Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

私は御身を信じ、礼拝し、希望し、御身を愛します!御身を信じぬ人々、希望せず愛さぬ人々のために、赦しを求めます(天使の祈)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2017年 3月の聖伝のミサの予定

【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


聖ヨゼフの月です。聖ヨゼフの連祷をロザリオの後で付け加えましょう。
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え! (参考:聖ヨゼフに対するノベナ
意向:聖なる四旬節を過ごす
実践すべき徳:この地上の事々を軽んじ、天上のことを重んずる愛徳
守護の聖人:聖ヨゼフ

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2017年 3月の予定

【大阪】聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス
EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

    3月3日(初金) 四旬節の平日(3級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

    3月4日(初土) 四旬節の平日(3級)紫
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    3月12日(主) 四旬節第2主日(1級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

    3月13日(月) 四旬節の平日(3級)紫 
            午前6時半 ミサ聖祭

    3月17日(金) 四旬節の平日(3級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

    3月18日(土) 四旬節の平日(3級)紫
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    3月20日(月) 童貞聖マリアの浄配証聖者聖ヨゼフ(1級祝日)白  ←追加されました。
            午後3時半 ロザリオ及び告解
            午後4時 ミサ聖祭

    3月21日(火) 四旬節の平日(3級)紫 大修院長聖ベネディクトの記念 ←追加されました。
            午前6時 ミサ聖祭

    3月31日(金) 四旬節の平日(3級)紫
            午後5時半 ロザリオ及び告解
            午後6時 ミサ聖祭

     【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

    3月5日(主) 四旬節第1主日(1級)紫
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

    3月6日(月) 四旬節の平日(3級)紫
            午前7時 ミサ聖祭

    3月19日(主) 四旬節第3主日(1級)紫
            午前10時  ロザリオ及び告解
            午前10時半 ミサ聖祭

     3月20日(月) 童貞聖マリアの浄配証聖者聖ヨゼフ(1級祝日)白
            午前7時 ミサ聖祭

    
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

◎アジア管区では、これからロザリオの時に「主よ、われらに司祭を与え給え 云々」の最後に、次の呼祷を付け加えることになりました。宜しくお願い致します。

「主よ、我らに多くの聖なる家族を与え給え。」
"O Lord, grant us many holy families".

◎多くの祈りと犠牲を聖母の汚れなき御心への信心の実践として捧げて下さい。
【聖ピオ十世会 ロザリオの十字軍】
2016年8月15日~2017年8月22日
聖ピオ十世会 ロザリオの十字軍についてのお招き ←こちらをクリックしてください

 
============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

============

「私は、父の元に行こう。」

2017年03月30日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月18日(土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月18日(土) 四旬節の平日のミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年3月18日、四旬節第2主日の後の土曜日のミサをしております。今日この御ミサの後にはこの前の公教要理の続きで、今日は聖ルカについて、その生涯とその聖福音について黙想する事を提案します。

明後日の月曜日にも、聖ヨゼフの大祝日ですけれども、大阪で午後の16時からミサができるようになりました、どうぞいらして下さい。火曜日の朝には、朝の6時にミサがあるようになりました、どうぞいらして下さい。

ですから、残念ながら主日のミサは捧げる事ができませんが、しかし御聖体はそのまま火曜の朝まで残しておきますので、主日には10時30分からここでいつもの通り、お祈りの時には御聖体が在すという事で、どうぞ皆さんいらして下さい。

秋田の巡礼が5月の3・4・5日とあります。3日の朝のミサから始まります。どうぞ皆さんいらっしゃる事を招待致します。特に秋田のマリア様とファチマのマリア様は密接な関係がありますから、ファチマ100周年を祝う為にも是非、巡礼にいらっしゃる事を強くご招待致します。申し込みをされる方はどうぞいらして下さい。



「私は、父の元に行こう。」


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は四旬節の第2主日の後の土曜日で、兄弟の話が私たちの目の前に映りました。

そこで第1の点には、「指定巡礼教会」と、そして今日の「書簡」、そして「福音」の話を見て、

では私たちは一体、2017年の今私たちに一体何が、何のメッセージが伝えられているのか、その兄弟とは私たちにとって何なのか、という事を黙想して、

次に最後に、私たちが四旬節に取るべき遷善の決心を取る事に致しましょう。

会長がタイプを打って下さったこのミサのこの中には、解説に「兄弟の話が載っている」という事でうまくまとめられています。そこで、最初の兄弟の話をさせて下さい。

最初の兄弟は、指定巡礼教会の聖マルチェリーノと聖ぺトロです。この二人は本当に血の繋がった兄弟であったのかどうかはよく分からないのですけれども、しかし兄弟のようにこの二人は同じく、兄弟であるかのように同じく回心してキリスト教徒となって、そして同じく二人共揃って殉教しました。ちょうどその時代はディオクレチアノローマ皇帝の時代で、マルチェリーノは祓魔師でした。そして聖ぺトロは司祭になりました。しかし二人共同じく投獄されて、同じく拷問を受けて、同じく首を切られて、そして同じく殉教していきました。

