Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

今、最後に、第四の革命が、私たちとこの今生きている現実世界とを切り離そうとしています。

2022年08月17日 | お説教・霊的講話

2022年7月10日(主日)聖霊降臨後第5主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日の集祷文はとても美しいものです。
天主は御身は、御身を愛する者の為に、目に見えない善を、素晴らしいものを準備して下さった。ゆえにわれらが、その全ての望みを超える約束を得ることができるように、全てを超えて主を愛することができるようにして下さい、と祈ります。

まさに、私たちの想像を超えた約束の為に、目に見えない善の為に、私たちは今ここに生きています。カトリック教会の創立の目的は、私たちをこの目に見えない永遠の幸せに導くことです。

トリエント公会議の公教要理にはこうあります。
「そして昔、律法の下にあった信仰者の団体がシナゴーガつまり集団と呼ばれていたことから分かるように、私たちが呼出された目的は永遠の事柄の知識とその所有にある。聖アウグスティヌスは「その名称がそれに与えられたのは、集団をつくるのがより都合の良い家畜のように、地上の滅びるものだけを求めているから」と教えている。キリスト者の民が、シナゴーガではなくエクレシアと呼ばれるのは、地上の死すべきものを軽んじてただ天の永遠のものだけを追求するからである。hoc ei nomen impositum est, quia pecudum more, quibus magis congregari convenit, terrena et caduca tantum bona spectaret. Quare merito Christianus populus non synagoga, sed ecclesia dicitur, quia terrenis et mortalibus rebus contemptis coelestes et aeternas tantummodo consectatur.」

ですから私たちはこの目的に到達することができるように、教会に協力しなければなりません。

天主は、御摂理によって、この教会の目的をより容易に、より安全に実行することができる為に、二つのものを作って下さいました。

一つは家族です。お父さんとお母さんの元で、子供たちが善を行なって容易に天国に行くことができるように、そして全てに越えて主を愛することができるように、家族を作って下さいました。

更にもっと大きな家族、つまり国家、国をも作って下さいました。それは、国が私たち国民に善を行なうように、そして悪を罰する、ということを以って、私たちがよりよく善を行なうことができるように、より不正を行なうことが難しくなるように、家族を守ることができるようにする為です。

カトリック教会の理想とするところは、教会が国家と協力し合って、国民をできるだけ多く、できるだけ簡単に、安全に天国へと、永遠の幸せへと導く為に、この地上での道を送る為です。ですから国はできるだけ教会の、あるいは福音の教えに耳を傾けて、創造主の、この世界を創って下さった三位一体の、贖い主の声を響かせるようにしなければなりません。善を追求して、悪を避ける、そして平和を求めることです。ちょうど聖ペトロが今日書簡の中で言っているようです。それが私たちの理想であって、イエズス様の御望みです。

その望みに従って、カトリック教会は1500年の間、キリスト教世界というものを築き上げてきました。多くの霊魂たちが容易に天国に行くことができるように、カトリックの王の元で良い社会秩序を作ろうとしてきました。

カトリック教会はキリスト教世界というものを作りましたが、残念なことにそれを破壊しようとする勢力がやって来ました。

最初の破壊の勢力は、プロテスタントでした。次に、自由主義、リベラリズムでした。その次に、共産主義がやって来ました。そして、今、最後に、第四の革命が、私たちとこの今生きている現実世界とを切り離そうとしています。

プロテスタント主義は、教皇という権威から私たちを切り離そうとしました。七つの秘跡から切り離そうとしました。カトリック教会という現実から、真の天主が作った現実から、私たちを切り離そうとしました。ただ聖書だけを持っていれば良いのだと言いました。

自由主義は、天主の定めた本当の意味の平等や、本当の意味の自由ということを歪曲させて、理解させました。例えば、本当の自由というのは、罪から自由であって、悪から自由であって、善を行なうことであることです。しかし彼らは、天主の法律からの自由で、何でもやって良い、人に迷惑をかけなければ罪を犯しても良いという自由だ、お金さえ儲ければ何をしても良い自由だ、と誤解しました。人間は、個々の消費者になってしまいました。

