Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2016年聖母小黙想会 霊的講話【4】 8月11日 シュテーリン神父様「終末の時代のマリア様の役割」

2018年12月08日 | お説教・霊的講話
2016年8月11日 聖母黙想会 シュテーリン神父様講話【4】
同時通訳:小野田圭志神父


では、ますますインマクラータの神秘の中に深く入って行きましょう。特に終末の時代において、マリア様のなさる役割について、聖グリニョン・ド・モンフォールが何と言っているかを見てみましょう。

そこで、聖グリニョン・ド・モンフォールの終末に対する見方は、私たちがいつも考えている事とは少し違っています。終末の大災害について、私たちは否定的な観点で見るのが慣わしですけれども、そしてもちろんその事については間違ってはいけません、幻想を抱いてはいけません、恐れおののくべき時代が待っています。しかし、これが終末について最も深い見方であるとは言い切れません。

最も深い意味というのは、「終末に、最後に、私の御心は汚れなき御心は凱旋するでしょう。」これが本当の意味です。

天主様はこの終末の時代に、「マリア様が一体どなたであるか?」マリア様の力を全てに示そうと御望みです。天主様はマリア様に特別の役割を任命します。これは、「最後の戦いをリードする」という役割です。イエズス様は勝利しました。ですから「イエズス様と共に勝利者である」という事が、マリア様に預けられています。イエズス様はこの最後の勝利の冠をマリア様に、御母に与えたいと思っています。

聖グリニョン・ド・モンフォールは51番と52番において、マリア様が一体何をするか、なぜそうするのか、という事について説明しています。

罪がこの世に入ってから、この世は2つの陣地に分かれました。この世の、最初の罪が入ったこの世の瞬間に、天主様の約束がなされました。この約束は「呪い」という形でなされました。「マリア様が、この女が蛇の頭を踏み砕くだろう」という予言、約束です。

聖マリア・グリニョン・ド・モンフォールはここで説明します。それは52番ですけれども、「天主は、1つの、和解する事ができない敵対を置いた」という事です。

戦いの陣地において、2つの陣があって、2つのリーダーが、2つの頭があります。キリスト教の陣地のリーダー、戦いを指導する人は、マリア様です。こうすると、なぜ悪魔がマリア様をそれほど憎んでいるかという事がよく理解できます。

なぜイエズス様ではなくて、マリア様が陣取るこの頭であるか?という事を説明します。

悪魔は絶望的に傲慢です。もしも悪魔がイエズス様と戦うなら、天主と戦うならば、「あぁ、天主様だから負けても仕方がない」と思うでしょう。

でも天主様は、「じゃあ、あなたは他の天使と戦いますか?」ルチフェルはきっとこう言うでしょう、「もちろん戦う!」大天使聖ミカエルがやって来るのです。そして大天使聖ミカエルは悪魔を天国から追放します。

「悪魔よ、一体お前は誰と戦いたいのか?」「人間の最も強い人と戦いたい。」「ではお前は、小さな貧しい女の子と戦え。」ゴリアテという巨大な男が巨人が、小さなダヴィドと戦うのと同じです。「おお、ここに小さな赤ちゃんがいるぞ。おお、ここにバカバカしいほど小さな女の子がいる。」

しかしこのマリア様は、小さなマリア様は、悪魔を踏み砕く時に、どれほど悪魔が屈辱を受ける事でしょうか。

54番では、1つの敵対ではなくて、複数の敵対について考えています。「悪魔の陣地とイエズス様の陣地の2つには、どれほどの敵対とどれほどの対立があって、和解する事ができない」という事を、聖グリニョン・ド・モンフォールは説明しています。悪魔とマリア様の対立も同じように、悪魔の軍隊とマリア様の軍隊の対立です。現代において、悪魔の軍隊はほとんど全能であるかのように力を付けています。

黙示録にはこう書かれています、「獣の軍隊は、この地上を全て支配している。全ての民族、全ての言語、全ての民を支配する。」(黙示録13章7節)マリア様のイエズス様の軍隊はますます小さくなって、ほんの残されたものだけしか残っていなくなります。預言者エリアが天主様に、「もう全ての人が皆バアルの方に行ってしまって、もうあなたを信じる者がいなくなった」と言う時に、天主様は、「7000人がまだ残っている。この7000人はまだ、このバアルの前に膝をかがめなかった人たちだ」(列王上19章18節)と言います。

