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聖ピオ十世会 創立者 ルフェーブル大司教の伝記 6.3.3.カテキスタたちと村内会議

2010年06月25日 | ルフェーブル大司教の伝記
カテキスタたちと村内会議

  カトリック信徒のいる村なら何処でもカテキスタたちがいた。自分の住み着いた村あるいは地方を(もし結婚しているなら、その家族と共に)離れ、自らの命を危険に曝す事になると知りながらも、また別の村々に行って福音を説く心意気ある人である。後年ルフェーブル大司教はこう言っている。
「私は毒を盛られて死んだカテキスタたちを知っています。これも全て、宣教師魂ゆえの事でした。」

  各区域は指導的カテキスタを有していた。政府当局にとっては、これら教育を受けた原住民たちのある者は、彼らの用語で言うところの“先進者”であった。これは、特定の現地人に対してフランス市民権を付与する事を目的に立案された概念だったのであるが、それも1946年6月までで、その年に全ての原住民たちは市民権所有の身分を与えられたからだ。

 ルフェーブル神父は、まず差別的で、次に完全にデマゴギー的なこの対策を厳しく判断していた。その上、宣教師が考慮していた“先進”者に対する認識は非常に異なっていた。

 マルセル神父にとって、この概念は、霊魂における完全にキリスト教的な変容を前提としていたからである。「キリスト教の信念を身に付け、天主の恩寵の助けを受けても、宣教師たちの支援なしにそれを維持することができるものは、殆ど居なかったのです!多分、ポール・オッシマ(Paul Ossima)やその他の数人はその種の人々でしたが、さもなければ彼らは女性と正義の話題に関しては、異教的な主義を維持していました。」

 ポール・オッシマは聖なるミサからの恩寵 によって変容した指導的カテキスタの1人であり、マルセル神父は彼を信頼した。彼の仕事とは、ンジョレ地区それ自体の中でカテキスタのグループを養成し監督する事だった。彼は活動的ではあったが、自分の権威を信じ切っていた。何一つ彼抜きには解決も出来なかったほどである。また彼は【村内で発生する‐訳者】道徳的不品行を宣教師たちに指摘して、非行者に罰を下す事が出来るようにしたのだ。

  殆ど手に負えない様々な欠点を持ってはいるが豊かな経験を有するこれらのカテキスタたちと働きながら、マルセル・ルフェーブルは独自の経験を深め、自己の判断力を磨いた。彼は自分が「慎重さと忍耐、そして方法を以って、言い換えれば、あとでやり方を少し改良する事になっても、先任者たちの仕事を尊重しつつ、知性的に働かなければならない」と理解したのである。

「おそらく常に幾分かの疑いの点があっても、黒人やカテキスタたちからの忠告に耳を傾けると、大抵の場合、後で彼らの忠告が適切であることが明白になり、疑いも消えるだろう 。」

  巡回中、村の会議でルフェーブル神父はしばしば仲裁に入らなければならなかった。指導的な地位にあるキリスト教徒や村の有力者たちによって既に詳しく検討されていた事柄は、この司祭の前に公に提起された。この議論に関わる全ての党派が、証人のみならず【この会議に‐訳者】出席していたのだ。初日、この宣教師【ルフェーブル神父‐訳者】は事の次第を鮮明に把握しなかったが、何処に真理があるのかを素早く捕らえた。真理は輝きさえしている。最後の会議では、司祭は判断を下し、必要とあらば償いを課した。通常、悪事を働いた人々は、自分たちの習慣を改めた、或いは不和はおさまった。  

  例えば2人の妻がいるカトリック信徒に対処する場合、時折、マルセル神父は強制力を行使する事を余儀なくさせられた。自分たちの支援を与える事を喜びとする数名の屈強な青年と一緒に彼はやって来て、最初の妻を取り上げた。彼女は、連れて行かれることに同意していないふりをして叫んだり、喧嘩したり、自ら川に身を投げさえした。― 何が起きているのか十分承知していたにも拘らず ― こうして、彼女を女児寄宿舎に閉じ込めた。こうなると、男は宣教区に来て抗議するが、彼は2人目の妻を追い出す約束をし、彼女が男と生活する為に持参した結納金をその両親に払い戻さなければならなかった。その時初めて、彼は1人目の妻を取り戻す事が出来たのである。更に、もしも彼らの結婚が部族の儀式でのみ行われていた場合、キリスト教結婚式が執り行われた。

  しかし、1932年にカメルーンで、不幸にもアンリ・ド・モプー(Henri de Maupeou)神父のある重婚者による殺害の際に明らかになったように、これ【重婚取り消しの調停‐訳者】は危険を免れはしなかった。 その上、これを行う事で、宣教師は地方自治体との問題を起こし得た。何故なら、地方自治体の法律が(カトリック信徒の間においてさえ)一夫一婦制ではなく、重婚と一夫多妻制を認めていたからなのである。


聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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