その二人の殉教はとてもローマでは有名で、ローマの典文の中に二人の名前が載っています。これは死者の記念の時で、マルチェリーノとぺトロについて名前が載っています。今日この霊的に教会が私たちを、この二人の殉教者の聖人に私たちを運んで招いているというのは、私たちも「この兄弟に倣うように」との意向があるからです。この二人は特別に選ばれて、そしてカトリックの信仰の恵みを受けました。そして多くの中から特別に選ばれて、殉教の恵みも受けました。

そういうわけで今日書簡書の中では、二人の兄弟の中の選びを受けたヤコブの話が出ます。ヤコブとエザウの話は皆さんもよくご存知なのでここでは繰り返しませんが、弟のヤコブは長子権を持っていたエザウの代わりに父親から祝福を奪ってしまいます。お母さんの入れ知恵でこれを奪ってしまいますが、しかしこれは聖書によれば、天主様の特別の選びによってなされた事です、「天主は、エザウではなくヤコブを選んだ」と。

そしてその特別の愛を、選みを受けたのは、ヤコブだったという事です。若い弟の方が、権利としてはあまりないはずの弟が選ばれて、そして特別の祝福を受ける、天の祝福を受けるという事です。お兄さんに残ったのは地上の祝福でしかありませんでした。地は豊かであったり、この地上で豊かな生活ができる、それだけでした。しかしヤコブが受けたものは超自然の特別の御恵みでした。

聖福音でも今度は二人の兄弟の話が出ます。今度は弟とやはり兄さんですけれども、弟はお父さんの財産を半分貰って、それを罪の生活で使い果たしてしまいます。放蕩をして飲んだり食ったり、そして或いは女と遊んだりなどとしてすっからかんになって、そして豚の餌さえも食べたいが食べる事ができない、誰も与えてくれる者がいないという事で、お父さんの元に帰ろうとします。

この描写は非常に憐れみに富んだ描写です。罪の生活をして、せっかく豊かな父親に生まれたにもかかわらず、その全てを浪費して、罪で使い果たして、そしてすってんてんになってお父さんの元に帰って、「もう子供として呼ばれるにはふさわしくない。だから召し使いとして使ってもらいたい。でも父の元に居たい」と戻って来るのですけれども、このトボトボお父さんの元に「帰ろう」と、お父さんの元に「何と言おう」と、お父さんの元に「本当に悪い事をした」と思いながら帰って来ると、お父さんは遠くから見て、その息子の元に走って行って駆け寄って、抱きついて、接吻をして、「あぁ、息子よ!」とお父さんの方から声をかけたのでした。

すると息子は跪いて、「お父さん、私は天とあなたに対して罪を犯しました。もうあなたの子供などと言われる資格など全くありません。どうぞ使用人の一人として奴隷の一人として、どうぞ私を中に入れて下さい、どうぞ使って下さい。申し訳ありません」と言うと、お父さんはその言葉には何も言わずに召し使いに言って、「さぁ、この子に一番良い服を、最上の服を一番の服を持ってきなさい、そしてこの子に着せなさい。それからこの子に指輪をはめなさい。それから靴を履かせなさい。さぁ、一番肥えた牛を屠って宴会を開こう!」と言うのです。それでもう家をあげて総出で、召し使いも総出で、大宴会を開いて、「あぁ、よかったよかった!子供が帰って来た、弟さんが帰って来た!」と言って音楽を奏でて奏でて、もうそれはそれは喜ばしい大パーティーと大宴会を開いたのです。おいしい料理、おいしいごちそう、そしてきれいに飾ったその息子。

息子はそのお父さんのその憐れみにどれほど感動して感謝した事でしょうか。もうその資格が無いにもかかわらず、奴隷として戻ったつもりが、王の子供として、王子として迎え入れられたのですから。あれだけお父さんに逆らっていたにもかかわらず、お父さんはそれを全く許すのみならず、それをあたかも忘れたかのように、あたかも何もなかったかのように、全てを自分の子供として、王子として迎え入れてくれたのですから。しかもその戻ったのを、これほどまでして最高のごちそうまでして喜んで下さったのですから。何とそのお父さんの憐れみに感謝した事でしょうか。

するとお兄さんが帰って来て、「何だこのチンドン騒ぎは!?何だこの音楽は?何でこんなにワイワイ騒いでいるんだ!?」と言うと、「弟様が帰って来られたのです!ですからお父様は非常に喜んで、今大宴会を開いておられます!」「何だ!俺の為には、俺は父に一度も逆らった事のない、いつも忠実に仕えているにもかかわらず、俺の為には何も、こんな事もしてくれた事はない、こんな事は初めてだ!牛一匹殺した事もないのに、何だこれは!俺はこの家に入らん!」と怒り出すのです。「これは不平等だ!」

