てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

目次 その2

2005年08月22日 | 目次
太陽の塔が泣いた日(1)~(2)
健啖なるご隠居、ロッシーニへ捧ぐ ― 誕生日に寄せて ―
ポスター芸術とはなんぞや?(1)~(2)
新井満氏の多芸な生活
行進曲よ永遠なれ(1)~(2)
さらば雅俗山荘(1)~
ふるさと再発見 ― かつて描かれし風景 ―
私的なチッコリーニ賛 ― リサイタルを聴いて ―
遅きに失した梅ごよみ(1)~(2)
裸の大将と着衣の画家 ― 山下清の歩み ― (1)~(5)
てつりう欲張り観桜記
訃報ふたつ ― 白髪一雄と小川国夫 ―
御所めぐりと残んの桜(1)~(2)
莫山先生、梅田に来たる
小さな画廊の新たな船出
千住博の夜の滝
アボリジニに絵筆を ― ウングワレーの仕事 ― (1)~(3)
ツツジの山と疏水の戯れ(1)~(2)
女神のアンチエイジング ― 中山忠彦の世界 ―
天上高く、地の底深く
山小屋を染め上げた男 ― 染色家・柚木沙弥郎 ―
いとしのマリー・ローランサン(1)~(2)
お日さまギラリ、祭をチラリ ― 葵祭を一瞥するの記 ―
両巨匠、並び立てる ― 小磯良平と東山魁夷 ― (1)~(5)
茶室と庭のある写真展 ― エリオット・アーウィットを観る ―
正岡子規の“最後の恋”(1)~(2)
インドの大地に不矩きたる(1)~
ブロンズとお骨佛の寺 ― 秋野不矩・余滴 ― (1)~(2)
つかの間の平安神宮
水無月の京都をさすらうの記(1)~(3)
絵画が動くとき(1)~(3)
浮かれあるき、撮りあるき ― 祇園祭2008 ― (1)~
涼と寂を求めて ― 無帽で無謀な嵯峨野めぐり ― (1)~(3)
広島まんだら(1)~
まとまりのない盆休み(1)~
秋の「院展」抄景(1)~
中村紘子のピアノを聴いて(1)~(4)
京を歩けば(1)~
色彩夢譚 ― 絹谷幸二の神々 ―
名人芸と夜想曲
板の上にはボクネン
文化勲章の秋(1)~(2)
写真家の妻は写真家 ― マルティーヌ・フランクの仕事 ―
田村能里子の無垢なる大地
鉄骨の塔のもとに ― 近代都市パリと芸術家たち ― (1)~(7)
メリー・クリスマス・アフター
画家になりたかった男 ― ミュシャの商業芸術 ― (1)~(2)
フェスよさらば
新春ウィーン・フィル談義(1)~(2)
小雨、ときどき、お正月(1)~(3)
四人四様・浮世絵ワールド(1)~(4)
デザインの魔術師、逝く
工芸いろいろ古今東西(1)~
向田邦子の彼方へ(1)~(2)
デザイナーが見た近未来 ― ラムスのデザイン精神 ―
芥川也寸志・没後20年
波の音の狭間に(1)~(2)
リチと理知 ― 上野夫妻の挑戦 ―
テツの「アトリエ探訪」
ある作曲家の思い出に ― 武満徹のこと ―
透徹したまなざし ― 大山忠作を悼む ―
モノクローム・ド・パリ ― ドアノーを回顧する ― (1)~(3)
雨上がりの天王寺にて(1)~(3)
さらば京都よ(1)~(2)
20世紀美術の展開図(1)~
クロキョーさん、逝く
若いピアニストの岐路
ステージを見下ろして(1)~(3)
運動音痴のスポーツ談義(1)~(5)
関雪の曲がり角(1)~
死んじまったミュージシャンに
寄り道しながらボルゲーゼへ(1)~(4)
か弱い巨人たち ― ウィーンの19世紀末 ― (1)~(3)
正月点描 in 枚方(1)~(4)
栄光と苦難の指揮者たち(1)~(2)
「日展」ところどころ(1)~
15年目の西宮にて(1)~(3)
タワー狂想曲(1)~(3)
日本と花と、その他のものに(1)~

