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雑司ヶ谷七福神をめぐる

2015-03-18 16:38:54 | 東京散策
雑司ヶ谷七福神

華の福禄寿・仙行寺
                 
仙行寺は、明治末期に小石川指ヶ谷町の善行院と隣接の仙応院が合併し、仙行院と改称してこの地に移転した。
戦火により全堂宇を焼失し、石造淨行菩薩(じょうぎょうぼさつ)のみが残った。本堂脇の小祠に福禄寿が納められている。
豊島区観光案内センターによると、『一般的には背が低く、長頭で長い髭を生やし、杖を持っている老人のイメージだが、「華の・・・」とある。じっくりご覧あれ』とのことだ。
 
 
淨行菩薩は法華経に登場する四菩薩の一体。

布袋尊・中野ビル
                 
中野家は、大阪城の石材供給地・小豆島出身で、二重橋や国会議事堂を手掛けた石材店で、布袋尊像は親子で、1917(大正6)年から店頭に奉られ、商店のシンボル的存在。
右肩部分を戦禍で欠損し、修復されている。
 

弁財天・観静院
                 
法名寺(ほうみょうじ)の塔頭で、元禄初期(1690年頃)の創立。梅林の中に天神堂があり、加藤清正が文禄・慶長の役(1592~93、1597~98)に守護神にした御神体を祀っている。
 
                  

大黒天・鬼子母神堂
                 
鬼子母神堂は、法名寺の飛地境内にある境外仏堂。
1561(永禄4)年、清土(きよと・現清土鬼子母神堂)で出土した鬼子母神像を、村民がこの地に堂宇を建立したことがはじまり。現在の社殿は1664(寛文4)年の建立で、東京都有形文化財に指定されている。
台東区入谷と同じくツノのない「鬼」の字を用いた雑司ヶ谷鬼子母神である。
          
 
       

恵比壽神・大鳥神社
                 
1712(正徳2)年、鷺明神社と称し、疱瘡除けの神として鬼子母神境内に創設。以後雑司ヶ谷一帯の氏神として崇敬されている。江戸時代から続く酉の市は、雑司ヶ谷の風物詩のひとつ。
 
            

毘沙門天・清龍院
                 
雨乞いと皮膚病の祈祷所として尊崇された。
1428(正長元)年ころの創立。雑司ヶ谷往古の鎮守。
 
                  

吉祥天・清土鬼子母神堂(清土出現所)
                 
雑司ヶ谷鬼子母神像はこの地、雑司ヶ谷村小名清土で出土された。
雑司ヶ谷七福神は、寿老人の代わりに鬼子母神の娘でもある吉祥天が加わっている。仏教では毘沙門天の妃または妹とされる。
 
            


  
町おこしのために2010(平成22)年に七福神会を結成したことがはじまり、翌年正月から七福神めぐりが開始された歴史の浅い雑司ヶ谷七福神である。
半径およそ700mの円内にあって、1.5km、所要2時間のコースのようだが、今回は、雑司ヶ谷・音羽界隈散策に含め訪ねてみた。