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2019年1月19日(土) 聖母の土曜日のミサ説教 「家族―天主が最初に創られた制度」

2019年02月20日 | お説教・霊的講話
2019年1月19日(土)聖母の土曜日のミサ 
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年1月19日、聖母の土曜日のミサをしています。

今日このミサの後に、いつもの通り感謝のお祈りをしますが、その後で、1月に毎年している踏み絵への、250年間イエズス様が受けた侮辱の償いを致しましょう。
そして御聖体降福式もその後で行ないましょう。


「そして彼らは、マリアとヨゼフと、そして馬草桶に置かれている子供を見た。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、聖母の土曜日は2月2日まで、御降誕から2月2日まで、福音では「牧場の羊飼いたちが、天使の言葉に従って、ベトレヘムの馬草桶に置かれている聖家族を見出した、牧童たちが来た、羊飼いたちが来て、礼拝して、そして讃美をして帰って行った、という史実を、マリア様の汚れなき御心が、全て記憶のその中に留めていた」という福音を読みます。

そこで私たちも今日、同じく羊飼いと一緒に、マリア様とヨゼフ様と馬草桶に置かれたイエズス様を、聖家族に会いに一緒に行きましょう。マリア様の汚れなき御心から、聖家族の秘密を聞く事に致しましょう。

教会の教えによると、特に教皇様たちの教えによると、「家族」というのは、世の創造のその最初から、天主によって作られた制度です。この家族を作る時に、特別な「婚姻」という制度を天主は制定しました。男を創った直後、神秘的な眠りの中に陥らせて、そして天主は人類に最高の、そして最初の贈り物をしました。それは夢のような贈り物で、男性の同伴者となるべきエヴァでした。天主はその時に、このアダムとエヴァを祝福して、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と命令しました。

「婚姻」というこの制度を見ると、3つの事が分かります。

1つは、『人間の増加の為に、子供たちの繁殖繁栄と、そしてその教育の為に作られた』という事と、そして天主が、「父と母を離れて、二人は一体となる」と言ったところから、この『婚姻が決して離れる事ができない、解消する事ができない』という一致を持っている事、また『一人の男性と一人の女性が結び付く事』が分かります。

これは自然の、天主の創造の最初に起こった事ですけれども、しかしイエズス様はこれを、「秘跡」の尊厳にまで、秘跡にまで高めました。

イエズス様は、洗礼の秘跡は、御自分で洗礼を受ける事によってそれを聖化しました。
御聖体の秘跡は、最後の晩餐で御聖体を制定する時に、秘跡を作りました。
婚姻の秘跡は一体、家庭生活の聖化は一体どのようにされたか、神学者たちはそれを、それについて確固とした答えを出せないでいますが、ある神学者はカナの婚宴で、あるいはある神学者は十字架の上で、しかしイエズス様は、30年間を以って、家庭生活を聖化しました。

イエズス様は、真の天主であるにも関わらず、そしてこの聖徳においても、知恵においても、賢明さにおいても、全て、マリア様にもヨゼフ様にも勝っていたにも関わらず、全く両親に委ねて、マリア様とヨゼフ様に委ねて、聖化されました。マリア様も、ヨゼフ様にはるかに勝った聖徳と知恵を持っていた方で、上智の座ではありましたが、しかしヨゼフ様に従って生活しました。

教皇様たちは言います、「聖家族を見ると、私たちの家庭の理想が分かる。私たちは、『家庭生活』という、ともすれば犠牲を伴う、ともすれば私たちから多くの事を要求するものを、その生活に入る前に、どのような理想があるか、どれほど素晴らしいものであるかを知らなければならない。そうする事によって若い人たちは、その『家庭生活』という理想に燃えて、その理想を追求して、大きな犠牲も大きな困難を乗り越えて行く事ができるだろう。そして私たち全てに、どのような理想を追うべきか、イエズス様がどれほど心を込めて30年間、長きに渡って私たちに模範を示そうとされて、どれほど大切であるかという事をを示そうとされたかを黙想しなければならない」と訴えています。

