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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

悪の中からでも善を引き出すことによって、天主は知恵の崇高さと偉大さと全能をあらわされる。

2022年09月06日 | お説教・霊的講話

2022年7月30日(土)聖母の土曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母は聖霊の恵みの充満に受けた方です。マリア様は、天主の全能と、天主の知恵の深さというものをよくご理解していました。

主の知恵が一番深く表れるところは、悪からでさえも大きな善を引き出すことができることです。

「全くこれで負けてしまった、これでもう万事休すだ、もうこれで悪が支配した」というそのような中でも、そこから、悪にまさる、更に更に勝る、もっと大きな善を引き出すことができるというところにあります。

ここに、主の知恵の崇高さと、偉大さと、そして全能が表れます。一見、主が負けてしまったかのように見えたその瞬間、実はそれが大勝利の兆しである、それが主の最も深い知恵です。

十字架の上での、天主の御子の御死去、全く罪のない聖なる天主の御子が、極悪人であるかのように処刑されてしまったこと、命が死を迎えたこと、これはあたかも天主が負けたかのように見えましたが、実はこれが勝利の元でした。

マリア様が、罪がない、汚れのない御方であったにもかかわらず、これほど苦しまれた、それも、マリア様の栄光を与える理由になりました。

今、この現代の世界では、悪が満ち溢れているかのように思います。

天主が創造した、「男と女に創った」と、あれほどまでに繰り返されている創造の御業が、破壊されようとしているかのように思われます。マスコミやテレビや、映画で、男も女もなくて、男と女に限らないかのように、宣伝がされています。

あるいは、天主が立てた婚姻という制度、男性一人と女性一人が結ばれて一体となる、ということも、全く無視するかのように。

あるいは、この現実の大自然の秩序を破壊するかのような科学技術の勝ち誇りがあります。

お金で全てを解決して、お金持ちが自分の思い通りに世界を支配したいと考えている、国家を超えて、国家を、一部の金持ちの株式会社が世界を支配したいと思っている、今、そのような計画があると聞きます。

その為に私たちは、これから苦しみの時代を通らなければならないかもしれません。それが予告されています。さらなるパンデミックとか、あるいは食糧危機とか、エネルギー危機とか、あるいはその他戦争とか、飢饉とかです。ファチマの聖母もそれについて予告されました。

しかし、愛する兄弟姉妹の皆様、私たちはそれらの悪が満ち溢れるところに、主の知恵と、全能と、憐みが、更にもっと多く溢れるということを深く信頼致しましょう。

もしも私たちにそのような十字架が送られるとしたら、それには深い意味が必ずあります。そのような中から、それをはるかに超える善を、天主は引き出すことができる方であるからです。

私たちは、過去の救いの歴史において、それをよく知っています。悪が増えれば増えるほど、イエズス・キリストの大勝利が近付いている、ということのしるしでもあります。

マリア様に、上智の座であるマリア様にお祈り致しましょう。私たちがマスコミやあるいはその他の情報にそそのかされて不安になったり、あるいは恐怖を覚えたりすることがないようにしましょう。

いつも喜びと平和を保つことができますように、主の深い勝利を信頼することができますように、憐みと上智に満ちた主が、私たちをいつも守って下さる、ということを私たちがいつも確信することができますように、マリア様の御取り次ぎ乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


「マルタ、マルタ、多くのことにお前は心配しているけれども、必要なことはたった一つだ。」

2022年09月06日 | お説教・霊的講話

2022年7月29日(金)童貞聖マルタのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は聖マルタの祝日です。典礼はちょうど、マグダラのマリアの祝日の八日目、オクターブに祝日を置きました。教会の精神によると、聖マグダラのマリアと聖マルタはいつも離れることなく近くにいます。

死者のミサの時でも、福音ではマルタとイエズス様の話がでますし、そして続誦では、マグダラのマリアのことが言及されます。

聖マルタは、ラザロとそして聖マグダレナ・マリアの姉妹でした。同じ家の非常に裕福な家庭に生まれました。最もこの家族を裕福にしたのは、イエズス様を特別にお愛しした、イエズス様を自分の家に迎えて、そしてイエズス様の為に奉仕した、という特別な恵みを受けた家庭でした。

その為に、イエズス様はこの家族から恵みを受けたかのように見えますが、しかし却ってこの家族は、イエズス様からの特別の溢れるばかりの恵みを受けました。

エルサレムがローマによって攻撃を受けて崩壊したのが西暦70年ですが、その前後に、エルサレムの人たちはエルサレムから逃げて、安全な場所に行きました。聖マルタも、聖ラザロも、聖マグダレナ・マリアも同じでした。彼らは船に乗って、裕福な家族でしたので、召使いやしもべたちもたくさんいました。それらは皆船に乗って、帆もなく櫂もないような状態で、そして海に流されてマルセイユに到着しました。マルセイユで、イエズス・キリストに対する信仰を伝えた、と私たちに伝えられています。

聖ラザロは司教になりました。そして一緒に働いていたしもべであった、マクシミリアノという男もしもべも、司教になりました。聖マグダラのマリアは、サント・ボームという所の洞窟で祈りの生活をして、そして聖マルタは、マルセイユで多くの人々に奉仕をして、愛徳で非常に有名であった。そしてタラスコン(Tarascon)という所で亡くなって、今でも墓がある、と伝えられています。

一体私たちに、聖マルタは何を教えているのでしょうか?

今日の福音では、イエズス様の為に色々奉仕して、色々神経を使って、愛徳の業に奉仕した聖マルタが、イエズス様に少しお願い事をします。

妹のマリアはイエズス様のすぐ御傍に座って、イエズス様の御話ばかり聞いて、イエズス様の方をうっとりと見ているばかりで、何も自分の手伝いをしてくれない、少しは私の手伝いをするよう、不平じみたお願いをします。

するとイエズス様はマルタに答えて、「マルタ、マルタ、多くのことにお前は心配しているけれども、必要なことはたった一つだ。イエズス・キリストの真理を知り、そしてそれを黙想することだ。イエズス・キリストの近くに居て、愛することだ。そしてマリアは、その一番良いところを取った。」

私たちにも、聖マルタを通してイエズス様はこう言っています。「私たちにとって、確かに多くの仕事や、務めや、義務や、日常の生活があるけれども、イエズス・キリストの為に愛徳の為に行なうべき義務もあるけれども、しかし、祈りの生活を忘れてはいけない。祈りは、決して時間の無駄ではない。イエズス・キリストの近くに居て、イエズス・キリストと話をすることこそ、最も価値があって、最も大切なことである。」

そしてもちろんマルタは、その価値を認識して、それをしたに違いありません。

私たちも、聖マルタの御取次ぎで、祈りの生活の大切さをますます理解することができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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