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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

家庭におけるイエズスの聖心の着座式の式次第:Ceremonials for the Enthronement

2023年06月26日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

「家庭におけるイエズスの聖心の着座式の式次第」をご紹介いたします。

Ceremonials for the Enthronement of the Sacred Heart of Jesus in the home 家庭におけるイエズスの聖心の着座式の式次第
1. All gather around the image of the Sacred Heart. 1.全員が聖心の御絵の周りに集まる。
2. The Priest, in surplice and white stole, blesses the image.  2.司祭はスルプリと白いストラを着けて、御絵を祝別する。
The Blessing of the Picture 御絵の祝別
V. Adjutorium nostrum in nomine Domini. V.われらの助けは主の御名にあり。
R. Qui fecit coelum et terram. R.主は天と地を造り給うた。
V. Dominus vobiscum. V.主はあなたたちと共に。
R. Et cum spiritu tuo. R.またあなたの霊と共に。
Oremus. Omnipotens sempiterne Deus, qui Sanctorum tuorum imagines sculpi, aut pingi non reprobas, ut quoties illas oculis corporis intuemur, toties eorum actus et sanctitatem ad imitandum memoriae oculis meditemur, hanc quaesumus, imaginem in honorem et memoriam Sacratissimi Cordis Unigeniti Filii tui Domini Nostri Jesu Christi adaptatam bene + dicere et sancti + ficare digneris; et praesta ut quicumque coram illa, Cor Sacratissimum Unigeniti Filii tui suppliciter colere et honorare studuerit, illius meritis et obtentu a te gratiam in praesenti, et aeternam gloriam obtineat in futurum. Per Christum Dominum nostrum Amen. 祈願 全能永遠にまします天主、御身は、聖人たちのかたどりなる御絵と御像を認可し給い、われらがそれを見つめるたびに、その行いと聖性をまねるべく思い起こすようにさせ給うた。願わくは、御独り子、われらの主イエズス・キリストの至聖なる聖心を敬い、記念するために作られたるこのかたどりを祝別し、聖別し給わんことを。また、その前で、御独り子の至聖なる御心を礼拝し敬う者が、主の御功徳と御取り次ぎによりて、現世における恩寵と来世における永遠の栄光を得るようにさせ給わんことを。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン。
(The priest here sprinkles the image with holy water.) (司祭は、御絵に聖水を振りかける。)
3. Then the Priest enthrones the image of the Sacred Heart in the place of honour. This is the symbolic act of Enthronement. 3.次に、司祭は、御絵を置いて敬う場所に、聖心の御絵を安置する。これが、着座式を象徴する行為である。
4-1. All stand while the Apostles’ Creed is recited as an act of faith. 4-1.全員立って、信仰の表明として、使徒信経を唱える。
われは、天地の創造主(そうぞうしゅ)、全能の父なる天主を信じ、またその御独り子(おんひとりご)、われらの主イエズス・キリスト、すなわち、聖霊(せいれい)によりて宿り、童貞(どうてい)マリアより生まれ、 ポンシオ・ピラトの管下(かんか)にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬(ほうむ)られ、古聖所(こせいしょ)に降りて(くだりて)三日目に死者のうちよりよみがえり、天に昇りて(のぼりて)全能の父なる天主の右に座(ざ)し、かしこより生ける人と死せる人とを裁かんために来り給う主を信じ奉る。▲われは聖霊、聖なる公教会、諸聖人(しょせいじん)の通功(つうこう)、罪のゆるし、肉身(にくしん)のよみがえり、終りなき命を信じ奉る。アーメン。
4-2. Then, the litany of the Sacred Heart is recited:  4-2.次に、聖心の連祷を唱える。
イエズスの聖心(みこころ)の連祷  
主あわれみ給え。 ▲キリストあわれみ給え。  