聖ヨゼフを見ると、夫の模範、理想が分かります。

まず聖ヨゼフは、労働の人でした。そしてたとえ聖徳において、イエズス様やマリア様に劣っていたとしても、家長として、家の家族の頭として、権威を以って、家を家族を統治していました。しかしこのヨゼフ様が、その家長として、家の家族の頭としてうまく統治したのも、ヨゼフ様だけの功徳ではありませんでした。マリア様とイエズス様が、妻であり母親であるマリア様が、そして子供であるイエズス様が、愛を込めて協力したからです。

教皇様たちによると、「妻の役割は、もしも夫があるいは父親が、家の家族の頭であるとしたら、妻は家族の心臓である、ハートである」と言っています。

あるいは「妻はあるいは母親は、家族の太陽だ」と、これはピオ十二世が言っています。

女性は、女性には素晴らしい尊厳があります。これは異教の宗教では全く知られていないものです。この女性の尊厳というのは、まず「男性の肋骨から、胸の心臓の最も近い所の一部であった」というところと、もう1つは「母親になる事ができる」というところにあります。

母親というのは、時を超えた存在です。母親というのは、私たちが誰もが持っている尊敬すべき方です。国も、民族も、時間を超える存在です。人間の人類の存続の為に、最も必要な存在です。その女性は、たとえ結婚しなかったとしても、たとえ子供が無かったとしても、たとえ母親となる事がなかったとしても、しかし「母親となる事ができる」という事において、特別の尊厳を持っています。それは司祭が尊厳を持っているのと同じです。たとえ司祭が叙階されて、ミサを立てる事がなかったとしても、秘跡を行なう事ができずにそのまま亡くなったとしても、しかし可能性において司祭の尊厳があると同じです。

この女性の、「母親になる事ができる」という尊厳を自覚している方は、その自分の振る舞いにおいても、言葉遣いにおいても、身なりにおいても、尊厳がある態度を保ち続ける事ができます。「私は母親だ」あるいは「母親となる事ができるものだ。」たとえ、これをたとえ結局そうでなかったとしても、その自覚を持っている方は、その態度によって、周りの人から尊敬を受けるような、そして高貴な振る舞いをします。
もしもその自覚がないと、そのような女性の方は、あるいは下品になったり、あるいは犠牲者となってしまったりします。

教皇様によると、「ちょうどマリア様がなさったように、妻の最も大きな役割は、夫の良き助言者である、助け手である」という事です。そして「夫の持っている権威を更に強める事である。信頼と愛を込めて夫に従う事である。」「ちょうど教会がイエズス・キリストに従ったように、奴隷のようでなく、しかし同伴者として従う事である。」すると、そのような信頼と、あるいは奉献、献身を受けた夫の権威は、より優しい、より甘美で、より人間的な権威になります。

またそのような、マリア様のような態度で従う妻というのは、その態度がますます高貴なものとなって、ますます甘美な優しいものとなります。それは子供たちにとってとても良い、平和な雰囲気、家庭生活を持ち出して、そして子供たちにとっての大きな良い影響を与えます。

ピオ十二世教皇様は、「妻は太陽だ」と言います。これはマリア様を見るとよく分かります。

なぜかというと、マリア様は聖ヨゼフに対して、厳しい態度を取ったり、あるいはちょっとした言葉遣いに敏感に腹を立てたりとか、あるいは冷たい態度をしたりとか、あるいはいつも怒って嫌な思いをさせたりとか、あるいはイエズス様に対して聖ヨゼフ様に対して苦々しい言葉を吐いたりとか、あるいは文句や不平、厳しい叱責など仰る事はありませんでした。高い声を出したり、あるいは嫌味を言う事もありませんでした。マリア様はいつも喜びを与えていましたし、そして聖ヨゼフにとって助けとなるように、あるいは家庭の一致をもたらすように、家庭に幸せをもたらすように、家庭の中に休息や、あるいは喜びがいつも満たされているように、特別の配慮をしていたからです。聖ヨゼフの考えが足りないと思った事もあったかもしれませんが、マリア様は非常に謙遜に、聖ヨゼフを立てるようになさいました。

特にマリア様は、御子イエズス様の教育に特別の心を砕きました。聖家族にとって、家庭生活の中心は天主でありましたし、イエズス様でありました。

今日私たちは、この牧者たちと一緒に聖家族の所に駆け寄って、マリア様の御姿とヨゼフ様の御姿、イエズス様を見て、どのような遷善の決心を立てるべきでしょうか?