共産主義は、更にそれを発展させた形です。平等も、天主の前の平等、誰もが救われる為には、金持ちも貧乏人も、等しく天主の御旨という善を行なわなければならない、悪を避けなければならない、天主と法の前での平等を教えていました。しかし誤解された平等は、男も女も全ては同じだ、親も子供もない同志だ、人は等しく働く機械だ、という歪んだイデオロギーを教えました。

今、革命の最終段階にあります。なぜ最終段階かというと、天主の作った、私たちを助けるもの、家庭を破壊してしまって、そして人々をバラバラに分断させようとするからです。今、私たちが生きている現代、このその革命は更に度を増しているかのようです。

つい最近、埼玉県(私たちの修道院があるところです)の条例で、「性の多様性を尊重した社会づくり条例」というものができました、可決されました。パブリックコメントというものによると、9割が反対したそうですが、通りました。

それによると、自分の考えと現実との区別がつかない人の自認を他者が認めなければ、罰せられるということです。これは何かというと、誰かが自分を男だと思えば男。女だと思えば女と、主観的な自認を皆が認めなければならない。もしもそれを自認を、公認しないなら、ヘイトだ、差別だ、「私は傷付いた。あなたは悪をした」ということになる、そのような法律ができたということです。

ですからこのような人が、朝、目覚めたら、女だ、と思ったから、女湯に入った。女性の施設に入った、私は女だから。あるいは、今日、私は女だと思った。だから女性の競技に出て、金メダルを取ろう。もちろん肉体的な男性ですから、金メダルを簡単に取ることができます。もしも、あなた、それはおかしいんじゃないか?と言えば、それを言った方が悪くなるということです。

このような人たちのことをウォークと言います。ウォークというのは、歩くという意味ではなくて、目覚めた人という人で、自分の思ったこと通りに社会が認められないと、その認めない方が悪いと言う人のことです。

つまり、たとえて言うならば、私は医者だと思えば、皆、私を医者として取り扱わなければならない、ということです。私が今、犬だと思えば、犬だとして取り扱わなければならなし、犬と犬は結婚しなければならないと言えば、そうしなければならない、ということです。

ヨーロッパでは例えば、白人は悪いとされています。ですから、被害を受けたのが白人であっても、悪いのは白人だとされなければなりません。なぜかというと、このような人たち(ウォーク)は、そうすることによって、自分たちの尊厳を確認した、とされるからです。

嘘のようなことがおきています。何が本当であって何が間違いか、何が善であって何が悪かがごっちゃになるような世界が今、起ころうとしています。日本は大丈夫だということは絶対ありません。韓国でも同じような法律が今、できつつあります。日本にも、今、それが上陸しつつあります。

これは今は、埼玉の条例ですが、今日、電車に乗ると、同性愛の宣伝をするような映画が広告に載っていました。直視することができないような広告でした。そのようなことが当たり前であるかのように、電車の中では広告が、テレビの中ではそのような宣伝が、ラジオで、映画で、これからますます宣伝されることでしょう。罪が罪でないかのように、宣伝されるでしょう。

何が起こるかというと、家族の崩壊です。天主が立てた家族というものがこれからバラバラになってしまってしまう。あるいは国家というものが、国を愛することがいけないかのように、あるいは祖国の伝統文化を守ることがいけないかのように考えられる、そのような時代が今、到来しようとしてきています。

私たちは何もしなくて良いのでしょうか?何かものすごい、社会を壊そうとする勢力、日本の社会を壊そうという勢力があるかのように見えます。悪魔のような勢力があるかのように見えます。ですからそのようなものに対して、私たちは何かをしなければなりません。

皆さんもご存知の通り、今日は選挙の日ですから、一体誰に投票したら良いのだろうか、と思われている方もいらっしゃるかもしれません。よく見極めて、現実の世界の秩序を守る、つまり天主のたてた秩序を守る、という方に是非、投票をすることをお願いいたします。少なくとも、現実の世界を否定することに賛成するような人には投票しないように、私はお願いしたいと思います。

候補者の中には、同性愛を結婚として認める法律をすることはできる、と言う人がいるかもしれません。天主の秩序を壊すことに賛成をすることです。しかし、どうしてそのようなソドマとゴモラのような世界を私たちが作ることに協力することができるでしょうか?