主あわれみ給え。  
キリストわれらの祈りを聴き給え。 ▲キリストわれらの祈りを聴き容れ給え。
天主なる御父(おんちち) ▲われらをあわれみ給え。
天主にして世のあがない主なる御子(おんこ) ▲われらをあわれみ給え。
天主なる聖霊 ▲われらをあわれみ給え。  
唯一の天主なる聖三位(せいさんい) ▲われらをあわれみ給え。
永遠の聖父(ちち)の御子なるイエズスの聖心(みこころ) ▲われらをあわれみ給え。
聖霊によりて童貞母(どうていぼ)の御胎内に造られたるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
天主の御言葉(おんことば)と合体せるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
限りなき威光あるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
天主の聖堂(せいどう)なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
いと高き御者(おんもの)の住居(すまい)なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
天主の家、天の門(てんのもん)なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
愛熱の燃ゆるかまどなるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
義と愛との宝蔵(ほうぞう)なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
慈しみと愛とに充ち満てるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
よろずの徳のふちなるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
いとも賞(ほ)めたたうべきイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
すべての心の王にしてかつ中心なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
えいちと知識とのすべての宝を含めるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
神性(しんせい)の充ち満てるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
御父(おんちち)の御旨(みむね)に適い給うイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
われらの聖寵のあふれをこうむらせ給うイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
永遠の丘の希望なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
忍耐と慈悲とに富めるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
すべて依り頼む者に対して恵みゆたかなるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
命と聖徳との泉なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
われらの罪のあがないなるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
辱しめに飽かされたるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
われらの罪のために砕かれたるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
死にいたるまで従順なりしイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
やりにて貫かれたるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
すべての慰めの泉なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
われらの命と復活なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
われらの平安とわぼくなるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
罪人(つみびと)のいけにえなるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
御身に希望し奉る者の救いなるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
御身によりて死する者の希望なるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
諸聖人の楽しみなるイエズスの聖心 ▲われらをあわれみ給え。
世の罪を除き給う天主の小羊 ▲主われらを赦し給え。
世の罪を除き給う天主の小羊 ▲主われらの祈りを聴き容れ給え。
世の罪を除き給う天主の小羊 ▲われらをあわれみ給え。
心の柔和けんそんなるイエズス ▲われらの心を聖心にあやからしめ給え。