男性は願わくは、ヨゼフ様のその勤勉な、イエズス様とマリア様を愛するその心と、その優しさを学ぶ事ができますように。女性は、イエズス様への愛と、そして聖ヨゼフへの尊敬を学ぶ事ができますように。子供たちは、天主であるにも関わらず、ヨゼフ様とマリア様に従って、従順に服従したイエズス様に学ぶ事ができますように。

そしてこの聖家族は、“ベトレヘム「パンの家」”で、愛と祈りの生活をしていました、犠牲の生活をしていました。貧しさを耐え忍び、しかし天主に対する信頼と、従順と、祈りに満ちて、平和と愛に満ちていました。この聖家族の中心はイエズス様でした。パンの家に居るイエズス様でした。私たちにとってもその中心は、御聖体であり、ミサです。私たちも、私たちの家族も、中心がいつもミサでありますように!

ミサにおいてできれば家族が共にお祈りし、イエズス様に祈り、マリア様に祈り、ヨゼフ様に祈り、そしてこの聖家族から御恵みと、模範を、祝福を受ける事ができますように。

御ミサにおいて、全ての御恵みを私たちが頂けるようにして下さいました。ミサ聖祭を通して私たちの家族がますます聖化されますように。

今日はマリア様に、土曜日の聖母マリア様に、どうぞ私たちの心に聖家族の模範をいつも目の前に置いて、それに倣う御恵みを頂けるようにお祈り致しましょう。御聖体を中心にする家族生活を送る事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 第18章 本当の従順と偽物の従順

2019年02月20日 | ルフェーブル大司教の言葉

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡 その18

第18章 本当の従順と偽物の従順

 教会の中はどこでも無規律が幅をきかせ、司祭委員会は司教たちに要求状を送り、司教たちは教皇の訓戒を無視してこれに挑戦し、第二バチカン公会議の勧告や決定事項さえ尊重されていません。しかしながらこのようなことが起こっていても、私たちは決して彼らが不従順だという言葉を聞いたことがありません。ただしこの不従順という言葉は、聖伝に忠実に止まろうとするカトリック信者たち、つまりただ単に信仰を守りたいと望むカトリック信者たちだけについて言われるだけです。

 従順と言うことは、重大なテーマです。教会の教導職との一致、特に教皇様との一致に留まることは救霊の諸条件の一つだからです。私たちはそのことを深く自覚しています。そしてまた、今日教会を統治しているペトロの後継者に対して、私たちがその前任者たちに対してそうであったように同じく執着しているのは私たち以上にありません。私はここで自分自身について語っているのであり、自分の小教区の教会から棄てられた多くの信者さんたち、フランス革命の時のように倉庫や納屋でミサ聖祭を捧げなければならなくなってしまった司祭たち、また町や村で聖伝の公教要理を(公式の教会の要理の授業とは)また別に教えている司祭たちについて語っています。

 教皇様が使徒継承の聖伝と自分の全前任者教皇たちの教えとをこだまのようにそのまま繰り返して語る時、私たちは教皇に固執します。正に、ペトロの後継者の定義それ自体が、この信仰の遺産を守ることにあるからです。ピオ九世教皇は、(第一バチカン公会議の決議書である)『パストル・エテルヌス』の中で私たちにこう教えています。

「聖霊がペトロの後継者たちに約束されたのは、聖霊の啓示によって、新しい教義を教えるためではなく、聖霊の援助によって、使徒たちが伝えた啓示、すなわち信仰の遺産を確実に保存し、忠実に説明するためである。」

 私たちの主イエズス・キリストが教皇様や司教たちそして司祭職一般に委ねた権威は、信仰に奉仕するためです。教会法や教会組織また権威を、カトリック信仰を無きものとするために使うこと、それらを命を伝えるために使わないこと、それは霊的な堕胎行為であり霊的な避妊行為です。