士師ゲデオンが戦う時には、イスラエルが攻撃を受けた時には、ほとんどの軍隊が残っていませんでした。巨大な敵の数に比べてイスラエルは、ほんの数千人しか兵士がいませんでした。しかし天主は言いました、「それは多すぎる。『恐れる者はもう帰って良い』と言え。」(判事の書(士師記)7章2-3節)ものすごい敵の数に比べて、戦おうと思ったのは300名だけでした。

時の終わりも同じ事が起こります。謙遜なしもべたち、貧しい子供たちが残ります。この世の目には全く馬鹿馬鹿しい、考慮にも値しないような数です。「しかし、」聖グリニョン・ド・モンフォールは言います、「しかし、この小さな軍隊が、この世の勢力に対して勝利する。」人間の言葉で言えば、人間的な観点から言えば、私たちはもう負けたも同然です。しかしこの少数が、大きな悪魔の大軍に勝利を収めます。

では、それから教訓を得る事にします。マリア様の力がどれほど強いか、という事をこの世に見せつける為に、悪魔の破壊の装置が最高の度合いに達するのを、私たちが罪に陥るのを誘惑する度合いを最高度に増すのを許します。この世がかつて見た事がない、究極の最も悪魔的なサタン的な攻撃が私たちに行なわれるでしょう。しかしこれについてはもう、既にイエズス様も仰いましたし、何度も預言された事ですから、私たちはびっくりする必要はありません。天主様はこの最も深い時が来るのを許されます。全てが失われたと思われる時が来ます。それには1つの理由だけがあります。それは、「この闇に、真っ暗闇に光が、インマクラータの光が輝く、その対照を見せつける為」でした。

このグリニョン・ド・モンフォールの最後の数行は、今現代、最後の時を生きている私たちに関わる事です。どうぞ55から59番を黙想するようになさって下さい。この講話が終わったら、ここの番号の55から59番を黙想なさって下さい。

この世が見た事がない、最も危険な時がやって来ます。ですから本当に驚くべきやり方で、マリア様は私たちを助けにやって来ます。厭わしいものの憎むべきものが、母なる教会をコテンコテンにしてしまいます。全ての国々が竜のイデオロギーに落ちてしまいます。この時こそ、マリア様の助けを必要としています。もしもマリア様への信心がないのならば、マリア様がいらっしゃらないならば、このような誘惑に、このような攻撃に、私たちは立ち留まる事ができません。

他の時代であれば色々な、私たちを助ける為に色々なものが存在していました。しかし終末では、マリア様しか残っていません。カトリックの時代のアイルランドとかポーランドとか、あるいはラテンアメリカの人は、皆が信心深いカトリックとして生きていました。それが普通の事でした。1日に3回、どこでも教会の鐘が鳴って、御告げの祈りをするようにと招いています。主日毎に誰もが彼もが教会に行ってミサに与ります。毎週告解に行くのは普通の事で、皆が行っています。

カトリックの国では、家族に関する法律もカトリック的でした。聖なる司祭、聖なる人々がたくさん生きていました。街を歩けば、この国の為に、あるいは地域の為に、献身的に働く修道者や信心深い方々がたくさん働いて、それを目にする事ができました。またカトリックの書籍や、この色々な書き物がたくさんすぐに手にとって、何でも読む事ができました。熱心な教区司祭、あるいは修道者たちは、長上等は「さぁ、もっと一生懸命働きなさい」と、そのような司祭たちを応援していました。しかしそのような環境においては、救霊はより簡単に、容易にする事ができました。

しかし終末の時代においては、カトリックの文明を根こそぎ破壊してしまって、そのようなものがもはや残らないようにしてしまっています。天主の掟に従った法律を守っている国がもう無くなってしまって、ただ人間、フリーメイソンの立てたような、人間の権利だけを主張する法律が支配しています。

この建物の中にも若い人たちがたくさんいます。この彼らの為にもお祈りして下さい。この学生さんたちは、一体何の為にこの自分が生まれて来たのか、創造されたのか、そのものすごい宝を全く知らないでいます。ただ物質の事だけ、そしてあるいはこの地上の快楽だけの事を考えて、そして動物と同じような感じで生活しています。もしかしたら私たちも昔は、同じような状況に生活していたかもしれません。この学生さんたちがマリア様を通して真理への道を見出すのは、本当に奇跡です。

