CREDIDIMUS CARITATI

このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げる--  聖伝のカトリック信仰を守り抜いたルフェーブル大司教の伝記

Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

Credidimus Caritati 
私たちは天主の愛を信じた
(Iヨハネ 4.16)
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
2016年 8月の聖伝のミサの予定

【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】


聖母の被昇天を祝いましょう。 8月の意向:聖母の汚れなき御心の凱旋のため
実践すべき徳:心の柔和と謙遜
守護の聖人:聖母の汚れ無き御心

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します

◎2016年 8ー9月の予定

【大阪】2016年5月15日よりミサの場所が変更になりました!
聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂(アクセス
EG新御堂4階 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2  〒532-0002
(JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分)

   9月2日(初金) 証聖者聖ステファノ王(3級祝日)白 
           午後5時半 ロザリオ及び告解
           午後6時 ミサ聖祭

   9月3日(初土) 証聖者教皇聖ピオ10世(3級祝日)白
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   9月8日(木) 童貞聖マリアの御誕生(2級祝日)白 ※追加されました!
           午後5時半 ロザリオ及び告解
           午後6時 ミサ聖祭

   9月9日(金) 聖霊降臨後の平日(4級)緑
           午後5時半 ロザリオ及び告解
           午後6時 ミサ聖祭

   9月10日(土) 証聖者トレンティノの聖ニコラオ(3級祝日)白
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   9月30日(金) 教会博士証聖者司祭聖ヒエロニモ(3級祝日)白
           午後5時半 ロザリオ及び告解
           午後6時 ミサ聖祭


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図) 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

   8月21日(主) 聖霊降臨後第14主日(2級)緑
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   8月22日(月) 聖母マリアの汚れ無き御心 日本の最上位の保護者(日本では1級祝日)
           午前7時 ミサ聖祭

   9月4日(主) 聖霊降臨後第16主日(2級)緑
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   9月5日(月) 証聖者司教聖ラウレンチオ・ユスティニアノ(3級祝日)白
           午前7時 ミサ聖祭

   9月11日(主) 聖霊降臨後第17主日(2級)緑
           午前10時  ロザリオ及び告解
           午前10時半 ミサ聖祭

   9月12日(月) 童貞聖マリアの至聖なる聖名(3級祝日)白
           午前7時 ミサ聖祭


愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております。

◎アジア管区では、これからロザリオの時に「主よ、われらに司祭を与え給え 云々」の最後に、次の呼祷を付け加えることになりました。宜しくお願い致します。

「主よ、我らに多くの聖なる家族を与え給え。」
"O Lord, grant us many holy families".

◎愛する兄弟姉妹の皆様を2016年「聖母黙想会(聖グリニヨン・ド・モンフォールによる)」へお招きいたします。

2016年8月10日~8月15日 指導司祭:アジア管区長シュテーリン神父様(日本語通訳:小野田神父)
聖ピオ十世会日本 2016年 聖母黙想会についてのお招き

 
============
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村のランキングです。クリックで応援して下さい

============

聖イグナチオの祈りにインスピレーションを受けた歌「オ・イエズ」

2016年08月27日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

光明社発「公教聖歌集」517番には、オ・イエズという歌があります。
これは聖フランシスコ・ザベリオの作った詩ではなく、聖イグナチオの祈りの内容を詩の形式にしたもので、
聖フランシスコ・ザベリオの詩に似せて作ってあります。

オ・イエズ・・・公教聖歌集 [517番]

O Jesu, ego amo Te,
Nam prior Tu amasti me,
En libertate privo me,
Ut vinctus sponte sequar Te.

ああイエズスよ、我は御身を愛し奉る。
そは御身こそが先に我を愛し給えばなり。
見よ、我は自由を放棄し奉る。
御身の捕虜となりて御身に自由に従わんため。

O Jesu, in Te confido,
quia Tu redemisti me,
En totum Tibi trado me,
Ut solus regnes super me.

ああイエズスよ、我は御身に信頼し奉る。
そは御身こそが我を贖い給えばなり。
見よ、我が全てを御身に委ね奉る。
御身のみが我を統治し給わんため。


これはここで、歌われています。
https://www.youtube.com/watch?v=yYhfQwxnYw0


また、2番以降は別の歌詞もあります。これは、聖フランシスコ・ザベリオの歌をまねて、
次の「聖イグナチオの祈り」にインスピレーションを受けた歌です。

Suscipe, Domine, universam meam libertatem.
Accipe memoriam, intellectum, atque voluntatem omnem.
Quidquid habeo vel possideo mihi largitus es; id tibi totum restituo,
ac tuae prorsus voluntati trado gubernandum.
Amorem tui solum cum gratia tua mihi dones,
et dives sum satis, nec aliud quidquam ultra posco. Amen.

「主よ、願わくはわが自由を受け入れ給え。
わが記憶、わが智恵またわが意思をことごとく受け入れ給え。
わが持てるものはみな主の賜物なり。
我は全てを主に帰し、主の御旨のままに捧げ奉る。
ただ主の聖寵と共に主の御愛を我に与え給え。
さらば我は満ち足りて、他の何物もあえて願わじ。」


DEUS EGO AMO TE. 【日本語訳】

ああ天主よ、我は御身を愛し奉る。
御身が我を先に愛したが故に。
見よ、我は自由を放棄し奉る。
自らすすんで繋がれて御身に従って行くために。

願わくは記憶が、何も思い出さないことを、
御身の栄光についての他は。
願わくは知性が何も味わわないことを、
御身を理解するため以外は。

私は何も望まないと宣言する
御身が望むことを知ること以外は。
御身の賜物によって私のものとなった全ては
ここの私の捧げによって御身のものなり。

私は御身から全てを受けた、受け取り給え。
御身がそれらに望むことを、命じ給え。
御身のご存じの通り、お望みの通り、統治し給え。
御身が愛する方であると知るが故に。

愛だけによって私に与え給え。
私も御身を愛することが出来るように、
これ[この愛]を与えるなら、御身は全てを与え給う。
何故なら、その他のものは、夢だから。


DEUS EGO AMO TE. 【ラテン語】

O Deus ego amo te,
Nam prior tu amasti me,
En libertate privo me
Ut sponte vinctus sequar te.

Nil suggerat memoria,
Nisi de tua gloria,
Nil intellectus sapiat,
Praeterquam ut te capiat.

Protestor nihil velle me
Nisi quod sciam velle te;
Quae dono tuo mea sunt,
Haec dono meo tua sunt.

A te accepi, recipe.
Quid iis velis, praecipe ;
Guberna sicut scis, et vis,
Nam scio quod amator sis.

Amore solo dona me,
Ut ego quoque amem te;
Haec dando dabis omnia.
Nam cetera sunt somnia.


この上の歌は、元々はスペイン語の次の歌だったようです。

No me mueve, mi Dios, para quererte,
el cielo que me tienes prometido;
ni me mueve el infierno tan temido
para dejar por eso de ofenderte.