 だからこそ、二千年の間たゆまなく教えられてきたそのままの私たちのカトリック信仰と合致することを全て受け入れることに対して、私たちは服従しますし、その準備が整っています。ただし私たちはこれに対立することは全て拒否します。

 何故なら、パウロ六世の教皇統治の間、全てのカトリック信者たちにとって良心と信仰との重大な問題が生じてしまったからです。それはペトロの真の後継者である教皇様が、聖霊の援助を約束された教皇様が、ほんのわずかな間に、教会史上もっとも深くまたもっとも広大な教会の崩壊、いかなる異端者といえどもこれ程の破壊を成功させることができなかったほどのことを主導することができたのか? という問題です。この問題に、将来、正しく答えを出さなければならないことでしょう。

 五世紀の前半に、レランの聖ヴィンチェンチオという人がいました。彼は天主にその身を奉献する枚は軍人であり、「信仰の港に身を隠すまえは、世俗という海に長い間激しくもまれていた」と言った人です。彼は教義の発展について次のように語っています。

「キリスト教の教会において、将来、宗教の進歩は全くないだろうか? 極めて重要なものが確かにあるだろう。それは信仰の進歩であって変化であってはならない。全ての信者においても各々の信者においても、諸地方教会においても個人においても、歴史の流れの間、知性、知識、智恵が溢れるほどにそして強烈に増加することが重要である。ただしそれは教義の同一性、同じ考えの同一性においてでなければならない。」

 聖ヴィンチェンチオは異端の衝撃を体験していました。そこで彼は十五世紀後においてでも常に有効な行動の規則を与えています。

「もしも教会の或る一部分が、交わりからつまり普遍の信仰から切り離されたとしたら、カトリックのキリスト者は、どうしたらよいのだろうか? 壊疽にかかり腐敗している肢体よりも、全体において健康な体以外、いったいどの部分を取るというのだろうか? そしてもし新しい伝染によって、もはや教会の一部分のみならず、一度に教会全てが毒を盛られそうになったとしたら、その時もっとも配慮しなければならないことは、いかなる嘘の革新にも誘われることもできない昔に固執することである。」

 祈願祭の連祷の中で、教会は私たちをしてこう祈らせています。「主よ、願わくは御身の聖なる宗教において、教皇及び教会位階の全階級を維持し給わんことを、我らは御身にこいねがい奉る。」この祈りをするということは、そのような災いが起こりえるということを意味しているのです。

 教会において、一人のキリスト信者にその信仰を減少するように強制することができるようないかなる権利も裁治権もありません。全ての信者は、子供の時にならった公教要理による自分の信仰に危害をかける人がいれば、それが誰であろうとも、彼に抵抗する権利と義務があります。もしも信仰を腐敗させる危機にさらすようにという命令を受けた場合には、これに不従順である絶対の義務が生じます。

 正に、第二バチカン公会議後の改革と方針とによって私たちの信仰が危機にさらされていると判断されるので、私たちはそれらに不従順であり聖伝を遵守する義務が生じているのです。

 私たちはこのことを付け加えます。それは、私たちが教会とペトロの後継者とになす事のできる最大の奉仕とは、改革されたリベラルな教会を拒否すること、これです。イエズス・キリスト、人間となった天主の聖子は、リベラルでもなく、改革され得もしないからです。

 私は聖座から送られた使節がこう言うのを二度も聞いたことがあります。「私たちの主イエズス・キリストの社会的王権は現代ではもはや不可能だ。決定的に宗教的多元主義を受け入れなければならない。」これが、彼らが私に言った言葉です。

 それならば私は言います。私はそのような宗教に属してはいません。私はこの新しい宗教を受け入れません。これはリベラルな近代主義の宗教で、独自の礼拝と、独自の司祭らと、独自の信仰、独自の要理書、独自のエキュメニカルな聖書、つまりカトリック、ユダヤ教徒、プロテスタント、聖公会信者らと共同で翻訳し、二股をかけた日和見主義的な、八方美人で皆を喜ばせようとして非常にしばしばローマ教導職の解釈を犠牲にする聖書を持っています。私たちはこのエキュメニカルな聖書を受け入れません。天主の聖書だけしかないからです。つまり天主の御言葉であり、私たちにはそれに人間の言葉を混ぜ入れる権利がないからです。