ここでもやはり、弟がお兄さんの上になってしまった、お父さんはお兄さんよりも弟を尊重したかのように思われるのです。何も罪を犯さず、いつもお父さんに忠実に仕えてきたお兄さんが、尊重されるべきはずの長子権を持つお兄さんよりも、弟の方が愛されているかのように思えたのです。

「俺は入らん、これは嫌だ、拒否する!」するとお父さんは出て行って、お兄さんを宥めて言うのです、「おまえの弟は死んでいたのに生き返ったのだ。失ったのに今見つかったのだ。だからこうやって喜ぶのは当然じゃないか、さぁ一緒に喜ぼう!」

この後にお兄さんは本当に家に入ったのかどうかよく分かりません。教父によると、「この弟は異邦人、私たち異邦人の象徴であって、お兄さんはユダヤ人の象りである、例えである」と言われています。ユダヤ人がイエズス様を拒否したように、イエズス様の憐れみを拒否してキリスト教を受け入れないように、もしかしたらお兄さんも「嫌だ!」と言って、お父さんの家に逆らって入らなかったかもしれません。

ちょうどエザウがヤコブから長子権を取られて、そしてそのまま後祝福を受ける事ができなかったように、それでもたとえエザウが長子権を受けなかったとしても、そしてこの放蕩息子のお兄さんが宴会に入らなかったとしても、それでも構わず大宴会は続きました。父の憐れみは深いものでした。

一体これは何を意味しているのでしょうか?実は教会は、「四旬節の時には、 3つのグループの人々がいる」という事を意識していました。

1つのグループは、復活の徹夜祭に洗礼を受けようとする、洗礼志願者たちの準備です。

もう1つのグループは、公式の罪を犯してしまった為に聖体を受ける事ができずに、そして教会にも、教会の交わりからあたかも離れてしまったかのように罰を受けている、回心する痛悔者。彼らは断食をして、罪の償いをして、悪い生活を改めて、そして聖木曜日の主の晩餐のそのミサで初めて聖体を拝領する事が許される、そのような人々。

もう第3のグループは、普通の信者でした。

今日この教会で、「この書簡では、特に求道者の為にこのヤコブとエザウの話を読まれた」と言います。つまり「求道者は、多くの人々の中から特別に選ばれて、父の元に、父の子供となる事ができる。主の掟は私たちの心を回心させるものであって、そしてその悔悛の恵みを今受けつつある者として、お前たちはヤコブに似た者だ、特別に選ばれた者だ。後から来たけれども、しかし長子権が与えられる者だ」と彼らに呼びかけているものです。

そして聖福音は、そしてその実は天主の御子供となったにもかかわらず、残念ながらそれを乱用して、お父さんの憐れみを乱用して罪を犯してしまった、そして豚のようにイエズス様から遠く離れて外国で、イエズス様をあたかも知らない者であるかのように遠く離れて生活していた罪人たち。しかし罪の生活に、「自分は何でこんなに豚のような惨めな生活をしなければならないのか。私は本当のパンに、命の糧に飢えている。だから父の元に戻りたい」という回心をする痛悔者、彼らに呼びかけています。

「父はいつもお前たちの戻りを待っている。罪を犯した、しかし痛悔して早くお父さんの元に帰って来なさい。そしたらお父さんはお前に全てを戻して下さる。叱ったりする事はない。却って罪を犯さなかった者よりももっと豪華なものが与えられるかもしれない。さぁ早く戻って来なさい」と教会が呼びかけているものです。

この司教様を聖別する特別の儀式があります。この儀式の時には司教様に、司教様の着ける三重の服や、或いは手袋や、指輪や、司教様の服を着せる儀式がありますけれども、叙階式に聖別式に。その荘厳な儀式を思い出させるように、「罪人が回心したら、聖父は王子として、プリンスとして私たちに全てを下さる。そして最も肥えた天主の子羊である聖子イエズス・キリストの御体さえも私たちに下さる」という事を私たちに思い出させようとしています。

では最後に、私たちはどのような遷善の決心を取ったら良いのでしょうか?第3のポイントは一体何なのでしょうか?

私たちも実は、この二人の兄弟であるかのようです。特に日本にいる私たちは、何億の人々の中から特別に選ばれて、ヤコブのように何の価値も無かったにもかかわらず、天主の御子となる長子権の御恵みを頂きました。マリア様が一生懸命私たちの為に取り次いで下さったに違いありません。

そればかりではありません。せっかく頂いた長子権を、私たちは罪を犯す事によって放っぽり投げてしまって、イエズス・キリスト様の国から離れて、遠くの外国の、イエズス様を知らないような生活をして、あたかも王子ではないかのように、イエズス様の子供では兄弟はないかのように、遠く離れて生活していました。

ちょうど私たちは二重の意味で、求道者であり、そして回心者痛悔者、この二人の教会の兄弟を代表しているかのようです。私たちはそこで、天主の御憐れみを思い馳せる事に致しましょう。

