アヴェ・マリア!
今、韓国カトリック教会では何が起こっているのか?
「慶州文化エキスポで "茶禮ミサ" 奉献」
(カトリック新聞1998年9月20日付けの記事より 拙訳)
一〇月一三日午後二時 オリュンデ殉教福者修道女会
全世界四〇余カ国の有形無形文化を一つの場で見ることが出来る、98年慶州文化エキスポで、カトリック典礼と茶文化が接ぎ木された茶禮ミサが奉献される。
韓国殉教福者修道女会のオリュンデ分院に属している韓国カトリック文化研究所傘下の「聖母茶山茶会」は、慶州文化エキスポの期間中である一〇月一三日午後二時に茶禮ミサを奉献、文化エキスポを訪れる国内外人たちに韓国カトリックを紹介する機会を持つ。この日のミサは、サムルノリ(注:銅鑼(ドラ)や鉦(ショウ)や鼓(ツツミ)や太鼓(タイコ)の四種の打楽器でけたたましい音響の中にいろいろなリズムを交錯させる韓国民族音楽)、みことばの典礼、聖体典礼、奉献、終わりの儀式、鶴の舞い、サムルノリの順で進行され聖母茶山茶会の指導司祭であるキム・ジョンピル神父(オリュンデ聖ベネディクト瞑想の家 院長)を始めとした司祭団で共同司式がなされる。
来る一〇月の慶州エキスポ場で奉献される茶禮ミサは、国内に土着化したカトリック典礼の一典型として、ここを訪れる国民、外国人たちに東洋文化と密接した関係がある茶文化と接ぎ木された韓国カトリックの真価を見せてくれることができるだろうと期待を集めている。
・・・(以下略)
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(’’)? 全世界四〇余カ国の有形無形文化を一つの場で見ることが出来る慶州文化エキスポで、二〇〇〇年のカトリック聖伝の典礼が開かれても良かったんじゃないかな?
(’’)? 最近発明された茶禮ミサはうまくいくかわからない実験だから良いんだよ。カトリック教会がずっとやり続けていた聖伝は実験が禁止されているようだね? 実験すると成功しちゃうからかな?
(ー_ー )主よ、憐れみ給え! 天主の御母聖マリアよ、憐れみ給え!
【韓国の儒教のことを知らないと、何のことかよくわからないかもしれないので、説明を付け加えたい。】
(’’)? 茶禮って何?
【一言メモ】 茶禮とは。
韓国において、儒教の「祭祀」と言われるものがある。
儒教の年中行事として、正月(旧正月)や秋夕(中秋、旧暦8月15日)には、祖先祭祀(チェサ)を行う。これを茶禮(チャレ)という。
お正月の祭祀は、茶礼(チャレ)と墓参りである。正月朝早くに、歳饌(朝作られた料理)と歳酒(未開封のお酒)トックを用意して祠堂に並べ祭祀を行うことを‘茶禮’と言う。
茶禮は子孫たちが皆、一族の長の家に集まり進行される。茶禮が終われば大人に新年の挨拶をしその後、墓参りをする。墓参りは先祖の墓を尋ねて簡単な歳饌と歳酒を供えて辞儀をする。
秋夕(チュソッ)にも、各地に散らばった家族はすべて故郷に集まり、一族全員が祭祀を執り行い、先祖のお墓参りをする。
http://www.seoultabi.com/content/basic.html?m_idx=2&s_idx=5&b_idx=39
本来は、先祖に茶を供えたらしいのだが、儒教式の供物に置き換えられ、いわゆる「お茶」は用いられていない。
韓国では、「緑茶」以外のものも「茶」と呼ばれているからだ。例えば、高麗人参を刻んでゆっくり煎じ濾した汁を「人参茶」といい、
ナツメを煎じた汁を「ナツメ茶」、クコの葉あるいは実を煎じたものを「クコ茶」、五味子(ゴミシ)を沸かさずに水に一日位つけてこした汁を「五味子茶」、柚子のシロップ漬け少々に熱い湯を注いだものを「ゆず茶」というが、日本語でいう「お茶」とは全く関係ないものだ。これらを「薬用伝統茶」という。
http://www.wattakatta.com/culture/custom/04-03.html
韓国では高麗時代までは、いわゆる「茶葉」が仏教寺院だけではなく宮中における「進茶儀禮」にも欠かせないものであったが、李朝時代以降、仏教が次第に抑圧されるに従い、喫茶の風習は衰退した。
また茶の国内への供給量がごく限られたものであることから、茶葉を用いた喫茶の習慣は上流階級や一部の寺院のみであった。このため朝鮮半島で「茶」と言う場合は、中国・日本などで言われる「茶」ではなく、木の根などを煎じた薬湯や、果実を湯に浸した物(柚子茶)等を指す場合が多い(韓国伝統茶)。また茶の代用として炒米に湯を注ぐ「こがし」も、日本同様に行われていた。
【ウィキペディアでは現在のところ「茶禮」(タレ)と読ませているがこれは「チャレ」と読むべきである。明らかな間違い。】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E9%81%93
(’’)? 祭祀って何?