 私が子供だった時、教会はどこでも同じ信仰で、同じ秘蹟があり、同じミサ聖祭を捧げていました。その当時、これが変わるだろうと誰かが言ったとしたら、私はそのようなことなど信じることもできなかったでしょう。キリスト教世界の全地域で、私たちは皆天主に同じやり方で祈りを捧げていました。しかしリベラルな近代主義の新しい宗教は、分裂の種をまいたのです。

 この入り込んでしまった混乱のために、キリスト者たちは同じ家族の中でさえも分裂しています。何故なら彼らはもはや同じミサにも与らず、同じ本も読まなくなってしまっているからです。

 司祭たちは何をしたらいいかわからなくなっています。自分の長上たちが彼らに押しつけることに盲目的に従って、そのためにある意味で子供の時からの幼少の時以来の信仰を棄て、自分が叙階を受けるときに荘厳にした近代主義に反対する宣誓という約束を破るのか、或いは、抵抗するべきか、しかしそうすることは教皇様と離れてしまうかのような、私たちの霊父でありキリストの代理者から離れてしまうかのような印象を受けてしまう。どちらにしても、何という苦しい状況でしょうか。心が張り裂けるようです! 多くの司祭たちは苦しみのあまり早死にしてしまいました。

 どれ程多くの司祭たちが、長年の間司祭として聖務の奉仕していた小教区を離れ去るようにし向けられたことか! これらの司祭らは自分の長上たち位階制度のあからさまな迫害の餌食となって、信徒たちからの大きな人望と信頼とにも関わらず、信徒たちからむしり取られてしまっているのです。

 私の目の前に、このような司祭たちのうちの一人の主任司祭が、自分の受け持つ二つの小教区の信徒たちにだした感動的なお別れの手紙があります。

「×年○月○日の面会で、教区長の司教様は私に最後通牒を伝えました。新しい宗教を受け入れるか拒否するかの二者択一でした。私はこれを避けて通ることが出来ません。ですから、私は自分の受けた司祭職への参与に忠実に留まるために、永遠の教会に忠実に留まるために、・・・私は自分の意に反して、引退するように要求され強制されました。・・・ただ単に誠実でありたいということ、特に私の司祭としての名誉は、私をして正にこの天主に関わる重大な問題(=ミサ聖祭のこと)において誠実である義務を果たさせています。・・・これは、私が天主に、そして人々に特に教区民の皆さんに与えなければならない忠実と愛の証拠なのです。そして正にこの忠実と愛の証拠について、私は最後の審判の日に裁かれることでしょう。それは他方で同じ遺産を委ねられた全ての人々についても言えることです。」

 ブラジルのカンポス教区では、教区のほとんど全ての聖職者達はカストロ・マイヤー司教様の引退後その小教区教会から追放されました。何故なら彼らは、つい最近までまだそれを捧げていたように、永遠のミサ聖祭を放棄するのを望まなかったからです。

 分裂は、信心のほんの少しの表明にさえ作用しています。フランスのヴァル・ド・マルヌ県では司教は、長年の間主任司祭を正式に任命することになっている個人所有の教会でロザリオの祈りを唱えていた二五名のカトリック信者らを警察を呼んで排除させました。メス司教区では司教は共産主義者の市長に頼んで、聖伝を守るカトリック信者たちの団体に譲与した場所の賃借権を停止させるように動きました。カナダでは六名のカトリック信者が裁判所で有罪判決を受けました。この国の法律がこの種の問題を取り扱うことを許しているのですが、彼らは頑固に跪いて御聖体拝領をしたということで有罪となったのです。カナダのアンティゴニッシュの司教は彼らを「宗教儀式の秩序と尊厳を故意に攪乱した」と告訴したのです。そして「攪乱者たち」は裁判官から、六ヶ月の保護監察を言い渡されたのです! 司教がキリスト者らに天主の御前で跪いてはいけないと禁止命令を出したのです! 昨年、青年らが行ったシャルトルへの巡礼はミサ聖祭で幕を閉じましたが、そのミサ聖祭はシャルトルのカテドラルの前の庭で行われました。何故ならカテドラル内部では聖ピオ5世の聖伝のミサが禁止されたからです。二週間後、同じカテドラルはスピリチュアル・コンサートのためにその全ての扉を大きく開いていました。そのコンサートの中では、元カルメル会修道女がいろいろなダンスを踊っていたのです。