Tú me mueves, Señor, muéveme al verte
clavado en una Cruz y escarnecido;
muéveme el ver tu cuerpo tan herido;
muévenme tus afrentas y tu muerte.

Muéveme, en fin, tu amor, y en tal manera,
que aunque no hubiera cielo, yo te amara,
y aunque no hubiera infierno, te temiera.
No me tienes que dar porque te quiera;
pues aunque lo que espero no esperara,
lo mismo que te quiero, te quisiera.

これをもとにラテン語が作られました。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2016年8月19-22日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2016年08月26日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

8月の第3主日の前後のミサ聖祭のご報告をご紹介します。

8月19日は聖ヨハネ・ユードの祝日でした。そこで、聖ヨハネ・ユードに基づいて、聖母の汚れなき御心について黙想しました。聖ヨハネ・ユードは、聖母の汚れなき御心は、青空、天のようだ、茨の中に咲き出るヤマユリのようだ、太陽のようだ、地球の中心だ大洋の大海原だ、等々、と言っています。日本の聖ピオ十世会の最初の聖堂は、聖母の汚れなき御心に捧げられていますので、とりわけこの聖人を祝うのをうれしく思いました。

8月21日は、東京で聖伝のミサを捧げました。38名の方々が聖伝のミサに与ることが出来ました。天主様に感謝!
午後は、大阪でもそうだったのですが、(1)前回の聖霊の12の実りの復習、(2)聖霊の七つの賜物、(3)七つの賜物と至福八端との関係、について黙想しました。

聖霊の12の実りについては、覚えやすいように、聖トマス・アクィナスの説明の順序に従いました。

ラテン語を日本語に訳すときの用語ですが、私の逡巡で、大阪と東京とでは少し違いが生じてしまいました。それは、bonitas と、begninitas との訳語です。どちらも、良い、という意味なので、どう訳し分けるか、で違いが出てしまいました。
聖トマス・アクィナスによれば、bonitas は心の内面の善良さ、begninitas は外に行為として現れた善良さです。そこで、大阪では、bonitas を親切心・親切とし、begninitas を善良、としました。
しかし、「親切」というと行為における良さを連想しやすいので、東京では、bonitas を善良とし、begninitas を仁慈、としてみました。東京での訳はバルバロ神父様の訳の用語も考慮してそうしました。

8月22日は、聖母の汚れなき御心の祝日で日本の主要の守護の聖人の祝日です。東京では、朝の7時から予定通りミサを行いました。8名の方々が参加できました。ところで、本来なら、その日はフィリピンに戻らなければならなかったのですが、飛行場に行ってみると、台風9号のために、私の乗る予定の飛行機が欠航になってしまいました! 聖ピオ十世会の司祭として23年になりますが、飛行機が欠航になることは初めてです。翌日にミサをすべき祭壇が常設してある大阪に行くことにし、8月22日には急遽、大阪でも来られる方々に連絡して夕方の6時頃からミサ聖祭を捧げることになりました!
ロザリオを唱え、聖母の汚れなき御心の晩課を歌い、聖母の汚れなき御心の歌ミサをお捧げしました。9名の方々が聖伝のミサに与ることが出来ました。天主様に感謝!


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私達の大切な小野田神父様こんばんは。
大阪での御ミサの報告をお送りいたします。

8月19日(金) 聖ヨハネ・ユード の御ミサには10人の方々が
8月20日(土) 大修院長教会博士聖ベルナルド の御ミサには14人の方々がミサに与る御恵みを頂きました。デオグラチアス!

金曜日のお説教では聖ヨハネ・ユードのイエズス様とマリア様の聖心に対する信心について黙想いたしました。
イエズス様の聖心が御父に次いで最高の愛の対象とされたマリア様に、この世で従われる事を最善として選ばれたので、
私達もイエズス様の神秘体の一部として、その同じ精神をもたなければならないことがよくわかりました。
聖母黙想会で黙想したと同じくイエズス様に倣ってマリア様の奴隷になるために全てをマリア様にお捧する事を一瞬一瞬思い出せるようにイエズス様にお願い致しました。

土曜日のお説教では、聖ベルナルドが言った「天主に対する愛があれば『甘い』しかない」という言葉と、
「天主のいない天国よりも、天主とともにいられる苦しみのほうがよい」が心に残りました。
教会の危機の時代に聖ベルナルドがされた偉大な功績の裏にはマリア様への深い信心があったことには納得しました。
聖ベルナルドに感化されてか、跪いて御聖体を拝領するのを待っているときから御聖体からあふれる蜜の甘さを感じたように思いました。
退堂の聖歌で聖ベルナルドの祈りを歌えてとても良かったと思います。v(^^♪

土曜日のお説教のあと、聖ベルナルドが言った「天主の甘さ」について考えていました。
奉献文の後、「Jesu dulcis memoria 」を歌いながら、歌詞がこの日のお説教にピッタリだなあと感心してしまいました。ミサ前にどの曲を歌おうか、マリア様にご相談してこの曲を選んだのですが、きっと小野田神父様も、マリア様に「お説教で何を言いましょうか?」とご相談なさったのでマリア様はその内容をご存知だったのですね。(^^♪


公教要理では、聖霊の12の実りの復習をし、
そのあと聖霊の七つの賜物の説明、そして七つの賜物と至福八端の関係について勉強いたしました。

聖霊の賜物は、敬畏→考愛→知識→剛毅→賢慮→聡明→上智 というふうに順番にできるものだと伺いましたが、
それぞれの賜物がどういうふうに順を追って関係しているのか、また、順番は必ずその順番でしか敬畏から上智にたどり着くことができないのかをもう少し知りたいと思いました。

【お返事】
マリア様は、すごいですね。何をお望みか尋ねると最高の答を下さいますね。
聖ベルナルドは、Ubi autem amor est, labor non est, sed sapor. と言いました。
「愛」 amor があるところには「つらい」 labor ではなく、「あまい」 sapor がある、と訳してみました。
聖アウグスティヌスも似たようなことを言っています。

Qui amat, non laborat.
Omnis enim labor non amantibus gravis est,
solum amor est, quod nomen difficultatis erubescit.
Amemus et nos Christum
et facile videbitur omne difficile.

愛する人は、つらくない。
全てのつらさは、愛さない人々にとっては、重い。
愛だけが「難しい」の言葉を赤面させる。
私たちもキリストを愛そう。そうすれば全ての難しいことが易しいことに見えるだろう。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私たちの大切な小野田神父様!

