モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

No52:女性プラントハンター、メキシアとサルビア その4。

2011-09-21 09:09:01 | メキシコのサルビアとプラントハンター
メキシコのサルビアとプラントハンターの物語 No52

メキシアは、南米アンデス山脈、アマゾン流域を探検している。
エクアドル、ペルー、チリを貫くアンデス山脈で素晴らしいサルビアを採取しているので、例外としてこのシリーズに取り上げることにした。

6.Salvia gilliesii Benth.(1833) サルビア・ジリアシー
 
(出典)chile flora.com

アンデス山脈のボリビア・チリー・ペルー一帯に生息する多年生のサルビア・ジリアシー(Salvia gilliesii Benth.1833)は、樹高300cmにも育つ小潅木で、葉は淡い緑色の槍状で、8月頃に花序にスカイブルーの花を咲かせる。
最初の発見者は、種小名にもあるスコットランドの海軍外科医で植物学者のギリーズ(Gillies, John 1792-1834)で、結核を治すために南アメリカ勤務を希望し、28歳のときにアルゼンチンに移住した。8年間滞在し1828年に英国に帰国するまでに南アメリカで植物を採取しキューガーデンのフッカー園長(Hooker, William Jackson 1785-1865)に送る。

メキシアは、100年以上後の1936年1月5日にアルゼンチンのメンドーサでこのサルビアを採取した。メンドーサはスペインの征服者カスティーリョ(Pedro del Castillo 1521-1569) が1561年に建設した街で、今ではワインの生産で世界でも上位に入るところのようだが、ブドウ栽培に適したアンデス山脈の東側山麓の高原平野にある。

このサルビアの正式学名はSalvia cuspidata subsp. gilliesii (Benth.) J.R.I.Wood, (2007)で、大株に育つので結構な見栄えがする。
園芸市場へは、フランスのリヴィエラに1994年に導入され、日本にも種で入ってきている。耐寒性が強くないようなので、最低気温5℃以上のところで栽培できるようだ。

(写真) Salvia cuspidata subsp. gilliesii
 
(出典)Robins Salvias

7.Salvia macrophylla Benth. (1835) サルビア・マクロフィーラ
 
(出典)flickr.com

サルビア・マクロフィーラ(Salvia macrophylla)は、南アメリカ西部、ペルー・コロンビア・エクアドル一帯が原産の小潅木で、その美しいブルーの花色を原産地の地名で"Peru Blue"或いは"Tingo Blue"と呼んでいた。
雄しべと雌しべが突出しているので、花の形はまるでハチドリか新型ジェット戦闘機を想起させる。
種小名の“macrophylla”は、“アジサイ”を意味するがハート型の大きな葉から名づけられた。樹高100-150㎝で大きな葉の間から花序を伸ばし秋に鮮やかなブルーの花を咲かせる。 なかなかの逸品だ。

このサルビアを最初に発見・採取したのは英国の庭師・プラントハンターのマシューズ(Mathews, Andrew 1801-1841)で、1830-1833年の間にペルーで採取したようだ。
英国では、キューガーデン、王立園芸協会、ナーサリーと呼ばれる育種園が海外の珍しい植物を求めてプラントハンターを派遣する時代が18-19世紀にあったが、マシューズは英国のナーサリー、ロッディジーズのGeorge Loddiges (1786–1846)によってハミングバードを採取する目的で南アメリカに派遣された。
このジョージ・ロッディジーズは、「ボタニカルキャビネット(1817-1834)」という美しい絵入りの園芸雑誌を出版し、英国の園芸の大衆化に貢献した人物でもある。

メキシアは、1935年10月にペルーのリマでこのサルビアを採取している。

 
(出典)Annie's

8.Salvia pichinchensis Benth. (1846) サルビア・ピッチンチエンシス

  


(出典)Flora of Ecuador

サルビア・ピッチンチエンシス(Salvia pichinchensis)を最初に採取したのは、ドイツ人で英国の園芸協会からメキシコにプラントハンティングに派遣されたハートウェグ(Hartweg, Karl Theodor 1812-1871)だった。
エクアドルには、1841-1842年に探検に来ているのでこの時期にPichincha山の森でこのサルビアを採取しているのだろう。
種小名は採取した場所の名前を採ってつけられているが、写真があるだけでそれ以外がまったくわからない。

メキシアは、1935年9月にハートウェグ同様エクアドルのPichincha山3125mのところでこのサルビアを採取している。
葉は大き目のハート型、花は淡いブルー、しべが突出しハミングバードなどに花粉がつくようになっている。

9.Salvia punctata Ruiz & Pav. (1798) サルビア・プンクタータ

(写真)「Florae peruvianae et chilensis prodromus 」(1794)
 
(出典)MBG's digital library

 右側:Salvia punctata Ruiz & Pav.
 左側:Salvia procumbens Ruiz & Pav.

メキシアは、サルビア・プンクタータ(Salvia punctata)をペルー中央部にある州都ワヌコ(Huanuco)2300mのところで1935年11月に採取した。ワヌコは、年間を通じて温暖な気候のところで、この街もスペインの征服者Gómez de Alvarado(?-1542)によって1539年に造られた。

このサルビアを最初に採取したのは命名者でもあるスペインの探検家・ルイス・ロペス、ヒッポリュトス(Ruiz López, Hipólito 1754-1816)と パボン(Pavón, José Antonio 1754-1840)で、彼らが1794年に出版した『ペルーとチリの植物(Florae peruvianae et chilensis prodromus 1794)』に植物画が掲載されていた。植物の説明も記述されているはずだが残念ながら白紙だった。(理由はわかりますよね。)
種小名の“punctata”は、ラテン語で“小さな斑点がある”という意味なので、花弁に小さな斑点があるサルビアなのだろう。

スペインの国力が回復したカルロス三世(Carlos III, 1716-1788、在位:1759-1788)の時代に、新大陸を三つの王国に分けて管理していたので、その王国の植物資源を調査するための探検隊を王室がスポンサーとなり三つ送り出した。
ルイス・ロペスとパボンは、その最初の王立植物調査探検隊のメンバーであり、ペルーとチリに1777年から1788年まで派遣された。

この探検隊に関してはいずれ取り上げるつもりだが、二番目の探検隊である『セッセ探検隊(1787-1803)』は、メキシコを舞台としこの「メキシコのサルビアとプラントハンターの物語」No33-No40で既に取り上げた。
新大陸の科学的な調査をしようという着想は素晴らしいのだが、その思いが継続しないで、演じた役者たちが悲惨な末路を一筋の光明を求めて彷徨う歴史は繰り返されていて、あ~あ、スペインなのだ!
と思ったが、 わが日本の今もあまり変わらない。坂道を転げ落ちていく時に起きる現象なのだろうか?

10.Salvia sagittata Ruiz & Pav. (1798) サルビア・サジタータ


(出典)Robins Salvias

エクアドルからペルー、チリのアンデス山脈に生育するサルビア・サジタータ(Salvia sagittata)は、草丈100-150cmで特色あるライムグリーンの剣形の大きな葉によって英名では“Arrow Leaf Sage”と呼ばれる。
夏から秋にかけて花序につける濃い目のブルーの花は美しい。

メキシアがこのサルビアを採取したのは、エクアドルの北部にあるカルチ州でアンデス山脈2950mのところで1935年2月に採取した。
園芸市場への導入は1999年頃にカリフォルニアに登場したようだが、最初にこのサルビアを採取し命名したのは前述したスペインの探検隊ルイス・ロペスとパボンだった。
このサルビアは日本でも人気が出るだろう。

 
(出典)Botanic Garden

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