祈願 全能永遠にまします天主、いと慈しみ給う御子(おんこ)の聖心(みこころ)をみそなわし、罪人(つみびと)のために主の献げ給う讃美と償い(つぐのい)とを顧(かえり)み給いて、これになだめられ、御あわれみを求め奉る者に赦しを賜わらんことを。聖霊と共にとこしえに生きかつしろしめし給う天主なる御子イエズス・キリストの聖名(みな)によりて願い奉る。▲アーメン。
And the act of reparation are recited:  そして、償いの祈りを唱える。
人類の忘恩に対する償いの祈(聖心の大祝日にこの祈りを唱える)
いと甘美なるイエズスよ、主(しゅ)が人々に示し給いし御慈(おんいつく)しみはかえつてかれらの忘却(ぼうきゃく)と冷淡とけいべつとによりて報いらるるなり。さればわれらは、主の祭壇の御前(みまえ)にひれ伏し、いとも愛すべき主の聖心(みこころ)が、あらゆる方面より受け給う、かくも憎むべき忘恩(ぼうおん)ぼうとくを償(つぐの)わんがために特に礼拝し奉(たてまつ)る。▲されどわれらもまた、かつて主に背(そむ)き奉りたるものなるを思い出し、深く悲しみて御(おん)あわれみを願い奉る。われらはおのが罪を償(つぐの)うのみならず、さらに進んで、救霊(きゅうれい)の途(みち)を遠ざかり、主の御招き(おんまねき)に応ぜずして不信仰を改めざる者、洗礼の約束を破りて、主の御戒(おんいまし)めの快きくびきを振り棄てたる人々の罪をも償わんと望み奉る。すなわちわれらは、世の腐敗せる風俗、むくなる青少年の霊魂を堕落のふちに導く誘惑、聖日(せいじつ)の無視、主ならびに主の諸聖人に向けらるる不敬の言葉、主の代理者たる教皇を始め、すべての司祭職に対してなさるる侮辱、至聖(しせい)なる愛の秘蹟(ひせき)に対する無関心と恐るべきとくせい、主のさだめ給いし、公教会の権利と権威とにさからう、社会の公然の不義の如き、悲しむべき種々の罪を、あまねく償い奉らんと欲す。ああかくの如き罪をば、われらの血潮(ちしお)もてことごとく洗い浄(きよ)めんすべもがな。われら今ここに、主のいと高き御霊威(ごれいい)に対する冒辱(ぼうじょく)の償いとして、主がかつて十字架の上にて御父(おんちち)に献(ささ)げ給い、なお日ごと祭壇の上にて繰り返し給う償いに、童貞なる聖母、諸聖人、およびすべての信心深き信者の償いを合わせて献げ奉り、堅固(けんご)なる信仰、汚れなき生活、福音の戒め、ことに愛徳(あいとく)の完全なる実行をもつて、主の聖寵(せいちょう)の助けのもとに、われらおよび全人類の罪と、主の大いなる御慈しみ(おんいつくしみ)に対する冷淡とを、わが力の及ばん限り償い、全力を尽して、主に対する罪人(つみびと)の冒辱(ぼうじょく)を防ぎ、かつ能(あた)う限り多くの人々を、主の御許(おんもと)に呼び集めんと心より約束し奉る。いと慈悲深きイエズスよ、願わくは、至聖(しせい)童貞なる協償者(きょうしょうしゃ)マリアの御取次(おんとりつぎ)によりて、われらが進みて献げ奉る償いの約束を受け給いて、われらをして死にいたるまで忠実に主に仕え、天のふるさとにいたる日まで、この決心を固く保たしめ給え。聖父(ちち)と聖霊と共に世々に生きかつしろしめし給う主なるかな。アーメン。
5. All kneel while the priests recite the Act of Consecration of the Family to the Sacred Heart. 5.全員はひざまずいて、司祭は聖心に家庭を献ぐる祈りを唱える。
イエズスの聖心に家庭を献ぐる祈  
至聖(しせい)なるイエズスの聖心(みこころ)よ、主はかつて聖女マルガリタ・マリアにキリスト信者の家庭に王たらんとの御望(おんのぞ)みを明かし給えり。▲われらは主の御旨(みむね)を尊(とうと)みて、今日(こんにち)ここに集まり、主がわれらの家庭の王にましますことを宣言し奉る。
われらは今より、主の御生活(ごせいかつ)にならい奉りて、この世の平和に必要なる諸徳(しょとく)の花を、われらの家庭に咲き香(にお)わせ、また主の忌みきらい給う世間的精神をば、はるかにわれらの間(あいだ)より遠ざけんと欲す。願わくは、われらの知恵を治めて、信仰を素直ならしめ、われらの心をすべて、主ひとりを愛せしめ給え。われらはしばしば聖体を拝領して、主の愛に燃え、その炎をいつまでも失わざらんと欲す。▲至聖なるイエズスの聖心よ、われらのまどいに長(おさ)となり、われらの精神的および物質的事業を祝し給え。禍(わざわ)いを遠ざけ、喜びを神聖にし、苦しみを和らげ給え。
われらのうちに、主の御旨(みむね)を痛め奉る不幸に陥る者あらば、主が悔改(くいあらた)むる罪人(つみびと)に対して慈しみとあわれみとに充ちあふれ給うことを、思い出(いだ)さしめ給え。▲ついにわれらの家庭が、死別の不幸にあい、悲しみの雲に閉ざされん時は、去る者も留(とど)まる者も、すべて主の永遠の御定(おんさだ)めに服従し奉らん。やがては全家(ぜんか)挙(こぞ)りて天国に相(あい)集まり、主の御栄(みさか)えと御恵(おんめぐ)みとを、永遠に讃美する日の来(きた)るべきことを思わば、みずから慰むるに余りあるべし。
願わくは聖母マリアの汚れなき御心(みこころ)と、栄えある太祖(たいそ)聖ヨゼフとは、われらの家庭奉献(ほうけん)を主の御前(みまえ)に取次ぎ、われらをして、今日(こんにち)のこの奉献の記憶を、終生忘れざらしめ給え。願わくは、われらの王にして、父なるイエズスの聖心の、世々に活き、かつしろしめし給わんことを。アーメン。
7. All recite with the priests the following: 7.全員で、司祭とともに次の祈りを唱える。
感謝の祈り  
イエズスの至聖なる聖心よ、願わくは御身に栄光あらんことを。御身はこの家庭の成員に特権的な無限の憐れみを与え給えたればなり。