聖グリニョン・ド・モンフォールは「愛の炎の実り」という祈りを作ります。300年以上前に、聖グリニョン・ド・モンフォールはこう書いています、「彼らは天主の掟を破った。」聖グリニョン・ド・モンフォールは、かつてカトリックの恵みにあった国について書いています。「彼らは福音を打ち捨てた。邪悪の大きな波が世界を洪水で埋めてしまった。」「不信が玉座を占めてしまった。御身の至聖所は瀆聖された。厭わしいものの憎むべきものが聖なる所に立ってしまった。」

聖グリニョン・ド・モンフォールはおそらく、現代について何かビジョンを見たに違いありません。聖グリニョン・ド・モンフォールは18世紀の始めにこの本を書きます。1712年にこの本は書かれました。しかしこれが書かれて後150年間、これはどこかに失われてしまいました。もしも私の記憶が正しければ、この本は1859年に発見されました。

1846年に、マリア様はラサレットに御出現になります。ラサレットでマリア様は子供たちに秘密を教えます。この秘密は子供たちによって1853年に書かれました。この秘密はメラニーによって書かれました。1853年に書かれた秘密は教皇様に手渡されましたが、これは失われてしまいました。そこでラサレットの神父様たちは、「これは間違っている。これは嘘だ。これはでっち上げだ」と言ってしまいました。

ところで、1980何年かに、歴史資料としてバチカンのアーカイブを閉ざされた文章たちを公開する事を許した時に、1991年に発見された小さな紙があって、それは1853年に書かれたラサレットの秘密の文章でした。1853年にメラニーが書いた、この秘密が書かれた時には、彼女はグリニョン・ド・モンフォールのこの真の信心について知識があったはずはあり得ませんでした。

ところで、聖グリニョン・ド・モンフォールが書いた終末の時代の描写と、メラニーが書く終末の描写は、全く同じ言葉を使っています。この終末の時代については非常に大切な事です。

この終末の時代には全ては、全てのキリスト教的なものは破壊されてしまいます。多くの人々は自分の信仰を捨てて、それから目を背けてしまいます。多くの司祭はそれを、本当の宗教から遠ざかってしまいます。悪魔は、天主に捧げられた霊魂たちさえも、天主から離させてしまいます。この盲目さはあまりにも大きいので、このような聖別された人でさえも、堕落した天使の精神を受け入れてしまいます。そして悪い本はどこもかしこにも広がって、悪い影響をどこにも与えています。これがラサレットのマリア様の言葉です。

ラサレットのマリア様によれば、「偽りの平和がこの世界を支配するだろう」と。「人々は自分の快楽の事しか考えないだろう。」「邪悪な人々は色んな種類の罪を犯す事を楽しむだろう。」「悪魔は空中に色々な不思議な業を行なうだろう。」「人々はますます邪悪になるだろう。」「しかし天主様は、忠実なしもべたちを打ち捨てないだろう。」

ラサレットのマリア様は、「イエズスとマリアの使徒たち」「私の使徒たち」という言葉を使います。これは聖グリニョン・ド・モンフォールが言ったのと同じ、「イエズスとマリアの使徒たち」という言葉を使っています。

終末の時代で、この事を理解して、この事を知った人は、多くの人々の中から選ばれた人です。日本において1億何千万人いる中で、ここにいる20人30名の皆さんは、特別に選ばれた召し出しを持っている方です。「マリア様を知る」という召し出しを持っている方です。

55番をご覧下さい。このような時代に天主様は、この事をお望みになっています。「おぉ、私の御母よ、御身は私を望んでいます。私があなたの事をますます知る事をお望みになっています。御身の事をますますをお愛しする事ができるように助けて下さい。かつてなかったほどに御身を崇敬する事を望んでいます。」このように選ばれた人たちは、自分をマリア様の元に奉献して、マリア様のものとして奉献致します。

