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イエズス・キリストの十字架の道

2008年03月21日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟の皆様、
 私たちの主イエズス・キリストが御聖体を予告した時、多くの人は私たちの主を去って行きました。難しい話だ、と言って。
 私たちの主イエズス・キリストが十字架につけられた時、多くの人はイエズス・キリストに「十字架から降りてみよ、そうすれば信じよう。メシアなら自分を救え。他人を救って、自分は救えないのか。」と言っていました。
 荒れ野での断食でも、サタンから「もしもキリストなら、奇跡を行え」と言われました。
 もちろんイエズス・キリストはそうすることができたのですが、しませんでした。聖父の御旨ではなかったからです。

 枝の主日では、多くの人はイエズス・キリストを歓迎しました。5日後の聖金曜日には、私たちの主を十字架に付けよ!!と叫んでいました。

 カトリックの聖伝も、受難の時を迎えています。私たちは主に憐れみを乞い求めます。私たちの主に希望します。

 イスカリオトのユダは、イエズス・キリストが奇跡をすることができるのだから、これにより、ユダヤ当局と妥協すれば、ユダヤの王となり、うまく行くと思っていたのではないでしょうか。

 しかし、私たちの主の道は、十字架の道でした。

 主よ、我らを憐れみ給え。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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