 二つの宗教が互いに対立しています。私たちは今、劇的な状況の中を生きているのです。選択をしないと言うことは不可能です。ただしこの選択とは従順と不従順とのどちらかを選ぶというものではありません。人々が私たちに提示していること、はっきりと厳しく私たちをそれに招いていること、そしてそれを私たちにさせるために私たちを迫害しているのは、それは見かけ上の従順を選ぶことです。何故なら、教皇様は私たちをして私たちの信仰を放棄することを要求することが出来ないからです。

 私たちは信仰を守ることを選びます。私たちが、教会が二〇〇〇年間教え続けてきたことに固執するなら、私たちが間違うことは有り得ないからです。危機は極めて深いものです。良く知り尽くし巧みに組織され、指導されています、それは、この事業を操っているのは人間ではなくサタン自身ではないかと本当に私たちが信じることが出来るほどです。

 カトリック信者たちをして従順の名によって全聖伝に不従順であるようにし向けることが出来たのは、正に、サタンの強烈な一撃です。様々な修道会の「現代化(アジョルナメント)」は典型的な例を私たちに提示しています。従順によって、修道士、修道女らをしてその創立者の創った会憲や会則に不従順たらしめているのです。彼らが修道誓願をたてた時遵守すると天主に誓ったその会憲に不従順たらしめているのです。この場合、従順は断固とした拒否でなければなりません。たとえ合法的な権威であっても、非難すべき悪しき行為を命ずることは出来ません。それが誰に対してであっても修道誓願を単なる約束に変えることを強制出来る人は存在しません。同じように、誰も私たちをしてプロテスタントや近代主義者に変わるようにすることはできません。

 聖トマス・アクィナスは私たちが常に参照しなければならない規範ですが、その神学大全の中で、私たちの主が命じている「兄弟的矯正」は私たちの長上たちに対しても為されうるか、と問うことさえしています。有用な区別を全てした後に、聖トマス・アクィナスはこう答えています。「信仰に関わることである時、長上たちに対して兄弟的矯正を行使することが出来る」と。

 もしも私たちがこの章の内容についてもっと断固としていたら、私たちはゆっくりゆっくり異端と同化してしまうことを避けることが出来たことでしょう。16世紀初頭、イギリス人たちは、現在私たちが経験しているたぐいの出来事を体験しました。私たちとの違いは、英国ではこれが離教によって開始された、ということです。その他については驚くほど類似しており、私たちは考えさせられます。アングリカニズム(英国聖公会)という名前を取ることになる新しい宗教は、ミサ聖祭、個人的な告解、聖職者の独身制などに対して攻撃することから始めました。ヘンリ8世は、英国民をローマから引き離すという巨大な責任を負った後に、当初は自分になされていた英語のミサという提案を拒否していました。しかし彼の死後には、ミサで英語を使うことが許されるようになり、行列は禁止され、新しいミサの式次第が強制されました。これが Order of Communion (聖餐式の式次第)と呼ばれるもので、それにはカトリックのミサの「オフェルトリウム(奉献の祈り)の部が無くなっていました。キリスト教徒らを安心させるために、その他の変更を加えることは禁止する命令が出されました。他方で第3の法令で、主任司祭は小教区の教会内にある諸聖人の御像や聖母マリアの像を廃止することが許されました。こうして極めて貴重な美術品が大量に売り飛ばされました。これは現在、教会の芸術品・美術品が骨董品屋やノミの市に売り飛ばされているのと全く同じです。

