入れる巣を見つける。万軍の主、わが神、我が主よ、私のためには御身の祭壇がある。主の家に住む者は幸せである”(聖体拝領誦) と、感謝をお捧げしました。

そして、神父様がお話しくださったように、フェレイラ神父さまのためにたくさんの祈りと犠牲が捧げられたことを思い出し ファチマのマリア様が「誰も彼らの罪の代わりに償う人がいないが祈りと犠牲を捧げるものがあれば彼らの多くの霊魂は天国に行く 地上には平和がきて カトリック教会には栄光が与えられる」と 仰られたことを思い出して、自分こそ罪人であることに変わりなくとも 自身の足りない分はどなたかの祈りや犠牲によって救われるに違いないとも思いながら、それでも 私も 必要としてる人たちのためにこの祈りと犠牲がお使いただけますようにと、この後も出来る限りのこと 努めたいと思います。

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公教要理は 今日の聖福音の箇所にもあった聖ルカ福音記者のお話しでした。

聖ルカは アンティオキアの医者であり、非ユダヤ教徒から回心した人、肉で主と会っていない、聖パウロとともにずっと行動をともしていた弟子であり、救いは異邦人にも及んでいることや天主の憐れみの大きさをよく伝えてくださっていることなどが、特徴として挙げられる ということがわかりました。以下 「わかったこと」を列挙してみます。(まとまりなくてすみません)

聖ルカ福音書は 聖マテオ福音書・聖マルコ福音書の後に書き、使徒行録を書き終わる前(62年よりも前)に書いたもの。

聖ルカの福音書の中にだけあるエンマウスへの道すがら主と出会う二人の弟子のうちクレオパという名前は出てくるが、もう一人の名前が出てきていないので、聖ルカがこのもう一人の弟子ではないか、という人もいる。(聖エピファノや大聖グレゴリアなど)。

キリスト教徒は 最初「ナザレト派」と呼ばれていた。この聖ルカのアンティオキアにて 初めてクリスチャンと呼ばれるようになる。

聖ルカはアンティオキアで洗礼を受けて トロアで聖パウロと出会い、フィリピに 6年間留まり、聖パウロとともにローマにも行き、聖パウロの殉教まで最後までずっと行動をともにしていたが、聖ルカ自身の最期に関しては情報が足りなくて分かっていない。聖ルカの最後の晩餐の描写は聖パウロの描写に似ていて 同じ単語175語が共通している。

聖ルカ福音書の書き出しは、当時の医学書の「ディオスコリデス Dioscorides」(De Materia Medica) の書き出しとそっくりである。「尊いテオフィロ様」という書き出しの真似ができるのは医者だろう。聖ルカ福音書と使徒行録はこの医学書を真似て書かれている。そして 病気についての描写が詳しく書かれている。医者ならではの関心があった。病気を知り 医者ゆえの病名の違いも書かれていて、人間の心理の描写もすごい(放蕩息子の話など)。ギリシャ語の使い方もうまくて、完璧で、確かに教養のある医者の書いたものらしい。

なお、「尊きテオフィロよ!」のテオフィロとは誰なのか?には二説あり、聖アンプロジオやオリゲネスなどにより テオフィロとは天主を愛するものという意味の言葉で文学的虚構とする一方で、現代の学者達のなかには実在の人物と捉える人もいる。

また聖パウロが強調したことは「救いというのは異邦人にも及ぶ」というのであったが、その聖パウロの弟子らしく聖ルカは異邦人が救われるということについてよく書いている。(御復活の後のイエズスの関心は「救いは異邦人にも及ぶ」ということ。これは ユダヤ人が救い主を受け入れなかった事実のゆえかなと。)

救いが異邦人にも及ぶものだということを強調していることを よく表していることの一つに、系図の挿入があり、聖ルカはイエズスから遡ってアダムまでを書いている。聖マタイはアブラハムの子からイエズスに至るまでの系図を順序立てて書くことにより、アブラハムの子孫のユダヤ人の血統のものが救い主イエズスによって救われるという旧約の予言が成就していることをあらわしている。聖ルカによっては アダムからでるすべてのものが救われる、つまりイエズス様は全人類の救い主だということがあらわされているともいえる。(この説明を伺って、これまで謎だった二つの聖福音書における系図の扱いが異なっていることの理由がよくわかりました。)

(聖マタイがユダヤ人のために福音書を書いたというのは「イエズス様ご自身が まず始めにユダヤ人を救うために来られた」という事実によるのだということ。聖マタイ福音書は、イエズス様の直接の弟子として イエズス様ご復活の後のごく初期に書かれた福音書として、その内容もユダヤ人を対象としたものである、という前回学んだことが、ここにきてようやく本当に納得できました。)

他にも 聖ルカが異邦人のために書いたということがよくわかることをたくさん説明していただきました。例えば マタイ10:5 「あなたたちは異邦人の所へ行ってはならない」を聖ルカは書いていない。マタイ15;24 でのカナンの女という異邦人の女を無視した描写も 聖ルカにない。

もう一つ聖パウロや聖ルカが強調していることは、主の憐れみの深さであること。天主様が私たちを赦したいと望まれていて、罪を赦すため無限の憐れみを持っているということがたくさん書かれている。一匹の羊を捜しに行き肩に乗せて戻ってくる話や 失くした一枚の金貨を徹底的に探す話や 放蕩息子の話など。

また、聖ルカは 聖マタイと同様に その著述の中で 自虐的表現(?)を使っている。聖マタイが 自分の職業である税吏ということを引き合いに出して天主の憐れみを強調するために用いたということを 前回教えていただきました(マタイ5:47)が、聖ルカも 「医者よ、まず自分自身を治せ」という表現を用いて書いている など。

尚 出席者からの「ユダヤ人はユダヤ教を何故布教しようとしなかったのか?」という質問に対して、ユダヤ教というのは救い主が来るという約束を実現させるということ、”来るべき救い主が来る” その方を待つというところにポイントがあった と教えていただきました。「当時ユダヤ教のみが真実の宗教であったが、救い主を待たねばならなかった」。

お話を伺い、共観福音書の書かれたそれぞれの背景や時間的経緯や相違について いろいろと見えてきたように思います。聖マタイ福音書は 直接イエズス様から三年半の間み教えを受けた聖マタイがユダヤ人のために旧約聖書からの引用を駆使して最初に書いたもの、聖マルコ福音書は 聖ペテロの弟子で通訳でもあった聖マルコが聖ペテロの代わりとして奇跡の話を数多く書いてローマの人達に向けて書いたもの、聖ルカ福音書は 聖パウロの弟子の聖ルカが医者としての教養を持って主の憐れみを強調して異邦人に向けて書いたもの、というふうに捉えてみました。次回も楽しみです。神父様 いつもありがとうございます。

デオ・グラチアス!
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