どうぞ気を付けて下さい。なぜかというと、そのような人たちはそれだけで終わらないからです。子供を養子にもらいたい、と言うでしょう。そしてそうしてしまうと、犠牲者は子供たちです。それに疑問を挟むことのほうが悪になってしまいます。あるいは、そのようなことが普通にならなければならないことを、教えなければならない、と言うようになるでしょう。

これによって、アメリカあるいはヨーロッパでは多くの問題が生じています。選挙もできない、タバコも吸うことができない、結婚もすることができない小さな子供が、学校でジェンダーセオリーを教わって、そして自分は男だったのだけれども、女だと分かった。そして手術を受けることできるように、そして多くの子供たちが、そのものすごいお金のかかる手術をした、と。もう取り返しのつかないことが起こっています。子供たちが、あるいは弱い女性たちが、犠牲者になっています。そのようなことにストップをかけなければなりません。

ですから私たちは一体、どのようにしなければならないのでしょうか?

これを私たちを救うのは、このような今、現代世界から救うことができる唯一のものは、カトリック信仰です。なぜかというと、カトリック信仰こそが本当の現実を、私たちにそのまま教えているからです。

しかしそれを知るだけでは足りません。私たちがその通りに生きることが必要です。信仰を生きる為に助けが必要です。その為にはどうしたら良いでしょうか?

マリア様にお祈りして下さい。なぜかというと、私たちの数も、力も、あまりにも小さいからです。私たちが何をするか、まずマリア様の力が、天主の御母の力が必要であるからです。マリア様はファチマでこう仰いました。秋田でも仰いました。あなたたちを助けるのは、私しかいません。マリア様しかいない、と。

今この現代世界の敵は、私たちの手に負えないほど大きくて巨大であるかのように見えるかもしれません。しかしマリア様は更に強力で、私たちを助けて下さる天の御母です。

マリア様の要求通りに、教皇様がロシアを世界中の司教様と合わせて、聖母の汚れなき御心に奉献されました。するとアメリカでは信じられないような判決が起きたではないでしょうか。堕胎をするのは権利だ、と今まで判例があったのは、それは間違いだったと覆されたのです。今、そのような新しい動きが立ち上がって、特に若い人たちを中心に立ち上がっています。

これは、マリア様が私たちに特別の助けを与えている、という証拠ではないでしょうか。

ですから愛する兄弟姉妹の皆様、何も絶望しないで下さい。全ては天主の元に帰らなければなりません。その為に私たちにはマリア様が与えられています。

行動すると共に、お祈り致しましょう。マリア様にお祈り致しましょう。その意味でもどうぞ、来週の月曜日にあるマーチ・フォー・ライフには是非、皆さんと共に、マリア様と共に、歩くことができればと思っています。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


【参考情報】カナダ先住民寄宿学校問題で事実無根の結論に飛びつく【REAL Women of Canada】

2022年08月17日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】カナダ先住民寄宿学校問題で事実無根の結論に飛びつく【REAL Women of Canada

Jumping to Conclusions Without the Facts in the Indigenous Residential Schools Question

オンタリオ州オタワ  2021年6月21日

REAL Women of Canada」は、サンダーベイにあるレイクヘッド大学の人類学者、スコット・ハミルトン博士(Dr. Scott Hamilton)の報告書を、会員とその関係者の皆さんに知っていただくべきだと考えています。ハミルトン博士は、「真実和解委員会」(Truth and Reconciliation Commission)の依頼を受け、先住民学校の墓地を再調査しました。博士はこれまで、215人の子どもが埋葬されたと報道されている旧カムループス寄宿学校を含む墓地の問題を広範囲に再調査してきました。

メディアはこの悲劇について、事実を調査せずに数多くの記事を書いていますが、その事実はこの状況に対する別の見方を明らかにしています。

スコット・ハミルトン博士の報告書の要約を添付します。

先住民寄宿学校問題で事実無根の結論に飛びつく

カナダの良識ある人々は、もはやメディアを信じることはできず、メディアから影響を受けることもあり得ません。メディアが信頼や尊敬に値しないことを自ら証明したからです。

