Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ローズ・フーさんの「楽在苦中」 第2章 探究

2011年08月31日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 アジア管区長クチュール神父様は、インタビューの中で、私たちの友人であるローズ・フーさんについて言及されました。

[Image]


 ローズ・フーさんの本「苦しみの中の喜び」(アジア管区サイトあるいはアンジェル・プレスでお求め頂けます)は日本語にも翻訳されつつあります。


[Image]


[Image]


 そこで、愛する兄弟姉妹の皆様にこの日本語訳の続き(第2章)をご紹介したいと思います。これを日本語に訳される労を執って下さった兄弟に心から感謝します。

第2章 探究

 行き場の無いボートには、風がどの方向から来ようとも、それはいつもボートに逆らって吹いています。 真実を求めている人にとって、どんなに小さいものでも天主様を知るための一歩となります。聖霊は絶えず私を導いています。 私が世界の一時的な性質と虚飾に気付く様に助けたのは聖霊でした。それ以来、私は真実を探し求めようと決心しました。

 周知のように、中国のほとんどの家族は仏教徒の習慣に従います。 私の家族もこの規則への例外ではありませんでした。 中国の旧正月またはいくつかの大きな祝日に、人々は豊かな生活、或いは子供が授かるよう仏陀を崇拝しに寺院に行きます。 私はその様な願いはかなり簡単であると思いました。 自分を助けてくれる人を探すか、経験豊富な医師に見てもらえばいいのですから。 人はなぜ木彫の像を神として崇拝する必要があるのでしょうか? 旧正月毎に、私は母と共に町の寺に行きました。 お寺の中はそこら中すさまじい煙で、息も出来ませんでした。閻魔大王の陰気な顔と四天王の恐ろしい形相を見たとき、私は死ぬほどおびえて、悪夢を見ました。 お寺の中での礼拝は、少しの平安や喜びも私にもたらしませんでした。 私の心は非常に空しく、気持ちが楽にはなりませんでした。


 約翰中学で学んだ私の兄の一人は、聖公会の信者としてそこで洗礼を受けました。 時々、彼は自分の宗教の教義を語りました。 我等の主であるイエズス・キリストの御降誕。 人類を罪への罰から救うために十字架につけられ、3日目に死者の内から復活されたこと。 私は、イエズス・キリストが長年待ち望んでいた救世主であるに違いないと信じました。 彼は単に人間であるだけではなく、神でもあり、死に打ち勝って、私たちのために天国の門を開けられました。 しかし、私の兄が、彼の宗教の創設者が単に離婚したいがために、ローマ教皇から離れて新たに宗教を組織したヘンリー八世であると私に言うと、私は宗教の創設者として、彼自身さえ神の戒律を保つことが出来なかったのだと考えました。 どうしてこの宗教は、本当で純粋でありうるでしょう? そして、どうしてそれを確信できるでしょうか? 私は絶え間なく真理を求めなければなりませんでした。

 私の小さなボートはまだ湖を旋回していました。 私は何年間も震旦女中に通い、公教要理のクラスにも長い間いました。 私は余りにも頑固で反抗的であり、正しく手綱の無い荒馬に似て、従えることができませんでした。 私は修道女や信者との間に、わざと問題を起こすのが得意でした。 例えば、私のクラスメートは間違った行動等のために少しの罰も受けず、マザーXがなぜ庇われるのに値しなかった人をしばしば弁護したのかと尋ねました。

 ある日、マザー陸は、私が洗礼を受ける準備ができているかどうか私に尋ねました。 私は率直に答えまして言いました。 「マザー、私は個人的な意図の為にカトリック教徒になりたくはありません。人の中には、単に修道女を喜ばせる為にカトリック教徒になる人もいます。 或る者は海外に行きたい為に、またある者は…」マザー陸は私の答えに非常に驚きました。 彼女は少しの間ためらい、そして、冷静にゆっくりと私に話しました。「あなたはカトリック教徒になろうとする意志を純粋なものにしたいと望んでいます。 それは良いことです! 「将来、信仰があなたの上により多くの動機を与えるでしょう」。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。