(写真)ステビア・レバウディアナの花
湿った土壌を好む植物だがこの性質を失念し、西陽が当たる木の根元で育ててしまった。8月までは厳しい夏の天気で、夕方になると水不足でかわいそうなほどしおれている日が多かったが、最近の雨続きの日で生き生きとし開花した。
厳しい環境の為か、一株に枝が2本で60cmぐらいに伸びその先に直径2~3mm、長さ1cm程度の小さな白い花が咲いた。
葉は親指ほどの大きさで縁がギザギザで、1枚を摘み口でかむと強い甘みを感じる。
砂糖とは違い、切れが良い或いはシャープな甘みで、自然界にこんな甘味があったのかという驚きを感じた。まるで化学合成されたような近代的な甘みのように感じるから不思議で違和感を感じる。
ステビア属には240種も異なる種が属しているようだが、その中でパラグアイ原産のステビア・レバウディアナだけが甘味料として使えるほどの甘さを持っているという。
このステビアを甘味料として使えるようにしたのは、原産地のパラグアイでもなく、アメリカなどの欧米の国でもなく、ステビアとは全く縁がなかった日本の守田悦雄さんだった。(守田悦雄半生紀)
彼は、人工甘味料ズルチンを製造する社員がたった5人しかいなかった大阪の人口甘味料専業メーカー守田化学工業に入社し、ズルチンの発ガン性が疑われ使用禁止になり倒産の危機にあいながら、サッカリン、チクロに転換したが、これらも発がん性の疑惑がありサッカリンは使用制限、チクロは1969年に使用禁止となった。人工甘味料から天然の甘味料に切り替える動きをしていて、1971年5月「ステビアエキス」を原料として、食品用のステビア甘味料製品(ステビアロールシリーズ)を世界で初めて企業化・販売した。
このステビアとの出会は神がかりでもあり、ステビアの歴史を知れば知るほど20世紀の守田悦雄さんのために残されていたプレゼントとしか思えない。
(写真)ステビア・レバウディアナの花
ステビア・レバウディアナの歴史
ステビア・レバウディアナは、コロンブスがアメリカ大陸を発見する以前からパラグアイ、ブラジル、アルゼンチン、ボリビア辺りに居住する先住民グアラニー族が、モチノキ科の常緑喬木イェルバ・マテ (Yerba maté, Yerba mate, Erva mate, 学名:Ilex paraguariensis)の葉を煮出したマテ茶の甘味料としてステビアの葉を使ってきた。
グアラニー族はステビアをka'a he'ê(甘いハーブ)と呼び、高血圧・心臓病・胸焼け・尿酸値を低くするなどの医薬品として数世紀活用し、神聖な植物、崇拝の対象ともなっていた。
砂糖の200倍もの甘味があるステビア=ka'a he'ê(甘いハーブ)にヨーロッパの人間が接触したのは、南米を征服したスペイン人であり、バレンシア大学の植物学の教授Stevus, Petrus Jacobus (Esteve, Pedro Jaime 1500–1556)が初めてka'a he'ê(甘いハーブ=ステビア)の調査研究をしたという記録があり、この栄誉を称し彼の苗字Stevusを属名としたのは18世紀スペインの植物学の権威でメキシコ原産のダリアをスペインに持ち込み栽培したカバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745 - 1804)だった。
(写真)Bertoni, Moisés Santiago
ka'a he'ê(甘いハーブ)を固有の種として認識してステビア・レバウディアナ(Stevia rebaudiana )という学名をつけたのは、スイスの植物学者で南アメリカに移住したベルトニー、モイーズ サンチャゴ(Bertoni、Moisés Santiago 1857-1929)だった。
ベルトニーは、1884年3月3日に彼の母親、妻と5人の子供、さらには40家族の農家が同行し、南アメリカ、アルゼンチンのブエノスアイレスに移住するために出航し5月30日に到着した。1887年から彼が死ぬまでパラグアイに住み、農業大学を作るなどパラグアイの農業の近代化に貢献した。
ベルトニーはジュネーブ大学、チューリッヒ大学で法律・自然科学を学び、南アメリカ特にパラグアイの植物相の研究に尽力し多くの新種を発見した。
特に、マテ茶の茶葉となるyerba mate (Ilex paraguariensis)とマテ茶の甘味料として使われたステビアの研究で知られる。。
ステビアとの出会いは、アルゼンチンでの移住は失敗に終わり、1887年にパラグアイに移住したときに始まる。
この年にベルトニーは、パラグアイ東部の森を探検し、現地のグアラニー族のガイドから見知らぬ植物を教えてもらった。この植物がステビアであることを実際に現物で確認できるまで12年もかかり1899年に新しい種の発見として発表した。
(写真)Ovidio Rebaudi
ベルトニーが、この植物にStevia rebaudiana Bertoniと命名し発表したのは1905年であり、結構な時間がかかっている。
ちなみに種小名の“rebaudiana”は、植物の糖の結合グルコシド(glucosido)を1900年に発見・発表したパラグアイの科学者Ovidio Rebaudi(1860 - 1931)にちなんでいる。
1500年代には征服者のスペイン人にステビアの存在が知られていたが、400年もかかって固有名詞がつけられるようになった。ということ自体が不思議だ。この間どこかに隠れていたのだろうか?