天主の特別の御恵み、選みと、憐れみ。天主から召し出しを受けて、天主の命を受けるという召し出しを受けて、更にそれに回心するという恵みを受けた者として、天主の御憐れみを考える事に致しましょう。

私たちはともすると、クリストヴァン・フェレイラ殉教者に、「殉教する代わりに、天主を否んでしまった!キリシタンの目明かしとして幕府に協力した!」或いは、私たちのもしかしたら知っているような人のことを、「あぁ、この人はあんな罪人だ!」「あぁ、あの人はこのような罪を犯して、このような裏切りをして、本当に悪い人だ!だらしがない」と、もしかしたらこの放蕩息子のお兄さんのように「何だ!」と言うかも知れません。「私はいつも、主に忠実だった!」

しかし実はそうではなくて、私たちは程度の差こそあれ、天主に対して必ずしも忠実を尽くす事ができなかったのではなかったかと反省します。主に対して全く忠実だったのは、マリア様しかいませんから。

そして私たちは、たとえ程度の差こそあれ、たとえ私たちがフェレイラのように主を否んでしまったとしても、或いはもう想像を絶するような罪を犯してしまったとしても、父の顔に泥を塗りつけるような多くの罪を犯してしまったとしても、もう誰にも言う事ができないような大罪を犯してしまって、もうどうしていいか分からないというような事をしてしまったとしても、しかしそれにもかかわらず聖父は私たちの帰りを待っておられます。

私たちが「あぁ、もう主に対して罪を犯しました。もう本当に何という裏切りをしてしまった事でしょうか。もう恥ずかしくてもう穴にも入る事ができません。そしてもう奴隷として何としても好きなように扱って下さい」と言った時に、聖父は私たちを、「おぉ、子よ、さぁ一番の服を着なさい。一番のきれいな指輪をはめなさい。さぁ靴を、自由民の靴を履いて、そしてさぁ、宴会を開こう。さぁ、私と一緒に喜ぼう!」と言って下さるに違いありません。

私たちがその父の元に、この痛悔の心を持って帰る事ができるように、マリア様にお祈り致しましょう。

マリア様は、ロドリゴの聞いたキリストのように、「あぁ、罪を犯し続けて良いんだよ、踏み続けて良いんだよ」とは言いません。確かにイエズス様は私たちを赦す為に、十字架を担い、十字架にかけられ、私たちを赦す為にこんなにも私たちの元に近くに来て、こんなにも私たちの為に全てをして下さいます。自分を食べ物として与えようとさえします。しかしだからといって、私たちは罪を犯し続けて良い、という訳ではありません。早く父の元に戻らなければなりません。

そして願わくは、日本の多くの霊魂たちが、この聖父の憐れみの深さに、私たちの弱さをはるかに超える大きな憐れみをもって、赦し、抱擁して下さり、そして罪を犯さないように助けて下さる聖父の元に帰る事ができますように、この四旬節の御恵みが多く伝わりますように。

そして願わくは、この多くの日本の方々が、全世界の方々が、兄弟として父の元に一緒に居る事ができますように、マリア様の元に居る事ができますように、聖母の汚れなき御心の御憐れみを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「ファチマのアヴェ・マリア」  中国語・韓国語もご紹介します

2017年03月29日 | ファチマ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今年は私たちはミサの司祭退堂時にいつも「ファチマのアヴェ・マリア」の聖歌を歌っています。
「カトリック聖歌集」には6番までしかありませんが、12番まで歌詞を考えてみました。ご紹介いたします。
中国語の歌詞と、韓国語の歌詞もご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


ファティマのアヴェマリア

1 ああうるわし 若葉ゆれて 光りの君 立たせ給う
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

2 幼子たち 招き給い 神の秘密 ささやきたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

3 おんみこそは 愛の極み 我らの母 慕いまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

4 ロザリオもて 平和祈れ 罪に泣けと 諭させたもう
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

5 おおマリアよ み手をのべて 世の行末(ゆくすえ)照らし給え
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

6 ああ懐かし 空のかなた 導きてよ 愛のみ母
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア


7 罪人らの 罪償い 主を慰め 奉らん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

8 おおイエズス 愛するため 我が苦しみ 捧げまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

9 汚れの無き 御心こそ 我が避難所 天への道
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

10 御聖体を 無関心の 償いとて 捧げまつらん
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

11 主と聖母の 計り知れぬ 功徳により 祈りまつる
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア

