(写真)ビオラ・ラブラドリカの花
ビオラ・ラブラドリカは、北米東部、カナダのラブラドール州からニューヨク州あたりの森林の木陰に生息する多年草で、ビオラとしては珍しい原種の一つである。
ラブラドールは、犬好きにはピンと来る地名で、“ラブラドール・リトリバー”の原産地のようでもある。鴨猟に連れて行く犬で泳ぎが上手で水に落ちた鳥をくわえて持ってくるあの忠犬だ。
こんな寒冷地に自生していたので、耐寒性が強く、樹の下などの半日陰で湿った土壌が適地となる。
ビオラ・ラブラドリカの開花期は、3月頃から5月までだがまれに夏場も咲くという。やや暗い色が入ったスミレ色で、葉の暗紫色がこの植物の特徴だ。
ビオラ・ラブラドリカ発見者は
このビオラ・ラブラドリカを発見したのは、ドイツ生まれでドレスデンの植物園で実践的に教育というよりもたたき上げられ、1799年にアメリカに移住したパーシュ(Pursh, Frederick Traugott 1774-1820)だった。アメリカへの移住は彼が25歳の時だった。
パーシュは、46歳という若さで亡くなっているが、フィラデルフィアの庭園の植物管理者として働いたのを最初に、米国の著名な植物学者の下でアメリカの植物に関する著作の手伝いなどで植物学を学び、1805年からは、メリーランドからカロライナまで徒歩で探検をした。その時の持ち物は銃と食料そして犬を連れ簡素を通り越したハングリーな旅装だった。年齢的に31歳であり、これまでに実践的に経験を磨き上げており、希望と野望に燃えていたのだろう。
フランシス・マッソンのようにキュー植物園からの手当てがあるプラントハンターは恵まれていたが、フランスのプラントハンター、ミッショーは、フランス革命により手当が支給されたくなり極貧の探検旅行をしていた。スポンサー・パトロンのいないプラントハンターは大変だ。
さらにパーシュの場合は、北米の探索で彼が集めた植物の標本、それらを基にした植物誌の原稿全てを火事で焼失してしまい全てを失ってしまった。そして、貧困と失意によるアルコール中毒で悲劇的な結末を迎え、46歳で亡くなった。葬式代もなく友人がだしたという。
フランスのプラントハンターミッショーがアメリカからフランスに旅立ったのが1796年、その1年後の1797年にマッソンがニューヨークに到着した。パーシュがアメリカ、フィラデルフィアに移住したのが1799年であり、1800年の前後は北米の植物探索がプラントハンターのフロンティアであった。だが、この三人とも非業な死を遂げている。
新しい世界を切り開くパイオニアは、現世の利益と結びつかないことが多い。
しかし、歴史が光を当て評価してくれることがある。パーシュの文字で書かれた成果は焼失したが足跡は残されており、この足跡をたどり彼の成果が再評価されている。
(写真)ビオラ・ラブラドリカの葉と花
宿根ビオラ、ラブラドリカ・パープレア
・スミレ科ビオラ属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Viola labradorica Schrank 。英名は、アルペン・ヴァイオレット(Alpine violets)またはラブラドール・ヴァイオレット(Labrador Violet)と呼ばれ、流通名としては黒葉スミレとも言われる。
・この品種は、原種ビオラ・ラブラドリカの園芸品種ラプラドリカ・パープレア(Viola labradorica purpurea)。
・原産地は、北アメリカ北東部でラブラドール、ニューハンプシャー、ニューヨクの湿っぽい森林地帯の樹の下に生息。
・草丈10cm程度で、黒ずんだ葉と紫色の花のコントラストが美しい。
・開花期は比較的長く、3~5月で夏場も咲くことがある。
・ツツジとかツバキの木下の植え込みで半日陰が適している。
・腐葉土の多い湿った土壌を好む。
命名者とコレクター
・命名者シュランク(Franz Paula von Schrank 1747-1835)は、ドイツの植物学者と昆虫学者で、1809から1832までのミュンヘン植物園の初の責任者だった。
・コレクターは、パーシュ(Pursh, Frederick Traugott 1774-1820)。
奥ゆかしい感じでいっぱいでした。パンジーと違う奥ゆかしさがありますね。特にこうして紫色には見入ってしまいます。
群生していれば素晴らしいでしょうね。
吉野山は日本の原種ヤマザクラが有名ですが、一度見たいものです。この時期までが旅行できるチャンスなので、後は水遣りを欠かすとダメージを与えるので朝帰りが精一杯です。
売っていたらすぐ買いそうです。
花も素敵です。