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震災記念日に寄せて

2012-09-01 00:00:01 | 東京散策
横網公園(東京都墨田区横網二丁目3-25)

両国駅から10分ほど歩いたところにこの公園はある。
この横網公園は、陸軍被服厰跡地である。
陸軍被服厰跡地と知ると直ぐに思い浮かぶ人も多いと思う。
90年ほど前に発生した関東大震災の時に、多くの罹災者が空き地となった公園予定地のこの地に避難してきた。一緒に多くの家財道具が持ち込まれていて立錐の余地もなかったという。
そこに周囲からの火災が家財道具に引火し、逃げ場を失った多くの人々が亡くなった。その数は、東京都全体の関東大震災で亡くなられた方の半数以上を占めるという。


東京都慰霊堂
震災後、死者を慰霊し、このような災害が二度と起こらないよう建てられた。
今日も秋季慰霊大法要が行われ多くの方々が参拝されていると思う。
慰霊堂奥に三重塔が納骨堂となっている(右手奥の塔)。この納骨堂には東京大空襲で犠牲となった10万余人の無名の方の遺骨も納められている。 
        


復興記念館と罹災物
復興記念館は、関東大震災の惨禍を永く後世に伝えるため、1、2階のフロアーに震災被害の資料を展示している。また、東京大空襲による戦災資料も併せて展示されている。
建物周辺にも震災被害の資料が展示されている。  
        


震災遭難児弔魂像
関東大震災で亡くなった5千人もの小学校児童の霊を慰めるため当時の小学校校長等が中心となって建立した。戦時中金属不足の煽りを受け一時期撤去されていた。この像は再建されたものである。
        


関東大震災は、1923(大正12)年9月1日11時58分、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害である。
神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲、1府(東京府)9県に及ぶ甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた。
190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる(2004までは14万人とされていた)。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟である。東京の火災被害が中心に報じられているが、被害の中心は震源断層のある神奈川県内で、振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波による被害が発生した。
      
        寒川町と平塚市で散策中に見つけた関東大震災の「紀念碑」と「遭難之霊」碑


関東大震災記念日はその教訓を忘れぬために「防災の日」なった。
震災記念日なんていうものは好まない記念日だが1月17日、3月11日と残念であるが増えてしまった。プレート上にある日本国は地震から逃げることはできないかも知れないが、過大過ぎる教訓から「備えあれば憂いなし」の心構えで、日々生活をしなくては!



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