モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

縄文時代からのハーブ、サンショウ(山椒)の花

2019-05-15 15:02:59 | その他のハーブ
【山椒は小粒でもぴりりと辛い】
とは言われるけど、何だったっけ~ この意味! 
というのが今のサンショウの位置づけかもわからない。

意味が良く分からない諺だけが有名で、土用の丑の日にうなぎを食べる時におもむろにサンショウをかけて食べる。
これ以外でサンショウの出番は少ない。
(実は、香辛料の七味唐辛子の中にはサンショウがたっぷり入っているのだが~~一味の唐辛子しか意識していない。)

ところが、サンショウは利用できないところがないほどの有能な植物で、しかも日本原産の数少ないハーブでもある。

若芽は木の芽として食用、料理の付け合わせとしてのツマとして使われ、
実(ミ)は香辛料サンショウとなり、
果皮は漢方の生薬として健胃薬になり、
は硬くて丈夫なので擂り粉木(スリコギ)となる。

棘(トゲ)は、さすがに使い道がなさそうだが、イヤイヤどうして、嫌な奴を寄せ付けない道具として使えそうだ。

(写真)サンショウの花(雌株の花)


この宇宙ステーションの組み合わせのようなものがサンショウの花で、これは雌花に当たる。
サンショウは雌雄異株(シユウイシュ)で サンショウの実を実らせようと思うのならば雌株と雄株の2本を植える必要がある。
我が家にある山椒は雌株なので、近くに雄株がないと受粉できないことになるが、木の芽としての香りの利用なので実らないでも特に困ることはない。

雄しべと雌しべが同じ花にあるのが普段目にする花の形態で、これを雌雄同株(シユウドウシュ)と呼んでいる。
これに対して雄しべと雌しべが違った株にあるものを雌雄異株(シユウイシュ)と言い、同じ遺伝子同士での子供が誕生しない仕組みとなっているが、家庭園芸フアンにとっては、違いを識別して二本買うかどうかを考えないといけないので厄介なことだ。
イチョウの木が雌雄異株として有名で、街路樹に使われるイチョウは果肉から臭い匂いがする実がならない雄株を使っている。
くさや、ギンナン、沖縄の豆腐よう等臭いものは敬遠されがちだが、臭いものはおいしいというのが分かるまで時間がかかる。

(写真)サンショウの葉


サンショウ(山椒)の歴史

(1)魏志倭人伝
三世紀末(280-297年)に西晋の陳寿によって書かれた中国の歴史書(後に正史となる)『三国志』の中に、『魏志倭人伝』として知られる部分がある。
ここには、倭国の地理・風習などが書かれ、サンショウ・ミヨウガ・ショウガ等が日本でも栽培されているが、美味しさを知らないと書かれている。

<原 文>
「出真珠・青玉。其山有丹、其木有柟・杼・櫲樟・楺・櫪・投橿・烏號・楓香、其竹篠・簳・桃支。有薑・橘・椒・蘘荷、不知以爲滋味。有獼猴・黒雉。」

<訳 文>
「真珠と青玉が産出する。倭の山には丹があり、倭の木には柟(だん、おそらくはタブノキ)、杼(ちょ、ドングリの木またはトチ)、櫲樟(よしょう、クスノキ)・楺(じゅう、ボケあるいはクサボケ)・櫪(れき、クヌギ)・投橿(とうきょう、カシ)・烏号(うごう、クワ)・楓香(ふうこう、カエデ)。竹は篠(じょう)・簳(かん)・桃支(とうし)がある。
薑(きょう、ショウガ)・橘(きつ、タチバナ)・椒(しょう、サンショウ)・蘘荷(じょうか、ミョウガ)があるが、美味しいのを知らない。 また、猿、雉(きじ)もいる。」

ショウガ(生姜、生薑、薑)は熱帯アジア原産、ミヨウガ(茗荷、蘘荷)は東アジア原産で、日本には中国大陸経由で2~3世紀ころ伝わったと言われる。
魏志倭人伝が書かれた頃に日本に伝わり、肉類の臭み消しとして中国と同じような香辛料・調味料として使用していないためなのか “美味しいのがまだ分かっていない” と評価されたようだ。
サンショウの使い方はいまだにまだ十分に分かっていないのだから当然かもしれない。!

(2)日本書紀(681-720完成)、古事記(-712完成)
原産国、日本でのサンショウの記録はと言えば、720年に完成した日本初の歴史書『日本書紀』及び同時期に書かれた『古事記』にも同じ歌が載っていた。
8世紀初めの古事記、日本書紀の頃には、生垣にサンショウ(山椒)を植え栽培植物としての定着が伺える。
しかし、どう使っているかというレシピ的な記述はまだ見られないので、薬味・薬としての使い方なのだろう。

【原 文】
『みつみつし 来目の子等が 垣本に 粟生には 韮(カミラ=ニラ)一本 其根が本 其ね芽繫ぎて 撃ちてし止まむ
と歌をお詠みになり、さらに、
みつみつし 来目の子等が 垣本に 植ゑし山椒(ハジカミ) 口疼く 我は忘れず 撃ちてし止まむ』(日本書紀 巻第三 長髄彦)

【訳 文】
(天皇の御稜威(神や天皇の御威光)を負った、来目部の軍勢の、その家の垣の本に、粟が生え、その中に韮(カミラ=ニラ)が一本ある。その韮の根本から、芽までつないで《抜き取るように》、賊の軍勢をすっかり討ち破ろう)
と歌をお詠みになり、さらに、
(天皇の御稜威(神や天皇の御威光)を負った、来目部の軍勢の、その家の垣の本に、植えた山椒(ハジカミ)は、口に入れるとヒリヒリするが、《それと同じように、賊の攻撃は手痛いもので、》朕は今もって忘れない。必ず、討ち破ろう)