目次 その1

2005年08月22日 | 目次
まえがき
「無言館」は語る(1)~(10)
古径散策(1)~(5)
モダンなパリと心斎橋(1)~(6)
恐るべきコクトー(1)~(3)
舟越保武へのオマージュ(1)~(3)
ルーヴルの裸の賓客たち(1)~(7)
秋の訪れと「院展」(1)~(4)
水上勉が遺したもの(1)~(4)
洋館と庭とジョン・ケージ(1)~(4)
堂本尚郎の緩やかな転変(1)~(5)
選ばれし日本画たち(1)~(6)
日本人が洋画に出会うとき(1)~(6)
鶴太郎の鯉泳ぐ(1)~(2)
母なるちひろのまなざし(1)~(3)
ドレスデンからの伝言(1)~(5)
戦後61年目の平和(1)~(4)
瓦礫の下から
ミロの思い出(1)~(2)
推敲するピカソ(1)~(2)
「人生は狂言だ」(1)~(3)
小林柯白の3枚の絵(1)~(3)
松園賛江(未完)(1)~(3)
ル・シダネルのやさしき不在
小さな居場所(1)~(2)
菊池契月と少女たち(1)~(2)
物言わぬ群像 ― 人体彫刻をめぐって(1)~(7)
彼女について知っているわずかの事柄 ― 白洲正子断想 (1)~(3)
指揮者の引き際 ― 岩城宏之を偲ぶ
老境の洋画家たち(1)~(8)
宵山放浪記(1)~(5)
朱色のある風景 ― 清水九兵衛をめぐって(1)~(4)
素顔の芸術家たち(1)~(4)
津高和一ふたたび(1)~(4)
顔、それぞれ ― 京博の肖像画をめぐって(1)~(8)
地下に咲く花 ― 須田悦弘について(1)~(2)
多面体イサム・ノグチ(1)~(6)
てつりう“光源学”(1)~(7)
イメージの系譜 ― 江戸絵画を横断する試み(未完)(1)~(12)
オルセー寸描(1)~
西村元三朗の“未来予想図”
20世紀版画おぼえがき(1)~
傷跡を癒やす歌 ― 新垣勉のこと ― (1)~(2)
文字と精神について
抽象の生まれるとき ― 徳岡神泉のたどった道 ―
北海道から来たエトランゼ(1)~(4)
雪なき冬を送る ― 日本の冬景色選 ― (1)~(5)
メモリアル・ピカソ(未完)(1)~(7)
奈良ばしご ― これもすべて、ほぼ同じ一日 ― (1)~(3)
「日展」の“点と線”(1)~(6)
さくら三昧 ― “極美”を訪ねて ―
豊潤な静けさの中で ― 鈴木昭男の音風景 ―
山に向かいて ― 相原求一朗の風景 ― (1)~(3)
ある日の縮図
鶴のひとふで ― 片岡鶴太郎の世界に遊ぶ ― (1)~(2)
川合玉堂の自然観(1)~(4)
無精ひげ南丹紀行 ― 麻田辨自のふるさとへ ― (1)~(4)
曽剣雄とフェルメールの間 ― 写実をめぐって ―
たまには写真のことなども ― 白川義員を中心に ― (1)~(4)
季節はめぐりて ― 「院展」の画家たち ― (1)~(3)
ベルギー絵画いまむかし(1)~(8)
嵐と祭の前夜
『ペトルーシュカ』試論(1)~(5)
河合隼雄さん逝く
画家として死ぬということ(1)~(13)
芸術は爆発か ― 極私的・岡本太郎論 ― (1)~
イタリアの太陽が沈んだ日 ― パヴァロッティの死を悼む ―
若冲さんの墓参り(1)~(8)
寂聴閑話(1)~(3)
文化財は守れるか
てつりう蓋棺録 ― 二人の女性を送る ― (1)~(2)
忙しい国へ ― 殿様の手すさび ― (1)~(2)
続・文化財は守れるか
工芸に生くる人々(1)~(4)
「新制作展」で思うこと
私的に京都御所歩き(1)~(2)
奈良ばしご・第2幕 ― 「正倉院展」のことなど ― (1)~(9)
紅葉に思いを重ねて
去りゆく秋に追いすがる ― 晩秋から師走へ ― (1)~(3)
クリスマスなのに「第九」の話(1)~(3)
師走の京都そぞろ歩き(1)~(3)
越年顛末記(1)~(4)
ロシアン・アート・ルーレット (1)~(6)
女性文学私見 ― 紫式部と向田邦子のはざまで ―
住吉っさんめぐり(1)~(3)
画人の面構 ― 片岡球子逝く ―
雪に惹かれて二条城
チャイコフスキーからの祝福 ― ガラ・コンサートを聴く ― (1)~(3)
中之島あんてぃーく (1)~(3)
現代美術に肩まで浸かる ― 国立国際美術館私記 ― (1)~
しろがねの寺(1)~(2)
彫刻家の晩年
春の息吹を探して