【一言メモ】 祭祀とは。
祭祀(さいし)これを韓国語では「チェサ」と発音する。
韓国語の祭祀とは、日本語のニュアンスでは「神々に捧げる犠牲」という意味である。
例えば尹 亭重 神父著の『詳解 天主教 要理』(上)京郷雑誌社1960年発行(168ページ)によれば、次のようにある。
===以下引用開始==
キリストにおかれては十字架上で血を流して亡くなることは、司祭として天主に祭祀を捧げたことだ。では、祭祀とは何なのか?
祭祀は、合法的祭官が、唯一天主に感覚物を奉献し消滅することにより、その至尊無對であられる権能を承服する心情を表現する公式敬神行為である。
「合法的祭官」=祭祀は、元来、公式的敬神行為であり、故に公衆の代表が捧げるもので、これを祭官あるいは司祭と言い、この祭官は誰であれ私的に出しゃばってその職に就くことは出来ないのである。聖パウロのヘブライ人への手紙5:1。
「感覚物」=祭祀は公式行為であるために、他人が見ることの出来ない内的心情だけではダメであり、この心情を表現する感覚出来るような物件がなければならない。旧約時代にこの感覚物は穀物や、羊、牛のような動物であった。これを「犠牲」と言った(創世記4:3-4など)。この中で、メルキセデクはパンとブドウ酒を祭献した事実は、有名だ(創世記14:18)。
「奉献し消滅すること」=感覚物の奉献と消滅に祭祀の本質がある。ところで、奉献だけでは祭祀が成立せず、必ず消滅がなければならない。液体ならばこぼし流され、火に焼かれるようなものであれば燃やされ、動物であればされなければならない。これにより天主におかれてのみ持っておられる生死に関する大権を承服することにもなり、罪深い私たちは当然ならば死ななければならない命ではあるが、そうすることは出来ず、代わりに犠牲を殺してしまうのだ。
このような犠牲物の一部分を、祭祀に参与していた人たちが、その場で受けて食べた。天主に祭献され聖化された祭物を食べることにより、或る程度、天主と相通することになり、天主の神聖さに参与することにより天主と親しくなるという意味だ。これは祭祀の本質ではないが、祭祀を完全にさせる(構成部分ではなく)完成部分だ。
「唯一天主に」=このような祭祀は、1、天主を欽崇(=礼拝)するために、2、罪の赦しを祈り、3、受けた恩恵を感謝し、4、必要な恩恵をこいねがうために、天主にのみ捧げていたのだ。・・・
キリストは祭官であると同時にまた祭物であり、十字架上でこの祭物を天主に祭祀されたのだ。祭物(=Oblatio)、犠牲(=Hostia)、祭殺(=Immolatus)などは、祭祀の専門用語だ。
===以下引用終わり==
さらに、同 神父著の『詳解 天主教 要理』(下)京郷雑誌社1960年発行(272ページ)によれば、次のようにある。
===以下引用開始==
「祭祀」= 祭祀は、合法的祭官が、唯一天主に感覚物を奉献し消滅することにより、その至尊無對であられる権能を承服する心情を表現する公式敬神行為である。・・・
祭祀は、天主恭敬の最高儀式ゆえに、人類と共に久遠なる歴史を持っていたし、人類と共に普遍的である。即ち、どの民族であっても祭祀を持っていた。祭祀は、元来、天主のみに捧げるものではあるが、未開の非キリスト教的社会においては、道を誤り、亡霊だとか種々の神々に祭祀を捧げた。北京には天壇がある。天子が民衆のために天に祭祀を捧げていたところである。韓国でも、干ばつが起こったりすると、ブタや犬を捕まえて山に登り祭祀を捧げる風習がまだ残っている。以前にはオーストラリアのある原始民族は、実際に人間を殺して鬼神に祭祀を捧げていた。韓国の『沈清伝』が実話では勿論ないけれど、船員たちが沈清という人を海に投げて殺そうとすることも、沈清という人を犠牲にして鬼神に祭祀を捧げるのだ。
旧約を見ると、アベルは子羊を捕まえて天主に祭祀を捧げたし、ノエは野獣と鳥を祭祀に捧げ、メルキセデクはパンとブドウ酒で祭祀を捧げた。
===以下引用終わり==
つまり、韓国語では「祭祀」というと Sacrificium という意味である。これは韓国語の伝統的な天主教用語が中国語の影響を受けていることから由来している。(中国語では sacrificium の訳語として「祭祀」或いは「祭献」という。)
「慶州文化エキスポで "茶禮ミサ" 奉献」の記事では、ミサを「犠牲」(聖伝による概念)としてではなく「会食」(新しいミサの概念)としてとらえているので、「祭祀」ではなく「茶禮」となっている点も興味深い。
(’’)? 韓国儒教の祭祀って?
