Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

ヨゼフ様とマリア様の心に合わせて、主の御降誕を準備する

2023年03月14日 | お説教・霊的講話

2022年12月23日 大阪 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

二つお知らせがあります 。

一つは、今朝5時30分頃、イグナチオさんが、霊魂を天主にお返しになりました。お亡くなりになりました。皆さんのお祈りをお願いします。ロザリオを愛する祈りの霊魂で、終油の秘跡を授けることができました。Requiescat in pace. 

もう一つは、明日はご降誕の前日で、聖伝によれば、大小斎を守る日です。義務はなくなってしまったのですけれども、もしもできればお捧げいたしましょう。

ついに、主の御降誕、あと二日です。おそらく昨日、ナザレトにおられたヨゼフ様とマリア様も、ローマ皇帝チベリウスの勅令を耳にしたことでしょう。

ローマの伝えが田舎のナザレトにも伝わって、各人自分の故郷に行って自分の名前を届け出なければならない、ローマ皇帝は自分の支配下にいる人々の全ての名前を知りたい、その人数を数えたいと思っている、世界支配がどれほど上手くいっているかを知りたい、ということでした。

異教のローマ皇帝が支配するユダヤの国、またユダヤの国もそれぞれ分国王が立てられて、そしてリトリア人が ヘロデが支配していた時でした。

その時、聖ヨゼフは何を思ったでしょうか。

この産気付いている私の妻マリア、天使のお告げによれば、救い主が宿っている。しかし、このマリアを連れて、この寒い白いものが降っている、ちらついている、風の強い今、長旅ができるだろうか。何日も、たとえロバに乗せて旅行するにしても、寒い冬に耐えられるだろうか。宿はどうだろうか。ここに、安全な家に残していた方がよいではないか。私は確かにベトレヘムにダヴィドの子孫として王家の子孫として名前を届けなければならないけれども、しかしマリアは今このような事態だから、私が代わりに届けるので良いのではないか。

非常に迷われたことだと思います。どうするべきなんだ。
マリア様にきっとご相談なさったことでしょう。

するとマリア様は、聖書の言葉を、預言をよく知っていました。「童貞が子供を産む。それはエンマヌエルと呼ばれるであろう。」また、生まれるメシアは、いつ、今この生まれる時が来ている。しかもベトレヘムで生まれなければならない。なぜならば、ダヴィドの街であるから。

だからといって、マリア様はその天主の御摂理に先走ったことはしませんでした。ナザレトにおられてずっと御旨を行うことを待っていました。すると、ローマ皇帝からの勅令が出て、名前を届けなければならない。おそらくマリア様はこれを主の御旨とだと思われたことでしょう。救い主は、なぜかと言うとベトレヘムで生まれなければならないからです。

そこでマリア様は、ヨゼフ様に仰ったに違いありません。

「ヨゼフ、天主の、主の御摂理を信じましょう。何も恐れないでください。私も行きます。一緒に行きましょう。」
「マリア、しかし、この寒い冬、大丈夫か。」
「ヨゼフ、何も心配しないでください。」

この二人の愛と尊敬に満ちた会話を想像いたしましょう。黙想いたしましょう。

主の御摂理を信頼して、旅に出るこのお二人、そのお二人は救い主を待ち望んでいました。天地の創造主、天主の御言葉、永遠の御言葉が人となって、マリア様の御胎内におられます。生ける御聖櫃、生ける契約の櫃となられたマリア様。私たちに救い主を与える、この使命を果たそうと、今ベトレヘムへと寒いなか、旅をされています。

マリア様はもちろん、この旅の時にお疲れになり、あるいはいろいろな心配もあったことでしょう。お金もなかったでしょうし、何が起こるか、どうすれば良いのか、しかしすべて主に任せていました。

ヨゼフ様とマリア様の心に合わせて、私たちも主の御降誕を準備いたしましょう。

主よ、私たちのために来られる主よ、私の心に来てください。私の貧しい胸に生まれてください。

マリア様、ヨゼフ様、イエズス様が私の心に生まれるのを手伝ってください。私のもとに来てください。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


イエズスがどのようにお生まれになったかを見ると、イエズスの愛がどれほど深かったかがわかる

2023年03月14日 | お説教・霊的講話

2022年12月18日 名古屋 説教

聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

あと一週間で、私たちは御降誕を迎えます。私たちの主イエズス・キリストがお生まれになります。

【イエズス・キリストがお生まれになる:歴史の中心点】
では、イエズス様がお生まれになるという意味は何なのでしょうか。これは私たちの人類の歴史の中で、まさに中心、一番の中心点となる出来事でした。なぜかと言うと、この全宇宙を作った全能・永遠の天主・創造主・三位一体の御ひとり子が、人間となった、そして私たちのためにお生まれになった、その日であるからです。ですから、いま西暦2022年、イエス様の御誕生から数えて2022年、お恵みの年2022年を数えるのは全く理に適っている数え方です。なぜかというと、この主の御降誕ほど偉大な人類の歴史の中心点はないからです。