昨日、今日と御ミサ、そして堅振式の準備の勉強会など色々ありがとうございました!!
黙想会が終わってすぐにフィリピンに戻られて、そしてまたすぐに日本にお帰り下さり、本当にお疲れなのではと思うのですが、私たち日本信者の為に尽力して下さり本当に感謝致します!!m(_ _)m

公教要理では前回の続きから聖霊の12の実りについて、また聖霊の7つの賜が至福八端に繋がっていることを勉強させて頂き、少し前回の分も含めてレポートさせて頂きます!(^O^)/
すみません、たくさん書いたので、もし間違っていたり、読みにくかったり、簡略化した方が良い所がありましたら修正して頂ければと思いますm(_ _)m

[分かった事]
・聖霊の12の実りと、聖霊の7つの賜は違うのか?
---聖霊の12の実りとは、実り(ラテン語ではfructus、英語ではfruit《フルーツ》)と言って、聖霊の7つの賜が影響を及ぼした後の結果である、という事が分かりました。

聖霊の12の実りとは、
1.愛(caritas)
2.よろこび(gaudium)
3.平和(pax)
4.忍耐(patientia)
5.堅忍(longanimitas)
6.親切(bonitas)
7.善良(begninitas)
8.柔和(mansuetudo)
9.誠実(fides)
10.慎み(modestia)
11.節制(continentia)
12.貞潔(castitas)
であり、最初の1~5が「善そのもの」、6~9が「隣人への善」、10~12が「体の善」
という事が分かりました!12個もあると何か大変だなあと思いそうですが、最初の「1.愛」があれば、それ以降のものは自然と連結して繋がっているのだなと思いました。
この実りを得るために、聖霊の七つの賜を頂ける堅振の秘跡は何と重要であるかという事も実感致しました!

そしてその聖霊の7つの賜とは、
・上智(sapientia)…・天主を味わせる(sapio)・原因にさかのぼって判断→(その結果)天主を頂点に秩序立てる。本当の平和ができる。平和とは、秩序における穏やかさのこと。
・聡明(intelligentia)…天主の神秘の中に深く入り込む→天主の玄義を知性で「見る」→天主を「見る」ことが出来るように心を清めてくれる。
・賢慮(consilium)…聖霊からのアドバイス、助言、イエズス様の御言葉をきく。イエズス様は特に「互いに愛し合え」と新しい掟を与えた。→あわれみ
・剛毅(fortitudo)…意思を強める(天主の御旨を果たしたい)→天主の聖旨を糧として望み渇く
・知識(scientia)…被造物に関する知識。被造物は天主に至る手段であって、究極の目的ではない→被造物が多くの罪の機会となっていると理解する
・孝愛(pietas)…天主を御父として見る、子供として。隣人を兄弟として考える→柔和
・敬畏(timor Domini)…《上級の怖れ》罪を犯すことによって主を悲しませる、妻/子の怖れ。《下級の怖れ》自分の罰を怖れる、奴隷的な怖れ。→罪の機会から離脱する

そしてまず敬畏の賜を頂くことによって、そこから上智の賜へと繋がっているということも分かりました!

そして聖霊の7つの賜が8つの至福八端に繋がっているということも分かりました!

至福八端(マテオ5章2節~9節)☆下から完成される
8.正義のために迫害される人は幸せである。天の国は彼らのものだからである。←この8番目は全てをまとめて付けられた。
7.平和のためにはたらく人は幸せである。彼らは天主の子らと呼ばれるであろうから。←天主を頂点に秩序立てる(上智)
6.心の清い人は幸せである。彼らは天主を見るであろうから。←天主の玄義を知性で「見る」(聡明)
5.あわれみのある人は幸せである。彼らもあわれみを受けるであろうから。←「互いに愛し合え」というイエズス様の掟に従えというアドバイス「あわれみ」(賢慮)
4.正義にうえかわく人は幸せである。彼らは飽かされるであろうから。←天主の聖旨を糧として望み渇く(剛毅)
3.悲しむ人(泣く人)は幸せである。彼らは慰めを受けるであろうから。←被造物が多くの罪の機会となっている(知識)
2.柔和な人は幸せである。彼らは地を譲り受けるであろうから。←天主を父とすると、隣人が愛する兄弟姉妹となる。同じ家族の一員に対してなら柔和となりうる。(孝愛)
1.心の貧しい人は幸せである、天の国は彼らのものだからである。←被造物から愛着を絶って、罪の機会から離脱する(敬畏)
   ↓
謙遜な人、被造物から離脱

たくさん説明して下さってありがとうございます!堅振を受ける姉にもこれをよく勉強してもらおうと思います!(^_^)

[分からなかったこと]
また何が分からないのか分かっていない状態ですが、あわれみが特に賢慮の賜の結果に結びついているという所が不思議な感じです。
おそらく今日のお勉強の詳しい内容が神との親しさシリーズ(4)愛の実践と聖霊のP253~P341の部分にも書いてあるかと思いますので、また読んでいきたいと思います。

今日は御ミサのあと、ロザリオの十字軍が始まったので、御聖堂で皆さんと一緒にまたロザリオを一環唱えました!
そしてその後、来月ティシェ・ド・マルレ司教様がいらっしゃるのでSANCTE PIE DECIMEのポリフォニーを練習しました!(^O^)/

デオ・グラチアス!


【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 14人(内、子供1人)
女: 24人(内、子供3人)
計: 38人(内、子供4人)


【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

小野田神父様

ありがとうございました!
今日の公教要理の時間はいつにも増して感動的でした。天主様はお優しいだけでなく
完璧な方で、そして、しかしやはり本当にお優しいので、
まさにその甘美さに感動して涙が出てしまいそうでした。

カトリック要理は学べばいつも感嘆と感動の連続です。
でもこれは何も特別な感情などではなく、この教えを教えるべき人々が
カトリック教会の伝統を守って伝え教えて行ったならば、世のもっと多くの人々も
このような感動を覚えることができたはずなのに・・・と思うと悔しくてなりません。
マリア様の汚れなき御心により頼み、さらなる犠牲とお祈りが必要だと改めて感じました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本日の御ミサのレポートをお送りいたします。

今日の御ミサでこれだ!と分かった点 

 ・マムモンとはお金のことだということ。
  (「お金の奴隷」などという表現は現代の世間でもよく使うと思うのですが
  マンモンとはお金のことだと聞き、2000年の時が経っても国が違っても
  悪は悪で変わらないのだ、と思いました。)

 ・昔は、悪は悪・罪は罪と判断されていたが、私たちの生きる現代はさらに悪く2つの罠が置かれていること。
  1つは、罪はもう罪ではない、悪はもう悪ではない、敵はもういない、悪魔なんていない
  「敵はいない」という罠であり、もう1つは「イエズス様に従っているつもりでもこの世に従っている」罠。
  例えば、詰まるところ自分の利益のために、イエズス様を道具とする偽善的な態度に陥るといったことである。

よく分からなかった点
  今回はよく分からなかった点はありませんでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

明日の御ミサでお会いできますことを楽しみにしております。
聖母の汚れなき御心よ、我らのために祈りたまえ!