12 優しき母の 御心こそ 全世界の 救いとなれ!
アヴェ アヴェ アヴェ マリア、
アヴェ アヴェ アヴェ マリア



法蒂瑪聖母歌

1.天主母 世人母 童貞聖瑪利亞
慈祥的 曾顯現 於葡國法蒂瑪

萬福 萬福 萬福瑪利亞
萬福 萬福 萬福瑪利亞

2.好聖母 囑世人 悔罪祈禱虔誠
可望主 發慈心 寬恕罪賜洪恩

3.珍貴的 玫瑰經 誦念持之以恆
仁慈主 將賜與 世界永久和平

4.嘆世界 作惡人 面向地獄狂奔
好信友 想救靈 速獲聖寵神恩

5.我中華 仁慈后 童貞聖瑪利亞
請垂手 急援助 災難遍地中華

https://www.youtube.com/watch?v=q4jr5oArxBs



파티마의 성모

1. 오월 십삼일 오늘 이리아 골짜기
동정녀 마리아 나타나셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

2. 구세주의 어머니 양치는 목동에
찬란한 빛으로 나타나셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

3. 놀란 목동들 번개인 줄 알고
집으로 돌아가려 했네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

4. 아름다운 여인이 나무속에서
정답게 말씀을 시작하셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

5. 오 아름다운이여 당신의 이름을
우리는 무어라 부르리이까
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

6. 빛나는 묵주를 손에 쥔 여인은
하늘서 왔노라 대답하셨네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

7. 너희가 열심히 묵주기도 하면
무서운 죄와 벌 면할 수 있다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

8. 목동들은 성모님 부탁을 받고
다섯달 동안 그리로 갔네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

9. 약속대로 나타난 여인의 옷은
찬란한 금빛이 둘어져 있네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

10. 우리들의 죄로 성모의 얼굴엔
슬픈 표정이 서리어 있네
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

11. 너희들이 희생과 보속을 행하면
무서운 전쟁을 면할 수 있다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

12. 사욕편정 누르고 사치를 버려라
겸손은 주앞에 제일 좋도다
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아

13. 인자하신 어머님 우리가 비오니
어지런 세상에 평화 주소서
아베아베 아베마리아
아베아베 아베마리아
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

モーゼとキリスト

2017年03月28日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

旧約のモーゼはキリストの前表でした。モーゼは選ばれた民イスラエルの救い主、指導者、養育者、教師となることを天主に選ばれました。
ファラオとの対決の後、過ぎ越しの夜、過ぎ越しの子羊を屠って食した後、モーゼはエジプトの奴隷状態から選民を解放します。
モーゼは、天主に命じられた通り、杖を持った手を挙げて、紅海を二つに割り、その中を、天主の民を、足を濡らせずに歩いて渡らせます。
彼は、民を砂漠の中で導き、マンナという天からのパンで養い、岩から水を湧き出させて乾きを癒やさせます。
モーゼは、過ぎ越しの50日後(過ぎ越しの後に命じられたとおりした40日間の断食の後)、シナイ山の上で、石に刻まれた天主の十戒を受け、これを民に与えます。天主と親しく語らい、イスラエルの仲介者であり、取り次ぎ者でした。民の弱さとかたくなさを堪え忍ぶ特別の忍耐が必要でした。

天主御父によってこの世に送られたキリストは、新しいイスラエルである贖われた人類の救い主、指導者、養育者、教師として、地獄の勢力(ファラオ)と戦います。
過ぎ越しの夜、キリストは、新しいイスラエルを罪の奴隷状態(エジプト)から解放します。イエズス・キリスト御自身が、屠られ、食される天主の子羊でした。
キリストは、天主の民を、洗礼という紅海を通して渡らせ、ご自分もその先頭に御受難という紅い海を通り抜けました。
キリストは、私たちをこの世の砂漠の中で導き、私たちを天からのパンであるご自分の御聖体で養い乾きを癒やして下さいます。
シカルというサマリアの町にあったヤコブの泉のかたわらで、サマリアの女にイエズスはこう言います。「この水をのんでもまたかわきをおぼえるが、私の与える水をのむ者はいつまでもかわきを知らないだろう。私が与える水は、その人の中で、永遠の命にわき出る水の泉となる」と(ヨハネ4章)。

またイエズスは、カファルナウムの会堂で、こうもおおせられました。「まことにまことに私はいう。天からのパンをあなたたちに与えたのはモイゼではない。私の父が、天からのまことのパンをあなたたちにくださるのだ。天主のパンは、天からくだって、世に命を与えるものである。(…)命のパンとは私のことだ。私に来るものはもう飢えることがなく、私を信じるものは、いつまでも渇きを知らないだろう。(…)まことにまことに、私はいう。信じる人は永遠の命をもつ。命のパンは私である。あなたたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べたが、死んだ。しかし、天からくだるパン、それを食べる人は死なない。天からくだった生きるパンは私であって、このパンを食べる人は永遠に生きる。そして私の与えるパンは、世の命のためにわたされる私の肉である。(…)まことにまことに、私はいう。人の子の肉を食べず、その血をのまなければ、あなたたちの中には命がない。私の肉を食べ、私の血をのむ人は永遠の命を有し、終りの日にはその人々を私は復活させる。私の肉はまことの食物であり、私の血はまことの飲み物であるから、私の肉を食べ、私の血をのむ人は、私におり、私もまたその人のうちにいる。生きておられるおん父が私をつかわし、そのおん父によって私が生きているように、私を食べる人も、私によって生きる。天からくだったパン、これは、先祖が食べてもなお死んだそのようなものではない。このパンを食べる人は永遠に生きる」と。(ヨハネ6章)