 新しい聖餐式の式次第(Order of Communion)が、私たちの主イエズス・キリストは私たちに霊的に御体と御血を与えるとあるので、イエズス・キリストの御聖体における現存のドグマを否定するものであると気がついた司教様たちはほんのわずかでした。告白の祈りであるコンフィテオールは英語に訳され、儀式の時に司祭と信徒とが同時に唱えるようになりました。これが罪の赦しの代わりになりました。ミサは食事に変わり、聖餐式になり(turning into a Communion)ました。しかし博学であった司教様たちでさえ、平和と一致を保つために、ついには新しい祈りの本を受け入れるようになりました。第二バチカン公会議後の教会が私たちに新しいミサを強制するのも、全く同じ理由からです。16世紀にはイギリスの司教たちは、ミサとは「記念」であると断言したのです! 大量になされたプロパガンダのために信徒らの頭の中も、ルター式のものの見方をするようになってしまいました。説教をするには、政府の許可を受けた人でなければなりませんでした。

 同時に、教皇は「ローマの司教」とでしか呼ばれなくなりました。教皇は、もはや聖父(パパ)ではなく、他の司教らの一兄弟でしかなく、英国の場合、自ら国教会の頭となった英国王の兄弟でしかないのです。ギリシア典礼とルター式サービスを混ぜ合わせた、クランマーの祈祷書(Prayer Book)というものが作られました。これは、ブニニ司教がパウロ六世のミサといわれるものを作った時に、典礼改革のための専門委員会(コンシリウム)に専属の6名のプロテスタントの「オブサーバー」たちと一緒に仕事をしていたことを思い出させないでしょうか。

 クランマーの祈祷書(Prayer Book)は次の言葉で始まっています。「晩餐そして聖餐は、一般にミサとよばれており・・・」と。これは新しいミサの総則第7条の前兆であり、同じことは1981年にルルドでの聖体大会で言われました。「主の晩餐、言い換えるとミサは、・・・」と。【訳者注:1969年版のローマ・ミサ典書総則7番がミサとは何かを説明してこう言う。「主の晩さん、またはミサは、・・・」】

 私が既に話した聖なるものの破壊は、アングリカンの改革でも含められていました。以前は小さな声で司祭が唱えていた典文の祈りは、大きな声で唱えなければならなくなりました。同じように現在の「聖体祭儀」でもそうなっています。

 クランマーの祈祷書(Prayer Book)も、「王国の内的一致を保存するため」司教らによって承認されました。「昔のミサ」をささげ続けていた司祭らは、聖職録の取り消しから、聖職の罷免までの刑罰を受けましたし、「再犯者」には終身禁固刑が待っていました。現代では、「聖伝の」司祭たちを刑務所には入れないものの、待遇はほとんど同じだと認めなければなりません。

 チューダー王朝のイギリスは、そうと気がつかない内に異端に落ちていきました。それは指導者の牧者らを始めとして時代の歴史的状況に適応させるという口実の元に変化を受け入れることによってでした。正に今日では、全キリスト教世界がこれと同じ道を辿る危険があります。もしも年をとった私たちが、ほんの少しの危険でも冒すなら、子供達・青年達・神学生達は、新しい要理書と臨床心理学と社会学で養成され、教義神学も倫理神学も教会法も教会史も全く学ばずに、本当のものではない「信仰」において教育されることになり、彼らが学ぶ新プロテスタント的概念を当たり前のこととして受け入れるようになってしまうということを考えたことがありますか? もしも私たちが抵抗しなかったら、明日のカトリック宗教はいったいどうなってしまうのでしょうか?

 読者の皆さんはこんなことを言う誘惑に駆られているかもしれません。「では私たちにいったい何が出来るというのか? 私たちにこれをしろ、あれをしろ、というのは司教様なのだ。ほら、この公文書は(司教様公認の)要理委員会が、または別の公式委員会が発表したものだ。(公式の司教様の権威に抵抗しろというのか?)」

 では、信仰を失う以外に何も残っていないと言うのでしょうか? そのような対応をする権利はありません。聖パウロは私たちにこう警告しました。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」(ガラチア1:8)

 これが真の従順の秘訣です。


教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い



回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(1)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(2)

回勅『パッシェンディ・ドミニチ・グレジス Pascendi Dominici Gregis』 近代主義の誤謬について 聖ピオ十世教皇(3)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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