では、この意味はどういう意味なのでしょうか?「マリア様、私はあなたがどなたであるか理解するお恵みを得ました。マリア様の信じられないほどの重要性を理解する恵みを頂きました。マリア様、あなたのパーソナリティ、そしてあなたの御心のその偉大さ、素晴らしさを私の前に明らかにして下さいました。イエズス様がその事を御望みなのですから、私は今、御身を選ばなければなりません。イエズス様は全ての事を、あなたを通して私に与えようと望んでいます。イエズス様は、御身が私の母である、また私の元后である、女王であるという事を望んでいます。ですから、私はただ1つの事をしなければなりません。これを受け入れる事です。」

「母親を受け入れる」とはどういう事でしょうか?つまり、お母様の子供として生きる、という事を受け入れる事です。

「誰かを女王として認める」という事はどういう事でしょうか?それは、この方の忠実なしもべとして、忠実な騎士として、忠実な奴隷として働く、という事です。

「聖母マリア様、御身は私に何をお望みですか?この恐ろしい時代に、あなたは私に何を下さろうと望んでいるのですか?」

“その時、私はマリア様の母性的愛の甘美さと慈しみを、ひしひしと実感するでしょう。御身は私があなたに愛し返す事を許す事でしょう。”

聖グリニョン・ド・モンフォールが、「彼らは」とか、「この人たちが」という時には、皆さんは「私が」と翻訳して、自分の事として読んで下さい。そしてこの終末の兵士たちが選ぶべき剣を頂いて生きる事になります。

では56番です。ではそのような選ばれたマリア様のしもべ、マリア様の子供はどのような人でしょうか?

まず、その数は多くありません。聖グリニョン・ド・モンフォールは、「この人たちだけが救われる」とは言っていません。マリア様のしもべたちが、多くの人々の為の救いの為に祈って戦うので、多くの人が救われるでしょう。しかし、この最後の最後の瞬間に救われるような人というのは、マリア様の為にたくさんの事をしたというわけではありません。

皆さん、戦いに挑むの兵士の事を考えて下さい。戦いにおいて、皆さんは戦って、戦って、戦います。そして戦いの時に、戦って、戦って、多くの人々を捕虜にします。そしてこの捕虜、敵の軍隊として戦っている人たちを捕虜として、そのような人たちを敵の罠から救ってあげるのです。

それと同じように私たちも、戦って、戦って、彼らの為に祈る事によって、敵の手から救い出す事ができます。知らず知らずにして、このような人たちは悪魔の軍隊に属してしまっています。しかし皆さんマリア様の騎士たちが、そして多くの騎士たちが、この霊魂たちの為に祈り、戦う事によって、これらを救う事ができます。最後に回心の御恵みを頂く事ができるからです。そのような助けられた霊魂たちは、皆さんの幸せな捕虜です。彼らを殺す代わりに、彼らを永遠の命へと皆さんもたらすのです。

しかしこのような人たちが、この世の救いの為に戦うのではないのです。このマリア様の勝利の為に戦うのは、300名のゲデオンの兵士たちです。このような人たちはどのような人でしょうか?

「しもべ」、「マリア様の家来」、「マリア様の子供」です。これが他の人々と区別するしるしです。イエズス様のこのしもべたちが、主の召使いたちが受けるこのものは、ちょうど詩を読んでいるかのようです。

「私は、親愛の炎を、地上の至る所に転じて歩く人となる、燃え盛る炎を地上の至る所に。なぜなら私は、マリア様の忠実な道具となって、マリアが手にしておられる鋭い矢のようになるからです。これによって御自分のマリア様の敵を打ち倒す為に使われる道具となる。そして私は大いなるこの火で浄められる。」

これは美しい映画を見ているのではありません。美しい夢を見ているのでもありません。皆さんベッドに横たわって、こう夢を見ながらヒーローになるのではありません。マリア様に本当に属するのならば、マリア様は皆さんをヒーローとします。

はい、皆さんは大いなる苦悩の火で浄められるはずです。苦しみを通らずにして天国に行く人はこの世ではありません。マリア様は皆さんの心に愛の黄金を置きます。祈りの乳香を、精神を置きます。体には苦行の没薬を与えて下さいます。黄金と乳香と没薬、これは3人の博士がイエズス様に与えた贈り物でした。これは3人の博士たちが、マリア様にまず贈った贈り物でした。マリア様は今度は、この受けた贈り物を皆さんに返して下さいます。