【イエズス・キリストがお生まれになる:私たちに永遠の命を与えるため】
では、一体何が起こったのでしょうか。天主が人間となった。お生まれになった。いったい何のために。それは私たちに永遠の生命(いのち)を与えるためでした。私たちが今地上に生きているのは、この地上でエンジョイするためではありません。なぜかと言うとこの地上でいくら幸せがあったとしても、たった60年、もしかしたら皆さんは健康で100年、もしかしたら長寿に恵まれて130年、あるいはもしかしたら医学の進歩によって150年、長生きされるかもしれません。でもその後でどうなるのでしょうか。

イエズス様は私たちに永遠の生命を、不老不死、限りのない生命の喜びを私たちに与えるために、天主でありながら人間となって、死を受けるために人間となって、お生まれになりました。これは私たちを、ただひたすらにお愛ししてくださったからです。

考えても見てください。王様が、最も偉大な王様が私たちにその富を与えるために、乞食となった、ということを考えてください。イエズス様がなさったことはさらに大きなことです。

【イエズス・キリストがお生まれになる:私たちを愛するため】
最後に、イエズス様がどのようにお生まれになったかという事をもう少し考えてみると、イエズス様の愛がどれほど深かったかということがわかります。

どんなに貧しい人でも、どんなにお金がない子供でも、生まれてくる家があります。どんなに貧しくても、暖房はちょっとはあります。きれいな布団もあります。しかし、もしも王様の王子様がお生まれになったとしたら、どれほどきれいなベッドで、きれいな清潔に洗濯したお布団で、あるいは暖かいお布団で、電気毛布もして、それからストーブも焚いて、それからお付きの人もついて、先生もついて、看護婦さんもついて、それからきれいにお部屋が飾られて、赤ちゃんが産まれるのを、王子様が生まれるのをお姫様が生まれるのを楽しみに、皆さんが歓迎して喜んで待っているではないでしょうか。

しかし王の王、全能の天主、この宇宙のすべてを支配する方、所有している方、私たちの全てを握っている統治している方がお生まれになる時には、旅人でした。その方がお生まれになる時には、部屋もありませんでした。ベッドもありませんでした。暖房もありませんでした。暖房だったのは、動物の吐く息だけでした。寝る所は動物が食べる餌の上でした。藁(わら)の上で、動物の体から出るいろいろな汚いものが入っていたかもしれません。マリア様とヨゼフ様が一生懸命きれいにされたかもしれません。しかし寒い凍える冬の中で、王子様が、王、天主様が、イエズス様がお生まれになりました。

イエズス様がこれで何を私たちに教えているかというと、私たちを愛するがためにどんな苦しいことでも喜んで受けたい、私たちを愛するがためにもう狂ってしまった、そこまでめくらになってしまった、ということ意味しています。

【イエズス・キリストがお生まれになる:私たちの罪を償い、私たちを豊かにするため】
イエズス様はこのことを通して、人間は傲慢と肉欲と驕りで罪を犯したからそれを償うために喜んで私は苦しみを受けますよ、とおっしゃっているかのようです。イエズス様がお生まれになった時からお亡くなりになるまで、十字架の上でお亡くなりになるまで、毎日苦しみの連続でした。なぜでしょう。それは私たちを愛していたからです。なぜかと言うと私たちが苦しまないために、自分がすべてその苦しみを受けになったからです。私たちが永遠の生命を受けることができるように、ご自分は死を喜んで受け取りました。私たちが豊かになることができるように、あえて自分は貧しくなりました。まぐさ桶に、ベトレヘムの馬小屋に横たわっている可愛い赤ちゃん、まことの天主、全能永遠の天主、人となったイエズス・キリスト、このイエズス様は私たちに、どれほど私たちのこと愛しているか、ということをお生まれになって見せております。

まぐさ桶、十字架、そして御聖体御聖櫃、この三つは、イエズス様が私たちへの愛をどれほど深いかということを見せることができる私達に知らせている三つの場所です。イエズス様はベトレヘムでお生まれになることによって、ああ愛するお前たちも旅人だ、天国に歩んでいる旅人だ、だからあんまりこの地上のことに愛着しなくてもいいよ、お前の究極の辿り着くところは天国だから、私が天国に導いてあげるから、あんまりこの必要でない地上のことで罪を犯して喧嘩をしたり嘘をついたり盗んだりしなくていいよ、もっと本物の宝を目指して生活しなさい、とイエズス様は仰っています。

もしも私たちが寒い!イヤだ!つらーい!という時は、凍えて泣いているイエズス様をご覧になってください。イエズス様は私たちのためにこれほど苦しんでおられるのですから、私たちもイエズス様のために犠牲をお捧げいたしましょう。

