モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

宿根姫ヒマワリ と ひまわりへのオモヒデ

2008-05-31 07:29:54 | その他のハーブ
(写真)宿根姫ヒマワリの横顔


ヒマワリへの思い
オランダ生まれのヴィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh 1853-1890)

彼は、「ひまわり」を好んで描いた時期があり、生涯で7枚描いた。
現存するものは6点で、そのうちの1点が日本にある。
バブル絶頂の1987年に当時の安田火災海上(現損保ジャパン)が58億円で購入した。

これが高いか安いかは別にして、
ひまわりに執着して描いたゴッホのヒマワリ観は、
現在の我々が感じるイメージでもあるが、
それ以上に明るい未来・理想・情熱などの思いを象徴するものであったようだ。

ヨーロッパにはない、アメリカ大陸原産のヒマワリを
マドリードの植物園に持ってきたのは、コロンブス後のスペイン人であり、
育ての親となったのは、
スペインの医師・植物学者ニコラス・モナルデス(Nicholas Monardez 1493-1588)だった。

モナルデスは、1571年に出版した『新世界の薬草誌』で、
タバコは20以上の病気を治し空腹や渇きを軽減するとタバコ擁護論を展開し、
タバコの普及に弾みをつけたことで著名だが、
マドリードの植物園でヒマワリを栽培したのもモナルデスだった。

だが、ヒマワリがスペインから国外に持ち出されるのに100年近くもかかり、
17世紀になって、フランス、ロシアに伝わったという。

そしてその200年後には、南仏アルルでゴッホが「ひまわり」を描くことになる。

日本には、江戸時代の元禄期に中国から入り、太陽を追って動くので「日廻り」という名が広まったようだ。

「ゴッホのひまわり」7点のうち1点が現存しないが、
これは、大正時代の1920年に白樺派美術館設立のために
芦屋の実業家山本顧彌太が購入したが、太平洋戦争の空襲で消失したようだ。

ゴッホが描いてから30年後のことであり、
「ゴッホのひまわり」に託したい、白樺派の武者小路実篤の見果てぬ夢があったのだろう。
その夢も戦争とともに消えてしまったようだ。


ヒマワリは、2mにならんとする大きく迫力がある1年草だが
これと対照的な、
30cmと小柄で、葉が美しい、多年草の、ささやかなヒマワリのようなものが咲いた。

八重咲きであり不揃い感があるので注意深く見ると、
花弁が3枚づつまとまり、何かのサインをするように広がっている。

(写真)宿根姫ヒマワリの花


宿根姫ヒマワリ
・キク科ヘリオプシス(和名キクイモモドキ)属の耐寒性がある多年草。
・学名は、Heliopsis scabra Dunal。別名はヘリオプシス、和名はキクイモモドキ、別名が宿根姫ヒマワリ。
・原産地は北アメリカの西部。
・草丈50~100㎝で5~9月の夏咲き。
・5cm程度のイエローオレンジ色の花が咲く。一重と八重があるがこれは八重咲き。
・葉は長楕円形で濃緑色、ザラザラしているのが特色。ザラザラしていない葉の場合は別種のヒマワリモドキ(Heliopsis helianthoides)
・耐寒性・耐暑性とも強く、日光と排水のよい土で育てる。
・わが国へは明治時代の中頃に渡来したようだ。

(写真)姫ヒマワリの立ち姿


(補)学名の由来
宿根姫ヒマワリの学名は、Asteraceae Heliopsis scabra Dunalであり
命名者Dunalは、フランスの植物学者Dunal, Michel Félix (1789-1856)だ。

彼は、ヨーロッパ最古の医学部で有名なモンペリエ大学の植物学教授であり、
トマト、ジャガイモなどの新大陸アメリカの産物が所属するナス科での著名な研究業績があり、
これらの功績を評し、ナス科の一つの属に彼の名前つけた“Dunalia”属が出来た。

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