なぜでしょうか?なぜかというと、皆さんの心の中に、イエズス様が生まれるのを望んでいるからです。マリア様は、皆さんの中で皆さんが生きるのではなくて、イエズス様が生きるのを望んでいます。皆さんがイエズス様の生きる神秘体の一部となる為です。イエズス様と一致すれば一致するほど、皆さんは黄金と乳香と没薬を受けるのです。皆さんは、このイエズスの芳しい香りを、貧しい人、小さな人々にもたらします。しかし皆さんは死の香りを、死の匂いを、この世の富んだ人たち、傲慢な人たちにもたらす事でしょう。

「どこによってでしょうか?私はいつも家の中にいて、ほとんど外に出る事はありません。私が知っている人はもう5本の指で足ります。私の話を聞くのは私の家の壁だけです。この世の富んだ人、偉い人、傲慢な人たちの名前さえも知りません。」

でも皆さんはそれをする事になります。それが皆さんの行動です。これが、皆さんが「祈り」をする時になさっている効果です。あるいは「小さな犠牲」を捧げた時の効果です。ここで出会うこの学生さんたちや子供たちに微笑んで、彼らの為にお祈りをする時の効果です。そうする事によって、芳しいイエズス様の香りが、この霊魂たちに入り込む事でしょう。

この57と58と59を見ると、マリア様のしもべがどうなるか、という事がますますよく分かります。57からは特に、イエズス様の司祭、あるいは修道者となる霊魂たちについて表現しています。しかし、皆さん一人一人は、「この使命の一部となるように招かれている」とは何でしょうか?“これは全世界を駆け巡る雲、雷を伴う雲のようなものでしょう。”どういう事でしょうか?

これは、「聖霊が、皆さんをしてする事を望んでいる事だけを、皆さんがする」という事です。皆さんが今そうである利己主義がますます少なくなるように、マリア様は奇跡を行なって下さいます。皆さんはますます、今から何をすべきなのかはマリア様にお尋ねになる事でしょう。マリア様のお望み、マリア様のご意向をますます知るようになって、そしてそれを知ったらすぐに実行するようになるでしょう。もしも望みならば、マリア様の軍隊に属する人がどのようであるかを表現しています。

“いかなるものにも愛着せず、地上のいかなるものにも愛着せず、いかなるものにも驚かず、いかなるものにも気を留めず、ただ天主の御言葉と、永遠の命の雨を、洪水のようにこの地上に降らせるでしょう。”

このマリア様との一致を、マリア様は皆さんに望んでいます。すると皆さんはますます自由になります。

皆さんが今まで長くそうであったのですけれども、この無である自分にあまりにも愛着しすぎる、という事が無くなります。皆さんのお金とか、皆さんの都合、皆さんの快楽とかというものから解放されます。皆さんの馬鹿馬鹿しいパーソナリティとか、この「私の何とか」というものから解放されるようになります。

そして皆さんは何ものにも驚きません。なぜかというと、皆さんはもう既に、最悪の事が何かを知っているからです。皆さんは既に、十字架と犠牲をする覚悟ができてるからです。

何も気を止める事もありません。なぜかというと、マリア様において慰めがあるからです。「全ての事は早く終わってしまう」という事を、マリア様が私たちに教えてくれるからです。

ですから、このように解放されると、洪水のように、天主様の御恵みをこの地上に降らせる事ができるようになります。するとマリア様は皆さんを、この地上に嵐の御恵みを下さる為に使う事ができるようになります。

悪魔は皆さんを恐れる事でしょう。幼きイエズスの聖テレジアはこのビジョンを見ました。悪魔は幼きイエズスの聖テレジアを見ると、それを恐れて逃げ去ってしまった、というのを見ました。聖人は悪魔にとって恐ろしい力を持っています。悪魔と悪の人々に対して何も、皆さんに悪をする事ができません。

この事をよく黙想して下さい。これはマリア様が皆さんになってもらいたい、という理想の姿であるからです。これは皆さんと私の生活のプログラムです。それを少しずつ実現するように望まなければなりません。

では、どうやったらこういう風に行動する事ができるでしょうか?

