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御降誕の目的と、御降誕が私たちに教えている主の愛と謙遜について

2023年03月14日 | お説教・霊的講話

2022年12月18日 主日 大阪 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様。

いくつかのお知らせがあります。
来たる土曜日12月24日、御降誕の前日は、聖伝によると大小斎を守る日です。今では、その義務がなくなってしまいましたが、しかし、もしもできれば皆さん是非それを捧げてください。聖ピオ十世会の会員はそれを捧げる義務があります。
来たる主日はクリスマス、御降誕です。私たちの守るべき義務の祝日です。主日と重なっております。また来たる土曜日には、この御御堂で洗礼を受ける方がいらっしゃいます。どうぞその方のためにお祈りください。

来年の1月の28日の土曜日には、ここでフェレー司教様が聖伝の典礼に従った堅振の秘跡を授けてくださいます。七つの秘跡は、第二バチカン公会議後、全部変えられてしまいました。ミサのみならず洗礼その他、叙階すべての儀式が変えられてしまいました。その内で一番多く変わったのは、司教の聖別の儀式です。次に堅振の秘跡です。堅振の秘跡を有効なものとして捧げるために、ルフェーブル大司教様は世界中を回って堅振の秘跡を授けようとされておりました。それで聖伝のやり方によって堅振の秘跡を受けようという方は、来年の1月28日に司教様が、フェレー司教さまがいらっしゃいます。その時によい準備をして申し込みをするようにしてください。

最後に、クリスマスの時が近づいてきましたが、私たちはできれば東京での御聖堂を得ることができるようにと望んでおります。今は仮の場所ですけれども、できれば新しい場所があることを望んでいます。もしも聖ピオ十世会の東京の御聖堂のためにご協力できる方がいらっしゃれば、クリスマスの特別献金としての皆様の寛大なご協力を感謝いたします。 

愛する兄妹姉妹の皆様

【天の国】
洗者聖ヨハネは、現代に生きる私たちにも声を響かせています。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」今日、福音で洗者聖ヨハネの声を聞きましたが、まさに天の国が近づいた、天の国、これこそがクリスマスの御降誕の目的です。

なぜならば、イエズス・キリストは、私たちが天の国を得ることのためにお生まれになるからです。私たちが今生きているこの理由は、たったひとつしかありません。この世をエンジョイすることではなくて、永遠の命を生きることです。そのためにお生まれになったキリストが、そのために私たちに与えようとされたお生まれになった、天の国に入るためです。これが、キリスト教の存在理由です。

では、いったいイエズス様の御降誕の目的というのは何だったのか、つぎに、イエズス様の御降誕が私たちに教えていること、つまり主の愛と謙遜を、一緒に黙想いたしましょう。

【御降誕の目的は何か】

人間は、罪のために全てを失ってしまいました。永遠の生命(いのち)を、天の国を、失ってしまいました。幸せを失ってしまいました。もしも私たちが今死ななければならないとしたら、苦しまなければならないとしたら、病を持ち、悲しみに打ちひしふさがれて涙を流すとしたら、寒い暑い苦しいとしたら、これは罪のせいです。もしも罪がなかったら、そのようなことは一切ありえませんでした。

そればかりか、罪のために私たちは天主との友情関係を失ってしまいました。地獄に落ちるべき身となってしまいました。永遠の火に燃やされてしまう身分となってしまいました。しかし、主は無限のあわれみと愛とをもって、私たちをこの苦しみから救おうとされました。私たちに不老不死を、永遠の生命を与えようと、もう1度チャンスを与えようと思われました。私たちに永遠の幸せを得るチャンスを与えようと思いました。そのために壮大な、全宇宙をひっくるめた、私たちの救いの大計画がうちたてられました。

それは天主の御ひとり子が 永遠の天主の御言葉が、人間となった、私たちのためにお生まれになる、ということです。何でお生まれになるのでしょうか。それは私たちの代わりに苦しんで、死を受けて、そして私たちにその引き換えに、幸せと生命を、天主の生命を与えるためでした。

ご自分が死を受けるために、お生まれになろうと、天主が人間になろうと、されました。

【御降誕は何を教えているか:主の愛を教える】
第二のポイントは、御降誕はいったい何を教えているのでしょうか。御降誕は、私たちに永遠の命を与えるため…でもこれはいったい、これはなぜでしょうか? 私たちに主を引き寄せる程の何か良いところがあったのでしょうか? いえ、私達をただお愛しされたので、 私たちはその価値がなかったにもかかわらず、私たちを憐れんでくださり、愛されたので、主は人となりました。