【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私達の大切な小野田神父様こんばんは。

今日、聖母の汚れなき御心の大祝日に、思いもよらず大阪の聖堂で御ミサを捧げて頂くお恵みを与えられたことに感謝でいっぱいです!!
天主様に感謝、インマクラータに感謝いたします。

今日は9名の方々が御ミサに与り、御聖体拝領のお恵みを頂きました。御ミサ前には、ロザリオと晩課を捧げ、御ミサ後には聖母の連祷と聖母の汚れなき御心に日本を捧げる祈りを唱える事ができました。デオ・グラチアス!

小野田神父様には、大阪→東京→大阪と、新幹線で行ったり来たりという大きな犠牲を払って頂いてしまいました。(;_;)
小野田神父様にも感謝します!マリア様が小野田神父様に誰よりも大きなご褒美を下さることとお察しします。

お説教の中で、聖母の汚れなき御心に捧げられた大阪の小さな聖堂を、マリア様が気に入ってくださっているとお聞きして、とてもうれしくなりました。
もっともっとマリア様をお喜ばせするようにいつもマリア様と一緒に全てが出来るようにしたいと思います。



【報告】【大阪】
JMJ アヴェ・マリア!
小野田神父様
こんにちは!
19日20日の大阪の御ミサでは、黙想会後だったためか、周りが騒がしかったとしても御ミサに深く与ることができ、イエズス様とマリア様に深く祈りを捧げることができました。
2日間とも素晴らしいお説教を聞くことができ、よい黙想をする事ができました。
聖ベルナルド様は偉大な聖人で、「天主様のいない天国よりも 天主様とともにいる苦しみの中のほうがいい」という言葉が特に印象に残っていて、苦い苦い十字架の木もイエズス様によって蜜のような甘い甘い物に変えてしまうお恵みを聖ベルナルド様はよくご存知だからこのような事を仰ったのかな、と個人的目線から黙想したりし、私の心にぐさっと響いた部分でした。そして"イエズス様はマリア様を通してお生まれになったので、天主様はマリア様を通してお恵みを与えようと望まれている"という教えに、今まで以上にもっともっとマリア様の近くにマリア様のそばに行きたい!と思うようになりました。退堂の聖歌で歌ったあわれみのきさいはタイミングがピッタリでこれもまた、感謝感謝でした(*^-^*)

ひとつ気になったことは、公教要理の時間に七つの賜のお話で、賜を頂くには段階があると聞き、その段階を踏まないことには上智や、聡明、賢慮などの賜を頂くことはできないのか?段階を踏まずに、ぱっと上智の賜を頂くことはできないのか?と疑問に思いました(*^-^*)
また神父様にお聞きしようと思います。

その上、22日の聖母マリアの汚れ無き御心の御ミサに与ることができて本当に嬉しかったです。日本は"聖母マリアの汚れ無き御心"に奉献されているし、日本の保護者ですし、さらに大阪のお御堂は"聖母マリアの汚れ無き御心聖堂"です!!その御聖堂で与るお恵みを頂き、本当にマリア様のお力は偉大で、マリア様のお優しくて憐れみ深い愛をひしひしと感じました。

しかし猛暑のためとハードスケジュールのため、神父様が倒れてしまうのではないかととても心配でした。小野田神父様ありがとうございました。・:・(*´ー`*人)
大阪信徒のためにたくさんのお恵みを贈ってくださり、私達の御母聖マリア様を通して、天主様に感謝致します!!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

その時マリアは立って、急いでユダの町を通って走り、エリザベトの家に行き、彼女に挨拶した。-マリア様の御訪問の黙想-

2016年08月25日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年7月2日(初土)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年7月2日 初土曜日 童貞聖マリアのご訪問のミサ 
小野田神父説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。今日は2016年7月2日、マリア様のご訪問の祝日を祝っています。

今日この御ミサの後に、いつもの通り公教要理の勉強があります。今回は「希望の徳」について、皆さんと復習をしたいと思っています。希望には、希望のしすぎがあるのか、或いは無いのか。希望とは一体、何を希望して、希望の反対は何なのか等、皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

7月はレネー神父様のご予定で少しイレギュラーになっております。次のミサは来週の金・土、それからレネー神父様の主日は、その2週間後の主日です。どうぞお間違えのないようになさってください。つまり7月の15日の主日がレネー神父様で、7月の8日・9日、金・土と私がもう一回この次に、第3週の主日がレネー神父様となっています。どうぞお間違えのないようになさってください。

8月はマリア様の聖グリニョン・ド・モンフォールによる黙想会があります。その為に40人ほどの場所を確保しているのですけれども、まだ残念ながら20人にも足りていません。そこで是非多くの皆さんにですね参加して頂き、お友達や親戚の方や知っている方を是非誘って頂き、特別な機会ですので参加するように仰って下さい。この今まで参加した事がなかった方でも、参加するように是非お願い致します。


「その時マリアは立って、急いでユダの町を通って走り、エリザベトの家に行き、彼女に挨拶した。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日はマリア様のご訪問の祝日です。このご訪問の祝日には色々な黙想のポイントがありますが、特に今回は、マリア様が天主の御母となって御告げを受けて、最初になさった、その最初に起こした行動が、ご訪問だった、聖エリザベトを訪問された、という事を黙想する事を提案します。

一体、マリア様とは一体どなたなのか。聖エリザベトとはどのような方、どのような状況に置かれているのか。マリア様が聖エリザベトを訪問した時起こった、何がどの様な奇跡が起こったのか。マリア様はそれで一体何をなさろうとしたのか。それでは、そのような事は2000年前に起こった事だけで、私たちには関係がないのか、あるのか、など。もしも関係があるのであれば、私たちにマリア様はどのような事をなさろうとしているのか。では、私たちはそのようなマリア様に対してどうしなければならないのか、など黙想したいと思います。

最初のポイントは、マリア様が御告げを受けて、大天使聖ガブリエルから、「恵みに聖寵に満ち溢れた者よ、あなたに挨拶します。天主は御身と共にまします。」と挨拶を受けました。マリア様はもちろん、天主様からの特別の選びによって、御母聖アンナの体内に宿るその御受胎の最初の瞬間から、聖寵に充ち満ちの方でした、無原罪の御宿りでした。しかし一体、聖ガブリエルが、「聖寵に充ち満てる御方、あなたに挨拶します。」と言った時、一体これは何を意味したのでしょうか?