キリストは、復活の後50日目に、私たちに聖霊を送り、愛の掟を肉の心に刻んで下さいました。
イエズス・キリストは、大司祭として、天主御父と親しく語らい、しかも、私たちの弱さとかたくなさを堪え忍ぶ特別の憐れみと忍耐とで、私たちのための仲介者として、天で御父に取り次いでくださっています。
復活祭は近づいています。天主なる「モーゼ」イエズス・キリストは、私たちをして「エジプト」から解放してくれます。
復活祭に私たちに与えられる、天から下る生けるパンイエズス・キリスト!それが私たちに与えられるために、私たちの主はどれほどの苦しみと悲しみと辱めを甘受しなければならなかったことでしょうか!

復活祭には、新たな心で主の御聖体を受けることが出来るように良く準備しましょう!ファチマの天使が教えてくれたとおり、次の意向で御聖体拝領を御捧げいたしましょう。
「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」

シスタールチアは、1931年8月29日にこう言っています。彼女はその当時24歳でしたが、私たちの主イエズス・キリストが来られて彼女に話しかけられたとき、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパ、ロシアそして世界の回心のために祈っていました。主はこう言われました。

「あなたはそれらの国々の回心のために祈ることによって私を非常に喜ばせる。そしてあなたはそれらの哀れな国々の回心を求めることによって大いに私を慰めている。『マリアの甘美なる御心がロシア、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパそして全世界の救いでありますように』と言うことによって私の御母にしばしば願いなさい。」

では、私たちも御聖体拝領の時にこう祈りましょう。
「聖マリアの甘美なる御心よ、ロシア、ヨーロッパ、アジア、特に中国、韓国、日本、そして全世界の救いとなり給え!」

聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【参考資料】
Jacinta’s own preferred ejaculatory prayer was: “Sweet Heart of Mary, be my salvation!”

On August 29, 1931, Sr. Lucy said: “As I was asking God for the conversion of Russia, Spain and Portugal, it seemed to me that His Divine Majesty said to me: ‘You console Me very much by asking me for the conversion of those poor nations. Ask it also of my Mother frequently, saying: Sweet Heart of Mary, be the salvation of Russia, Spain, Portugal, Europe and the whole world. At other times say: By your pure and Immaculate Conception, O Mary, obtain for me the conversion of Russia, Spain, Portugal, Europe and the entire world. Make it known to my ministers that if they follow the example of the King of France in delaying the execution of my request, they will follow him into misfortune. It will never be too late to have recourse to Jesus and Mary.’”
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

聖ヴィタリス、太祖ヨゼフに共通していること。それが指し示すこととは?

2017年03月27日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年3月17日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月17日(金) 四旬節の平日のミサ
小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2017年3月17日、四旬節の第2主日の後の金曜日のミサをしています。

今日のこのミサの後にはいつものように、ミサの後の祈りと終課を唱えるように致しましょう。そして終課の前に、今日は唱える事ができなかった聖ヨゼフの連祷も一度唱える事に致しましょう。

「無原罪の聖母の騎士」の雑誌が英語で出来ていますので、どうぞお持ち下さい。是非お友達にも読むように勧めて下さい。シュテーリン神父様のファチマの本が第2巻目も出ましたので、皆さんどうぞお読み下さい。



「彼らは主を捕らえようと探していたけれども、しかし群衆を恐れていた。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は四旬節の第2主日の後の金曜日で、ますます四旬節の中に深く入って行く事に致しましょう。教会は今日、イエズス様の御受難を黙想するように、その御受難の予告の中に私たちを連れて行こうとします。しかしその予告は、たとえこの御受難はベールで隠されていたとしても、この天主様の御摂理によってそれが許され、そしてそのイエズス様の御受難はつまり私たちの救いの為である、という事を表そうとしています。この為に教会は、この典礼と或いは目に見える全てのものを使って、私たちにイエズス様の御受難の予告と、その実はそれが私たちの救いの為だ、御摂理によるものだ、という事を教えようとしています。そこで今日はその事を黙想する事に致しましょう。

第1の点は、一体何故、どのようにして、教会は私たちにイエズス様の予告を、御受難の予告を知らせているのか?

第2に、その予告が私たちの救いの為である、という事をどのようにして教えようとしているのか?天主の御摂理がどのようにして働くという事を教えているのか?

第3に、私たちは四旬節の遷善の決心を、立てた決心を固める事に致しましょう。


第1の点は、教会は一体どうやって私たちにイエズス様の予告を、受難の予告をしようとしているのでしょうか?