御身は、この家庭を、他の何千もの家庭の中から、御身の愛の受け手として選び給い、また、御身のいとも愛に満ちた聖心が、人々の忘恩に対する慰めを見出すべき、償いの至聖所として選びたり。主イエズスよ、主に忠実たらんとする群れの一部であるわれらは、主がわれらの家庭を統治したもうたるこの無上の名誉を受け奉るは、身にすぎて極めてかたじけなし。われらは御身を沈黙のうちに礼拝し、御身がわれらと同じ屋根のもとにて、御身の子らの労苦、心配、喜びを共にするを目の当たりにし、喜びに絶えざるなり。御身がわれらが貧しきあばら家に入り給うに、われらはふさわしき者あらずなり。されど、御身は聖心をわれらに示し給い、御身の聖なる脇の傷にて、聖寵と永遠の生命との源(みなもと)を見出すことを教え給い、かくしてすでにわれらを安心させ給えり。
この愛と信頼の精神において、われらは御身にわれら自身を奉献し奉る。御身は、変わらぬ生命なり。至聖なる聖心よ、われらと共に留まり給え。われらは、御身を愛し御身を愛させたい、という抗(あらが)いがたき望みを感じるが故なり。
われらの家庭が御身にとって、かつてのベタニアの家のように、そこでは主を愛する友人たちに囲まれて御身が安らぎを得ることができる、甘美な避難所とならんことを。マリアのように、御身の聖心の愛に満ちた親密さにおいて「より良いほう」を選んだ友人たちのいる避難所と。
われらが愛する救い主よ、御身の敵がこの世から御身を追放しようとする今この時、願わくはこの家庭が御身にとって、つつましくも、御身を喜んでもてなす避難所とならんことを。
主イエズスよ、来たり給え。ここではナザレトと同じように、われらは童貞聖マリア、御身の甘美な母に対して心からの愛を捧げ奉る。御身は聖母をわれらの母として与えたまえたればなり。御身の甘美な現存とともに、来たり給え。愛の王なるイエズスのためになさるるわれらの活動を支え、不幸と死とがいつの日か、われらに与えるも知らぬ空席を埋めるために。いとも忠実なる友よ、悲しみの中であったとしても、御身さえここにおられるならば、われらの涙は辛くもあらず。力づける平和の香油は御身だけが知り給う隠れたる傷を癒すなり。
来たり給え。おそらく今も、われらには苦難の黄昏(たそがれ)が近づきつつあるなり。われらと共に留まり給え。すでに日は暮れ、倒錯した世界がわれを否定の暗闇で飲み込もうとするがゆえなり。されど、御身のみが道、真理、生命(いのち)なり。その御身のみにわれらは従うことを望み奉る。その昔、ザケオに御身が宣うたみ言葉をわれらにも繰り返し給え。「私は、今日、あなたの家にとまる。」
しかり、愛する主イエズスよ、われらと共に御身の家に住み給え。そは、御身の愛と御身の現存のうちに、われらが生きるためなり。われらは、御身を王と宣言し、他には何も望まざるなり!イエズスよ、凱旋すべき御身の聖心が、この家庭にて永遠(とこしえ)に愛され、祝福され、栄光を受け給わんことを!御国の来たらんことを。アーメン。
8. Cor Jesu Sacratissimum, miserere nobis ! (ter) 8. 至聖なるイエズスの聖心よ、われらを憐れみ給え!(三回繰り返す)
Cor Mariae dolorosum et immaculatum, ora pro nobis.  聖母の悲しみに満ちた汚れなき御心よ、われらのために祈り給え。
Sancte Joseph, ora pro nobis. 聖ヨゼフ、われらのために祈り給え。
Sancte Pie Xme, ora pro nobis. 聖ピオ十世、われらのために祈り給え。
Sancta Margarita Maria, ora pro nobis. 聖マルガリタ・マリア、われらのために祈り給え。
(Omnes) Gloria Cordi Jesu Sacratissimo, in sempiterna saecula ! Amen. (全員)イエズスの至聖なる聖心に栄光あれ、千代に八千代に代々とこしえに!アーメン。
9. (All stand) To thank the Immaculate Heart of Mary for the grace of the Enthronement, and to proclaim and reconfirm this loving Mother as the Priestess and the Queen of the Family, all sing the Salve Regina. 9.(全員立つ)着座式という御恵みに対してマリアの汚れなき御心に感謝し、そして、この愛すべき御母を、家庭の女性司祭、元后として宣言・再確認して、全員でサルヴェ・レジナを歌う。
10. The Priest gives his blessing:  10.司祭は祝福を与える。
Benedictio Dei omnipotentis, Patris, et Filii, et Spiritus Sancti, descendat super vos et maneat semper. Amen. 全能の天主、聖父と聖子と聖霊との祝福が、あなたたちの上に降り、常にとどまらんことを。アーメン。
11. Then the members of the family sign the certificate of the Enthronement, which should be framed and hung near the image of the Sacred Heart or kept in the family archives. 11.次に、家族が一人ずつ着座式の証明書に署名する。これを額縁に入れて、聖心の御絵の近くにつるするか、家庭の保管庫に保存する。
   