これは、マリア様はもちろん罪の無い御方で、聖寵の充ち満ちを受けたのですけれども、更に今までなかったやり方で、より多くの聖寵の充ち満ちを受けるだろう。しかも今までは天主三位一体という事が、「天主は唯一の御方だ」という事しか私たちに知らされていなかったけれども、これからは「三位一体」という天主の最も内面的な秘密について、マリア様を通して明かされる、「天主御子が人となる」という事を意味していました。マリア様がその充満を更に受ける、という意味の挨拶でした。

「天主の御母となる」という特別の地位と、特別の称号、特別のお恵みを受けました。その御マリア様が、「はい、私は主の婢女です。仰せの如く我になれかし。」と、それに同意を致します。聖トマス・アクィナスによれば、「これは天主の本性と、人類人間の本性とが結合するその瞬間だったので、この結合にはあたかも婚姻であるかのような一致が見られ、ですから人類の代表としてマリア様は、その結合に同意の言葉をしなければならなかった。」と言っています。マリア様は全人類を代表して、ご自分の名前において、全人類の名前においても、「仰せの如く我になれかし。」と仰ったのでした。

この天主の御母となったマリア様はすぐに立って、今まで石女であった、人々から軽蔑されていた聖エリザベトを訪問します。この前シュテーリン神父様のお説教の時に黙想の時に、「なるほど。」と思った事がこれでした。

聖エリザベトは老人になって、母となる事ができませんでした、子供がありませんでした。これはユダヤの女性にとっては大きな屈辱でした。「きっとエリザベトは罪を犯した女に違いない。」と思われていたかもしれません。「何か呪いを受けた女かもしれない。」と思われていたかもしれません。「母親になる事ができないという事は、一体何という不名誉な事だろうか。天主からの祝福を受けていない証拠だ。」と思われたに違いありません、軽蔑されたに違いありません。しかもその夫ザカリアも、司祭として神殿に入って、お祈りを捧げて香を焚こうとする時に、それからその夕の祈りが終わって出てくれば、啞になって来たではありませんか、天主からの罰を受けて。「きっとザカリアもエリザベトも本当に罪深い人たちだったろう。」と人々の目から見られたかもしれません。実際は、主の前に歩く、聖なる人々であったにも関わらず。

この人々から疎外された、人々から全く小さなものとして見られていた者たちに、老人に、マリア様はすぐ立ち上がって、「あぁ、エリザベトが今身ごもっている。助けに行かなければならない。」と、すぐに奉仕に出かけたのでした。何というマリア様のご謙遜。何という愛徳でしょうか。マリア様は全人類の救いの為に、人類を代表して、「はい。」と言ったのみならず、「天主の御母である」という地位にもかかわらず、聖エリザベトの奉仕の為に、あたかも奴隷であるかのように、召使いであるかのように、女中であるかのように働く為に行ったのでした。

ここにマリア様の2つの役割が見えるのではないでしょうか。1つは、「天主の御母となる、全人類の救霊の為に働かれるマリア様」と同時に、「肉体の弱さも、人間の持つ条件の惨めさをも助けたいと思う、愛徳のマリア様」この2つは実際、マリア様において全く一致しているのです。

マリア様がイエズス様を体内に宿しつつ、「急いで」と聖書には書かれていますが、山を通って、何日間かの旅を危険な旅をして、聖エリザベトの家に訪問した時に、挨拶をします、「こんにちは。」

すると聖エリザベトはマリア様の声を聞くと、体内の子供が喜び踊るのを感じました。皆さんもご存知の通り、洗者聖ヨハネはその時に罪を、原罪の汚れを赦されたのでした。聖エリザベトは聖霊に満たされて、マリア様が天主の御母であるという事を知ります。「一体なぜ主の御母が、私に来る事になったのでしょうか!天主の言葉を信じたあなたは何と幸いであるか!」と、聖エリザベトは全てを知っていました。

マリア様がなさった最初の奇跡がこれでした。霊的な奇跡であって、洗者聖ヨハネの罪を赦す事でした。マリア様が天主の御母となったのはまさにこの事でした。私たちを天国に連れて行くという事でした。罪の赦しを与えるという事でした。天国への道標と天国へと導く道となる事でした。マリア様は天主の御母となったその最初の瞬間から、これを実践されました。

そればかりでありません。マリア様は聖エリザベトのあたかも女中であるかのように、身の周りの世話をして、肉体労働もされました、奉仕もしました。マリア様のこの私たちの「霊的な」のみならず、「物質的な肉体的な」事さえも心配してくださる、という事は、その第二の奇跡に、最初の奇跡に、第二の物体的な奇跡に表れています。それがカナの婚宴でした。

「この人たちにぶどう酒がありません。」と。霊魂の救いとぶどう酒と一体何の関係があるでしょうか。婚宴で人々がお酒を飲んで、楽しむか楽しまないかが一体何の関わりがあるでしょうか。しかしマリア様はその事をも心配しておられたのでした。「年を取った聖エリザベトがきっと苦しんでいるだろう。」という事を心配されたように、「あぁ、お酒がなくてこのきっと新郎新婦もきっと恥ずかしい思いをするだろう。何とかしてあげたい。」その為にイエズス様にお願いして、奇跡さえも起こすのです。「婦人よ、私の時はまだ来ていない。」それでもマリア様の介入で奇跡が行われました。

このご訪問を見ると、マリア様の私たちの母としての愛情がよく伝わってきます。ある神学者の話によると、「天主の御母としてマリア様は、天主から全てを受け取り、人類の母として霊的な母として、私たちに全てを与える。天主から受けた全てを、マリア様は全て与える。」

第一のエヴァ、全ての人類の肉体的な母であるエヴァは、アダムをそそのかして罪を犯しました。アダムをそそのかして「罪を犯すように」と誘いました。呪われた蛇の、堕天使の言葉を信じて、天主から「取っていけない」と言われた木の実を取って、それを食べてしまいました。そこで天主はその時に「お前と女の間に敵対を置く。」と宣言をしました。

第二のエヴァはこれと、第一のエヴァと全く反対をいって、その第一のアダムとエヴァの罪の償いを果たすべき御方でした。大天使聖ガブリエルの言葉を信じて、「全てその通りこの身になる」という事を信じて、その身に起こる事を全て受け取る事を望みました。天主の御旨が果たされる事だけを望みました。マリア様が望んだ事は、「主の御旨を果たす。主の婢女の事をする。」という事でした。そうやって、第二のアダムを十字架の木の上に付ける事に同意しました、釘付けする事を同意しました。第二のアダムとエヴァは2人で、十字架の木の下におりました。ちょうどそれが、第一のアダムとエヴァが禁断の木の実の下において、罪を犯したその反対でした。

罪の償いをした時に天主は、この時は第二のアダムすなわち天主がこう言いました、「女よ、汝の子ここにあり。」人類に向かって、聖ヨハネを通して全人類に向かって、「汝の母ここにあり。」と宣言されました。マリア様が私たちの母として私たちに、単に救い主の母となるという事を人類を代表して宣言したのみならず、ただ単にこの1人の老人、或いは1つの婚礼のカップルの為に心配したのみならず、マリア様は全人類の救いと、その全ての事について心を砕く母として宣言されました。

第二のエヴァの役割はこれです。贖われた全ての者たちの母として、特別の役割を果たすという事です。幼きイエズスの聖テレジアが、「私は全ての天国を、この地上に善をもたらす為に使いましょう。」と言ったのであれば、マリア様はどれほどの心を以て私たちに善を果たそうと、善をなそうと心を配って心を砕いている事でしょうか。

マリア様はちょうど聖エリザベトになさったように、私たちにもイエズス様を以て訪問されます。もしも私たちがお恵みを受ける事ができるとしたら、イエズス様からのお恵みを受ける事ができるとしたら、それはマリア様が運んで下さるからです。マリア様は私たちの救霊のみならず、全ての事について気を配って下さいます。

では私たちは今日、一体どのような決心をすれば良いでしょうか?