それは3つの点で分かります。1つは今日の指定巡礼教会聖ヴィタリス、そして今日の太祖ヨゼフの話、そしてイエズス様の例え、この3つが「イエズス様の受難」という事で繋がっているからです。

聖ヴィタリスという人は、実は非常に初期のカトリック信者で、子供に双子の兄弟の聖ジェルバジオと聖ブロタジオ、これは諸聖人の連祷の中にも載る聖人ですけれども、そのお父さんなのです。お父さんは敬虔な信者で、殉教者の遺体を密かにそれを探して埋葬して、殉教者に対する尊敬の念を払っていた人でした。ところがそれがローマ当局の怒りに触れ、結局聖ヴィタリスも殉教しなければなりませんでした。どうやって殉教したかというと、聖ヴィタリスの住んでいたのはミラノに近いラヴェンナというイタリアの北部なのですけれども、そこの穴に突き落とされて、そしてそのあとに石を投げさせられて、そして埋められてしまいました。

今日教会は霊的に私たちを、この聖ヴィタリスの指定巡礼教会に連れて行きます。この聖ヴィタリスの指定巡礼教会には、その祭壇にはイエズス様の十字架の御受難の絵が描かれているのですけれども、その両脇には聖ヴィタリスがどうやって殉教したのか、その聖ヴィタリスの生涯とその殉教の絵が描かれています。それでその内の1つが、穴に落とされて殉教した、そしてこの殉教によってこの血がキリスト教の種となって、また信仰の糧となった、という絵が描かれているのです。

私たちも今日は霊的にこの聖ヴィタリスの教会に入る事によって、このミサの中でその絵を見せようとしています。

1つは祭壇の前の私たちの十字架像。十字架像の上には、霊的に指定巡礼教会の聖ヴィタリスが穴に落とされたというその事。書簡側には、今読んだ、太祖ヨゼフの絵。つまりヨゼフが兄弟たちの嫉妬によって、「何だこいつ、お父さんから特別に愛を受けて、何か偉そうな事を言っている、夢を見たと言っているし、こんなやつ亡き者にしてやれ」と言うと、「あぁ、殺してはまずい、血を流させてはまずい。穴に落としてはどうだ」と言って、水の無い井戸に落とされる。ちょうど聖ヴィタリスが、「キリスト教徒だ」と言う事によって殉教したのと同じ、「穴に落とされた」という同じ運命をします。

それと同じようにイエズス様も、今日福音側の絵では私たちに、イエズス様の命を亡き者にしよう、ユダヤ人たちがそれを狙っている、何故かというと、「自分が聖父から送られた聖子である」という事を例えで話したからです。そしてユダヤ人たちはその事を理解したからです。

イエズス様は実は聖父から送られた跡継ぎであって、預言者たちが聖父によってヤーウェによって送られたけれども、ユダヤ人たちは皆この預言者たちを殺してしまった。ユダヤ人に送られた最後の手段としての聖子は、「あぁ、この子なら私の子供としてこの子の言う事を聞くだろう」と言ったけれども、却って「殺してしまおう」と思った、そして殺してしまった、という事が「自分たちの事を言っているのだ」とよく分かったのです。そしてその事を「亡き者にしよう」としたのです。

ちょうど聖ヴィタリスがやられたように、ヨゼフがされたように、嫉妬によって亡き者にされようとされた、されつつあるという事を福音側ではそれを私たちに示しています。

では第2点は、一体教会は私たちに、霊的にこのミサの中に入って、霊的に4つの絵を見せて、イエズス様の御受難、殉教者聖ヴィタリス、太祖聖ヨゼフ、そしてイエズス様の御受難の予告を見させて、一体これがどうして救いの役立つのか、という事を教えようとしています。何故かというと、これらは1つのものであるからです。

何故かというと、聖ヴィタリスの生涯と殉教と、聖ヨゼフの生涯が似ていると同じように、実は太祖ヨゼフは、この穴に捨てられたが為に、実はお金で売られてエジプトの商人に売られて、そしてその為にその売られたが為にこそ、エジプトの宰相となる事ができて、そしてエジプトの国を救うのみならず、エジプトの国に食料を求めて来た自分のお父さん家族たちさえも救う事ができたのです。

実は悪意で亡き者にしようとしたその事が、実は救いのもとになった、全て天主の御摂理のもとに働いていて、御摂理のもとでそれは救いのもととなった、という事がイエズス様の御受難にも全く当てはまる、という事を教えようとしているからです。

たとえ悪意によってイエズス様が御受難を受けようとも、そしてイエズス様が全く罪がないにもかかわらず死刑を受けようとも、御受難を受けようとも、それは全て天主の計画の下にあった、それは私たちの救いの元であった、という事です。

では最後に、私たちはどのような遷善の決心を立てたら良いでしょうか?