考えても見てください。無限の永遠の天主、この全宇宙の創造主が、ちっぽけな人間となるという、赤ちゃんとして生まれてくるということ、ここに主の無限の愛が表れています。

【御降誕は何を教えているか:謙遜を教える】
第3のポイントは、今日は特に人間が罪を犯したその原因が傲慢であり、目の欲・肉の欲・生活の驕(おご)りであったので、主がそれを打ち砕くために、人間に謙遜を教えるために、特別に手段を取りました。それは、主が清貧のうちにお生まれになったということです。

真冬に、馬小屋でお生まれになります。動物の餌(えさ)を置くまぐさ桶に置かれて、眠っておられます。考えても見てください。この世の金持ちたちは、あるいは政治家たちは、あるいは王様は、一体どこで生まれるのでしょうか。綺麗な清潔なお部屋で、綺麗なベッドがあって、そして電気毛布があって、暖房があって、それから召使いもいて、看護婦さんもいて、あるいは下僕がいて、暖かいところでお生まれになるんではないでしょうか。王子さまですから。お坊っちゃまですから。お嬢様ですから。よっぽど世の中でどのような貧しい子供も、やはり家で生まれます。あるいは、人間らしいところで生まれます。

しかし天主は、この世の創造主は、絶対の王なる王の御ひとり子は、そのような場所はありませんでした。宿屋にも場所がなく、あったのはただ洞窟の動物のいるところでした。暖房もありませんでした。寒い冬に風吹かしのところで、雪もチラチラ降る中で、暖かかったのは動物の吐く息だけでした。綺麗な服はどこにあったでしょうか。マリア様は、産湯をイエズス様につかわせ、そして固い藁のまぐさ桶に、動物の食べる餌の上に置かれました。誰がお供についたでしょうか。マリア様とヨゼフ、だけです。あとは動物。

私たちに主は何を教えているのでしょうか。私たちは、この世に裸で生まれてきて、そして何も持たずにこの世を去るから、私たちはこのようなものに愛着してはいけない。イエス様がちょうどローマ皇帝の命令を受けて、ベトレヘムに人口調査のために旅立ったように、私たちも天国への旅人に過ぎない。この地上に永遠の住家を築く、宮殿を築くものではない。あっという間に過ぎる旅をしている、天国への旅をしている巡礼者だ!ということを教えたかったのではないでしょうか。

イエズス様はこうやってお生まれになって、最後は十字架の上で苦しみのうちになくなります。イエズス様の人生は、最初から最後まで苦しみの連続でした。

偉大な方であったにもかかわらず、小さなものとなりました。私達が天で偉大な者となりますように。
主でありながら下僕のようになりました。私たちが天国を支配することができるように。
罪がない御方でありながら、私達が受けるべき罰を全て、苦しみを全て、お受けになりました。それは私たちが永遠の罰を受けないためです。
強いお方でありながら、か弱いものになりました。それは私たちに力を与えるためです。
至福の方でありながら、天で何一つ不足するものがない御方であったにも関わらず、私たちのために進んで苦しみをお受けになりました。それは私たちに至福を与えるためです。
いと高き御方でありながら、最も低い者となりました。奴隷のようになられました。服従するものとなりました。それは私たちが天主に服従することができるように教えるためです。

【遷善の決心】
では、愛する兄妹姉妹の皆さま、私達はこのクリスマスにイエズス様にプレゼントをお捧げいたしましょう。これほどの愛を持って、狂ったような正気を失ってしまったかのような愛を持って、私たちのために人間となり、貧しさのうちにお生まれになった、それでも喜んで私たちを愛しておられる、このイエズス様に私たちも愛のプレゼントをお捧げいたしましょう。愛の黄金、祈りをお捧げいたしましょう。 

イエズス様に、来たるべきイエズス様に「イエズス様、愛しています。感謝しています。イエズス様、私の心に来てください。」と申し上げましょう。そしてイエズス様を悲しませる私たちの犯した全ての罪を心から痛悔して、忌み憎み、それを打ち捨てる、痛悔の念を請い願いましょう。マリア様にその愛と痛悔の心を求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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