【遷善の決心】
最後に、マリア様にお祈りいたしましょう。マリア様の御取り次ぎで私たちが、イエズス様がどれほど私たちのことを愛しておられるかということを、少しでも理解することができますように。なぜかと言うとイエズス様の私たちへの愛はあまりにも多いので、それを本当に知ったら、あまりにも感謝と幸せで気絶して、もう死んでしまうかもしれません。でも私たちが知ることができるのはほんのたった少しだったとしても、あまりにも大きな愛なので、私たちは感謝してもしきれません。マリア様にその恵みを請い求めましょう。またマリア様が私達に御取次ぎをして、イエズス様をお愛しすることができるようにお祈りしましょう。特に私たちは、イエズス様に対する愛で罪を憎みます。イエズス様をもう悲しませないようにするお恵みを、請い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


御降誕の目的と、御降誕が私たちに教えている主の愛と謙遜について

2023年03月14日 | お説教・霊的講話

2022年12月18日 主日 大阪 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様。

いくつかのお知らせがあります。
来たる土曜日12月24日、御降誕の前日は、聖伝によると大小斎を守る日です。今では、その義務がなくなってしまいましたが、しかし、もしもできれば皆さん是非それを捧げてください。聖ピオ十世会の会員はそれを捧げる義務があります。
来たる主日はクリスマス、御降誕です。私たちの守るべき義務の祝日です。主日と重なっております。また来たる土曜日には、この御御堂で洗礼を受ける方がいらっしゃいます。どうぞその方のためにお祈りください。

来年の1月の28日の土曜日には、ここでフェレー司教様が聖伝の典礼に従った堅振の秘跡を授けてくださいます。七つの秘跡は、第二バチカン公会議後、全部変えられてしまいました。ミサのみならず洗礼その他、叙階すべての儀式が変えられてしまいました。その内で一番多く変わったのは、司教の聖別の儀式です。次に堅振の秘跡です。堅振の秘跡を有効なものとして捧げるために、ルフェーブル大司教様は世界中を回って堅振の秘跡を授けようとされておりました。それで聖伝のやり方によって堅振の秘跡を受けようという方は、来年の1月28日に司教様が、フェレー司教さまがいらっしゃいます。その時によい準備をして申し込みをするようにしてください。

最後に、クリスマスの時が近づいてきましたが、私たちはできれば東京での御聖堂を得ることができるようにと望んでおります。今は仮の場所ですけれども、できれば新しい場所があることを望んでいます。もしも聖ピオ十世会の東京の御聖堂のためにご協力できる方がいらっしゃれば、クリスマスの特別献金としての皆様の寛大なご協力を感謝いたします。 

愛する兄妹姉妹の皆様

【天の国】
洗者聖ヨハネは、現代に生きる私たちにも声を響かせています。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」今日、福音で洗者聖ヨハネの声を聞きましたが、まさに天の国が近づいた、天の国、これこそがクリスマスの御降誕の目的です。

なぜならば、イエズス・キリストは、私たちが天の国を得ることのためにお生まれになるからです。私たちが今生きているこの理由は、たったひとつしかありません。この世をエンジョイすることではなくて、永遠の命を生きることです。そのためにお生まれになったキリストが、そのために私たちに与えようとされたお生まれになった、天の国に入るためです。これが、キリスト教の存在理由です。

では、いったいイエズス様の御降誕の目的というのは何だったのか、つぎに、イエズス様の御降誕が私たちに教えていること、つまり主の愛と謙遜を、一緒に黙想いたしましょう。

【御降誕の目的は何か】

人間は、罪のために全てを失ってしまいました。永遠の生命(いのち)を、天の国を、失ってしまいました。幸せを失ってしまいました。もしも私たちが今死ななければならないとしたら、苦しまなければならないとしたら、病を持ち、悲しみに打ちひしふさがれて涙を流すとしたら、寒い暑い苦しいとしたら、これは罪のせいです。もしも罪がなかったら、そのようなことは一切ありえませんでした。

そればかりか、罪のために私たちは天主との友情関係を失ってしまいました。地獄に落ちるべき身となってしまいました。永遠の火に燃やされてしまう身分となってしまいました。しかし、主は無限のあわれみと愛とをもって、私たちをこの苦しみから救おうとされました。私たちに不老不死を、永遠の生命を与えようと、もう1度チャンスを与えようと思われました。私たちに永遠の幸せを得るチャンスを与えようと思いました。そのために壮大な、全宇宙をひっくるめた、私たちの救いの大計画がうちたてられました。

それは天主の御ひとり子が 永遠の天主の御言葉が、人間となった、私たちのためにお生まれになる、ということです。何でお生まれになるのでしょうか。それは私たちの代わりに苦しんで、死を受けて、そして私たちにその引き換えに、幸せと生命を、天主の生命を与えるためでした。