メディアが情報操作しており不適切であることは、カムループスの寄宿学校の敷地内にある墓地に、無垢で無力な先住民の子どもたちが埋葬され、忘れ去られているという恐ろしい話で露呈しました。メディアの説明によると、この墓地は、寄宿学校でネグレクトされ、虐待され、捨てられ、その死を隠すために墓地に埋められた子どもたちの集団墓地(通常、戦争犯罪や虐殺を表す言葉)でした。本当だとしたら衝撃的な話になるでしょう。

しかし、オンタリオ州サンダーベイにあるレイクヘッド大学人類学部のスコット・ハミルトン博士は、真実和解委員会に依頼されて、寄宿学校に住み、学校の土地に埋められた亡くなった子どもたちの問題に取り組んできました。この問題に対する博士の調査は、メディアによって作られた認識とは全く異なる、驚くべき話を教えてくれます。以下に記す要約に疑問をお持ちの方は、次のサイトにあるハミルトン博士の44ページに及ぶ報告書そのものをお読みください。https://ehprnh2mwo3.exactdn.com/wp-content/uploads/2021/05/AAA-Hamilton-cemetery-FInal.pdf .

ハミルトン博士の報告書

ハミルトン博士は報告書の冒頭で、以下の理由で、答えを見つけるのが困難であることを説明しています。つまり、先住民寄宿学校の中には、同じ名前で各地に再建されたものがあるため、また、多くの場合、話が一世紀以上に及ぶため、物的証拠を見つけるのが難しいため、さらに、保存されている文書が必ずしも入手できるわけではないため、です。そのため、ハミルトン博士の作業は、現存する文書に焦点を当てました。博士の報告は、カナダにある150のインディアン寄宿学校の約100年にわたる運営についての驚くべき説明になっています。その調査が指摘しているのは、少なくとも3213人の子どもたちが、これらの寄宿学校で死亡したと報告されている、ということです。

アボリジニの死亡率

ハミルトン博士によると、19世紀から20世紀初頭にかけて、多くのアボリジニの人々が健康を害し死亡した主な原因は、伝染病でした。この期間、治療法のない結核が蔓延していたのです。この結核は、他のカナダ人よりもアボリジニの人々に大きな影響を与えました。先住民は、欧州からの新参者の病気に対して抵抗力に限界があったのです。寄宿学校内の生活環境が一般的に悪かったことも、この問題を大きくしたのでしょう。学校に行く前に、この病気に感染していた子どもたちもいたでしょうが、さまざまな教会によって建てられたのではなく、インディアン問題省によって建てられた、混雑し、粗末な寄宿学校の中で感染した子どもたちもいたのです。

1906年、インディアン問題担当最高医務官だったピーター・ブライス博士による連邦政府の年次報告書には、アボリジニの健康危機の程度が概説されています。彼はこう記しています。「カナダのインディアンの死亡率は全人口の2倍以上だった」。1909年の報告書では、ブライス博士が7校の寄宿学校の243人の生徒の詳細な調査を行い、すべての年齢層に結核が顕著に見られると結論付けています。同博士は、「平熱を示す子どもは一人もいなかった」と報告しています。このときの数年間の流行は、結核だけではなく、1918年のスペイン風邪の大流行など、他の病気もありました。この時はまだ、死を食い止めるための予防接種ができませんでした。また、そのころは、ペニシリンなどの抗菌薬や抗ウイルス薬、抗炎症薬もなく、使用できませんでした。1948年までに、学校における先住民の子どもたちの死亡率が大幅に減少したのは重要なことです。1948年以前は、生徒の病気や死亡が多く、その後の死亡率の低下は、医学の発展によるものと思われます。

寄宿学校

1883年以前、プロテスタントとカトリックの宣教師たちは、あらゆる年齢のアボリジニの人々の面倒を見るために、教会や学校、そして場合によっては病院を設立しました。これらの学校は、子どもたちが非アボリジニの社会的、宗教的価値観に順応するための基本的な読み書き能力を提供すること、また彼らがより容易に社会に同化できるようにするための職業訓練校を提供することを目的としていました。

