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2019年3月16日(土) 四旬節の四季の土曜日ミサ説教 「四旬節を過ごすことによる勝利」

2019年04月02日 | お説教・霊的講話
2019年3月16日(土)四旬節の四季の斎日 土曜日のミサ
小野田神父説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年3月16日、四旬節の四季の斎日の土曜日のミサをしています。

このミサの終わりに、感謝のお祈りの終わりに、皆さんと一緒に御聖体降福式を致しましょう。

初土では聖ピオ十世会と私たち信徒を汚れなき御心に奉献しましたけれども、今回は聖母の騎士の奉献を更新致しましょう。

次のミサは4月の初金・初土にあります。



「これは、私の愛する子である。彼に聞け。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、そして小さなお友達、今日は四旬節の四季の斎日の土曜日です。
指定巡礼教会というのがあって、昔から、今日は聖ペトロの御墓の上に建てられた「聖ペトロ大聖堂」、今ではバチカンにあります、そこに集まってミサを捧げました。

そこで、
⑴一体、昔からこの土曜日にはどんな事をやっていたのか?

⑵そしてこのミサは一体私たちにどんな事を教えているのか?

⑶そして最後に、特に聖福音では私たちに何を教えているのか?四旬節と一体どういう関係があるのか?という事を黙想して、

⑷遷善の決心を立てましょう。


⑴第1に、古代の初代の教会は、聖ペトロの御墓の元に、教皇様も聖職者も信徒も一緒に集まっていました。四季の斎日というのは、年に4回、春・夏・秋・冬、今は春ですけれども、お祈りと断食を特に捧げて、そして特別に、天主であるイエズス様に感謝をしていました。

特にこの春の四旬節の四季の斎日は、四旬節も兼ねているので、大きなたくさんのお祈りと断食を捧げていました。

聖レオ教皇様という方がいます、5世紀の方です。461年に亡くなりました。立派な聖人の教皇様です。この教皇様は、今から1500年前に既に、四季の斎日には何度も何度も同じ御説教をしています。仰った事はこうなのです、「四季の斎日の水曜日と金曜日には、私たちは断食をする。そして土曜日には、徹夜のお祈りをして、天主に感謝する。徹夜のお祈りを聖ペトロのお墓の元でする。」

つまり、1500年間教会は、ずっと同じ事をしてきました。そして聖レオ教皇様は、私たちが今読んだ読誦や、書簡や、そして福音に関する御説教もしています。「イエズス様が御変容された」という御説教を残しています。1500年間、少なくとも教会は、ずっと聖ペトロの元で、イエズス様の御変容の事を黙想していました。断食と祈りを徹夜でしていました。

ちょうど復活の徹夜祭というのは、今私たちは教会でありますけれども、聖土曜日の夕方に夜からずっとお祈りをして、そして真夜中にミサが始まる、というように、この土曜日のミサも、夜中断食をして、お腹が減って、お祈りをして、お祈りをして、お祈りをして、そしてこのミサがちょうど明け方頃に終わる、というような構造でした。

時代が経つにつれてミサをする時間がだんだん早くなって、朝早くから始める事ができるようになりましたけれども、昔々は夜中から始まっていました。教皇様が聖ペトロの御墓の元で、グレゴリオ聖歌と、美しい歌と、天からの響くような歌と、お香の煙と、そして多くの信徒と、そして聖職者たちの祈りの中で、このミサを捧げるのは、どれほど荘厳な熱烈なお祈りだったでしょうか。


⑵では第2に、このミサではどんな事が私たちに伝えられているか?という事を少し垣間見ます。

言ってみればこれは、復活祭の先取り、もう既に復活祭を祝っているかのようでした。

まず、「夜中にミサが始まった」という事で、入祭誦で、「私たちのお祈りが、御前に聞き入れられますように、入りますように」と言って、「私たちは昼間叫び、そして夜はあなたの御元にいます。朝も夜もあなたの御前にお祈りをしています」と言ってから始まります。

最初の2つの読誦は、天主様が私たちに語りかけています。モーゼの声を通して私たちに語りかけています。

次の2つの、3番目と4番目の読誦は、私たちが天主様に「感謝の祈りを捧げる」という声を天主にあげています。

第5番目は、あたかも日がそろそろ明け方になってきたかのようです。「3人の子供たちが火の竃で、迫害を受けて竃で燃やされるのだけれども、何の傷も受けない」という、そういう旧約聖書の事を見て、そしてこの3人の子供が全く傷を受けずに火の中から生きて出てきた、というのを見て、「これは復活の、私たちの復活の前兆だ」と見ています。そして天主に讃美の讃歌を捧げます。

そしてちょうど福音の時には、太陽が上がったかのように、正義の太陽であるイエズス様が燦然と輝きます。

今日の、この特に最初の朗読を見ると、本当に美しい、美しくて感動します。モーゼの声を通して天主は言うのです、「主は今日、あなたたちを選んだ。それは主の特別な民となる事ができるように。そしてお前たちを他の国々よりももっと高い国にする為に選んだ。特別に選ばれた。特別に愛された。そして主は、主の聖なる民とする事を望んでおられる。」なんと美しい言葉でしょうか!