求めて下さい。でもこれを、マリア様が皆さんのところに実現する事を望んでいる、という事を知って下さい。皆さんの生活において、マリア様がなさるべきその役割だからです。マリア様は罪人から聖人に変える役割を持っています。マリア様は回心と聖化の御恵みを与える役割を持っています。

でも終末の時代には、マリア様は大聖人を作る事を望んでいます。59番をご覧下さい。本当に美しくて、慰めを与えて、力を与えてくれる言葉が書かれてます。本当のイエズス・キリストの弟子。

「マリア様、御身のおかげで、御身によって、私は本当にイエズス様の真似をする事ができます。私はマリア様のおかげで、福音に従って天国への狭い道を歩く事ができます。この世のことわざ、この世の知恵、この世の考え方に従ってではなくて、イエズス様の福音に従って、理想に従って、生きる事ができるようになります。私の気絶しそうな弱々しい心を強めてくれます。誰にも邪魔されずにこの道を歩む事ができるようにしてくれます。誰も恐れる事なく、世間体を恐れる事なく、右手には十字架像、左手にはロザリオを付けて、心にはイエズス様の御名と、マリア様の御名を刻んで。」

この言葉は、ぜひ皆さん覚えて下さい、「私の理想、私の人生は、右手には十字架像、左手にあるロザリオ、そして心にはイエズス様とマリア様の御名。」

私の心臓は毎瞬間、鼓動を打っています。「イエズス、マリア、御身を愛し奉る。霊魂を救いたまえ。」「右手には十字架像、御受難のイエズス様、ミサの聖なるいけにえ。左手にはロザリオ。イエズス様の御生涯とマリア様の御生涯は、いつも私の心にある。ロザリオのこの鎖は、マリア様と私を結び付ける鎖であって、マリア様のしもべとして奴隷として、いつもくっ付いているロザリオ。」

聖ピオ十世会の本当の名前を知っていますか?外的な名称は、「聖ピオ十世司祭兄弟会」と言いますが、しかし本当の名前は、『イエズスとマリアの使徒の会』。ルフェーブル大司教様はこの名称を、「ラサレットのマリア様と、聖グリニョン・ド・モンフォールから取った」と説明しています。

このようなここに書かれた事を、実は私たちは皆さんに、行動で皆さんに示さなければなりません。ルフェーブル大司教様は、私たちがこの終末の使徒の生ける模範であるという事を望んでおられました。しかし私たちは、お互いに顔を見合わせて、「何という恥ずかしい事か。その理想から程遠い」と赤面するばかりです。

聖グリニョン・ド・モンフォールは、これを300年前に書かれました。聖グリニョン・ド・モンフォールは、「一体この時がいつ来るのか、いつ実現するのか、私は待ち望んでいる」と思って書いた事でしょう。天国から聖グリニョン・ド・モンフォールは、「遂に時がやって来た。その終末の使徒たちがここに地上に生まれて来た!」という事を見て、どれほど喜んでいる事でしょうか。これが皆さんをして、マリア様が皆さんを使って、実現する事ができる理想の姿です。マリア様はこれをできるのみならず、マリア様は皆さんがこうなる事を望んでおられます。マリア様は、皆さんがこの終末の時代に生きる、という事をお望みです。マリア様は皆さんに奇跡を起こして、皆さんが聖伝の事を知る事ができるようにされました。聖グリニョン・ド・モンフォールが話しているこの宝物を、皆さんの前に今見せています。これはどうしても明らかな、マリア様からの皆さんへの呼びかけです。

マリア様はこのお恵みを、ただ捨てるだけに皆さんに与えたのではありません。これは小さなただ本を読む為だけのものではありません。マリア様の心からの皆さんへの呼びかけです、「我が子よ、我が娘よ、あなたの番ですよ。」

では、どうしたら終末のこのような使徒になる事ができるでしょうか?このここに書かれている理想像が、私たちにおいてどうやったら実現する事ができるでしょうか?

ここから続くページにおいて、その秘訣を聖グリニョン・ド・モンフォールが説明しています。その、どうやったらそういう風になる事ができるかは、明日から黙想する事にします。

今、皆さんの心には、ものすごい熱情と大きな望みでいっぱいのはずです。皆さんが今から黙想する事はそれほど多くありません。今からこの黙想は、この55から59を黙想して下さい。しかし夕方お休みになる前に、もう一度49から59番をお読みになって下さい。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】