マリア様のご訪問を受けて、マリア様に、「天主の御母が私たちを訪問して下さるとは何という事でしょうか!」マリア様の御愛を受け止める事を提案致します。

それと同時に、マリア様がなさっている事を私たちも真似る事を提案します。洗者聖ヨハネはマリア様を通して、マリア様の御取り次ぎによって罪を赦された後も、祈りと犠牲の、償いの生活をしました。「私は小さくなり、イエズス・キリストが大きくならなければならない。」と仰っていました。私たちも聖ヨハネにならって、ますます私たちが小さくなり、イエズス・キリストが私たちに於いてますます大きくなりますように。マリア様の御取り次ぎを乞い求めましょう。

またマリア様は私たちに、1つ命令をしました、「あの人の言う事を何でもしなさい。」そうして初めてカナでの奇跡が起こりました。この言葉は私たちにいつも有効です。マリア様が私たちに言うのはこの事です、「イエズス様の仰る事を全てしなさい。」イエズス様はこう仰ったではないでしょうか?「主の御旨を果たす者は全て私の母であり、私の兄弟である。」「私の母はどこにいるのか?主の御旨を果たす者がそうだ。」と。

マリア様は、主の御旨を全て果たしました。主の御旨を完璧に果たした方が天主の御母聖母マリア様です。マリア様はそれと同じ事を私たちに命令しています、「このイエズス様の仰る事を全てなさりなさい。」と。その時に私たちは奇跡を起こす事ができます。マリア様の御取り次ぎによって、奇跡が起こります。

では今日のこのご訪問の祝日において、初土曜日において、マリア様の御心の中に深く入る事に致しましょう。マリア様のご訪問を受ける事に致しましょう。


「マリアは立って、急いでユダの街を通ってエリザベトの家に行き、その彼女に挨拶をした。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2016年8月5-8日の聖伝のミサの報告:聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2016年08月25日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

8月の第1主日の前後のミサ聖祭と聖母黙想会のご報告を紹介いたします。
8月7日の主日には、東京では 42人の方々がミサに参列しました。
今回は、ミサの後の公教要理で、大阪と東京では聖霊の12の実りについて黙想しました。

日本で初めての聖グリニョン・ド・モンフォールの聖母黙想会では、31名の方々が参加しました。天主様に感謝! 指導して下さったシュテーリン神父様には深く感謝します。
8月15日に、日本で初めて聖母行列をすることもできました。天主様に感謝!
聖フランシスコ・ザベリオが日本に到着した8月15日に、私がミサ聖祭を捧げることが出来たのは、去年に引き続き今年で二回目でした。天主様に感謝!

では、愛する兄弟姉妹の皆様からのご報告をご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

8月の初金、初土の御ミサの報告をお送りいたします。

8月5日(初金・雪の聖母の大聖堂の奉献)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサには16名が、
8月6日(初土)わが主の御変容の祝日のミサには14名が御ミサに与り、御聖体拝領する御恵みを頂きました。 デオグラチアス!

初金曜日には御ミサのあと、御聖体降福式があり、御聖体にましますイエズス様と聖時間を過ごすことが出来、幸せでした。

金曜日のお説教ではイエズス様が、私たちに聖心に対するどのような信心を望んでおられるかを黙想いたしました。
イエズス様は、マリア様の御心への信心を通してイエズス様の聖心をお慰めする事を望んでおられることがよくわかりました。

土曜日のお説教。イエズス様は御変容の奇跡を通して、ご受難を受けられて辱められ、傷つけられ、嘲られてもご自分が約束の救い主であり、教会のかしらである事を弟子たちに前もって教えられ、苦しみの後に受ける報いはイエズス様と同じように光り輝く姿である事を告げられました。
イエズス様がご受難を受けられたように、イエズス様の神秘体の花嫁である教会も受難をうけ、ファチマのヴィジョンで聖母がルチアにお見せになった教会の殉教の時が始まっていることは恐ろしい事だと思います。だからこそ私たちはマリア様の汚れなき御心に馳せより、御変容を信じようとしないリベラリズムに抗ってイエズス様のご神性をマリア様のようにしっかりはっきり宣言したいと思います。

【報告】
公教要理の報告
アヴェ・マリア・インマクラータ!

土曜日の御ミサの後の公教要理では、聖霊の12の実りについて勉強いたしました。
聖霊の「賜物」と「実り」の違いがはっきりわかりました。
聖霊の賜物は聖霊が私達に無償でお与えくださる恵みであり、
聖霊の実りとは、その賜物を使って出来た結果(実り)であります。

ウルガダ訳聖書では12の実りが訳されているけれども
バルバロ訳では9しか訳されていない原因もわかりました。

よくわからなかったのは、実りの中の「誠実」と「善良」、「慎み」と「貞潔」の違いです。日本語だとバルバロ神父様がご苦労なさったように、意味が重なっている部分がありますね。
英語の本を読むときにもよく混同してしまいます。

黙示録に出てくる12の実りですが、
11章の22節ではなく、
22章の2節にでているようです。(^.^)/


【お返事】
聖霊の12の実りは、ブルガタ訳では、次の通りです。
caritas, gaudium, pax, patientia, benignitas, bonitas, longanimitas, mansuetudo, fides, modestia, continentia, castitas.

ところが、ギリシア語ではこれが次の九つしかありません。
αγαπη, χαρα, ειρηνη, μακροθυμια, χρηστοτης, αγαθωσυνη, πιστις, πραοτης, εγκρατεια.

そこで、バルバロ神父様も九つしか訳してありません。

caritas, αγαπη,
gaudium, χαρα,
pax, ειρηνη,
patientia, μακροθυμια,
benignitas, χρηστοτης,
bonitas, αγαθωσυνη,
longanimitas, (対応なし)
mansuetudo, πραοτης,
fides, πιστις,
modestia, (対応なし)
continentia, εγκρατεια.
castitas (対応なし)

これらの聖霊の実りに反するような法は存在しません。


【報告】
​アヴェ・マリア・インマクラータ!

昨日一昨日と、初金・初土(イエズス様の御変容)の御ミサ、御聖体降福式、聖霊の12の実りについての勉強会など色々ありがとうございました!!(*^▽^*)

ファチマ100周年を良く準備する事ができますように、特にマリア様の汚れなき御心に捧げられた御聖堂を頂いた者として、8月15日からのロザリオの十字軍を頑張りたいと思います!!o(`ω´ )oまたその直前に聖母黙想会にも与る御恵みを頂くことができましたので、マリア様の御心の中に深く入って行くことができますように、私のためにもお祈りをお願い致しますm(_ _)m

公教要理に書いてある善業の「断食」と「施し」は、その言葉のままの意味しか今まであまり捉えていませんでしたが、第7主日の御ミサの小野田神父様の御説教を聞いて、その深い意味を知ることができました!ありがとうございます!

