鎌倉最古の厄除け神社として知られる八雲神社は、「八雲さん」、「お天王さん」の愛称で親しまれている大町の鎮守である。
新羅三郎義光が兄の八幡太郎義家の助勢(後三年の役・1083~87)のため奥州に赴く途中で鎌倉に立ち寄った際、疫病が流行っていたため、京都の祇園八坂社の祭神を勧請したのが八雲神社の始まりと伝えられている。
正月6日は、八雲神社の伝統ある「初神楽」であり、鎌倉神楽が舞われ、新しい年の豊作や大漁が祈願される。
鎌倉神楽は、「湯立神楽」又は「湯花神楽」とも呼ばれ、各地で行われる神楽の元となったといわれている。
その神楽の由縁は、釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を使って神事を執り行うところからきている。
拝殿前の境内には、竹の四柱がたてられ、五色の紙垂(しで)を挟んだ縄が張られ、斎場が設けられている。
紙垂は、雷光・稲妻をイメージしてカット折られている。落雷があると稲が育ち豊作となることからだといわれる。
斎場の脇には、大釜で湯が沸かされている。
定刻15時に神事は開始された。
祝詞奏上の後、神楽が開始された。
神楽は、残念ながら拝殿の中で行われたため、参拝者は遠眼で眺めるように、見学した。
狩衣(かりぎぬ)を脱ぎ、白衣となって拝殿と境内の斎場を往来して、神楽は続く。
神官が笹の葉で湯花(湯しぶき)を参拝者に振りまく。これを浴びるとその年は健康で過せるという。
最後は、お供物のミカンや飴が参拝者にまかれる。頂いたミカンはとても甘かった。
新羅三郎義光が兄の八幡太郎義家の助勢(後三年の役・1083~87)のため奥州に赴く途中で鎌倉に立ち寄った際、疫病が流行っていたため、京都の祇園八坂社の祭神を勧請したのが八雲神社の始まりと伝えられている。
正月6日は、八雲神社の伝統ある「初神楽」であり、鎌倉神楽が舞われ、新しい年の豊作や大漁が祈願される。
鎌倉神楽は、「湯立神楽」又は「湯花神楽」とも呼ばれ、各地で行われる神楽の元となったといわれている。
その神楽の由縁は、釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を使って神事を執り行うところからきている。
拝殿前の境内には、竹の四柱がたてられ、五色の紙垂(しで)を挟んだ縄が張られ、斎場が設けられている。
紙垂は、雷光・稲妻をイメージしてカット折られている。落雷があると稲が育ち豊作となることからだといわれる。
斎場の脇には、大釜で湯が沸かされている。
定刻15時に神事は開始された。
祝詞奏上の後、神楽が開始された。
神楽は、残念ながら拝殿の中で行われたため、参拝者は遠眼で眺めるように、見学した。
狩衣(かりぎぬ)を脱ぎ、白衣となって拝殿と境内の斎場を往来して、神楽は続く。
神官が笹の葉で湯花(湯しぶき)を参拝者に振りまく。これを浴びるとその年は健康で過せるという。
最後は、お供物のミカンや飴が参拝者にまかれる。頂いたミカンはとても甘かった。