アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今から20年前の1989年11月19日は、ルフェーブル大司教様の司祭叙階60周年でした。
ルフェーブル大司教様はご自分の引退後の余生を、聖伝のミサを救うために、カトリック司祭職を救うために、カトリック聖伝の信仰を守るために、全力を尽くした司教でした。
ルフェーブル大司教の1989年11月19日の説教を聞く(フランス語)Ecouter le sermon du jubilé du 19 novembre 1989
このお説教の日本語訳がまだ出来ていないので、その代わりに今から30年前の1979年9月23日にルフェーブル大司教様がパリで祝った司祭五〇周年記念のミサ聖祭の御説教をもう一度お読みになることを提案します。
「私は皆さんにこうも言います。聖三位一体の栄光のため、私たちの主イエズス・キリストへの愛のため、天主の御母聖マリアへの信心のため、教会への愛のため、教皇様への愛のため、司教・司祭・全信徒の方々への愛のため、この世の救いのため、霊魂の救いのため、
私たちの主イエズス・キリストのこの遺言・契約を守りなさい!
私たちの主イエズス・キリストのいけにえを守りなさい。
永遠のミサ聖祭を守りなさい!
そうすればあなたたちはキリスト教文明がもう一度開花するのを見るでしょう。
この世のためのものではない文明が、カトリックの国へと人々を連れて行く文明が。
このカトリックの国とは、地上のそれが準備する天国のカトリックの国のことです。
地上のカトリックの国は、他でもないそのために作られるのです。
この地上のカトリックの国は、天国のカトリックの国以外のためにあるのではありません。
ですから、私たちの主イエズス・キリストの御血を守りながら、そのいけにえを守りながら、このミサ聖祭を守りながら、私たちの祖先によって私たちに遺産として伝えらたこのミサ聖祭、使徒達から現在に至るまで遺産相続されたミサ聖祭を守りながら、--- もうすぐ、私は自分の叙階式の時に使ったのと同じカリスを使ってそこでこの同じ言葉を唱えます。私が叙階を受けた五十年前このカリスで唱えた聖変化の言葉とは別の言葉をどうして唱えることが出来るでしょうか、それは出来ません、--- 先祖が私たちに教えてくれた通り、教皇様たちや司教様たち、私たちの先生であった神父様たちが教えてくれた通り、私たちはその同じ聖変化の言葉を唱え続けることでしょう。それは私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。
そして霊魂が私たちの天の良き母である聖母マリア様の御取り次ぎによって救われるためです。」
また、今日から丁度35年前の「ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言」もお読み下さい。
私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、
すなわちカトリック信仰の保護者であり
この信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、
知恵と真理の師であるローマによりすがる。
私たちは、しかしながら、第2バチカン公会議と
それに由来して
公会議後の全ての改革において明らかに現れた
公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを
拒否し、常に拒否した。
実に、これら全ての改革は
カトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、
いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、
大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、
教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに
由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている。
たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、
いかなる権威といえども、
19世紀もの長きにわたって教会の教導職によって
明らかに表明され、宣言された
私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように
強制することは出来ない。
聖パウロはこう言っている。
「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、
私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」
(ガラチア1:8)
これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。
そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、
また聖座の諸聖省の文書において、
1つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、
その時私たちは、常に教えられていたことを選び、
私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。
Lex credendi(信仰の法)を変更することなく
les orandi(祈りの法)を深く変更させることは出来ない。
新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、
新しい神学校、新しい大学、
カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、
また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。
この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、
その全てに毒が含まれている。
これは異端から生み出され異端へと辿り着く。
良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、
なにがしらであれそれに従うことは出来ない。
私たちの霊魂の救いのために、
教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、
改革を受け入れることを断固として拒否することである。
それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、
私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。
私たちは
聖なるカトリック教会に、教皇様に、そして未来の世代に、
これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。
それ故、聖伝の真理の光が
永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、
私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、
信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、
司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、
公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを
全て固く保持する。
天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ十世の御助けによって、
こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、
ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、
fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo
(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)
となることができると確信している。アーメン。
童貞聖マリアの奉献の祝日
ローマにて、1974年11月21日
+ マルセル・ルフェーブル
愛する兄弟姉妹の皆様、
今から20年前の1989年11月19日は、ルフェーブル大司教様の司祭叙階60周年でした。
ルフェーブル大司教様はご自分の引退後の余生を、聖伝のミサを救うために、カトリック司祭職を救うために、カトリック聖伝の信仰を守るために、全力を尽くした司教でした。
ルフェーブル大司教の1989年11月19日の説教を聞く(フランス語)Ecouter le sermon du jubilé du 19 novembre 1989
このお説教の日本語訳がまだ出来ていないので、その代わりに今から30年前の1979年9月23日にルフェーブル大司教様がパリで祝った司祭五〇周年記念のミサ聖祭の御説教をもう一度お読みになることを提案します。
「私は皆さんにこうも言います。聖三位一体の栄光のため、私たちの主イエズス・キリストへの愛のため、天主の御母聖マリアへの信心のため、教会への愛のため、教皇様への愛のため、司教・司祭・全信徒の方々への愛のため、この世の救いのため、霊魂の救いのため、
私たちの主イエズス・キリストのこの遺言・契約を守りなさい!