1883年になって、カナダ政府はインディアン問題省の下で、「寄宿学校制度」として知られる、先住民の子どもたちのためのさらに大規模な施設を監督・設立しました。この施設では、ますます支配的になる欧州系カナダ人社会での彼らの雇用と統合を助ける目的で、学問と産業訓練の両方が提供されることになっていました。1920年のインディアン法の改正により、学齢期の先住民の子どもたちを昼間学校【通常の学校】や寄宿学校に送る権限がインディアン問題省に与えられました。その後、1970年代初頭になって、運営されていた寄宿学校の数は大きく減少し始め、1996年にようやく運営は終了しました。

インディアン問題省の埋葬政策について

全く驚くべきことに、インディアン問題省には、1958年まで、寄宿学校の子どもたちの埋葬に関する正式な文書による方針がなく、これは寄宿学校制度が急速に拡大してから、実に75年後のことでした。文書化されていなかったものの、同省の慣習として、長距離輸送の費用が生徒の死亡場所に埋葬する費用よりも低い場合、葬儀費用を支払わないというものがありました。これは、寄宿学校制度の全歴史を通じて行われてきた慣習、つまり、埋葬費を低く抑えておくことで、亡くなった生徒の遺体を故郷のコミュニティーに送り返そうという気持ちを起こさせないことと一致しています。インディアン問題省の長年の対応が示しているのは、通常の場合、学校で死亡した生徒の埋葬費用は学校が負担すると考えられていたことです。これを行う最も費用対効果の高い方法は、学校の敷地内にある墓地に埋葬することでした。この墓地には、生徒の遺体だけでなく、在職中に死亡した学校の教員や宗教関係者の遺体も多く埋葬されていました。時の経過とともに、墓地を囲むフェンスと同じように、墓を示す木製の十字架も劣化していきました。その結果、この墓地の一部は、時とともに失われてしまいました。もう一つの問題は、寄宿学校の墓地の維持管理です。インディアン問題省は、これらの墓地を維持する責任を認めませんでした。この責任は、不十分な政府資金でこれらの学校を運営していた宗教団体に降りかかってきました。また、これらの墓地は、近隣の自治体の住民の埋葬に使われるという問題もありましたが、自治体は墓地の維持管理には一切責任を認めませんでした。

まとめ

インディアン寄宿学校の歴史を通じて、亡くなった生徒を埋葬のために(出身地に)戻したり、学校近くの墓地を維持したりするのを妨げる、財政的な理由による手続きや障壁があったと思われます。墓に刻まれた木製の目印は時間とともに崩壊し、墓地を囲むフェンスも森林の植物で大きく覆われてしまいました。そのため、時の経過とともに、墓地の境界を決定したり、そこに埋葬されている人について知ったりすることも困難になりました。

これらの墓を隠そうとしたことを示す証拠は全くありません。さらに、長い間忘れられていたこれらの墓地に埋葬された子どもたちが、虐待やネグレクトで死亡したという兆候もありません。しかし、メディアの報道によって、そう信じるように誘導されます。寄宿学校の語は、さまざまな観点から心を痛めるものです。しかし、学校を運営したカトリック教会をはじめとする宗教団体が、子どもたちをネグレクトし、死に至らしめた無慈悲な振る舞いをしたと非難するのは、事実に基づけば妥当ではありません。もし過失があるとすれば、それは寄宿学校や子どもたち、そして墓地に十分な資金を提供しなかった連邦政府インディアン問題省にあります。メディアによれば、このカナダの悲劇は、カトリック教会や他の宗教団体の失敗とされています。このことは、宗教的な信仰を貶め、公共の場から宗教を追い出そうとするもう一つの試みです。寄宿学校は、その道具として使われているのです。

【追加の参考情報】
Les pensionnats autochtones au Canada (1)
https://fsspx.news/fr/news-events/news/les-pensionnats-autochtones-au-canada-1-73979

Les pensionnats autochtones au Canada (2)
https://fsspx.news/fr/news-events/news/les-pensionnats-autochtones-au-canada-2-73986

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