13. The following indulgences to be gained by the members of the family (Raccolta 1943, page 536): 13. 以下の贖宥が、家族一人一人に与えられる(1943年版Raccoltaの536ページ)
1. A plenary indulgence under the usual conditions, on the day of die Enthronement. 1.着座式の日に、通常の条件のもとで全贖宥。
2. An indulgence of seven years for all the members of the family who, at least contrite of heart, assist at the ceremony of the Enthronement in their home. 2.少なくとも痛悔の心があり、家庭の着座式の儀式にあずかる家族全員に七年の贖宥。
3. An indulgence of three years – once a year, on the day they renew their official act of consecration before the likeness of the Sacred Heart of Jesus. 3.年に一回、イエズスの聖心の御絵の前で奉献を公式に更新する日に、三年の贖宥。
4. A plenary indulgence on the same day under the usual conditions. 4.同じ日に、通常の条件のもとで全贖宥。


聖心の着座式(Enthronement of the Sacred Heart)について

2023年06月26日 | お説教・霊的講話

聖心の着座式についての説教

ドモルネ神父 2023年6月18日

はじめに

6月は、イエズスの聖心に奉献されています。17世紀末、私たちの主イエズスは、フランスのパレ・ル・モニアルの聖母訪問会の修道女、聖マルガリタ・マリアに何度もご出現になり、主の聖心への信心を勧められました。そして、このご出現の際、私たちの主イエズスは、そのような信心を持つ人々の利益となる約束をいくつかなさいました。その中には、次のものがあります。「私は、私の心の絵が掲げられ、敬われるすべての家を祝福する」。

今日は、家族が家の中に聖心を掲げて敬う儀式についてお話しします。この儀式は、「聖心の着座式 Enthronement of the Sacred Heart」と呼ばれています。

1.儀式それ自体

聖心の着座式は家族の儀式であり、家族の長、つまり夫が主宰します。できるだけ、家族全員が出席すべきです。司祭にも式に加わっていただくのがよいでしょう。

着座式の前の数日間、家族は、良い告解と、聖心の連祷のような特別の祈りによって、霊的に準備をします。また、家の中に、イエズスの聖心とマリアの汚れなき御心の御絵あるいは御像を設置する場所を用意します。その場所は、花と1本あるいは2本のろうそくで飾られた、家の中でも栄誉ある場所でなければなりません。日本の床の間は、その目的によく合っています。

着座式の日、儀式を始める直前に、聖心の御絵を玄関の扉のところに置きます。そして、儀式は次のように行われます。

• まず、家族が着座式の恩寵を受けるための準備として、司祭は家と家族を祝福します。

• 次に、全員が玄関の扉のところにある聖心の御絵の前に進みます。これは、家族が、私たちの主イエズスを自分たちの家にお迎えすることを象徴しています。

• 次に、司祭は、聖心の御絵を準秘跡にするために祝別します。つまり、家族が信心をもってこの御絵を見つめるたびに、私たちの主イエズスの愛徳をまねるための特別な助力の恩寵を受けることになるのです。

• 次に、家族は、私たちの主イエズスにこの家を所有していただくために、家の中を荘厳にご紹介します。そのために、夫は聖心の御絵を持ち、家族はその後に、小さな行列のようにして続きます。この行列は、私たちの主イエズスに新しい所有物を見ていただくために、家の各部屋を通ります。この行列の間に、聖心を敬う歌を歌うことができます。最後に、夫は、用意された場所に聖心の御絵を設置し、そのそばにマリアの汚れなき御心の御絵を置きます。ろうそくに火が灯されます。この行為が「着座式」であり、私たちの主イエズスが家族の王、最も親愛なる客、親しい友人であることを宣言するものです。

