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ヨコハマ運河の風情を伝える掘割川の土木遺産

2017-07-05 15:14:34 | 横浜歴史散策
――港町ヨコハマの運河の風情を今に伝える近代土木遺産—―


掘割川は、明治初期に、横浜港と根岸湾を結ぶ人口運河として、1870(明治3)年、神奈川県知事の不達を受けて、吉田勘兵衛の末裔が苦労の末、開削し、舟運や治水対策などにも大きな役割を果たしただけではなく、往年は掃部山(かもんやま)、豊顕寺などと共に横浜の桜の名所として市民に親しまれていました。
1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災によって壊滅的な被害が受けましたが、「帝都復興事業」によって、石積護岸復旧され、各所に物揚場、昇降階段、意匠を凝らした親柱を持つ八幡橋、根岸橋、天神橋などの橋梁も造られ現在見る姿に生まれ変わり、市内でも有数の美しい水辺風景をみることができます。
しかし、近年の車社会化のながれにより、川の両岸を通る国道16号と市道が拡幅整備されるなど、市民にとって、ますます水面に近づきにくい存在となっております。
市内の河川や運河の多くが埋め立てられ、公園や道路になっていることからも、先人が築いてきた貴重な「掘割川」を、都市づくりの視点や市民の貴重な水辺として、その魅力を再発見し、次世代に残すべき財産として、保存、活用を図っていきたいものです。

と、八幡橋の脇に建つ碑に土木遺産の由来が書かれている。
磯子の史話によるとこの時吉田勘兵衛の末裔は九代目で先祖の偉業を思い、掘割埋め立てを自費負担で施工したという。




土木学会選奨土木遺産制度は、土木遺産の顕彰を通じて、歴史的土木構造物の保存に資することを目的として、平成12年度に創設された。掘割川は、平成22年度に構造物が「土木遺産」として設定された。

「掘割川魅力づくり実行委員会」主催の「掘割川の日」のイベントが開催されたこともあったようだ。

荷揚場、昇降階段、繋船柱(けいせんちゅう)が施されている


八幡橋は掘割川唯一のこる震災復興橋


掘割川の開削(南区の歴史より)


訪れた日:2017.6.22