(3)縄文時代初めには山椒が使われていた痕跡が見つかる
文字を使った記録は中国で三世紀末、日本では八世紀からとなるが、
縄文人の生活の跡、遺跡からサンショウのこん跡が発見されていて、
日本原産のサンショウは、縄文の初期から(栽培され?)食され、縄文中期以降になると地域的にも広がりを示し数多くの遺跡で使用のこん跡が発見されている。

時間軸で発見された場所をみていくと次のようになる。
滋賀県大津市にある粟津湖底遺跡のクリ塚から縄文早期初頭の山椒のこん跡が見つかったのを初めとして、
石川県七尾市の三引遺跡(ミビキイセキ)の貝塚から縄文早期~前期の頃の山椒のこん跡、
縄文時代の遺跡として有名な青森市の三内丸山遺跡では、縄文前期末の遺跡から見つかっている。

この遺跡は野球場を造ろうとしていたら発見され、今では遺跡観光として注目されているという。

(写真)サンショウの立ち姿


サンショウ(Zanthoxylum piperitum)
・ミカン科山椒(サンショウ)属の落葉・芳香・棘のある低木。
・原産地は日本、北海道から屋久島及び韓国南部に生育する。
・学名は、ザントキシラム・ピペリィトマ(Zanthoxylum piperitum (L.) DC.(1824))で、1824年にスイスの植物学者ドウ・カンドール(Candolle, Augustin Pyramus de 1778‐1841)によって命名された。
・属名の“Zanthoxylum”は、黄色い木を意味し、種小名の“piperitum”は胡椒のようなを意味し、実がピリ辛からくる。
・日本名は、山椒(サンショウ)。古名は、ハジカミ(椒)。こちらの字を書いた薑(ハジカミ)は、ショウガの古名。
・雌雄異株で4~5月に開花する。雌の花は5㎜の大きさの黄緑色の球形で果実・コショウとなる。雄の花は、花サンショウとして食することができる。
・種を取り除いた果皮は、乾燥させすり潰して粉山椒となり調味料として利用する。
・果実を取り除いた果皮は日本薬局方では、生薬・山椒(サンショウ)としていて、健胃、鎮痛、駆虫作用があるとしている。
・葉は互生し縁は鋸歯状、その谷のところに油点があり、葉を揉むとこの油点が壊れて芳香成分が発散する。
・枝には鋭いとげが2本づつ付く。
・サンショウは、夏の日差しに弱く半日蔭の湿った所を好む。

(付録)学名命名までの経緯 推測

日本原産のサンショウは、1759年にリンネ(Carl Linnaeus 1707-1778)によってファガラ・ピペリータ(Fagara piperita) と命名されていた。
しかし、スイスの大植物学者で、『植物界の自然体系序説』でリンネの植物体系の矛盾を修正する考えを出したドウ・カンドール(Candolle, Augustin Pyramus de 1778-1841)により
1824年に“胡椒のようなピリ辛な味がする実を持つ黄色い木”を意味するザントキシラム・ピペリィトマ(Zanthoxylum piperitumと命名され、今ではこの学名が国際的に認められている。

変わって認められるには根拠が必要で、日本でサンショウを採取した植物標本などのサンプル等が必要となる。
誰が採取したのだろうか?という疑問が残る。
日本の開国は、1854年3月31日に締結した日米和親条約からなので、1824年は鎖国中になる。
鎖国中に日本に来れるのは長崎出島に拠点をもつオランダしかない。
長崎出島を根城に日本の植物及び情報を収集し、命名者ドウ・カンドールがこの情報に接する可能性がなければならない。

シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796-1866)か、
ツンベルク(Carl Peter Thunberg , 1743-1828、長崎出島滞在期間:1775年8月-1776年12月)になるのだろうが、
ツンベルクよりも後に来日したシーボルト(長崎滞在期間:第一回1823年8月-1829年12月)も1823年に長崎に到着しているのでギリギリの可能性があることが分かったが、1日で行き来出来る飛行機の時代ではないのでシーボルトの植物標本などをみて命名したのではなさそうだ。

だとするとツンベルクの可能性が高くなる。
ツンベルクは、日本滞在1年半と短いが、1784年に発表した『Flora Japonica(日本植物誌)』には、約812種の日本の植物を記載し、新属26、新種418を発表している。
そして、その中にサンショウの標本もあり、名前は、師匠であるリンネが1759年に命名したFagara piperita (ファガラ ピペリータ)を踏襲していた。

(植物標本)ツンベルクの植物標本、サンショウ

左がイヌサンショウ、右がサンショウ
(出典)Thunberg's Japanese Plants

ドウ・カンドール(Candolle, Augustin Pyramus de 1778-1841)は、ツンベルクの『Flora Japonica(日本植物誌)』をみて、学名を修正した可能性が高そうだ。

ちなみに、サンショウが属していたミカン科Fagara属には185の植物で構成されているが、1つを除く184の植物は名前を正式に認めてもらえない状態にあり、リンネが命名し、ツンベルクが追認した日本原産のサンショウの学名、Fagara piperita (ファガラ ピペリータ)も未承認のままになっている。

な~んだ、という結論だったが 学名の変更には、リンネという偉大な師匠の弟子という立場と、リンネの体系そのものを修正しようという立ち位置の違いが出てしまったのだろうか?


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