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Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

今から20年前の1989年11月19日は、ルフェーブル大司教様の司祭叙階60周年でした

2009年11月21日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 今から20年前の1989年11月19日は、ルフェーブル大司教様の司祭叙階60周年でした。

 ルフェーブル大司教様はご自分の引退後の余生を、聖伝のミサを救うために、カトリック司祭職を救うために、カトリック聖伝の信仰を守るために、全力を尽くした司教でした。

 ルフェーブル大司教の1989年11月19日の説教を聞く(フランス語)Ecouter le sermon du jubilé du 19 novembre 1989

 このお説教の日本語訳がまだ出来ていないので、その代わりに今から30年前の1979年9月23日にルフェーブル大司教様がパリで祝った司祭五〇周年記念のミサ聖祭の御説教をもう一度お読みになることを提案します。


「私は皆さんにこうも言います。聖三位一体の栄光のため、私たちの主イエズス・キリストへの愛のため、天主の御母聖マリアへの信心のため、教会への愛のため、教皇様への愛のため、司教・司祭・全信徒の方々への愛のため、この世の救いのため、霊魂の救いのため、
私たちの主イエズス・キリストのこの遺言・契約を守りなさい!

 私たちの主イエズス・キリストのいけにえを守りなさい。
永遠のミサ聖祭を守りなさい!


 そうすればあなたたちはキリスト教文明がもう一度開花するのを見るでしょう。
この世のためのものではない文明が、カトリックの国へと人々を連れて行く文明が。
このカトリックの国とは、地上のそれが準備する天国のカトリックの国のことです。
地上のカトリックの国は、他でもないそのために作られるのです。
この地上のカトリックの国は、天国のカトリックの国以外のためにあるのではありません。

 ですから、私たちの主イエズス・キリストの御血を守りながら、そのいけにえを守りながら、このミサ聖祭を守りながら、私たちの祖先によって私たちに遺産として伝えらたこのミサ聖祭、使徒達から現在に至るまで遺産相続されたミサ聖祭を守りながら、--- もうすぐ、私は自分の叙階式の時に使ったのと同じカリスを使ってそこでこの同じ言葉を唱えます。私が叙階を受けた五十年前このカリスで唱えた聖変化の言葉とは別の言葉をどうして唱えることが出来るでしょうか、それは出来ません、--- 先祖が私たちに教えてくれた通り、教皇様たちや司教様たち、私たちの先生であった神父様たちが教えてくれた通り、私たちはその同じ聖変化の言葉を唱え続けることでしょう。それは私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。
そして霊魂が私たちの天の良き母である聖母マリア様の御取り次ぎによって救われるためです。」




 また、今日から丁度35年前の「ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言」もお読み下さい。


私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、
すなわちカトリック信仰の保護者であり
この信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、
知恵と真理の師であるローマによりすがる。


 私たちは、しかしながら、第2バチカン公会議と
それに由来して
公会議後の全ての改革において明らかに現れた
公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを
拒否し、常に拒否した。

 実に、これら全ての改革は
カトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、
いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、
大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、
教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに
由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている。

 たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、
いかなる権威といえども、
19世紀もの長きにわたって教会の教導職によって
明らかに表明され、宣言された
私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように
強制することは出来ない。

 聖パウロはこう言っている。
「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、
私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」
(ガラチア1:8)

 これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。
そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、
また聖座の諸聖省の文書において、
1つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、
その時私たちは、常に教えられていたことを選び、
私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。


 Lex credendi(信仰の法)を変更することなく
les orandi(祈りの法)を深く変更させることは出来ない。
新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、
新しい神学校、新しい大学、
カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、
また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。

 この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、
その全てに毒が含まれている。
これは異端から生み出され異端へと辿り着く。
良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、
なにがしらであれそれに従うことは出来ない。


 私たちの霊魂の救いのために、
教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、
改革を受け入れることを断固として拒否することである。


 それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、
私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。
私たちは
聖なるカトリック教会に、教皇様に、そして未来の世代に、
これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。

 それ故、聖伝の真理の光が
永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、
私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、
信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、
司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、
公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを
全て固く保持する。


 天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ十世の御助けによって、
こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、
ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、
fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo
(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)
となることができると確信している。アーメン。

童貞聖マリアの奉献の祝日
ローマにて、1974年11月21日

+ マルセル・ルフェーブル


Jesu Redemptor omnium クリスマスの第一晩課の讃歌

2009年11月21日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、こんにちは!