時間を超えて、場所を超えて、イエズス様といつも一致していることを自覚して、マリア様が私たちに仰って下さった、イエズス様の仰ることを何でも、イエズス様の御旨をいつも果たすことができますように!!
私のためにもお祈りをお願い致しますm(_ _)m

デオ・グラチアス!

【報告】【聖母黙想会】
+Ave Maria Immaculata

親愛なるトマス小野田神父様
この度は黙想会に与らせていただき、有難うございました。
無事に家に帰り、マリア様、天主様の豊かなお恵みを得られたことに感謝いたします。
シュテーリン神父様、トマス小野田神父様、アジアの聖ピオ十世会のため、お祈りしています。

【報告】【聖母黙想会】
+ Ave Maria Immaculata!
トマス小野田圭志神父様
聖母黙想会におけるご指導をありがとうございました!
最終日には聖母行列も行なってくださリ、読誦ミサと歌ミサ、聖時間、聖体降福式、ロザリオ、その他種々の祈りに加えて
聖母被昇天の大祝日に、大阪の街をマリア様を讃えながら歩いたことは稀有なお恵みです。
このお恵みに応えて、己を捨てマリア様のみ旨に従うよう、マリア様と化してしまうように自ら祈り求め、マリア様への全き奉献、従属に努めたいと思います。
自分の力では何一つ善を行なうことができません。すべての聖寵の仲介者なるマリア様への完全なる奉献を実行し、マリア様によって、マリア様と共に、マリア様のうちに、マリア様のために生きることができますように。そしてイエズス様をマリア様によって完璧に愛し、主のために死ぬことができますように。 
シュテーリン神父様とトマス小野田神父様の沢山の犠牲とご奉仕に感謝いたします。


【報告】【聖母黙想会】
黙想会ご指導ありがとうございました
今回の黙想会に参加するように勧めてくださり、ありがとうございました。
お恵みを確かにいただきましたので、神父様のご指示に間違いはありませんでした。
日本のコミュニティのため、神父様のミッションのためたくさん祈ります!

【報告】【聖母黙想会】
+ Ave Maria Immaculata!
トマス小野田圭志神父様
私のためにお祈りをありがとうございます。
聖ヨゼフ様より奇蹟のお恵みをいただきましたのでご報告をさせていただきます。
「聖ヨゼフ様の油」を聖母黙想会初日に(まだ沈黙を命じられていない時に)マリアさんよりいただきました。
私は頸椎がちょっと悪くて首が疲労しやすく、こわばりが生じます。いただいた聖ヨゼフ様の油を黙想会期間中毎晩首に塗って休みました。翌日の日中ずっと首の疲労がなく、ごミサや聖時間、ロザリオの祈り、そして講話の時も普通に過ごすことができました。
仕事に行く朝のことです。脈打つようなガーンガーンという頭痛がありました。首を酷使するとこうなるのです。これはいつもすぐには直りません。大体翌日まで続きます。その日は辛い状況の中仕事をしなければならないことが目に見えていました。
私は聖ヨゼフ様の油を首に塗って出かけることにしました(聖ヨゼフ様の紐〈帯〉ももちろん身に着けています)。
首に聖ヨゼフ様の油を塗るや、何だか楽になったような気がしました。そしてその日は頭痛も消えて普通に仕事をすることができました。聖ヨゼフ様がお助けくださったのです。童貞聖マリアの浄配聖ヨゼフは讃美せられさせ給え!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

天の国は、畑に隠された宝物を見つけたものと例える事ができる。

2016年08月23日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年7月8日(金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年7月8日(金) 寡婦聖エリザベト女王のミサ
小野田神父説教


聖母の汚れなき御心教会にようこそ。今日は2016年7月8日、聖エリザベトの祝日を祝っています。

「天の国は、畑に隠された宝物を見つけたものと例える事ができる。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖エリザベトの祝日で、福音書では天の国の例えとして、畑に埋められた、古代文明の残した価値の宝の山を見つけた人の話を、例えとして出されています。

ヨーロッパでは或いはおそらくパレスチナでは、古代のどこかの王様、或いはどこかの皇帝が、或いは金持ちが密かに隠しておいた、或いは何かの事でそこに埋められてしまったものすごい宝が時々出てきました。(きっとノアの箱舟の前の時代のものなのでしょう。)今でも出てくる事があるそうです。その宝はもうお金ではもう値が付けられないもので、そのような宝の山を見つけた人は、その畑にそれがあるというのを知ると、それをこっそり隠しておいて、「この畑を買いたい。この畑を買う為だったらもう全財産をなげうってでも絶対買いたい。特にそこの宝がある所だけは買いたい。」と思って、「その為だったら持ってる物を全てなげうっても、どんな犠牲もいとわない。何故ならば、それとは比較にならないほどの巨大な利益が待っているからだ。」

ちょうど天国もそれと同じだ。天国を得る為に、その福音の為にイエズス様の教えの為に、イエズス様の私たちに下さる永遠の命、永遠の宝と比べれば、この地上の事を一切なげうって交換してもまだそれに足りない。

今日祝日を祝う聖エリザベトもやはり、このイエズス様の宝をよく知った方でした。聖エリザベトは1271年にポルトガルに、ルシタニアという所で、昔の名前でルシタニアという所で生まれ、後にルシタニアの、つまりポルトガルの女王となります。12歳の時にポルトガルの王ディオニシウスの嫁になるのですけれども、その生まれた時から非常に美しく、信心深く、敬虔で、とても素晴らしい女性だったという事です。結婚してからは、王の為に全力を尽くして、それに奉仕して、王を喜ばせようとしていました。しかしもちろん祈りを、王の前に必ず天主様を第一に奉仕し、その次に夫である王に奉仕しました。

女王として毎日必ずミサに与っていたそうです。その信心は非常に深く、愛徳も深く、多くの貧しい人を助けたり、或いは修道院に寄付をしたり、教会を建てる為に援助をしたり、多くの愛徳の業を尽くしました。特にお祈りには非常に熱心でした。たとえ王様はその王妃エリザベトを非常に嬉しく思い、とても良い女王だと思っていましたが、しかし必ずしも聖エリザベトのように熱心ではありませんでした。特に不潔の罪を犯していたようです。しかし聖エリザベトは非常に熱心で、この王の為に祈り、熱心にポルトガルの為にもお祈りをしました。

