(写真) ザ・マッカートニーローズの花
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ビートルズ、ポールマッカートニーの名を冠し、
ローズピンクの美しい花と芳香、そして病気に強く育てやすいところが世界で評価され、
1988年のイタリア・モンツァ国際コンクール金賞など様々な国際コンクールで24個の賞を受賞 した。
作出したメイアンは、世界でも成功したバラの育種家の家系で、
第二次世界大戦後に作出したバラに平和を願って名付けた“ピース”はあまりにも有名で、
我が家にもかつてあったぐらいだ。
ザ・マッカートニーローズThe McCartney Rose
・系統:HT(ハイブリッド・ティー)
・作出:1991年 フランス mailland(メイアン社)
・花色:ローズピンク 大輪(半剣弁高芯咲き,12cm)
・香り:強い香り
・咲き方:四季咲き
・樹高:120-150cm
・1997年JRC銅賞受賞
(写真)ザ・マッカートニー・ローズの花2
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バラの歴史を変えたジョゼフィーヌ④
ジョゼフィーヌの履歴書
ジョゼフィーヌ(Joséphine de Beauharnais, 1763 - 1814)は、
1804年にナポレオンが帝位に就いたので、フランスの皇后になった。
彼女の生い立ちは、フランス出身かとばかり思っていたが驚いたことに
コロンブスが発見しコロンブスにして“世界で最も美しいところ”と言わしめた
カリブ海に浮かぶマルチニック島(現在はフランスの海外県)の貴族の家に生まれた。
1779年16歳のときにパリに出てきて、植民地長官の息子アレクサンドルと結婚したが1783年に離婚。
1794年にアレクサンドルが革命政府に処刑されてからナポレオンと知り合い、1796年に結婚した。
ナポレオンと結婚しても、遊び癖は直らずパリでは有名な遊び人だったようだ。
ほんの一例が、
1722年に完成したエリゼ宮は、フランス革命の激動を乗り越える際に
ダンスホールとゲームセンターになった時期がある。
ルイ16世のいとこにあたるルイーズ=バチルド・ドルレアン公爵夫人が生活苦に陥ったため
1階部分を貸し出したためである。
このダンスホールでひときわ目立ったセクシーで目立つた美人がいた。
エジプト、イタリアなどに遠征しているナポレオンの妻ジョゼフィーヌで、
彼女が来るパーティやダンスホールなどは商売として成功するといわれるほどの
有名人で相当な遊び人だったようだ。
エリゼ宮は今では国家元首が住む宮殿となっているが、最初にここに住んだ国家元首はナポレオンだった。
こんなジョゼフィーヌが、ナポレオンとの離婚後は、或いは、マルメゾンの館を買ってからは、
庭造りと植物学にのめりこむ。
(写真)マリールイーズの花
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/0c/3c1bb29a55b51aa8327a65aa4051e1c5.jpg)
そして、
1813年、マルメゾンの庭園でダマスクローズの園芸品種が誕生し、
このバラに『マリー・ルイーズ』と命名し、別れた夫の再婚相手マリー・ルイーズに捧げた。
ナポレオンが再婚したマリー・ルイズは、
神聖ローマ帝国フランツ二世の娘であり、マリーアントワネットの姪に当たる。
そして1813年は、ナポレオンがロシア進攻に失敗し翌年退位、エルバ島に島流しとなる時期であり
また、ジョゼフィーヌも翌年に病気で亡くなる。
フランス革命があったからこそカリブ海の一植民地の娘がフランスの皇后になれることが出来、
離婚後は、庭造りと植物学に熱中しバラの歴史に革命をもたらした。
このエネルギーは何処から来ていたのだろう?
ジョゼフィーヌの本名は、マリー・ジョゼフ・ローズだった。
ナポレオンがフランス風に変えた“ジョゼフィーヌ”から“ジョゼフ・ローズ”に戻ったのだろうか?
激動期にマルメゾンで誕生したバラは、大きなうねりをつくり新しい血筋として未来に向かっていった。
彼女の名前には "ローズ”があり、そのバラが歴史に足跡を残した。
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