ご自分が死を受けるために、お生まれになろうと、天主が人間になろうと、されました。

【御降誕は何を教えているか:主の愛を教える】
第二のポイントは、御降誕はいったい何を教えているのでしょうか。御降誕は、私たちに永遠の命を与えるため…でもこれはいったい、これはなぜでしょうか? 私たちに主を引き寄せる程の何か良いところがあったのでしょうか? いえ、私達をただお愛しされたので、 私たちはその価値がなかったにもかかわらず、私たちを憐れんでくださり、愛されたので、主は人となりました。

考えても見てください。無限の永遠の天主、この全宇宙の創造主が、ちっぽけな人間となるという、赤ちゃんとして生まれてくるということ、ここに主の無限の愛が表れています。

【御降誕は何を教えているか:謙遜を教える】
第3のポイントは、今日は特に人間が罪を犯したその原因が傲慢であり、目の欲・肉の欲・生活の驕(おご)りであったので、主がそれを打ち砕くために、人間に謙遜を教えるために、特別に手段を取りました。それは、主が清貧のうちにお生まれになったということです。

真冬に、馬小屋でお生まれになります。動物の餌(えさ)を置くまぐさ桶に置かれて、眠っておられます。考えても見てください。この世の金持ちたちは、あるいは政治家たちは、あるいは王様は、一体どこで生まれるのでしょうか。綺麗な清潔なお部屋で、綺麗なベッドがあって、そして電気毛布があって、暖房があって、それから召使いもいて、看護婦さんもいて、あるいは下僕がいて、暖かいところでお生まれになるんではないでしょうか。王子さまですから。お坊っちゃまですから。お嬢様ですから。よっぽど世の中でどのような貧しい子供も、やはり家で生まれます。あるいは、人間らしいところで生まれます。

しかし天主は、この世の創造主は、絶対の王なる王の御ひとり子は、そのような場所はありませんでした。宿屋にも場所がなく、あったのはただ洞窟の動物のいるところでした。暖房もありませんでした。寒い冬に風吹かしのところで、雪もチラチラ降る中で、暖かかったのは動物の吐く息だけでした。綺麗な服はどこにあったでしょうか。マリア様は、産湯をイエズス様につかわせ、そして固い藁のまぐさ桶に、動物の食べる餌の上に置かれました。誰がお供についたでしょうか。マリア様とヨゼフ、だけです。あとは動物。

私たちに主は何を教えているのでしょうか。私たちは、この世に裸で生まれてきて、そして何も持たずにこの世を去るから、私たちはこのようなものに愛着してはいけない。イエス様がちょうどローマ皇帝の命令を受けて、ベトレヘムに人口調査のために旅立ったように、私たちも天国への旅人に過ぎない。この地上に永遠の住家を築く、宮殿を築くものではない。あっという間に過ぎる旅をしている、天国への旅をしている巡礼者だ!ということを教えたかったのではないでしょうか。

イエズス様はこうやってお生まれになって、最後は十字架の上で苦しみのうちになくなります。イエズス様の人生は、最初から最後まで苦しみの連続でした。

偉大な方であったにもかかわらず、小さなものとなりました。私達が天で偉大な者となりますように。
主でありながら下僕のようになりました。私たちが天国を支配することができるように。
罪がない御方でありながら、私達が受けるべき罰を全て、苦しみを全て、お受けになりました。それは私たちが永遠の罰を受けないためです。
強いお方でありながら、か弱いものになりました。それは私たちに力を与えるためです。
至福の方でありながら、天で何一つ不足するものがない御方であったにも関わらず、私たちのために進んで苦しみをお受けになりました。それは私たちに至福を与えるためです。
いと高き御方でありながら、最も低い者となりました。奴隷のようになられました。服従するものとなりました。それは私たちが天主に服従することができるように教えるためです。

【遷善の決心】
では、愛する兄妹姉妹の皆さま、私達はこのクリスマスにイエズス様にプレゼントをお捧げいたしましょう。これほどの愛を持って、狂ったような正気を失ってしまったかのような愛を持って、私たちのために人間となり、貧しさのうちにお生まれになった、それでも喜んで私たちを愛しておられる、このイエズス様に私たちも愛のプレゼントをお捧げいたしましょう。愛の黄金、祈りをお捧げいたしましょう。 

イエズス様に、来たるべきイエズス様に「イエズス様、愛しています。感謝しています。イエズス様、私の心に来てください。」と申し上げましょう。そしてイエズス様を悲しませる私たちの犯した全ての罪を心から痛悔して、忌み憎み、それを打ち捨てる、痛悔の念を請い願いましょう。マリア様にその愛と痛悔の心を求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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