ポルトガルといえば、本当に日本に最初に来たのはポルトガル人で、種子島にやって来ましたし、聖フランシスコ・ザヴェリオもリスボンに行かれていましたし、天正遣欧使節もリスボンに到着しましたし、最初にできた辞書はポルトガル語と日本語の辞書でしたし、当時のキリシタンたちはポルトガル語をペラペラ、ラテン語とポルトガル語をペラペラ話していましたし、今でも多くの日本とブラジルの間には関係があるので、ポルトガル語をたくさん話す方が日本に来ていますが、そのポルトガルの偉大な女王として、聖エリサベトは尽くしていました。特に平和を、貴族の間の対立や何か違いを、非常に愛徳を以て平和をもたらして、平和の女王だったとの事です。

王であるディオニシウスが亡くなっても数年間、寡婦として祈りと犠牲と苦行の生活をして、今でもその遺体は腐敗せずに残っています。特にフランシスコ会第3会員として最後は生涯を終えたので、今ではクララ修道会、リスボンのクララ修道会にその遺体が腐敗せずに残っているとの事です。

聖エリサベトが一番大切にした、宝とみなしたものは何だったでしょうか?それはミサでした。毎日ミサに与っていました。どんなに忙しくてもどんな事があっても、どんなにでもミサに与っていました。聖エリザベトにとってミサとは、お恵みと、祝福と、平和をもたらす源泉であり、源だったからです。その事を聖エリサベトはよく分かっていました。ミサでお祈りすると必ず、祝福がその答えとして返ってきたからです。

そのある時には、非常に有名な話なので皆さんこういう話をもう聞かれたかもしれません。ある時には、聖エリサベトにいつも忠実に仕えていた敬虔な召使いがいました。その召使いは、意地の悪い召使いからの妬みを買って、このいつも聖エリサベト女王と仲が良いこの召使いを「滅ぼしてやろう」と罠がかけられました。王様に意地の悪い召使いが言って、「王様、エリザベト女王様とあの召使いはどうも仲が怪しいです。」と疑いをかけました。その意地の悪い召使いの讒言、嘘の悪口を聞いて、王様ディオニシウスは非常に怒り、「そのような召使いは生かしておけない」という事で、森の中に竈を轟々と燃え立たせて、「今から召使いを送るから、召使いが、『王様の命令は実行されましたか?』と聞いたら、それがその男だから、彼はすぐにこの竈で焼いてしまわなければならない。よろしいか。」「はい、分りました王様。」森の中にその召使いを焼く竈を準備させたのです。

王様は、何も知らされてなかったこの良い忠実な召使いを呼んで、「おい、来なさい。いいか、森に行ったら竈があるから、彼らにこうやって聞きなさい、『王様の命令は実行されましたか?』」「はい、分かりました王様。そう致します。」と言って行くのです。それを陰で意地の悪いのが、「しめしめ。」と、「早くこれがいなくなれば良いのに。」というのを見ていました。

忠実な、聖エリサベトにいつも忠実なしもべは、聖エリサベトの真似をしていました。つまりお祈りが好きで、ミサに与るのが好きでした。ちょうど森の所に行こうとすると教会の鐘が鳴って、「ミサだ。」ミサの時間が始まりました。そこで「ミサだから。」という事で、教会の中に入って、ミサに与ってお祈りをしてから、王様の命令の方に行きました。

しかしこの良いしもべが教会でミサに与っている間、意地の悪かったしもべは、「早くあの男が処刑される事を」と言って、もう待ち遠しくて待ち遠しくて、どうなったかどうなったか 、という事で、どうしても待ってはいられませんでした。そこで、「どうなったか、どうなったか 、」と言ってその後を追って行って、竈に着くのです。竈に着いて、「おい、王様の命令は実行されたか!?」するとその男が捕えられて、すぐ焼ける竈に投げ込まれて、処刑されてしまいました。

ミサが終わって、何も知らずに森に行って、王様から言われた通りにそのしもべはそこにいた役人たちに聞くのです、「王様の命令は実行されましたか?」「はい、実行されました!ご覧下さい!」「あぁ!」と、何か自分の知っていたしもべが処刑されているのを見ました。

それでその事を見て、王様にその事を報告すると王様は、「えぇ!?何でこんな事が起こったのか!?この男を処刑するつもりが、別の男が処刑された!」という事で、王様は「一体何の事か!」という事でよく調べてみると、実はこの忠実なしもべは何ら罪もない無実であって、却ってこの意地の悪かったのが嘘をついて、非常に勤務の態度の悪かった、他にも問題があった召使いだという事が分かってきたのでした。女王様の疑いもきれいに晴れて、王様は本当にこの女王様を更に愛した、という事実が残っています。そういう事が伝えられています。

王様はこの時に、「これは天主の御摂理によって全てそれが起こったのだ。ミサがどれほど偉大であるかという事が分かった。」との事です。

何故ミサはそれほど偉大なのでしょうか?それはミサは、超自然の運河であって、超自然のお恵みの元である、お恵みの泉である、十字架のカルワリオへの門であるからです。カルワリオに行く事ができる為のタイムマシンであって、超自然の玄関であって、そこを通ってカルワリオまで行って、その十字架の犠牲に与る事ができる、超自然の装置であるからです。

ミサに与ると私たちは、2000年前にイエズス様が十字架の上で流されたその御血、その十字架の場所にいるのと全く同じ事がこの身に起こるからです。イエズス様は時を超えて場所を超えて、十字架の上から私たち、2016年7月8日の私たちを御覧になっています、「ミサに来たか。カルワリオのいけにえに来たか。」と私たちの事を御覧になっています。

「さぁ、この十字架の苦しみの中の恵みを全て受け取りなさい。この御血潮の無限の功徳を受け取りなさい。祝福を与えよう。どんなお恵みが欲しいのか。求めよ、祈れ、探せ、全てお前たちに与えよう。」と言って、両手を広げて私たちに全てを与えようとして待っておられます。そのまさにその現場に私たちが行く事ができる装置で、特別の超自然の行いであるからです。装置というのはおかしな言い方ですけれども、その特別な場所であるからです。

ですからヨーロッパのキリスト教文明は全て、十字架のこの祭壇の周りに立てられました。平和はこの十字架のいけにえの下にそこから広がりました。発展と、人々の間の信頼と、その分かち合いと喜びは、このいけにえ十字架から来ました。そこから赦しと祝福と喜びがやって来ました、その上に立てられました。これこそがこの地上において、永遠の命における祝福の元だったのです。

ですから聖エリザベトは、どのような事をしても、どんなに難しい事があっても、「このミサにだけは与りたい。ミサが第一だ。」と思っていました。このしもべもそうでした、「王様の命令をするけれども、ミサの方が好きだ。」

では私たちも、聖エリザベトの御取り次ぎによって、特に日本と関連の深いポルトガルの女王様でしたから、私たちの為にもよくお祈りして下さるに違いありません。私たちがこのミサをますます愛してそれに与る事ができますように。天主様のお恵みによって、この聖伝のミサを、イエズス様のいけにえである十字架のいけにえの再現であるミサを、多くの方々がその価値を理解して、日本中に世界中にこのミサが捧げられますように、お祈り致しましょう。

「天の国は、畑に隠された宝と例えられる。」

聖父の聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加