1つは、私たちの主は、その苦しみを喜んで受けられるという事です。逃げる事もできたし、それを避ける事もできたけれども、私たちの救いの為に、天主聖父から与えられるその御摂理のままの苦難を全て受けた、私たちの救いの為に受けた、という事です。たとえイエズス様が私たちの為に、私たちを憐れんで赦して下さる、罪を赦して下さる、私たちを抱擁して下さる、私たちの為に近づいて、「さぁ、罪の赦しを与えよう」として下さる、しかしその裏にはこれほどの苦しみが、苦しみを受けるほどの愛があったのだ、という事を私たちがよく知らなければなりません。

それと同時に、イエズス様がその愛を以て、どんな苦しみでも私たちの為に甘受して、私たちに近寄って下さり、私たちを赦そうとして下さる、だからと言って私たちは、「だから何でもして良いのだ」ではなくて、そのイエズス様の愛の大きさが大きければ大きいほど、私たちはますますイエズス様に愛を以て感謝しなければなりません。

もう1つは、私たちはイエズス様の十字架の、イエズス様の苦難を増やす元とたびたびなっていたのではないか、という事です。私たちはイエズス様の苦しみをより少なくさせるというよりは、却ってイエズス様の聖心に反対するような事を、イエズス様の御望みではないような事を、或いはイエズス様に反するような事を、イエズス様を苦しませるような事を敢えて、或いはしばしばやっていたのではないか、イエズス様を殺そうと企んでいたのではないか、私たちの心から取り外して「穴に突き落してしまえ。イエズス・キリストが無ければいい、亡き者にしよう」と計っていたのではないか、罪を犯す事をしていたのではないか、という事です。

私たちはともすると、非常に弱く、非常に矛盾に満ちた、「こうでありたい」と思いながらも、弱い私たちです。イエズス様の御憐れみと、マリア様の御助けによって、私たちがイエズス様をもうこれ以上悲しませる事がないように、私たちがイエズス様の死を望む事がないように、むしろイエズス様を慰める方に回る事ができますように、このミサを捧げていきましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

聖ピオ十世会日本の第十一回公式秋田巡礼の意向(その2) 2017年5月3日~5日

2017年03月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今から100年前の1917年6月13日、聖母マリアはファチマでこう言われています。

「イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます。この信心を実行する人に私は救いを約束します。これらの人々の霊魂は天主の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、天主にとって愛おしい者となるでしょう。」

その一ヶ月後、7月13日、聖母はファティマでこうも言われました。

「あなたがたはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。

しかし、人々が天主に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。(…)天主は戦争、飢饉、教会と教皇への迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。

このこと(戦争、飢饉、教会と教皇への迫害)を避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。

もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。

もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、多くの民族が絶滅するでしょう。」

シスター・ルチアは、1943年5月27日にグルサの司教に聖母の汚れなき御心への信心についてこう書いています。

「イエズスとマリアの聖心はこの崇敬を望み愛しておられます。何故なら二つの聖心はこの崇敬を自分たちへと霊魂を引き寄せるために使われるからです。御心の全ての望みは正に、霊魂を救うこと、多くの霊魂、全ての霊魂を救うこと、これです。
私たちの主は数日前に私にこう仰いました。『私は聖母の汚れなき御心への崇敬と信心とが広がるのを極めて熱烈に望んでいる。何故ならこの汚れなき御心は霊魂たちを私に引き寄せる愛する心であり、私の光と私の愛の光線を地上に照らし出すかまど、私の憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉であるからだ』と。」

さて日本で大東亜戦争が広島・長崎の大いなる犠牲をもって終局を迎えたのが、1945年8月15日。日本の司教団は一致して「聖母の汚れなき聖心に日本を捧げる」ことを決議し、信者たちにも聖母の汚れなき御心への信心がすすめました。

しかし、その30年後の1975年1月4日、天使はシスター笹川に「聖母の汚れなき御心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」と伝えました。

その後40年が経ちましたが、聖母の汚れなき御心への信心は日本ではどうなっているでしょうか?

日本に住む霊魂たちを救うために、天主は聖母の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。しかも、日本は既に聖母の汚れなき御心に奉献されているにもかかわらず、この信心は重んじられていません。

ファチマ100周年こそ、この聖母の汚れなき御心への信心をもり立てる良き機会です。その信心の大切さを理解するためにも、愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。

聖母の汚れなき御心は、霊魂たちをイエズスに引き寄せる愛する心であり、イエズスの光と愛との光線を地上に照らし出すかまど、イエズスの憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉です。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【参考資料】秋田の聖母のメッセージ

第一のメッセージ 1973年7月6日(初金曜日)
「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう」
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ」

第二のメッセージ  1973年8月3日(初金曜日)
 「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
 これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
 世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
 おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。
おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
 祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。聖体奉仕会の祈りを心して祈り、実践して、贖罪のために捧げてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。
 在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください」
 (ちょっと間をおいて)
「あなたが心の中で思っていることは、まことか?まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」

第3のメッセージ 1973年10月13日(土曜日)
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
(少し間をおいて)
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから」
「まだ何か聞きたいですか。あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからはあなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」
コメント
この記事をはてなブックマークに追加