Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖ピオ十世会聖伝のミサ(ラテン語のミサ)報告 2018年3月 四旬節 次のトリエント・ミサは大阪で4月1日です。

2018年03月31日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 毎年恒例ですが、今年も日本で枝の主日のミサを捧げることができたことを嬉しく思います。

 訃報ですが、聖木曜日に私たちの姉妹の一人が霊魂を天主にお返しになりました。永遠の安息がありますように。愛する兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

 さらに、カナダ管区長になられたクチュール神父様の父上様がお病気なのでお祈りをお願い致します。

 次の日本での聖伝のミサは、4月1日の復活祭のミサです。午後6時から大阪の聖母の汚れなき御心聖堂で執行されます。

4月1日:復活祭【大阪】

5月3日から8日まで:秋田巡礼【秋田】ご予約の連絡はお早目にどうぞ!

秋田巡礼の内容はこのチラシもご覧ください。

Akita Pilgrimage 2018 (English)

インターネットでのお申込みの場合

http://blog.goo.ne.jp/sspxjapan_akita_pilgrimage/
Webサイトの「メッセージを送る」で送信してください。


5月20日:聖霊降臨の主日【東京】

6月3日:御聖体の荘厳祭【東京】

7月16日(うみの日)マーチフォーライフ【東京】





8月18日:デ・ガラレタ司教様:大坂で堅振式
8月19日:デ・ガラレタ司教様:東京で堅振式

 クチュール神父様のお説教を YouTube で視聴できるウェブサイトがありますのでご紹介いたします。
Fr. D. Couture’s Conferences online


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私たちの大切な小野田神父様こんばんは。
3月の大阪の御ミサの報告をお送りいたします。

3月23日 御受難の金曜日(聖母の七つの御悲しみの記念)ミサには20名が、
3月24日 御受難の土曜日 のミサには20名が御ミサに与るお恵みを頂きました。デオグラチアス!

御受難の金曜日のお説教では聖母の七つの御悲しみを神父様と共に黙想させて頂きました。
最後の晩餐を終えて、ゲッセマで血の汗が出るほど苦しまれたイエズス様と霊的に苦しみを共にされたマリア様、
イエズス様が捕えらえたことを聞かれた時のマリア様、
ピラトが「この人を見よ」といった時バルコニーに現れたイエズス様をご覧になったマリア様、
人々が「十字架につけよ」と叫び狂うのを聞かれたマリア様、
すて札に「イエズス」という名をご覧になられた時のマリア様、
十字架を担うイエズス様に会われたマリア様、
カルワリオでのマリア様、
イエズス様の御死去をご覧になったマリア様、、、、、

ミサの前に、十字架の道行きがありましたが、お説教の中でもう一度十字架の道行きをしたように感じました。
私達の想像を越える御苦しみと御悲しみを、イエズス様の共贖者としてイエズス様と共に天主に捧げられたマリア様 に感謝し、
これ以上お悲しませしたくない、お慰めしたいという気持ちになりました。

土曜日のお説教では枝の主日の意味を黙想し、聖週間の準備をしました。
十字架がなければ天国の門は開かれず、十字架に従い、続くならば絶対の覚悟が必要である事、棕櫚の枝をこの世の殉教者として、キリストの兵士として受けることなど、多くの意味を知りました。天国の門を開けることができる唯一の栄光の王であるイエズス様の歩まれた十字架の道を、恐る恐るではありますがマリア様にしがみついてなんとか最後まで歩きたいと思います。

御ミサの後、御聖体降福式があり、イエズス様の前でロザリオを唱えることが出来て幸福でした。御聖体「幸福」式ですね。
イエズス様とマリア様をお悲しませすることが無いよう、もっとお慰めする事ができるお恵みをお願いしました。

また、この度終油の秘跡を受けられた愛する姉妹に、イエズス様とマリア様の特別のお恵みとお助けをおいのり致します。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 21人(内、子供2人)
女: 31人(内、子供4人)
計: 52人(内、子供6人)


【報告】【東京】
十Ave Maria! Inmmaculata!

枝の祝別式と枝の主日のごミサをありがとうございました。
枝の祝別では、聖歌隊による「ダヴィドの子にホザンナ。祝されよ、主の名によって来るもの、イスラエルの王よ、いと高きところにてホザンナ」の歌で始まりました。一人一人司祭からいただいた枝を手に、外にでて行列をつくり、それから、扉の門を開けて御聖堂(である会場)の中に入りました。ここでイエズス様と一緒に門に入るということが重要なことで、天国の門に入ることと教えられました。棕櫚の枝というのは勝利のシンボルであり、最後まで霊的にイエズス様にお供するにはイエズス様にしたがって殉教することを意味していると伺いました。

四旬節のなかご受難の黙想をしながらイエズス様がどれほどの御苦しみを受けられて私を贖ってくださったのかを考えようとしていましたが、司祭による聖福音のご受難の朗読とあいだに入る聖歌隊による答唱は、心にしみるものでした。特に最後の場面の司祭によって歌われた場面の響きは胸のジーンと浸み渡り、ずっと余韻が残っております。

お説教でご受難でイエズス様が受けられた苦しみは肉体的なもの・精神的なもの・霊的なものであると教えられ、私たちが罪をおかすごとにイエズス様を裏切り否み、鞭打っているのだと反省いたしました。またイエズス様が御父からさえ捨てられるという想像を絶する悲しみ苦しみは、私たちを愛するが故のことであったとうかがいながら、その愛にたいして私のささげている感謝は何とちっぽけなものでほとんど忘れて思い出すことも少ないかを思い、どれほどもっと反省しなければならないかと思いました。

イエズス様はこのような苦しみを受けて死んで三日後に復活するということを必ず話されていたとのことを胸に刻もうとしていましたが、この日の枝の主日にはあらためてそのことが再現されていると感じられました。天国にいたるまでイエズス様と離れないようにしなければと思いました。

午後の公教要理の時間は、マリア様の七つの御悲しみについて黙想する講話をお話いただきました。奉献の時神殿でシメオンに出会った時のこと、エジプトへの避難、十二歳のイエズス様が迷子になった時のこと、十字架をかつぐイエズス様と会われた時のこと、十字架のもとでたたずまれた時のこと、イエズス様が十字架から降ろされて抱き給われた時のこと、イエズス様が墓に葬られ給われた時のこと。最後の方は時間が迫ってしまい残念でした。それぞれのお話を聴きながら、残る聖週間の間、このマリア様の御悲しみを深く黙想することができますよう胸に刻んで、恵みを求めました。神父さま、枝の祝別式と枝の主日のごミサをありがとうございました。

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