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【ドン・ショタール著「使徒職の秘訣」】 結び

2018年07月23日 | カトリックとは
結びのことば

原罪のけがれに染まれない聖母よ、私はあなたの祭壇のまえで、このみすぼらしい著作をおえます。

いとも聖なる童貞マリアよ、私はあなたのお心のなかに、使徒職の完全な理想を見いだします。ちょうど、四世紀のビザンチンの彫刻が、それをみごとに表現していますように。その彫刻は、次のような構想です。


――聖母は、お胸のなかに、光につつまれた御子イエズスさまを、受肉されました天主の聖言を、愛情こめていだいておられます。御父が、御子をお生みになって、これを世におつかわしになっても、それでもいつもこの同じ御子を、ご自分の“ふところ”にいだいておられますように、聖母もご自分のお胸に、ひとたび世にお与えになったこの同じ御子を、おいだきになっておられます。

ロオルト・ド・フレウリー(Rohault de Fleury)の表現をかりて申しますれば、「救世主は、聖母マリアのお胸のなかに、光りかがやいていらっしゃいます。あたかも、ご聖体のなかで、そのお姿をかくす幕が破れたようなお格好で」« le Sauveur brille au milieu de sa poitrine comme une Eucharistie dont les voiles seraient déchirés ».

イエズスは、聖母のなかに、生きておられる。イエズスは、聖母の心である。聖母の呼吸である。聖母の中心である。聖母の生命である。これこそ内的生活のイメージである。
Jésus vit en elle. Il est son coeur, sa respiration, son centre et sa vie: image de la vie intérieure.

しかし青年となった天主は使徒職を行う。その態度、左手にもつ福音の巻物、右手でのジェスチャー、その眼差し、全ては主が教えていることを示している。聖母は主の御言葉に一致している。聖母の御顔は聖母ご自身もお話になりたいかのようである。聖母の両目は大きく開き、聖子を伝えることが出来る霊魂たちを探している。これこそ説教と教えによる活動生活のイメージである。

Mais le divin Adolescent exerce l'apostolat. Son attitude, le rouleau de son Evangile qu'il tient dans sa main gauche, le geste de sa main droite, son regard, tout indique qu'il enseigne. Et la Vierge s'unit à sa parole. L'expression de son visage semble dire qu'elle aussi veut parler. Ses yeux grands ouverts cherchent des âmes auxquelles elle puisse communiquer son Fils: image de la vie active par la prédication et l'enseignement.

聖母の手はカタコンベの壁画「祈る人たち」(オランテス)のように、あるいは、聖なる犠牲を捧げる司祭のように両手を広げており、特に祈りとイエズスの犠牲との一致によって私たちの内的生活も深まり、私たちの使徒職も実り豊かになると思い出させている。

Ses mains étendues comme celles des Orantes des Catacombes, ou du prêtre qui offre la Victime sainte, rappellent que c'est surtout par la prière et l'union au sacrifice de Jésus que sera profonde notre vie intérieure et fécond notre apostolat.

聖母は、イエズスから、イエズスによって、生きておられる。イエズスのご生命そのものによって、イエズスの愛によって、イエズスの犠牲との一致によって、生きておられる。イエズスこそは、聖母の生命であり、聖母はイエズスの保持者、イエズスの代弁者、イエズスの顕示台である。

最も卓越した事業のなかの事業である、使徒職にたずさわる霊魂も、ちょうど聖母のように、天主によって、イエズスによって、生きなければならない。そのとき始めて、天主について、効果的に説教をすることができよう。くり返していうが、そのとき始めて、外的生活は、かれの霊魂の秘奥に深くたたえられた内的生活の、自然の流露となるのだ。

Elle vit de Jésus, par Jésus, de sa vie, de son amour, d'union à son sacrifice, et Jésus parle en elle et par elle. Jésus est sa vie et elle est le porte-Verbe, le porte-voix, l'ostensoir de Jésus.

Ainsi l'âme vouée à l'oeuvre par excellence, l'apostolat, doit vivre de Dieu afin de pouvoir efficacement parler de Lui, et la vie active, répétons-le encore, ne doit être en elle que le débordement de la vie intérieure.


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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