私たちの主イエズス・キリストのいけにえを守りなさい。
永遠のミサ聖祭を守りなさい!
そうすればあなたたちはキリスト教文明がもう一度開花するのを見るでしょう。
この世のためのものではない文明が、カトリックの国へと人々を連れて行く文明が。
このカトリックの国とは、地上のそれが準備する天国のカトリックの国のことです。
地上のカトリックの国は、他でもないそのために作られるのです。
この地上のカトリックの国は、天国のカトリックの国以外のためにあるのではありません。
ですから、私たちの主イエズス・キリストの御血を守りながら、そのいけにえを守りながら、このミサ聖祭を守りながら、私たちの祖先によって私たちに遺産として伝えらたこのミサ聖祭、使徒達から現在に至るまで遺産相続されたミサ聖祭を守りながら、--- もうすぐ、私は自分の叙階式の時に使ったのと同じカリスを使ってそこでこの同じ言葉を唱えます。私が叙階を受けた五十年前このカリスで唱えた聖変化の言葉とは別の言葉をどうして唱えることが出来るでしょうか、それは出来ません、--- 先祖が私たちに教えてくれた通り、教皇様たちや司教様たち、私たちの先生であった神父様たちが教えてくれた通り、私たちはその同じ聖変化の言葉を唱え続けることでしょう。それは私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。
そして霊魂が私たちの天の良き母である聖母マリア様の御取り次ぎによって救われるためです。」
また、今日から丁度35年前の「ルフェーブル大司教様のローマにおける1974年11月21日の宣言」もお読み下さい。
私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、
すなわちカトリック信仰の保護者であり
この信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、
知恵と真理の師であるローマによりすがる。
私たちは、しかしながら、第2バチカン公会議と
それに由来して
公会議後の全ての改革において明らかに現れた
公会議新近代主義と新プロテスタント主義の傾向を持つローマに従うのを
拒否し、常に拒否した。
実に、これら全ての改革は
カトリック教会の瓦解と司祭職の崩壊、
いけにえと秘蹟の無化、修道生活の消滅、
大学・神学校・公教要理における自然主義とテイヤール主義、
教会の荘厳教導権によって何度も排斥された自由主義とプロテスタント主義とに
由来する教育のために貢献したし、今でも貢献し続けている。
たとえ位階制度の最も高い地位に上げられたものであれ、
いかなる権威といえども、
19世紀もの長きにわたって教会の教導職によって
明らかに表明され、宣言された
私たちのカトリック信仰を棄てる、あるいは減少させるように
強制することは出来ない。
聖パウロはこう言っている。
「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、
私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者にはのろいあれ。」
(ガラチア1:8)
これが今日、教皇様が私たちに繰り返し言われることではないだろうか。
そしてもしも万が一、教皇様の言葉と行動において、
また聖座の諸聖省の文書において、
1つでも [過去の教導権との] 矛盾が現れるなら、
その時私たちは、常に教えられていたことを選び、
私たちは教会を破壊する革新に耳を閉じる。
Lex credendi(信仰の法)を変更することなく
les orandi(祈りの法)を深く変更させることは出来ない。
新しいミサは新しい要理と新しい司祭職に対応し、
新しい神学校、新しい大学、
カリスマ運動的教会、聖霊降臨運動的な教会、
また正統と常なる教導職とに対立する全てに対応している。
この改革は、自由主義と近代主義とに由来するが故に、
その全てに毒が含まれている。
これは異端から生み出され異端へと辿り着く。
良心的で忠実な全てのカトリック信者にとってこの改革を受け入れ、
なにがしらであれそれに従うことは出来ない。
私たちの霊魂の救いのために、
教会とカトリックの教えとに忠実である唯一の態度は、
改革を受け入れることを断固として拒否することである。
それ故、いかなる反乱も、苦々しさも、憎悪もなく、
私たちは常なる教導職の星の導きの元、司祭養成の事業を続ける。
私たちは
聖なるカトリック教会に、教皇様に、そして未来の世代に、
これよりも偉大な奉仕をすることが出来ないと確信している。
それ故、聖伝の真理の光が
永遠のローマの空を暗くしている暗闇を追い払う日を待ちながら、
私たちは、永遠の教会によって過去信じられていたこと、
信仰と道徳と礼拝、公教要理の教え、
司祭の養成、教会の諸施設において実践されていたこと、
公会議の近代主義の影響を受ける前に出版された本の中に法定化されたことを
全て固く保持する。
天主の聖寵と、童貞聖マリア・聖ヨゼフ・聖ピオ十世の御助けによって、
こうすることによって、私たちはローマ・カトリック教会に忠実であり、
ペトロの全ての後継者に忠実に留まり、
fideles dispensatores mysteriorum Domini Nostri Jesu Christi in Spiritu Santo
(聖霊において私たちの主イエズス・キリストの玄義の忠実な奉仕者)
となることができると確信している。アーメン。
童貞聖マリアの奉献の祝日
ローマにて、1974年11月21日
+ マルセル・ルフェーブル