【一言メモ】 人間の死後について四種類の態度を取る可能性があると思われる。
(1)天国あるいは地獄という別の場所に行く。(キリスト教など)
(2)生まれ変わって、この世に戻ってくる。(仏教などの輪廻転生説)
(3)死後も魂はそのままこの世に居残る。(儒教)
(4)死んだら何も残らない。全て無くなる。(唯物論)
儒家の朱子は、死者の魂が全部居残るとこの世が霊魂でいっぱいになってしまって困るので、時間が経てば雲散霧消するとしたが、消えてしまえば祭る意味が無くなってしまうので、子孫がいればそれに感応して散ったものもまた集まる、とした。しかし何代目あたりで消えてしまうのかがわからず、朝鮮の儒者らは一七世紀頃まで論争をしていたが、一八世紀になると、四代まで祭ることで定着を見た。
祖先の霊魂がこの世に留まるので、子孫は祭壇をもうけて、食べ物を捧げ、祖先が飢えて餓鬼にならないようにし続ける、これが儒教の祭祀の根本理念となった。祭祀の時には祭壇に山海の珍味を山と積み上げる。「生きて仕えること生に仕える如く、亡に仕えること存に仕えるごときは、孝の至りなり」(『中庸』)とあるように、子孫は祖先の霊に給仕する。つまり、儒教とは死者と共にこの世に暮らす宗教である。
儒教では四代祖までその命日の夜中に祭る(忌祭祀、年間合計八回の法事)。元旦や秋夕の朝に本家に全員が集合して祭祀する(節祀)。陰暦の十月に子孫全員が墓参りをする。冬至より一〇五日後にご飯を墓に供える(寒食)。こうして毎年祭祀だらけで、その度にお供え物に饗宴が浪費される。
李氏朝鮮(1392-1910)では、一八世紀に四代祖血族が堂内(チバン)を核として、門中(ムンチュン、分派祖血族)や、宗族(チョンチン、同本同性血族)という血縁組織が成立した。そして宗族という血族集団しか自らを守るもののないとし、宗族を信じ礼拝する宗教を作り上げた。韓国は、世界でもまれな単一民族の国だけれど、その内実はバラバラの宗族の集合体だという相反した事実が作られた。
(’’)? 李氏朝鮮では? その前は何を信じていたの?
【一言メモ】 韓国の儒教は、李氏朝鮮(李朝)の為政者による儒教教化の人為の産物だった。日本でも檀家制度などで江戸時代には仏教が保護されて国教となっていたが、維新後新政府の元でこれからは氏子制度で神道が保護されるようになったように、李朝は、高麗(918-1392)が国教としていた仏教を棄て、朱子儒教をその宗教とした。
李朝の成立と共に儒者らは、高麗の伝統的な埋葬の風習を断固として処罰し、辺境に流配した。火葬者は百叩き、迷信故にすぐに埋葬しないものは斬り殺しを受け、シャーマンや僧侶は弾圧され、ソウルから駆逐され山野を彷徨した(いまでも韓国では仏寺は山の中にのみある)。十九世紀末に至るまで、朝鮮では僧侶は選民扱いでソウルにはいることは許されなかった。李朝の王と儒臣たちの儒教教化は、死者のために現実の生を捧げる誠意をひたすらに試した。
【参考資料:古田博司『朝鮮民族を読み解く』ちくま新書1995年】
(’’)? 儒教は、天主教に対してはどうしたの?
【一言メモ】 儒教は、今から約250年前に中国経由で入ってきた天主教にたいして迫害で及んだ。とくに天主信者が「祭祀」と呼ばれる先祖の霊に対する礼拝を拒んだからだ。そして韓国の多くのカトリック信徒は、これを拒んで殉教していった。
「その祭祀というのは虚しく無益なことです。真理に従うためには、虚しいこと無益なことを捨てなければならないということは明白な事です。眠った親に食べ物を調えて差し上げて眠りに入ったままそれを召し上がりなさいと言ったら、それは愚かな事ではないですか。だから親が亡くなった後に食べ物を召し上がるなどと思っているなら、それはもっと愚かではないですか? 霊魂はそれが行くところに行き、肉体は力無いしかばねに過ぎなくなるのです。 霊魂は霊体(神霊体)のため物質的な食べ物を食べて生きているのではありません。また天主の戒律は素晴らしいものであり, それを守れば功徳になります。国王のために自分の生命を捧げる人を逆賊だとは言わないでしょう。まして天地と天主なる人と万物を主宰し給い、王の中の王であり、全人類の普遍な父親であり、雨と露を思いのままに降らせ給い、一番微弱な草木から大木までも皆育つようになさるお方です。その恩を被らないものは存在しないのであり、天主を裏切るよりはかえって自分命をかけるという人を、いったい何故逆賊だと罵るのですか?」
(韓国の百三位聖殉教者の一人、イ・ホヨン・ペトロ(1838年11月25日殉教)が、儒教式の祭祀を捧げないので逆賊だと刑吏から言われて答えた言葉)
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