今日は、グレゴリオ聖歌に親しむ会で、Jesu Redemptor Omnium を練習するので、その日本語訳を作ってみました。ご参考までにどうぞ!

1. Jesu Redemptor omnium,
Quem lucis ante originem,
Parem paternae gloriae,
Pater supremus edidit.

全ての者の贖いぬしなるイエズスよ、
光の源の前に
聖父の栄光と同じくを
最高の聖父は与え給うた。

2. Tu lumen et splendor Patris,
Tu spes perennis omnium:
Intende quas fundunt preces
Tui per orbem servuli.

御身は聖父の光と輝き
御身は全ての者の永久の希望、
地上の全ての御身の僕らが
捧げる祈りを聞き給え。

3. Memento, rerum Conditor,
Nostri quod olim corporis,
Sacrata ab alvo Virginis,
Nascendo, formam sumpseris.

ものごとの創造主よ、記憶し給え、
その昔、聖なる童貞女の胎内より生まれ、
私たちの肉体の
形を取り給うたことを。

4. Testatur hoc praesens dies,
Currens per anni circulum,
Quod solus e sinu Patris
Mundi salus adveneris.

今のこの日が証する、
一年の周期を回り巡り、
御身が聖父の懐から独りで
世の救いとして到来されたことを。

5. Hunc astra, tellus, aequora,
Hunc omne quod caelo subest,
Salutis auctorem novae,
Novo salutat cantico.

この星、地球、天空は、
天の下にあるこの全てのものは、
新しい救いの造り主を
新しい歌もて挨拶せんことを。

6. Et nos, beata quos sacri
Rigavit unda sanguinis,
Natalis ob diem tui,
Hymni tributum solvimus.

我らは、聖なる御血の
至福の波に洗われ
この日、御身のご誕生の
讃歌の貢ぎを払い奉る。

7. Jesu, tibi sit gloria,
Qui natus es de Virgine,
Cum Patre et almo Spiritu,
In sempiterna saecula. Amen

イエズスよ、童貞女より生まれ給うた
御身に栄光あれかし
聖父と聖霊と共に
代々に至るまで。アメン

【参考資料】
JESU REDEMPTOR OMNIUM THE NATIVITY OF OUR LORD. CHRISTMAS DAY / At First Vespers.

バルバラ・フラーレ女史によると、トリノの聖骸布にイエズスの死亡証明書が書かれていた

2009年11月21日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 トリノの聖骸布に、ギリシア語で "(I)esou(s) Nnazarennos" また "iber" (これはティベリウス "Tiberiou" という皇帝の名前の一部)という名前がうっすらと書かれていることが発見された、ということを教えてもらいました。

 バルバラ・フラーレ女史(Dr Barbara Frale)によると、聖骸布にギリシア語とラテン語とアラマイ語とが書かれてあるそうです。文字は聖骸府に「書き散らされて」おり、イエズス・キリストの生きていた当時の中東の字体で書かれてます。バルバラ・フラーレ博士によると、当時のローマ官僚によって誰の遺体かが区別できるように書かれたことであろうとのことです。
 イタリア語で書かれたバルバラ・フラーレの本 "La Sindone di Gesu Nazareno" によると、「ナザレトのイエズス、(民衆を反乱に拐かした罪で断罪され、ティベリウス皇帝の第16年に死刑、午後三時におろされる」
 しかしそれに対して、単なるイマジネーションに過ぎないという反論もあります。

 英語でこんな記事がありました。
Death certificate is imprinted on the Shroud of Turin, says Vatican scholar


A Vatican scholar claims to have deciphered the "death certificate" imprinted on the Shroud of Turin, or Holy Shroud, a linen cloth revered by Christians and held by many to bear the image of the crucified Jesus.

Dr Barbara Frale, a researcher in the Vatican secret archives, said "I think I have managed to read the burial certificate of Jesus the Nazarene, or Jesus of Nazareth." She said that she had reconstructed it from fragments of Greek, Hebrew and Latin writing imprinted on the cloth together with the image of the crucified man.

