その2: 花の値段
17世紀初めに、花を主役とした静物画=花卉画(かきが)が成立した。
17世紀以前の花の扱い方は、
絵画の一部分に“ユリ=マリア”といった描き方で象徴的に扱われていたり、
写本の余白に挿絵として描かれていた。
花が主役となり、しかも写実的にリアルに描かれるようになったのは、17世紀初頭からだ。
その代表が、ヤン・ブリューゲルであり、
『木桶の花束』は、1606年に描かれている。
(出典)
ヤン・ブリューゲル(Jan Bruegel the Elder)(1568~1625)
『木桶の花束』 (1606年) Alte Pinakothek München所蔵
この絵のヒロインは、センター最上段にある“ヨウラクユリ” 。
学名フリティラリア・インペリアリス(Fritillaria imperialis)。
ウィーンの王室庭園で栽培されたので、別名 王冠ゆりとも言われる。
この“ヨウラクユリ”を中心におびただしい数の花が描かれているが、
“ヨウラクユリ”には、十字架にはりつけになったキリストを見て、
悲しみのあまりうつむいてしまった。
という伝説がある。
この“ヨウラクユリ”の値段だが、森洋子先生(明治大学教授、西洋美術史)によれば、
「1本で役人1年分の給料」ということだから相当高価であり、
“花の命は短い”ということを踏まえると、宝石・貴金属以上の価値が有った。
と思わざるを得ない。
“ヨウラクユリ”は、トルコ~ヒマラヤが原産地で、
ヨーロッパには、チューリップと同時期の16世紀にトルコから入る。
チューリップは、“ヨウラクユリ”よりも更に高価だった。
1554年トルコから園芸品種のチューリップがヨーロッパに入り、
オランダを中心に交配種が生み出され、
16世紀後半~17世紀前半には、チューリップ球根の値段が上昇した。
1634年に、球根取引の単位をアースという小さな単位(1グラム=20アース)に改正し
小口でも球根取引に参入できることが可能となった。
さらに、現物取引がルールだったのが、書類上での取引に変わったため、
1637年には、1ポンド120ギルダーの安価な球根が1500ギルダーまで暴騰した。
1ギルダーの貨幣価値だが、
オランダのライデン大学周辺の道路舗装に使われた石1個が1ギルダー。
デルフトの町で、大工仕事の手間賃が1日1ギルダーであり、
大工仕事の月収は、20~30ギルダーとなる。
これから見ても、チューリップの球根は相当高いことがわかる。
チューリップで最も高い球根は、
“常夏(Tulip Semper Augustus)”という白の地に赤の班が入ったチューリップで
13,000ギルダーもしたというからすごい。
1639年に、レンブラントがアムステルダムに大邸宅を購入したが、
この値段が、13,000ギルダーであり、
レンブラントは、この支払いに終生苦しみ、最終的には破産にまで至った。
チューリップの球根の値段が、レンブラントが購入した大邸宅と同じところまで
上がること自体に、17世紀オランダ社会での“珍しい花”への異常な関心が表れている。
このチューリップの球根の異常な状態は、バブル崩壊で解決した。
花を主役とした花卉画は、18世紀初頭の画家 ヤン・ファン・ハイスム(Jan Van Huysum)
『テラコッタの壺の花(Flowers in a Terracotta Vase)』 で頂点に至る。
<ときめきの植物雑学>
その1:花卉画の誕生
17世紀初めに、花を主役とした静物画=花卉画(かきが)が成立した。
17世紀以前の花の扱い方は、
絵画の一部分に“ユリ=マリア”といった描き方で象徴的に扱われていたり、
写本の余白に挿絵として描かれていた。
花が主役となり、しかも写実的にリアルに描かれるようになったのは、17世紀初頭からだ。
その代表が、ヤン・ブリューゲルであり、
『木桶の花束』は、1606年に描かれている。
(出典)
ヤン・ブリューゲル(Jan Bruegel the Elder)(1568~1625)
『木桶の花束』 (1606年) Alte Pinakothek München所蔵
この絵のヒロインは、センター最上段にある“ヨウラクユリ” 。
学名フリティラリア・インペリアリス(Fritillaria imperialis)。
ウィーンの王室庭園で栽培されたので、別名 王冠ゆりとも言われる。
この“ヨウラクユリ”を中心におびただしい数の花が描かれているが、
“ヨウラクユリ”には、十字架にはりつけになったキリストを見て、
悲しみのあまりうつむいてしまった。
という伝説がある。
この“ヨウラクユリ”の値段だが、森洋子先生(明治大学教授、西洋美術史)によれば、
「1本で役人1年分の給料」ということだから相当高価であり、
“花の命は短い”ということを踏まえると、宝石・貴金属以上の価値が有った。
と思わざるを得ない。
“ヨウラクユリ”は、トルコ~ヒマラヤが原産地で、
ヨーロッパには、チューリップと同時期の16世紀にトルコから入る。
チューリップは、“ヨウラクユリ”よりも更に高価だった。
1554年トルコから園芸品種のチューリップがヨーロッパに入り、
オランダを中心に交配種が生み出され、
16世紀後半~17世紀前半には、チューリップ球根の値段が上昇した。
1634年に、球根取引の単位をアースという小さな単位(1グラム=20アース)に改正し
小口でも球根取引に参入できることが可能となった。
さらに、現物取引がルールだったのが、書類上での取引に変わったため、
1637年には、1ポンド120ギルダーの安価な球根が1500ギルダーまで暴騰した。
1ギルダーの貨幣価値だが、
オランダのライデン大学周辺の道路舗装に使われた石1個が1ギルダー。
デルフトの町で、大工仕事の手間賃が1日1ギルダーであり、
大工仕事の月収は、20~30ギルダーとなる。
これから見ても、チューリップの球根は相当高いことがわかる。
チューリップで最も高い球根は、
“常夏(Tulip Semper Augustus)”という白の地に赤の班が入ったチューリップで
13,000ギルダーもしたというからすごい。
1639年に、レンブラントがアムステルダムに大邸宅を購入したが、
この値段が、13,000ギルダーであり、
レンブラントは、この支払いに終生苦しみ、最終的には破産にまで至った。
チューリップの球根の値段が、レンブラントが購入した大邸宅と同じところまで
上がること自体に、17世紀オランダ社会での“珍しい花”への異常な関心が表れている。
このチューリップの球根の異常な状態は、バブル崩壊で解決した。
花を主役とした花卉画は、18世紀初頭の画家 ヤン・ファン・ハイスム(Jan Van Huysum)
『テラコッタの壺の花(Flowers in a Terracotta Vase)』 で頂点に至る。
<ときめきの植物雑学>
その1:花卉画の誕生
森先生の名前をさっき間違って書いてしまいました。すみません。