それと同じ事を今日、教会の口を通して、司祭の朗読を通して、皆さんにも語りかけています。モーゼの口を通して、今日も語りかけています、「今日、皆さんと私を、天主は選んだ。特別な民とする為に。聖なる民とする為に。他の民々よりももっと崇高な者とする為に。聖なる民とする為に。だから私たちは主の掟を守らなければならない。」

「主よ、私も今日私たちも、御身を我が主、我が天主と選びます。御身こそが真の天主、御身の御旨を果たす事ができるように助けて下さい。御身の掟を、聖なる掟を守る事ができるように助けて下さい。」

第2の朗読も非常に美しいものです、「私はあなたたちに命ずる、『汝の天主である主を愛せ。そして彼の道を、主の道を歩け。すると主は他の民々よりも、より高い者にあなたたちをする。たとえこのお前たちよりもより偉大で、より強い人たちがあったとしても、彼らよりも更に高める。彼らを滅ぼしてまでも、お前たちにそれらの土地を与える。」

ユダヤの民はもちろん、この自分たちよりも強い民々を征服する、という政治的な事を考えたかもしれませんが、私たちは「悪魔の力」と「罪の力」の事を考えます。私たちの敵というのは、「罪」であるからです、「悪魔」であるからです。そして「たとえ悪魔の力が、誘惑が、どれほど強大であったとしても、私たちはそれに打ち勝つ事ができる」と約束されています。

第3の朗読もとてもきれいです、「私たちのいけにえを受け入れて下さい。私たちが主の道を堅忍する事ができますように、それを聖化して下さい。」

第4の朗読は、もう早く、もう夜が更けて早く夜明けにならないかと待っているかのようです、「御身の憐れみの光を照らして下さい。早く、時を早めて下さい。終わりが早く来ますように記憶して下さい。早く、主よ、来て下さい。」主の来臨と、主の勝利を待ち望む声であるかのようです。

その次のGradualeは、まだ夜のいけにえ、晩のいけにえについて、夜のいけにえについて話していますけれども、その次のお祈りは集祷文は、始業の祈りであるかのようです、「私たちが、御身によって始まったこの今日の仕事を、御身によって終わる事ができるようにして下さい。」ちょうど日が昇り、新しい日が始まりかけているかのようです。


⑶第3は、では福音で、「イエズス様が太陽のように燦然と輝いた」という事を黙想しますが、一体なぜでしょうか?

これは「四旬節の第1主日」と、「四季の斎日の水曜日」と、そして「今日のミサ」が非常に深い関係があるからです。

聖ペトロは書簡の中に書いています、「私はイエズス様の栄光を見た。そして天から聖父の声が聞こえるのを見た、『これは私の子である。彼に聞け』というのを聞いた。そのイエズス様こそ本当の救い主である、本当の天主である」と証言しています。そこでもちろん、聖ペトロの御墓に行って、聖ペトロはその事を私たちにどうしても伝えたかったに違いありません。なぜかというと目撃証人でしたから。

四旬節の第1主日では、この前ワリエ神父様が非常に上手く説明して下さったように、悪魔とイエズス様が戦いました。40日間の断食をした後に、イエズス様は誘惑を受けて、しかしそれに勝利しました。
「40日の断食」は、「勝利」に関わっています。イエズス様は最後に言います、「サタン、退け!『天主のみを礼拝しなければならない』と書かれている。」

四旬節の四季の水曜日には、実はモーゼとエリアが出てきます。
モーゼが40日間断食して、山の上で断食して、ホレブの山でシナイの山で(同じ事ですけれども)断食して、そしてその後に掟を、十戒を得た、という事を黙想します。その歴史的な事実を黙想します。

これを見ると、「40日間の断食」というのは、「天主と私たちとの愛の関わりの準備である」という事が分かります。なぜかというと、十戒は、「天主を愛し、天主を愛するが為に隣人を我が身の如く愛せ」という事を教えているからです。

エリアの話も同じです。エリアは断食をして、そしてホレブの山までシナイの山まで歩きます。砂漠を歩き通します、40日間。

つまり、「40日間の断食」は、「天主の聖なる山に登る準備をする」事と関係がある事が分かります。

つまり、イエズス様の勝利、モーゼの天主との愛の関係、エリアのホレブの山まで登るまでのその道のりは、40日間の断食によって準備されていました。

今日、四旬節の四季の土曜日には、この3人がもう一度出てきてます。今度はイエズス様の御変容の証人として。

天主であるイエズス様が燦然と輝いて、顔が太陽のように輝いて、服は真っ白に雪のように輝いて、燦然としているイエズス様の両脇に、預言の代表であるエリアと、律法の代表であるモーゼが出てきます。そしてそればかりか、天主の御声が聞こえて、「これは我が愛する子である。彼に聞け。」

四季の水曜日の時の福音では、ある婦人が、あなたのお母様は、何と幸せな事、と言うのですけれども、イエズス様は、「天主の、私の聖父の御旨を果たす者は、私の兄弟であり、姉妹であり、私の母である」と言った事と、天主聖父が、「これは私の子である」と言った事と、あたかも対応しているかのようです。

これは一体何を言いたいかというと、つまり「40日間の私たちが今やっている断食は、これはただそのままで終わるのではない。悪魔への勝利の為である、天主を愛する為である、聖徳の高い山に登る為である、復活の為である、大勝利の為である、私たちの御変容の為である。」

ですから、「私たちは、このイエズス様に倣って頑張ろう」という、「復活がもうすぐ来る」という事を、教会は私たちに教えたかったのです。


⑷では今日、マリア様にお祈り致しましょう。土曜日はマリア様の日ですから、マリア様に、「私たちがこの四旬節をイエズス様と一緒に、マリア様と一緒に送る事ができますように。私はちょっと四旬節に乗り遅れてしまいました。四旬節のいけにえを捧げよう、祈りをたくさんしようと思いつつも、まだうまくいっていません。マリア様、どうぞ助けて下さい。この四旬節、今年の四旬節が、ますますイエズス様を真似る者となりますように、マリア様と一致して捧げる事ができますように、助けて下さい。小さな犠牲ですけれども、捧げるのを助けて下さい。そして私たちが良い、とても素晴らしい復活の神秘を黙想し、そしてその喜びを味わう事ができるように助けて下さい。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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