The shroud, which is kept in the royal chapel of Turin Cathedral and is to be put in display next spring, is regarded by many scholars as a medieval forgery. A 1988 carbon dating of a fragment of the cloth dated it to the Middle Ages.

However Dr Frale, who is to publish her findings in a new book, La Sindone di Gesu Nazareno (The Shroud of Jesus of Nazareth) said that the inscription provided "historical date consistent with the Gospels account". The letters, barely visible to the naked eye, were first spotted during an examination of the shroud in 1978, and others have since come to light.

Some scholars have suggested that the writing is from a reliquary attached to the cloth in medieval times. But Dr Frale said that the text could not have been written by a medieval Christian because it did not refer to Jesus as Christ but as "the Nazarene". This would have been "heretical" in the Middle Ages since it defined Jesus as "only a man" rather than the Son of God.

Like the image of the man himself the letters are in reverse and only make sense in negative photographs. Dr Frale told La Repubblica that under Jewish burial practices current at the time of Christ in a Roman colony such as Palestine, a body buried after a death sentence could only be returned to the family after a year in a common grave.

A death certificate was therefore glued to the burial shroud to identify it for later retrieval, and was usually stuck to the cloth around the face. This had apparently been done in the case of Jesus even though he was buried not in a common grave but in the tomb offered by Joseph of Arimathea.

Dr Frale said that many of the letters were missing, with Jesus for example referred to as "(I)esou(s) Nnazarennos" and only the "iber" of "Tiberiou" surviving. Her reconstruction, however, suggested that the certificate read: "In the year 16 of the reign of the Emperor Tiberius Jesus the Nazarene, taken down in the early evening after having been condemned to death by a Roman judge because he was found guilty by a Hebrew authority, is hereby sent for burial with the obligation of being consigned to his family only after one full year". It ends "signed by" but the signature has not survived.

Dr Frale said that the use of three languages was consistent with the polyglot nature of a community of Greek-speaking Jews in a Roman colony. Best known for her studies of the Knights Templar, who she claims at one stage preserved the shroud, she said what she had deciphered was "the death sentence on a man called Jesus the Nazarene. If that man was also Christ the Son of God it is beyond my job to establish. I did not set out to demonstrate the truth of faith. I am a Catholic, but all my teachers have been atheists or agnostics, and the only believer among them was a Jew. I forced myself to work on this as I would have done on any other archaeological find."

The Catholic Church has never either endorsed the Turin Shroud or rejected it as inauthentic. Pope John Paul II arranged for public showings in 1998 and 2000, saying: "The Shroud is an image of God's love as well as of human sin. The imprint left by the tortured body of the Crucified One, which attests to the tremendous human capacity for causing pain and death to one's fellow man, stands as an icon of the suffering of the innocent in every age." Pope Benedict XVI is to pray before the Shroud when it is put on show again next Spring in Turin.

 日本語の記事です。トリノの聖骸布にキリストの名前 歴史研究家が発見と発表

【ローマ共同】ローマ法王庁(バチカン)の歴史研究家バルバラ・フラーレさんは、キリストの遺体を包んだ亜麻布と信じられている「トリノの聖骸布」から、キリストの名前や「処刑された」と書かれた文字を発見したと発表した。20日付のイタリア紙レプブリカなどが伝えた。

 聖骸布をめぐっては、中世以降の偽物との説もあり論争が続いている。フラーレさんは今回の発見で、本物である可能性が強まったと指摘した。

 聖骸布にはやせた男性の全身像の影が写っており、文字は顔の周辺で見つかった。非常に薄かったため、コンピューターの画像処理で、くっきりと浮かび上がらせた。

 その結果、キリストの生きていた当時、使われていたアラム語やギリシャ語、ラテン語で、処刑が行われたことを示す文字やキリストの呼び名だった「ナザレのイエス」の文字が見つかった。

 当時、処刑された人間の遺体は一定期間をおいて遺族に渡す風習があり、遺体判別のため名前などを書いた紙を布に張り付けた。フラーレさんは文字は、紙のインクが布に染み込んだものと推測している。

 別の英語の記事:Researcher: Faint writing seen on Shroud of Turin By ARIEL DAVID

ROME ― A Vatican researcher has rekindled the age-old debate over the Shroud of Turin, saying that faint writing on the linen proves it was the burial cloth of Jesus.

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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