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富士山の山開きに

2011-07-01 17:04:25 | 富士山
               今日、7月1日は富士山の山開きである。
               ことしも多くの登山客が押し掛けたと思われる




富士信仰、現在では富士登山はレジャーと認識されているが、富士山は信仰の対象でもあった。

横浜市泉区岡津町にある導向寺の裏山に富士塚がある。
中腹には「ゑぼし岩」と「食行身禄」の文字が刻まれた富士講碑がある。1840(天保11・篤姫が6歳の頃)年にたてられている。

      

ゑぼし岩とは富士山の8合目にある烏帽子岩(当時は7合5勺と云われている)を指しており、食行身禄(じきぎょうみろく・1671(寛文11)~1733(享保18)年)が断食行を行い、35日後に即身仏となった場所である。
身禄とは救世主、教祖的な存在であり、戦国時代に発生した富士講は食行身禄によって発展した。
文化・文政期(19世紀初期)には「江戸八百八講」と呼ばれるまでにもなり、あちこちに富士塚と呼ばれる小型の富士山が築かれた。富士塚は通常行けない庶民が信仰の対象とし、実際に富士山に登らなくても、富士登山の功徳が得られるとされた。

                     
                  富士吉田口三合目「三社宮」の食行身禄師像2010.8


              
               五合目河口湖登山口2010.8 
             
なお、ことしは東日本大震災を受けて、「がんばろう 東北」と手書きのTシャツを着た登山者もいて、御来光が雲の切れ間から見えると、祈りをささげていたとのことだ。

              
               河口湖五合目より富士山頂2010.8

               
       昨シーズン、山梨県側からの登山者は、26万人近くと過去最高であったそうだ。
       8月末までの夏山シーズン、無理のない登山計画で事故がないことを望みたい。

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