あの町この街あるこうよ

歴史散策まち歩きの記録
たまに丹沢・大倉尾根を登る

東京のタイ焼き老舗御三家をめぐる

2020-04-24 11:19:45 | 東京散策
タイ焼きの起源を調べると、国立国会図書館のレファレンス協同データベースには次のように書かれている。
『たべもの起源事典』によると、1909(明治42)年、創業の浪花家総本店の初代神戸清次郎が創作したのがはじまりとしている。その経緯は、「今川焼きを始めたが一向に売れず、亀の形の亀焼きも失敗する。ところが、めでたいタイの姿にしたところ、(略)飛ぶように売れたという」と紹介している。

また、『東京たいやきめぐり』の「たいやき事はじめ」には、(関西から東京に出てきた)神戸清次郎が「焼き物の菓子をはじめる」とあり、その際に焼型として鯛を選んだとしている。なお、なぜ鯛型にしたかについては、「鯛は「めでたい」で縁起物につながる。そして、ほんものの鯛は庶民の口になかなか入らない高級品であった、それを模した」ことを理由としている。
なお、誕生の地について同書に「東京麹町で誕生した。」とあり、現在の麻布十番に店舗を構える「浪花家総本店」の始まりとしている。

そこで、東京で昔ながらの一丁焼きの麻布十番「浪花家総本店」、 四谷「わかば」、人形町「柳屋」の老舗店である「タイ焼き御三家」を紹介する。
一丁焼きとは、タイ焼きの「焼き型」には、1匹ずつ焼き上げる型(一丁焼き)と、鉄板などで複数匹を一度に焼き上げる型の2種類があり、たい焼きの味にこだわる人達では(一丁焼き)で焼いた鯛焼きを「天然物」・「一本焼き」・「一丁焼き」、後者の複数匹のタイ焼きを「養殖物」・「連式」などと呼び、違いを明確にする場合があるという。


麻布十番「浪花家総本店」
コック帽と蝶ネクタイ姿が話題となり、それで1975(昭和50)年の大ヒットした「およげたいやきくん」のモデルとなった。







訪れた日:2017.12


四谷「わかば」
1953(昭和28)年創業。
JR四ツ谷駅から迎賓館に向かう道から2本ほど西を走る道にある「わかば」は住宅街の中に佇んでいる。
店内では職人さん2人が一本焼きの型で焼き上げては前面のトレーに流している。
流れてきたたい焼きを女将さんがハサミで形を整えてゆく。それからご主人がお客と対応しながら包む。
演劇評論家安藤鶴夫(1908~69)さんの「鯛焼きのしっぽにはいつもあんこがありますやうに」が社訓。

         
順番待ちの間、サラリーマン3人組のひとりが米倉涼子さんが出演している番組にこの店が出ていたことを話していた。今はやりの街をうろうろする食べ歩きの番組だろうと思ったが、家人に話すと前日放送した「ドクターX」の中で、若葉の店前で彼女と男優がたい焼きを食べるシーンがあったと云う。

 
訪れた日:2013.11

人形町「柳屋」
創業は1916(大正5)年。行列ができるたい焼き屋である。
東京都中央区日本橋人形町の400mほどの商店街である「甘酒横丁」の通りにある。
前の月に四谷わかばの店に寄ってたい焼きを食べたので、御三家であるここのたい焼きもと思い20分ほどは並ぶ覚悟をしていたが、それ以上かかりそうな行列であったため買うことをパスをした。 
 
人形町と云えば、TBS-TVドラマ「新参者」にたい焼き屋が登場するが、それは柳屋ではなく架空の店舗である。

訪れた日:2013.12



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3月16日の例祭 | トップ | 「アリガトウ」の花壇 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

東京散策」カテゴリの最新記事