• 次に、家族は、信経を唱えて、自分たちの王への信仰を告白します。

• 次に、司祭は、この儀式の意味、聖心に対する献身の意味、そして私たちの主イエズスをたたえる人々への主の御約束の意味を、家族に簡潔に思い起こさせます。

• 次に、家族は、まずイエズスの聖心に、次にマリアの汚れなき御心に、自分たちを完全に奉献します。

• 最後に、司祭は、私たちの主イエズスに代わって、家族を祝福します。

2.着座式の意味

この儀式は「着座式」と呼ばれます。つまり、「誰かを王であると宣言すること」です。私たちの主イエズスは、子なる天主ですから、私たちの王です。主は、全宇宙を創造され、すべてのものは主のものであり、すべてのものは主の天主としての御力と権威の下にあります。私たちの主イエズスが私たちの王であるのは、主が私たちの贖い主だからでもあります。私たちは地獄の宣告を受けた罪人でしたが、主は私たちの罪を償われ、私たちを買い取られましたから、私たちはイエズスの所有物となったのです。

私たちの主イエズスは、主の神性と贖いのゆえに、例外なく全ての人の王なのです。しかし、悲しいことですが、多くの人々は主の王権を認めるのを拒否しています。彼らは、自分自身のむなしい考えや情欲に従うことを好み、最も不幸な終末に向かっているのです。

その反対に、着座式の儀式を行うことで、家族は、主の王権を認め、喜んでその王権に服従します。家族は、キリストが掟を制定する権威を持っておられることを認め、その掟に従うことを約束します。家族は、人間を永遠の命に導くことのできる唯一のお方であるイエズス・キリストの御力を認め、したがって、イエズス・キリストに忠実であることを約束します。家族は、キリストが、自分たちの悪い行いを罰し、良い行いに報われる至高の審判者であることを認め、したがって、キリストへの友情を誓うのです。

3.聖心の着座式

着座式の儀式は、天主の御子イエズスの着座式ではなく、贖い主イエズスの着座式でもなく、聖心の着座式です。それは何を意味するのでしょうか。聖心は天主の愛の象徴ですから、私たちの主イエズスは愛の王でありたいと望んでおられるという意味です。イエズスは私たちを愛し、私たちに対する善を望んでおられ、私たちを永遠の幸福に導きたいと望んでおられます。しかし同時に、イエズスは愛されたいと望んでおられ、私たちがイエズスの権威に、喜んで、そして愛情をもって服従することを望んでおられます。着座式の儀式によって、家族は、イエズスに愛されること、そしてイエズスを愛することを受け入れるのです。

家族は、イエズスに愛されることを受け入れます。この意味は、家族が、私たちの主を自分たち家族の一員として受け入れ、主にも自分たちの喜びや悲しみにあずかっていただくということです。例えば、新しく子どもが生まれたとき、誕生日や事業の成功をお祝いするとき、あるいは逆に、試練が起こったとき、病気や死のときなどです。

家族は、イエズスを愛することを受け入れます。この意味は、家族が、私たちの主イエズスの喜びや悲しみにあずかるということです。キリストの喜びとは何でしょうか。それは、一年を通じた主の典礼上の祝日や、キリストがこの世で栄光を受けられる、あらゆる出来事です。キリストの悲しみとは何でしょうか。それは、キリストに対してなされるすべての忘恩、侮辱、冒涜、汚聖です。聖マルガリタ・マリアに対するイエズスの御言葉を思い出してください。「見なさい、人類を愛するがあまり、その愛を人類に証明するために、力を使い尽くすまで、何も惜しまなかったこの心を。それに対して、この愛の秘跡において、私に対する侮蔑、不敬、汚聖、冷淡によって、私は人類の大部分から忘恩以外の何も受けていない」。家族は、このイエズスの御言葉にお応えして、着座式によって、罪の償いをすることを約束するのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、聖心の着座式は、聖心の御絵を祝別すること以上のものです。聖心の着座式は、私たちの目には見えませんが、現実で、生きておられ、活動しておられるお方、つまり私たちの主イエズス・キリストを、自分の家族の中にお迎えすることです。主は、黙示録でこう言っておられます。「見よ、私は門の外に立ってたたいている。私の声を聞いて戸を開くなら、私はその人のところへ入って、彼とともに食事し、彼も私とともに食事するであろう」(黙示録3章20節)。皆さんの家の扉を開くという、私たちの主からの最も甘美なる御招待を、皆さんは想像することができるでしょうか。汚れなきマリアが、御子イエズス・キリストの栄光のために、そして私たち自身の幸福のために、私たちがその御招待に寛大に応えるようにしてくださいますように。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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