確かに、ベルトニーすらステビアの現物を見るまでに時間がかかり、まるで神殿の奥に隠されていた神話のような存在のようだ。
そしてこのステビアが、1971年に大阪の守田化学工業、守田悦雄さんに初めて商品化されることになる。ベルトニーが新種として学名をつけてから70年後であり、自然界の甘味植物にビジネスチャンスを感じるには十分な時間があったと思う。他に手を出すものがなかったというのが不思議だ。
このステビアは、メタボ社会での有用ハーブとなりえる可能性があり、その潜在能力を検証中で、血糖値が低下する、血圧が降下する、C型肝炎に効果がある、利尿作用・強壮作用などに効果がある等、生活習慣病予防にありがたいハーブのようだ。
但し独立行政法人、医薬基盤・健康・栄養研究所の「健康食品素材データベース」では上記の効果効能は確認できていないとなっていて、妊婦は大量摂取をしないよう注意を呼びかけている。
(写真)ステビア・レバウディアナの葉と蕾
ステビア・レバウディアナ(Stevia rebaudiana )
・キク科ステビア属の多年草。ステビア属には北アメリカから南アメリカの亜熱帯・熱帯地域に約240種の種がある。
・学名は、Stevia rebaudiana Bertoni(1905)で、英名ではParaguayan sweet herb、sweet leaf, sugarleaf、和名ではアマハステビアと呼ばれるように甘い。
・属名のSteviaは、16世紀スペインの植物学者Stevus, Petrus Jacobus (Esteve, Pedro Jaime 1500–1556)が初めてステビアを調査・研究したことを受けて、18世紀スペインの植物学の権威 カバニレス(Cavanilles, Antonio José 1745 - 1804)が命名した。また、この学名をつけたのは、Bertoni, Moisés de Santiago (1857-1929)
・原産地はパラグアイで、水質のきれいな湿った土壌で育ち、数多くあるステビア属の中でこの種だけの葉が甘い。
・草丈は50cmから1m前後、茎は白い細毛に覆われ、夏から秋にかけて茎の先に白い小花を咲かせる。
・耐寒性が弱いので冬場は室内で育てる。
・1971年に大阪の守田化学工業によって世界で初めて商品化された。ステビオシドはショ糖の300倍の甘味度を持ち、ダイエット用食品や糖尿病患者用メニューなどに砂糖の代わりとして用いられている。1990年には大塚製薬の清涼飲料水である「ポカリスエット ステビア」が発売された。
・俗に、「血糖値が低下する」「血圧が降下する」「利尿作用がある」「強壮作用がある」といわれ、健康食品素材としても用いられている。
iPad上の指先が偶然にもこちらのリンクに触れてしまって、そしてなんと更新されたばかりの記事を読ませていただくことになりました。
久しぶりの記事を読ませていただいて、お元気な御様子に喜んでおります。
ステビアは1度育てたことがあります、当然生の葉を囓って強い甘みを味わいました。
昔商社のトーメンのOLでした、その時海外のどこかで砂糖のXXX倍も甘い甘味料ステビアを研究中だとか毎月出る社報で読んだ記憶がありますので守田化学工業を覗いてみました。 するとやはり懐かしい会社名が載っていてちょっとワクワクしています。おまけに守田化学は近所といっても良い場所なんです。
もひとつ偶然がありまして、それは親類がバイクで北米から南米最南端までツーリングしてきまして先日その本を読んだばかりなのです。
そういえばこちらには北米、メキシコ、南米と植物にまつわる地名がよく出ていたのを思い出し、今一度両方を読み直してみたいと思ったりしているところです。
とにかく、偶然が重なって一人ときめいてしまっています。 場所柄わきまえず長話になりました。おゆるしくださいませ。
少し涼しくなってきましたけど、不順な天候が続きますので、ご自愛くださいますように。
これから時間が出来ましたので、少しずつ栽培品種を増やして行こうと思っておりますので、たまに覗いていただけると幸いです。